アタランテを呼んだ男の聖杯大戦   作:KK
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願望

 意識を失う間際、少女は己の上に崩れる女を見た。

「――どうして?」

 そこには何の感慨もなく、ただ純粋な疑問があった。



 ジャック・ザ・リッパー(切り裂きジャック)とは、何か?

 その問に答はない。答を知る者がいない。無限の解釈が無限の真実を生み、事実は発散して、形をなさない。ただその名だけが世界に広まり、忌避すべき殺人鬼として知られているだけだ。
 しかしサーヴァントとして召喚される以上、それは何かの真実に基いて発生し、何らかの容器に収めねばならない。

 そうして彼女は召喚された。

 発生は堕胎された子供たちの怨霊。
 容器はあどけなさを残す少女。
 付けられた真名(ラベル)はジャック・ザ・リッパー。

 ――それが”黒”のアサシン。

 ”容器”は破壊された。少女の霊核は砕かれ、怨霊を囲む匣に孔が空いた。
 中身は漏れだし、大地に染み込んで消える。
 だが――その、吸収されるまでの一瞬。
 確かに、中身は世界へ曝される。


 そして。
 少女の口から、黒い塊が濁流のように流れ出る。
 濃密な怨霊の集合体、ホワイトチャペルで棄てられた胎児たちは、指向性なく拡がり、すぐ近くに生者を見つけた。


          #


 黒い霧があたりに充ちた――と思う間もなく、アルはその身をそこに移した。

 最初に感じたのは、悪臭。
 酸性の煙、吐瀉物、干乾びた血、饐えた水。

「何だ……ここは……」

 シギショアラの街ではない。
 だが景色をじっくり鑑賞している暇はなかった。

 彼の周りを、何人もの子供が取り囲んでいた。黒い靄を纏い、虚ろな瞳で、真っ直ぐこちらへ向かってくる。

「えっと……」

 何か言う前に、先頭の一人が腕を伸ばした。

「わっ」

 咄嗟に身を引いて躱す。
 だが、それで子供は止まらない。わらわらと彼に集り、手を触れようとしてくる。
 そして口々に言った。

「どうしてこばむの?」

「一緒にいて」

「あなたもおなじ――」

 包囲の輪は狭まり、いよいよ逃げ場が――何から逃げているのか自分でも判らなかったが――なくなった時。

「……アーチャー!」

 道の向こうから駆けてくる彼女が見えた。

 必死に伸ばした腕をアーチャーが摑み、そのまま跳躍して逃走する。

「アーチャー――これは」

 低空を飛びながら、アルは眼下へ目を向ける。

「……見ない方が良い」

「なにが?」

 忠告は手遅れで、アルは眼下に広がる街を見た。
 そこには、地獄があった。

 霧の都(ロンドン)、ホワイトチャペル。
 人間が発展の名の下に切り捨てた、黒く倦んだ澱。

 汚れた娼婦が日銭を稼ぎ、孕んだ子供を堕して流す。
 小さな少女が娼婦を真似し、彼女の稼ぎを男が奪う。
 皆がその日を生きようとしていた。ただ人間としての善を為そうとした。
 そんな人々が行きついた涯は、美しく完成された人体処理場。完璧なシステムとしての悪。

 物陰から、こちらを見上げる子供がいた。
 消費された胎児の怨霊が、物欲しげな眼で生者を見つめていた。
 何人も、何人も、何人も。

「――低級の悪霊だ。触れられなければ、害はない」

 その様子を一瞥し、アーチャーが殊更に乾いた口調で言った。
 必要のない感情を抱かないように……。

 実際のところアーチャーは、マスターの危機という意識がなければ、自分が子供らの包囲から脱せられたか、自信はない。
 だが彼らは瀕死のサーヴァントの悪足掻きに過ぎないのだ。付き合ってやる義務など――。


