『おじ様――』
人差し指が縦に切り裂かれた。
「――――!」
声にならない叫びを上げ、フィオレは悶絶する。
「もう、念話でしゃべっちゃだめって言ったのに」
「…………」
痛みに耐えながら睨み据えると、敵は不思議そうに首を傾げた。
襲撃を受けた際、偶然にも開いていたダーニックとの念話。助けを求めるにはこれしかなく、そしてたった今、失敗に終わった。
令呪を使おうにも、この距離では発動前に腕を切り落とされる。
隙は――ない。
サーヴァント相手に魔術師ができることなど、ない。
「つぎやったら、指が七本になっちゃうよ?」
そう言ってそれは楽しそうにくすくす笑う。
「”黒”、のアサシン……」
「うん、そうだよ?」
「あなたは、何が、目的なのですか……?」
時間稼ぎに徹するしかない。既にアーチャーはこの窮地を察しているはず。彼が着くまで……三十秒? 一分? とにかく、ほんの僅かな時間堪えるだけで良い。それだけで……。
「そんなの、聖杯にきまってるじゃない」
少女と呼んで差し支えない、そのあどけない頬に、自分の血が染みている。
「聖杯、なら――」
「そんなのどうでもいいの。ね、ほかのマスターさんがどこにかくれているか、教えて?」
言葉と共に、顔の皮が剥がされた。
メスが顔を撫でるたび、いとも簡単に、するすると。
「教えてくれたらね、すぐにころしてあげるから!」
新たな刃物を取り出し、にっこり微笑む表情が見える。
骨を撫でて、神経を弄って、臓腑をくりぬく。理性を保ったまま痛みだけ与える、幼稚な拷問。
どうして……?
脳内に谺するのは、その言葉だけ。
どうしてこんなに痛いのに、私は死んでいないのだろう……?
「あぁあ、本当にしらないんだ? また探さないといけないのかぁ……」
その言葉を正確に理解するだけの正気が、フィオレに残っていたかどうか。
残念そうに呟いたアサシンは、彼女の心臓を取り出し、その場を後にした。
「でもこの心臓はおいしそう! やったっ」
#
『――”黒”のアサシンによるものかと思われます』
念話を飛ばした”黒”のアーチャーの足許に、血の海が広がっている。
歩くたびに、足に血が付着し、粘性の音を立てる。
彼は紅い海からマスターを取り上げ、腕に抱いた。
だらりと垂れさがる腕や足に瞠目する。もはや人間の躰と思えぬ程汚され、死に際にどれだけの苦痛を受けたのか、想像もつかない。
「…………」
何か言おうと開いた口からは、意味を為さない空気が漏れただけだった。
『セレニケと再契約する、というのはどうだね?』
報告を受けたダーニックの第一声はそれだった。
『はい――?』
『ここで優秀なアーチャーを失うのは、我々にとって痛手だ。だが今なら、令呪を残したマスターが残っている。だから彼女と再契約してはどうか、という提案だ。聖杯に託す願望があるのではないか?』
尤もな提案であることは間違いなかった。サーヴァントが召喚に応じるのは、自身にも叶えたい願いがあるから。その原則に従うならば、新たなマスターと契約を結ぶ、というのは当然の選択である。さらにアーチャーには高い単独行動スキルがある。そのための猶予もたっぷりあった。
『貴方は――』言い掛けて、アーチャーは首を振った。『昨日から、彼女とは連絡がとれていないそうです。恐らく、既に襲われた後でしょう』
『セレニケも?』
『はい。カウレス君が……』
はっと息を呑む。
マスターを殺されるという事態に至って、アーチャーも冷静ではいられなかったらしい。
即座に念話を送る。判っていたことだが、返事はない。
一体何をしている、と頭を抑える。
カウレス――先ほど念話に応じた口調は落ち着いたものだったが……。
実の姉を殺され、その犯人はすぐ近くにいるという状況。彼にはまだ報せるべきではなかった。少なくとも、自分が直接出向いて話すべきだったのだ。
『アーチャー?』
ダーニックに言ったところで無駄だ。彼のサーヴァントは動ける状態にないし、彼が動くのも得策ではない。相手はアサシン。敵を誘い込んでの殺害など、得意中の得意だろう。或いは、それこそが敵の狙いか。
『私はアサシンと、アサシンを追ったであろうカウレス君を援護します。また後ほど』
返答を待たず、地下室を出る。
腕の中のマスターを一瞥し、息を吐いた。
