アタランテを呼んだ男の聖杯大戦   作:KK

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彼岸

 キャスターが何か言い出す前に、アーチャーの矢が彼の眼を貫いた。

 

「これはこれは、過激なご挨拶をどうも」

 

「……やはり幻影か」

 

 キャスターの姿はゆらゆら揺らめき、徐々に透けて消えた。

 アーチャーは苛立ったように声を荒げる。

 

「キャスター、汝の下らぬ戯言に付き合っている暇はない。退いてもらおう」

 

「マスターと二人連れ添い、それ程に急いでどちらへ? 劇場(グローブ座)にでも、観劇に向かわれるのですかな?」

 

 こつこつと足音を響かせ、また別の硝子柱の陰から、キャスターが現れる。これも幻影だろう。

 

 無視して、アーチャーは全身に殺意を漲らせた。

 

「汝では私に勝てぬ。それくらい判っているだろう。それとも『レイピア使いは(many wearing rapiers)ガチョウの羽ペンを恐れる(are afraid of goosequills.)』ことを証明したいのか?」

 

「おおう! これは嬉しい驚きですな。吾輩の戯曲(ハムレット)をご存知で?」

 

「…………」

 

 アルとアーチャーをじっくり観察するように、キャスターは彼らの周囲を歩き始めた。

 

「しかし意外でしたぞ。貴女の願いを叶えるためには、天草四郎(マスター)に従うしかないと思っていたのですが……。彼の願望に間違いでも見付けましたか?」

 

「正義は並立を許すという話だ、”赤”のキャスター(シェイクスピア)」アーチャーは鼻を鳴らした。「奴の願望は正しいが、私のそれとは、向いている方向が違った」

 

「なるほど、なるほど……」

 

 顎髭を弄り、キャスターは二人の正面で立ち止まった。

 

「では、こういった趣向は如何でしょうか。せっかくのマスターとの逢瀬なのでしょう。予定通り観劇と洒落込むというのは?」

 

「去れ、文人」

 

 弓に矢を番え、アーチャーがキャスターを睨み付けるが、彼の不敵な笑みはますます濃くなっていくばかりである。

 

 付き合うだけ時間の無駄。無視して通過するか、宝具でこの部屋ごと倒すか――と、アーチャーが思案した時。

 彼女は、この部屋を充たし始めた魔力の渦を感知した。

 

「まさか――宝具を使うつもりか?」

 

「その通り! 貴女方のため、ここに劇場を開きましょう!」

 

「そんなことをして……!」

 

 無論宝具は警戒すべき代物だ。だがアーチャーの見る限り、キャスターは一切の敵意を発していない。彼はこちらに攻撃しようとしていないのだ。発動されるのがどんな宝具であれ、直接ダメージを与えるようなものでないことは見当がつく。悪足掻きのつもりか。

 目の前に立つ彼を射たが、やはり幻影。三人目のキャスターが現れ、にやりと笑った。

 

 アーチャーの殺気をものともせず、キャスターは――幻影の方だが――腕を開き、声高らかに叫んだ。

 

「貴女が敵に回った今、天地に上映を拒む者なし! さあ我が宝具の幕開けだ! 世界は我が手、我が舞台! ――『開園の刻は来たれり、此処に万雷の喝采を(ファースト・フォリオ)』!」

 

 

 アルは劇場に座っていた。

 

「は――?」

 

 座っているのは、観客席のなかでも真ん中の、一番いい席。正面の奥に、紅い緞帳の降りた舞台が見える。座席のクッションが程よい硬さで、躰を受け止めていた。

 目に入る限り、自分以外に観客の姿はない。しかし静まり返った劇場には、開演を今か今かと待つ時特有の、わくわくとした空気が充ちていた。

 

(これがキャスターの宝具? ならアーチャーは……)

 

 アーチャーは――舞台にいる。

 なぜかそう直感した。

 

「(アーチャー!)」

 

 しかし、張り上げたはずの声は響かない。

 席から立とうとしても、釘で打ち付けられたように、脚が動かなかった。

 

「野次はご遠慮いただきたい。上映中暴れるのもね」

 

 不意に左から声がした。

 はっとして顔を向けると、座席を一つ空けて、キャスターが座っていた。

 

「(お前、何を……!)」

 

 怒鳴ったつもりだが、口がぱくぱく動くだけで、やはり何の音も耳に入らない。

 

