アタランテを呼んだ男の聖杯大戦   作:KK

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対話②

 いくらユグドミレニアの当主といえど、セーフハウスまで豪華なものを選ぶ訳にもいかず、その地下室は他のそれと大差ない造作をしていた。

 

「攻撃は今宵、か」

 

 深緑の硬いソファに腰掛け、”黒”のランサーは遠い目をした。

 ダーニックが対面に座り、重苦しい表情を浮かべている。

 

「申し訳ありません、領王よ。私が有効な策を見出せなかったばかりに……」

 

「仕方あるまい。それで、どう攻めるつもりだ?」

 

「は。それは――」

 

 三日間話し合いを重ねてきたが、とうとう”黒”は、城塞攻略の手立てを見付けられなかった。

 もう数日粘って、作戦を練るという手もあったが、ダーニックがそれを否定した。三日間考えて思いつかないのであれば、これ以上考えても無駄と判断したのである。

 よって戦略は限りなく単純なものになった。

 

 

 一通りを説明し終え、ダーニックは息を吐いた。どうやらランサーの不興は買わずに済んだらしい。

 

 地下室を照らすランプの灯が、二人の影を背後に投じている。

 

「ダーニックよ」ふいにランサーが口を開いた。「我が領土を侵した”赤”の蛮族を、余は赦すつもりはない。無論聖杯はこの手に収めるが、その前に奴等を根絶やしにしなければ、余の心は安まらぬ」

 

「承知しております」

 

「特に――あのアーチャーを赦す気はない。……奴は我が名を侮辱した」

 

 口調は冷静そのものだが、その底に隠された深い怒りを感じ、ダーニックは戦慄した。メフメト二世すら恐怖したという、その冷酷かつ苛烈な本性の一端に触れた思いだった。

 

 とはいえダーニックにも聖杯を欲する理由がある。ランサーの言いなりではない。

 

「しかし領王よ――」

 

「お前の懸念は判っている、ダーニック」手を開き、ランサーは鷹揚に頷く。「私情を優先して、大局を疎かにすることはないと約束しよう。あのような虫けらのために、大聖杯を手放すことはない。……だが」

 

 ランサーの瞳が、すっと鋭く細められる。

 遠くどこにいるか判らない敵すら、視線で殺しかねない凶悪さ。

 

「だがもし、機会があれば……。奴にはただ死を与えるのみならず、余を穢したのと同様、相応の屈辱を味わってもらう……。そうなれば止めるなよ、ダーニック」

 

 ダーニックは恭しく胸に手を当てた。

 

「貴公が名誉のためにこそ戦っておられることは、よく存じております。その邪魔をどうして私がしましょうか」

 

「ならば良い」

 

 それっきり、秒針の音のみ響く室内に、重く冷たい沈黙が降りた。

 

 

          #

 

 

「――という経緯で、僕はせんせ――キャスターを自害させ、君に()うまで逃げてきたって訳。……それじゃあ次は君の番ね、セイバー」

 

 ロシェ・フレイン・ユグドミレニアが、微笑みを浮かべる。

 

「あ、ああ……」

 

 唾を飲みこみ、セイバーは曖昧に頷いた。

 

 

 二人がセーフハウスに避難してきた頃に、時は戻る。

 

「ゴルドには、人前で喋るなって言われてたろ? でも今のマスターは僕だから。好きに喋っていいよ」

 

「そうか。判った」

 

「それで、早速教えてもらいたいことがあるんだけど」

 

「何だ?」

 

「……その前に、座ったら?」

 

「了解した」短く答え、セイバーはソファに腰を下ろす。「何を聞きたい? 俺の真名と宝具は先ほど話した通りだが、敵の戦力についてか?」

 

「いやいや」

 

 ロシェは大袈裟に首を振り、セイバーの胸を指差した。

 

「セイバーのこと――君の生涯について教えてほしい」

 

「……すまない、俺の――何について?」

 

「生涯について。良いでしょ?」

 

 ロシェは小首を傾げ、セイバーの瞳を覗きこんだ。

 