死体を発見してから今まで、彼にとっては驚くほどの長時間を使って、ようやくアーチャーは想いを断ち切った。
骸をそっと安置し、街へ出る。屋根の上に乗り、周囲を睥睨。
時刻は夕方。橙の夕陽が、斜めに街を照らしていた。
「居場所は――」
魔力を探る。アサシンを追うのは無理だが、バーサ―カーが全速で移動しているなら、確実に感知できる。
すぐに爆発的な魔力の迸りを見つけた。街中を移動中。人目を憚る気など一切ない勢い。
「そこですか」
カウレスの理性には期待できない。彼はただ突っ走るだろう。言葉は届かぬだろうし、その前に決着が付くかもしれない。
だが行かねばならない。
それは彼が”黒”の陣営だからでも、カウレスを慮っているからでもない。
”黒”のアーチャーが、フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアのサーヴァントだからだ。
脚に力を籠め、叫ぶような勢いで、彼は疾走する。
#
”黒”のアサシンとそのマスター、六導玲霞が立てた戦略は至極単純。自分たちがどちらの陣営に所属する者でもない以上、他サーヴァント全てを抹殺するという、それだけだ。
そして
どちらの陣営も城に籠ってしまったのである。
いくらアサシンといえども、誰にも覚られず城に忍び込み、敵を殺すというのは至難を究める。仕方がなく侵入経路を探るため、”黒”の関係者を拷問して廻っていた。黒はそれで良いにしても、あろうことか浮遊している”赤”に関しては打つ手がなかった。
そこへ先日の墜落であるから、アサシン陣営にとっては天恵に等しい。赤は失墜し、黒は何を考えたか、分散してシギショアラやトゥリファスの街に落ち着いた。殺してくださいと言わんばかりの振舞、皿の上のハンバーグ、正に恰好の得物である。
手始めにサーヴァントのいないマスターを狙った。隠蔽の術式は脆く、護る者がいないのだから容易かった。女性というのも、アサシンの好みに合う。
また街をうろついている妙なサーヴァントがいたが、ひとまず保留。罠であることを警戒したためであり、またあれなら、いつでも殺せるからである。
他のマスターたちはサーヴァントと共に隠れていたので、少々狙い辛かったが――。
何故かサーヴァントを遠くへやるマスターが現れた。当然の帰結として、彼女を殺した。
これら一連の動きは、アサシンにとっては無意識でも、玲霞にとっては全て計算ずくのものである。
まずは”赤”でなく”黒”を狙う。
敵が勝手に潰しあってくれると楽観するほど、愚かなことはない。叩ける相手、疲弊した相手を優先的に狙うべきである。特にアサシンの場合、魔術師を殺せば殺すほど魔力が充実していくのだから、黙って大人しくしていることに利はない。
そして仲間を殺されたとすれば、”黒”の面々は仇討ち、或いは警戒のため、アサシンを討とうとしてくるはず。そうして外に出てきた時こそ、絶好の機会である。家屋に引き籠って護りを固められるより、外に出てもらった方が隙は大きい。敵が集団でかかってきたらという危惧はあるが、そうなったら撤退すれば良いだけのこと。
そして今、彼女らの術中にはまった魔術師が一人。
わざと痕跡を残して撤退するアサシンを、馬鹿正直に追ってくるサーヴァントがいた。
アサシンはマスターの言葉を思い出す。
「良い? ジャック。敵が複数で来た時、こっちが誘い込んでることに気付かれてるようだった時は、すぐに逃げなさい? そうなる可能性が高いと思うわ。そう簡単に、理想の状況が生まれるとは思えない。でももし――そうでなかったら」
明らかにこれは理想の状況。
そしてなにより。
――あのサーヴァントは、
「よし、もう一人ころしちゃおう……!」
眼を輝かせ、アサシンは宝具発動の準備をする。それがマスターへの合図でもあった。
「
痛みに祝福を、苦しみに喝采を、犠牲に歓迎を、重なる遺骸に
死を隠し、死を造れ――『
夕景に染まる街を、それは速やかに侵してゆく。
その中では、何も見えない。
気管を病み、心臓を病み、無限の苦痛を齎した。
現象は宝具に昇華し、凶悪に、獰猛に、対象を迷妄へ引きずり込む。
霧。
それは、人間が人間のため――発展のため、未来のため、幸福のために造り出した毒。
宝具詠唱のクオリティは・・・・。
追いかけてる最中なんですが、アニメに詠唱のシーンがあったら直します。