 すこし離れた路地に降り立ち、アーチャーとアルは並んで歩く。

 二人で地獄の遊覧会。目を閉じても耳を塞いでも、五感全てが伝えてくれる。

 時々子供たちが顔を覗かせるが、先ほどとは違い、力ない仕草で、襲いかかるほどの元気はないらしい。

「これはあのサーヴァントの攻撃だ。だが奴もマスターも死んでいる。徐々に弱体化していき、躰に残っていた魔力が尽き次第、吾々も解放されるだろう」

 アーチャーが自分に言い聞かせるように言った。彼女は真っ直ぐ前を見据え、堂々道を歩いている。

 やっぱりアーチャーは凄いな、と嘆息する。アルは彼女ほど毅然とした態度はとれない。今も道々に蠢く悪性を見ては、吐き気や眩暈に襲われていた。

 歩んでいると、唐突に彼女が口を開いた。

「先ほどの汝の問いに対し、説明をしておこう」

「説明って?」

 額に手を翳して、アルは訊き返した。

「子供を巻き込んだというのは、サーヴァントのことではない。あのサーヴァントは戦う際、子供を囮に使っていたのだ。……私にはそれが許せなかった」

「囮に……」

 あの霧の中で、彼女が目撃したのはその光景だったのだ。

「それはマスターも同罪だ。彼女もまた、子供を巻き込むことを容認したのだから」

「子供――か」

 子供――確かに子供が傷つくのは許せない。それは一般的な感覚であろう。
 だが彼女のそれは、常軌を逸しているように見受けられる。
 詳細は判らない。ともかく、彼女の逆鱗は「子供」らしい。

 前を歩くアーチャーの足が止まって、アルも立ち止まった。

「……あれ?」

 大通りを真っ直ぐ歩いてきたはずが、何故か路がぷっつり途絶え、高い壁が聳える行き止まりにぶつかっている。
 単なる道路事情にしては、あまりに唐突だった。
 つまりは、この世界の行き止まり――なのだろう。

 アルはアーチャーの横まで歩を進め、壁を眺めた。

「もうひとつ訊いても良い?」

「好きにしろ」

「どうして大人が巻き込まれた時は放っておいた?」

「大人は自由と責任を持っているからだ」彼女は即答した。「自由なく、したがって責を負えぬ存在が子供だ。だから庇護せねばならない」

「なる程……そういうことか」

 そう呟いた時、壁の下に降りている陰が、不気味に蠢いた。

「ふん……最後の抵抗か」

 アーチャーが鼻を鳴らした。

 陰は滲み、どろりと姿を変え、壁際に子供の形を成した。
 咄嗟に背後を向くと、いつの間にか、そちらにも子供たちが大挙して押し寄せている。
 手を伸ばし、呪詛を呟きながら。

「どうして――?」

「わたしたちがわるいことをしたの?」

()()()()()()()()()()()()()?」

「助ける……?」アルは首を傾げた。「攻撃してるのはそっちだろうに、何を――?」

 否、そうではない……のか。
 この地獄が単なる精神攻撃ではなく、子供たちの起源の風景だとすれば。
 サーヴァントは、ただただ救いを求めているだけ、なのか……?

 そう言っている間にも、前から後ろから子供がやってくる。
 追い込んだつもりだろうが、幼稚な包囲だ。こちらにはアーチャーがいる。先ほどのように、また跳んで逃れればいい。

「アーチャー、すまないがもう一度――」

「助、けを……」

「アーチャー?」

「…………」

 どうしたことか、傍らに立つ彼女は、自失の体だった。
 一言呟いたきり、焦点の合っていない瞳を晒して、俯いている。

「アーチャー! どうした?」

「あ、ああ……大丈夫だ……」

 彼女の肩を強く叩くと、一瞬彼女はこちらを見返し、しかしすぐにまた呆然と俯いた。
 まったく声が届いていない。
 彼女の子供に対する想いとは――それ程までに強いのか。

「あ、アーチャー、まずいって子供が――」

 必死に呼びかけても、彼女は気のない返事を寄越すだけで、反応を見せない。

 それどころか、寧ろじわりじわりと迫ってくる子供へ、手を差し伸べようとしているような――。

「駄目だ!」

 アーチャーの手を強引に摑み、そのまま背後へ引っ張る。今にも彼女に触れようとしていた子供が、手をすかされ、つんのめって転んだ。

 彼女の背中から脇の下に手を回し、ずるずると引き摺る。囲まれているのだから、逃げ切ることは叶わない。
 しかしこれは、アーチャーの言った通り、もう死んだサーヴァントの悪足掻きだ。子供たちの動きは鈍く、伸ばす手に力は籠っていない。時間を稼げば、間もなく魔力が尽きるはず……!