 キャスターは口の前で人差し指を立て、子供にするように「シーッ」と言った。

 こちらが諦めて黙ったのを見届けると、彼はウインクをひとつ残し、次の瞬間には消えていた。

 

 呆然として、正面の舞台へ視線を戻す。

 

 するとそれを待っていたかのように、深紅の幕が上がり始めた。

 

 アルにはどうしようもなかった。

 あの向こうに――アーチャーがいると判っているのに。

 

 観客と役者の距離。

 人間と英霊の距離。

 此岸と彼岸の距離。

 

 その断絶は、あまりに深い。

 

 

          #

 

 

 景色が切り替わる。

 

 アーチャーは森のなかに立っていた。

 どこか見覚えのある――森のなかに。

 

 やれやれと首を振る。この程度でダメージを受けると思われているのだろうか?

 

「下らぬ幻影だな」

 

《幻影? まさか!》呟きに呼応して、朧な人影が現れ、大袈裟に手を振った。《貴女もご存じの通り、吾輩の本分は物語。これは貴女を主役に据えた芝居なのです! もちろん元ネタは貴女の人生そのもの。さぞ、演技にも身が入ることでしょうな……はは……》

 

 人影が溶けるように消えていく。

 

「なるほどな」

 

 いずれにせよ下らないと、心の中で吐き捨てた。

 

 しかしこの強制力は本物だ。演劇宝具とでも言おうか、彼に指名された役者は、この悪趣味な劇が終わるまで、攻撃も退場を許されない。付き合うしかなかった。

 

 そして上演が始まった。

 

 

 森。

 

 遠ざかっていく背中と、必死に伸ばした腕。

 

 予想通りの展開だ。

 

(まあ、まずはこれを見せるだろうな)

 

 これがアーチャーの始まった場所。男児を望んだ父に、森へ棄てられた記憶。

 

 当時の彼女にとって、森は恐るべき異界であった。恐ろしい獣や化物が住み、人間の力が及ばぬ地。ひとりで入ってはいけないと言われていた場所へ、置き去りにされたのである。

 

 暮れていく空は、己の命を映している。陽が完全に没した時、生命の灯もまた消えるだろうと思った。

 

 だが、追体験しようとショックを受けることはない。何度も夢に見て、何度も苦悶した。ここは彼女が既に通り過ぎた場所。

 この程度で攻撃とは笑わせる。

 

《親の愛を受けられなかった原初の記憶! ああ、なんとも涙を誘うではありませんか?》

 

 キャスターの鬱陶しい語りも、今のアーチャーには通じない。

 

《しかし幸運とはあるもので、女神の慈悲を受けた彼女は、精悍な狩人へ育つのです……》

 

 時が過ぎ去っていく。

 熊の乳を飲み、獣の剽悍さを手に入れた。狩人の養育を受け、比類なき弓使いと変貌した。

 

 成長した彼女は船に乗る。ギリシャ中の英雄が集った船だ。死を待つばかりの捨て子だった彼女は、いつの間にかそれほどの力を手に入れていたのだ。

 

 潜り抜けた冒険の数々、航海を共にした仲間……。

 仲間内で争うことも、酷く心を傷める出来事もあったけれど、それらを含めて、間違いなく、彼女の人生で最も輝かしい時だった。

 

 飛沫を上げ、勇ましく進む舳先……。

 船尾に白く残る曳波……。

 そんな、滄溟の栄光。

 

 

 冒険を経るうち、彼女の名声は、留まることなく広まった。その美しさ、勇ましさは、野を越え山を越え喧伝された。その麗姿を一目見ようと、男たちは彼女の許へ押し寄せた。

 

 彼らの対応に苦慮しながら、冒険を終えたアーチャーの前に現れたのは、ひどく懐かしい顔だった。

 

「父上……」

 

 柔和な表情を浮かべ、彼女の父、イアソスが立っている。

 

 その姿を見た時、どれほど喜んだろう。

 各地を巡り、愛される子の歓びを知った。そして自分がそうでないことに、ずっと煩悶を抱えていた。

 けれどもう悩む必要はない。

 女は要らぬと言った父も――、我が功績を認め、今は私を愛してくれる。

 

「ああ……」

 

 嗚咽を漏らし、父に近寄る。長い時を経たが、ようやくその腕に抱かれるのだと思った。

 

「やっと逢えたな、我が娘」

 

 イアソスは満面の笑みを浮かべ、彼女の両肩に手を置いて――。

 

