なぜ迷子一人を送り届けるだけで、命の危機に瀕しなければならないのか。
アルは頭を抱えながら、せかせかと足を動かす。斯くなる上はさっさと警察へ行き、店長に土下座するしかあるまい。寛容さに甘えるようで悪いけれど、きっとあの人なら許してくれるはずだ。
――だというのに。
「よぉ、兄ちゃん。ちょっと話さねえか?」
「俺ですか……?」
自分を指差し、辺りを見廻す。
アルに声をかけたのは、筋骨隆々の大男であった。サングラスの奥に覗く瞳は鋭く、
「ったり前だろ。テメエ以外に誰がいるってんだよ。巫山戯てんのか?」
更にもう一人、隣に立つ女が眉根を寄せた。
女――美女と呼んで差し支えないだろう金髪の彼女は、しかしその獰猛な雰囲気は隠しようもなく、ともすれば殴りかかってきそうな勢いであった。この秋空の下チューブトップなど着ている時点でマトモな人間ではあるまい。
更に不思議なのは、女を見た瞬間、脳裡に奇妙なイメージが瞬いたことである。
――『筋力B+/耐久A/敏捷B/魔力B/幸運D/宝具A』
一体何の着想かも判らず、アルは目を白黒させる。
「何じろじろ見てんだ」
「い、いえっ」
正に二体の肉食獣。眼前に立ち竦む自分は憐れな獲物といったところか。
「か、カツアゲですか」
鞄をぎゅっと握る。まさか客の持ち物をカツアゲされるわけにはいかない。
「あぁ? 何言ってんだよ。とにかく来い」
女の方が先に立って歩いて行く。アルが随いて来ないとは考えもしていない背中で――実際逃げ出すという選択肢はなかった。
(何でこんな不運が重なるんだ……)
アルの歎きは誰が聞くこともなく、消えた。
てっきり路地裏にでも連れ込まれるかと思ったが、女が選んだのは空いたカフェだった。白いプラスチックの机と椅子が並ぶオープンカフェで、パラソルが日光を遮っている。
水を持って来た店員に紅茶を三杯頼む。女だけは大量の食事を注文し、椅子の背もたれに腕を回した。
彼女の様子を見、男の方が口を開いた。
「――さて。何でお前さんがマスターをやってるのかは訊かん。だが協会に派遣された奴から令呪を奪ったってんなら、それなりの手練れだろう。肚ァ割って話そうじゃねえか」
「は、は?」
「まああくまで恍けるってんなら、それでも構わないがね」運ばれてきた紅茶を一口啜り、男はニヤリと笑った。「俺は獅子劫界離。ま、今のところは仲良くやろうや」
「はあ……、あ、俺はアルっていいます」
「アル、な……」
『知ってる奴か?』
モードレッドから念話が届き、獅子劫は少し考え、首を振った。
『いや、知らんな』
二人のやり取りを知る由もないアルは、慎重に話題を選ぶ。
「えっと、そちらの方は……」
「”赤”のセイバーだ」
モードレッドが素気なく応じると、獅子劫は額を抑え呻いた。
「あのなあ、お前――」
「どうせバレることだろうが。それにバレたところでどうこうなるもんじゃねえよ」
「はあ……。まあ、いい。それで、お前さんのサーヴァントは”赤”のアーチャーで良いのか?」
「え?」
目の前の二人――獅子劫とセイバーが突然何を言い出したのか。当然ながら、アルには全く判らない。
こういった場合、適当な受け答えをすると痛い目を見ることは必定。
素直に「知らない」と答えようとして――、
「そんな回りっ諄い話はどうでもいいだろ」
セイバーが口を挟んだ。だよな? と睨み付け、その眼力に圧されるようにして、アルは首を縦に振る。これは純粋な恐怖からくる行動であり、本当は今にも悲鳴を上げたい気持ちでいっぱいであった。
(ああ、訳の判らないうちに妙なことに巻き込まれている……!)
「ほら、クラスも判ったことだし、さっさと本題に入れよ」
話を簡単にしてやったぞとばかりにモードレッドがニッと笑い、獅子劫は微妙な表情を浮かべた。
気を取り直すように首を鳴らし、手を組む。
「まあこっちの話は簡単でな。俺たちと共同戦線を張らないかってことなんだが」
「共同戦線……」
「お前さんも気づいた通り、教会の連中はどうも怪しいから組みたくねえ。だが敵は七騎――折角なら二騎で協力した方が、何かとやりやすいと思うんだが。アーチャーの後衛があるならこちらも安心できる」
フン、とモードレッドが鼻を鳴らす。後衛なんぞなくてもオレは戦える、というのが彼女の言い分。とはいえ獅子劫の言い分にも一理あることは認めており、この申し出は彼女が引き下がった形だった。
躊躇う様子のアルを見て、獅子劫はメモ帳を取り出し、何事か書き込んだ。ページを千切り、相手に投げ渡す。
「まあすぐに返事しろとは言わねえよ。協力する気になったら、ここに連絡くれや」
「は、はあ……」
ぎこちなく返事して、アルはメモを仕舞い込む。
「――それじゃ行くか、セイバー」
獅子劫が立ち上がると、モードレッドが不満げな声を上げた。
「まだオレの食事が届いてないんだが?」
「……ここじゃ落ち着いて食えんだろう。お前は大丈夫でも、俺は厭だね」
「ま、それもそうだな。飯が不味くなる」
モードレッドは諦めたように立ち上がり、じゃあな、と一言を残して颯爽と去って行った。
「……一体何だったんだ」
嵐が去った後のような寂寥感に包まれ、アルは暫く茫然としていた。
速足でカフェから離れつつ、獅子劫とモードレッドは念話を交わす。
『気配を消して追ってきてるかもしれん。遠回りしていくぞ』
『はいよ。ったく、面倒なことになったな……』
ぼやいて、モードレッドは首筋を撫でる――つい先程まで、殺気を向けられていた後首を。
アルと名乗るマスターに接触した直後から、二人は首筋がチリチリと焼かれるような感覚を覚えていた。
それは紛れもなくアーチャーの殺気にほかならず、敢えて晒された気配は、明確なひとつのメッセージを送っていた。
即ち――『妙な動きをすれば躊躇なく射る』。
モードレッドとて、遠くからおどおどこちらを狙う弓兵風情に敗ける気はさらさらないが、相手の真名も判らぬ状況で行動を起こすほど短絡的でもない。獅子劫が連絡先だけ伝えてさっさとカフェを離れたのも、それを恐れてのことである。
「ったく、昼の内に工房を作っちまいたかったんだが……。撒くだけで結構な時間を使うぞ、こりゃあ」
細い路地に足を踏み入れつつ、獅子劫は溜息を吐いた。
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「全く、何なのだアイツは……」
歩き去って行くセイバーとそのマスターを見、
尚も視界には、運ばれてきた大量の料理を前にあたふたと醜態を晒すマスターの姿がある。
「……まあ良い。ヤツの行動は既に見させてもらった。後は問答にて計らせてもらうとしよう。それで我が弓を預けるに能わぬ惰弱者と知れれば――」
身を潜めていた屋根から、滑るように移動。
完全に絶たれた気配、その姿を目に留める者はない。
しなやかな跳躍と着地を繰り返し、冷え冷えとした声……冬の森を駆け抜ける透明な風のように、女は呟く。
「――殺すだけだ」
次回ようやく登場。おっそ