「助ける方法は……ある、のか?」

「――え?」

 心配するまでもなく、アーチャーは正気に戻ったようだった。瞳に光が宿り、真っ直ぐな視線で迫り来る子供たちを見つめている。
 手を離すと、彼女は一人で立った。

 その背中が――あまりにも脆弱で。

 この世界に留めようと、必死に言葉を捜した。

「アーチャーそれはどういう――」

「彼らは助けられるはずだ……救いを求める者は救えるはずだ……何か方法があるはずだろう!?」

 誰を――とは問うまい。
 目の前の子供たち。誕生すら叶わず、地獄に叩き込まれた彼らを、彼女は救おうとしている。
 そしてその術を持たぬ自分自身にこそ――、彼女は最大の怒りを懐いている。

 嗚呼、()()()()()()()()()()

 その姿は――峻厳たる霊峰のように美しく、潔白で、気高い。

「マスター!」彼女が振り返った。「あるだろう!? 救う方法が!」

「それは……」

 自分たちを襲う怨霊を救う? そんな方法は……。
 アルは己の危地など忘れたように、瞑目して考えた。

 彼らが望む通り、手を差し伸べれば、救えるのか?
 否、それは救いではない。望みを与えたところで、怨みは増幅するだけ。
 平和的に、対話を試みるか?
 無駄。そもそも何と言って説得する? 彼らは発展の為の”尊い”犠牲とでも言うつもりか?
 それとも逆に戦ってみるか?
 論外だ。

 わずか数秒の思考で、結論は出た。
 元よりそれは考えるまでもない。答えは、社会に、世界に、厳然として存在しているのだから。

 大人も子供も関係ない。

 ――全てを救うことなどできない。

 たったそれだけの話。それこそ、子供でも知っている理屈。

(言うのか――それを――アーチャーに?)

 アルは唇を噛む。

 だってその答えは――間違いだ。
 アーチャーが正しい以上、それが正解であるはずがない。そんな諦観は許容できない。

 唯一解にして、絶対的な誤り。

「あるはずだ、何かがある――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

「――いいえ、ありません」

 彼女の声に応えるように、その解答は降臨した。

「ッ……! ルーラー……!」

 アーチャーがきっと睨みつける先、白い外套に、旗を掲げる聖女がいた。

「ルーラー? じゃあこの人が……」

 アルは初めて見る姿に瞬いた。ステータスが見えないのは、ここが現実世界ではないからだろう。彼女の背後にももう一人、サーヴァントらしき青年がいる。弓を手にしているということは”黒”のアーチャーか。だが彼は手を出すつもりはないらしく、ルーラーの後ろ、儚げな視線を子供たちに送っていた。

「救わない……? 聖女たる貴様が、よりによって子供を救わぬ――と言ったか?」

「ええ、”赤”のアーチャー。彼らを救う術は、もうない」

 ひとつ頷いて、ルーラーは聖なる文句を紡ぐ。

”主の恵みは絶えず、慈しみは永久に絶えず。
 貴方は人なき荒野に住まい、生きるべき場所に至る道も知らず”

「もうない――? 貴様ッ」

 ルーラーへ飛び掛かろうとして、アーチャーは、躰が動かないことに気付く。

「馬鹿な……何故……?」

 理由はひとつしかなかった。この世界が「彼ら」によって作られたものである以上、「彼ら」の望まぬことはできない、というだけ。

”餓え、渇き、魂は衰えていく。
 彼の名を口にし、救われよ。生きるべき場所へと導く者の名を”

「子供らは既に、私との対話によって受け容れています。魔力切れによる消滅ではなく――洗礼詠唱による昇華を」

 ”渇いた魂を満ち足らし、餓えた魂を良き物で満たす。
 深い闇の中、苦しみと鉄に縛られし者に救いあれ”

「やめろ……救う方法はある、あるんだ……! 聖杯を――聖杯の力ならば、彼らを、全ての子供を、きっと!」

 絞り出すような声でアーチャーが叫ぶ。

 首を振って、聖女は右手を伸ばした。

「貴女にも判っているはずです、アーチャー」

 子供たちは、一人また一人と、彼女の許へ集う。
 救いを求める民のように……。

”今、枷を壊し、深い闇から救い出される。
 罪に汚れた行いを病み、不義を悩む者には救いあれ”

 けれどそれは救いではない。
 怨霊を浄化し、世界から彼らを抹消する。言い訳のしようもない、ただの殺し。

”正しき者には喜びの歌を。不義の者には沈黙を”

「――聖杯に、そんな力はない」

「あ――」

去りゆく魂に安らぎあれ(パクス・エクセウンティブス)


 アルは、”赤”のアーチャーの願望と、その願いが砕ける様を、同時に知った。