《ああ、しかし何たることか! どうして『父親は子がわからない(It is a wise father that knows own child.)』!?》

 

「求婚者が押し寄せておる。結婚し、子を為せ。アルカディアの跡継ぎを我が眼に見せてくれ」

 

 その眼は、彼女を見るためにあるのでなく。

 その腕は、彼女を抱くためにあるのでなく。

 

「断らないでくれるな? 父の頼みを、まさか娘が断るなど、そのような親不孝をお前は為さぬな?」

 

「わた――しは」

 

 真っ白な頭のなか。

 

 たったひとつ、確信した。

 

 自分が愛されることはない。

 

 だから、親の愛を求めてはいけない。

 

 愛の存在を知り、だが己は決して愛を得られないのだと知った。

 

 きっとその時、何かを諦めたからだろう。

 

 悲しみも痛みも、もう感じなかった。

 

 イアソスの言葉を受け止める彼女の表情は、普段通りの平坦なそれに戻っていた。否――戻ったのではない、変わったのだ。

 

「ええ、判りました父上。ですが伴侶を選ぶ際、ひとつだけ条件を付すこと、お許し願いたい」

 

《おお”赤”のアーチャー! 親の愛を失った子供よ!》

 

 それからは早回しの映像が、眼前を掠めていった。

 伴侶を得、獅子の姿に変えられ、そして……。

 

「死んだ、か」

 

 舞台上には、何も残っていない。

 背景も大道具もない。暗い壇上に佇む彼女を、スポットライトが上から照らしていた。

 

 アーチャーに対面する形でもう一人、舞台の隅に本の頁を捲るキャスターが座っていた。彼にライトは当たらず、灰色の人影としてそこにいる。

 

「あ、終わりましたか?」分厚い本を閉じ、彼はアーチャーに目線を送る。「どうです、お気に召していただけましたかな?」

 

「予想通り、下らない出し物だったな。いつの間に落書き屋に鞍替えしたのだ?」

 

 アーチャーは冷たい瞳で、キャスターを見下ろした。

 

 そもそも、自分の人生を見て絶望する英霊などいるのだろうか。彼女は思う。

 

 だってそれは自分の経験、自分の思考だ。それを経ているからこそ今があるのであり、その過程にどんな挫折や後悔があろうと、それは生前に済んだこと。死後に持ち込むような真似はしない。少なくとも、自分はそうだ。

 

「馬鹿にされたものだな。こんな宝具で私をやり込めるつもりだったのか」

 

 溜息を吐く。世紀の大文豪シェイクスピアも、所詮はこの程度ということか……。

 

「おっと! アーチャー殿、貴女は勘違いされているようだ。吾輩とて、この毒にも薬にもならぬ人生をもって、物語とする気はさらさらございません」

 

「何だと……?」

 

「だってそうではないですか? こんなもの、悲劇にも喜劇にもなりやしない。そうですなあ……吾輩が書くならば……そう。悲劇であれば船を嵐に沈没させていたでしょうし、喜劇であれば、獅子でなく、兎の耳と尻尾を生やしたでしょう」

 

 両手を頭の上にのせ、兎のジェスチャーをしてみせるキャスター。

 しかしそれ程ウケていないと判るや、すぐに手を下ろし、咳払いで誤魔化した。

 

「……ともかく、ここまでは第一幕。観客に登場人物(キャラクター)のことをよく知ってもらうための、言うなれば挨拶のようなもの。物語が山を迎えるのはこれからです」

 

「シェイクスピア……ついに気が狂ったか」

 

 敵意を通り越し、もはや憐れみの籠った視線で、彼を見つめる。

 アーチャーの生涯は幕を下ろした。生まれてから死ぬまで演じきり、これ以上何の物語を続けるというのか……。

 

「はっはっはっは! それは作家には誉め言葉ですな! その通り、吾輩、過去の記録になんぞ、何の興味もありません。興味があるのは現在(いま)のみ! 眼前で次々と色を変える、最強の娯楽――感情にこそ、物語の妙味があるのです!」

 

「現在――だと?」

 

 なにを言っている……?

 

(奴は――私に何を見せるつもりだ?)

 

 アーチャーの思考に、僅かながらでも動揺が生まれたのはこの時だろう。

 

「さあさあ、幕間はこれにて終い! 席をお立ちの皆様方も、急いで戻って席に着け!」

 

 勢いよく立ち上がり、シェイクスピアが朗々と声を張り上げる。

 

「これより――第二幕を開演する!」


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