 セイバーはこの新たなマスターに対して、ゴルドに対するものとはまた別種の戸惑いを感じていた。というよりむしろ、これならばゴルドの方がやりやすかったと思うくらいである。

 

「俺の生涯か……。しかし何を言えば――」

 

「全部」

 

「全部? とは……」

 

「だから、全部だよ。生まれてから死ぬまで、誰と逢ったか、誰と別れたか、誰を愛したか、誰を嫌ったか、好きな食べ物とか、暇つぶしの方法とか、冒険とか、何を考えていたのかまで。全部」

 

「…………」

 

「大丈夫。時間はたくさんあるんだよ。総攻撃は三日後ってダーニックが言っていたから、それまでずうっと話せる」

 

「……俺のことを知りたいなら、その、歴史書なり何なり読めばいいのではないか? 俺が語るよりも整理され、判りやすいと思うが」

 

「僕が知りたいのは、そんな表層のことじゃない! 君の全てを知りたいんだ!」

 

 ロシェは紅潮した頬で、熱っぽく語った。

 

「そうか、す、全てを……」

 

 実際の所、セイバーは圧倒されていた。数え切れないほど強大な敵を打ち倒し、困難な冒険を潜り抜けてきた勇者でも、このように追い込まれた経験は初である。

 

 なかなか口が重たいセイバーを前に、ロシェは腕組みをして考えた。

 彼はすぐ手をポンと打ち、そうか、と声を上げた。

 

「なるほど、確かにセイバーにだけ話してもらうっていうのは、不公平だよね」

 

「いや、俺は別に」

 

「判った。先に僕のことを話す。えっと、僕が産まれたのは――」

 

 

 それから長い話が始まった。

 ロシェは自分について語れることの全てを語った。他人に対する悪感情も、キャスターを自害させたことについても、包み隠さず伝えた。話は脈絡なくジャンプし、遡り、矛盾し、主観的になり、客観的になった。彼は持てる言葉を使い尽くしてなお、さらに延々と語り続けた。

 

 或いは、それは恐怖だったのだろう。

 

 セイバーと判り合うためには、彼に自分を知ってもらい、自分が彼を知るしかない。年相応の幼さでロシェはそう考えた。そしてそれは正しい。老いた者がなし得ない正しさである。

 

 彼が滅茶苦茶になりながらも全てを話したのは、そうしなければ相互理解は得られないと恐れたからであり、語り漏らしがあった場合、その欺瞞をセイバーは見逃さないだろうという、強迫観念に駆られたからである。ひとつの見逃しもあってはならないと、どんな細かいことにも言及した。

 

 

 ロシェの話を、セイバーはただ真剣に聞き続けた。

 相槌も打たなかったし、聞き終えた後になにか感想を述べることもしなかったけれど、それで充分だった。

 

「……それじゃあ次は君の番ね、セイバー」

 

「あ、ああ……」

 

 セイバーにもう戸惑いはない。このマスターがどれほど真剣であるか、痛いほどよく判っていたし、自分も彼に応えなければならないと、自然に考えていた。

 

「俺は――」

 

 セイバーの話は、ロシェよりずっと纏まっていたが、その分量は凄まじかった。

 彼は数知れず経験した冒険を、一つひとつ詳細に語り、そのたびにロシェは顔色を赤くしたり青くしたり、様々な表情で受け止めた。

 

 これほど長い間他人の話を聞いたことも、自分の話をしたことも、セイバーには初めてのことだった。

 

 

 やがてセイバーの話も終わった。三日あった余裕は、もう半日も残っていなかった。

 

「はぁーっ」

 

 薄い隈を残した顔で、ロシェがソファで横になる。

 まだ十三余年しか生きて生きていない彼が、英雄の密度の濃い人生を受け止めるために、かなりのエネルギーを消耗した。

 

「……あまり面白い話でなくて、すまなかったな」

 

 セイバーが呟くと、ロシェはがばりと身を起こした。

 

「ううん、面白い――というのは不謹慎だけど、聞いてよかったと思う」

 

「そうか」

 

 セイバーは話の内容を反芻する。

 思えば――こうして自分の人生を具に振り返ることなど、これまでしてこなかったかもしれない。

 

「それでも、たぶん僕には、セイバーの半分も判ってないんだろうね……」

 

 ロシェは溜息を吐く。なにしろ、あれほど憧れ、何度も調べたアヴィケブロンのことでさえ、自分は理解していなかったのだから……。

 

 その様子を見て、セイバーは何気なく口を開いた。

 

「悲観することはない。そうだとしても、今この世界で、一番俺のことに詳しいのはマスターだ」

 

 不思議そうに瞬きして、ロシェはセイバーを見つめた。

 

「……何か?」

 

「なんでもない、けど……」ロシェはくすっと笑った。「案外、僕とセイバーは似ているのかと思って」

 

「似ている?」

 

「正反対って意味でね」

 

 それだけ言うと、大欠伸して、ロシェは今度こそソファで横になる。

 夜になったら起こしてね、と小さく呟いた後、すぐに寝息を立てはじめた。

 

「正反対……?」

 

 セイバーは暫くの間、首を捻っていたが、やがて納得したように頷いた。

 

 

          #

 

 

 カウレスは室内を歩き廻っていた。

 何度も時計に目を向けては、まだ大して経過していないことに苛立ち、忙しなく足を動かす。

 

『――()()()()。無駄な体力消費です』

 

『判ってる』

 

 アーチャーからの忠告にも、怒鳴りつけるように返し、乱暴にソファに座った。

 

「クソ、大聖杯を早く……」

 

 ”黒”のアサシンを倒した時点で燃え尽きるだろう、というアーチャーの予測は外れた。カウレスは新たに為すべきことを発見したのである。燃え尽きている場合ではなかった。

 

「大聖杯で――早く、姉さんを生き返らせるんだ……」

 

 

 アサシンの消滅を確認した後、屋根の上で倒れ伏せるカウレスに、アーチャーが近づいてきた時。

 

 カウレスに迷いはなかった。

 

「アーチャー……、俺と――契約してくれ」

 

「良いのですか? 君は、それで」

 

 カウレスを見下ろすアーチャーの顔は、人を導く温和な教師のそれではない。

 教え子には決して見せない、どこまでも冷たい瞳が、彼を見透かした。

 

「当たり前だ……! マスターを護れなかったお前には、その責任がある。違うか!?」

 

「その為ならば、バーサ―カーの想いを踏みにじっても構わないと? その覚悟が君にあるのですか?」

 

「ああ、ある――そうだ、踏みにじるさ。踏みにじってやる、いくらでも!」

 

 ふとアーチャーは、カウレスの手に残る二画の令呪に目を留めた。

 

「そう――でしたか」

 

 バーサ―カーへの魔力供給で一画、宝具の強制に一画と思っていたが……。

 

 眼を瞑り、アーチャーは短く息を吐いた。

 

「いいでしょう。君をマスターと認めます。カウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニア」

 

 

 暗い地下室で、カウレスは戦いの時を待ち続ける。

 静かになるとすぐ、バーサ―カーのことを思い出しそうで、彼は立ち上がり、また室内を歩き廻る。

 

「絶対に……俺は謝らないからな」

 

 以前カウレスは、バーサ―カーに、宝具を全力で打つことを禁じた。彼女はよく判っていない様子だったが、それは勝ち残るための絶対条件だった。

 

 宝具『磔刑の雷樹(ブラステッド・ツリー)』を最大出力で使用した場合――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして彼女は、アサシンを倒すため、全力で宝具を放った。

 令呪で命じた訳ではない。だが彼女が宝具を打とうとしているのを知りながら、それを留めなかったのは、ほかでもないカウレスである。

 

 だから、バーサ―カーを殺したのはカウレスだ。

 彼はその事実から逃げるつもりはなかった。

 

 でも――後悔しない。

 バーサ―カーに詫びることもない。

 

 絶対に。

 

 だって謝ったら、それこそ嘘だ。何もかもを打ち棄てる覚悟で、この道を行くと決めたのだから。どんな犠牲も無視して進む義務がある。

 

 たとえ自分の命を失おうと……。


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