アタランテを呼んだ男の聖杯大戦   作:KK
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邂逅①

「さて、さて」

 陽が昇るのを待って、フリーランスの死霊魔術師(ネクロマンサー)――獅子劫界離は行動を開始する。
 朝早くからシギショアラの街並みを興味深そうに眺める姿は、傍から見れば熱心な観光客に見えないこともない。だがその実は、いざという時に備え、周辺の地理を頭に叩き込んでいるだけである。
 道端の花に水をやっている女性と、辺りをじろじろ見ていた獅子劫の目が合い、彼女はぎこちなく顔を逸らした。

『嫌われてるねぇ、オレのマスターは』

 くすくす、と笑い声が聞こえる。しかし――、声の主はどこにも見えない。

「……煩瑣(うるせ)ぇ」

 獅子劫が片眉を上げ、吐き捨てるように呟いた。己の風体については先刻承知のことである。

『そんな警戒が必要か? ”黒”の連中の本拠地はトゥリファスなんだろ?』

「そりゃそうだがな」獅子劫は注意深く辺りを窺う。「監視網はこっちにも広げてるだろうよ。使い魔や一族の魔術師――俺たちの様子は筒抜けだって考えた方がいい」

『そんなもんかねぇ』

 霊体化した”赤”のセイバー(モードレッド)は、適当な返事をする。現代というからどれほどの街並みが見られるのかと思いきや、色褪せた中世ヨーロッパそのままの姿で、彼女は幾分面白くなかった。聖杯に与えられた現代知識――天を衝く摩天楼やら何やら、が彼女の望んでいた物である。
 さらに言えば、仮初とはいえ肉体を得られたというのに、霊体化してマスターの後ろを随いていくだけというのも実に退屈だった。

 少し考え、モードレッドは口を開いた。

『……マスター。頼みがあるんだが』

「おう、何だ?」

『服買ってくれ』

「……何で?」


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 朝陽が射し込むカフェの中。扉のベルを響かせ入ってきた店長に、元気よく挨拶を送る。

「おはようございます、店長!」

「うん、おはよう。……あれ、アル君、その包帯はどうしたの?」

 目敏く店長が、アルの手を指差した。

 見下ろすと、右手にぐるぐる巻いた包帯が眼に入る。
 昨夜の腫れがまだ引いていなかったので、取り敢えず隠すために巻いておいたものだ。湿布にするべきかもしれないが、カフェの店員が刺激臭を漂わせているのも問題かと思い、包帯にした。

「ああ、これですか?」右手を挙げ、そのまま首を抑える。「何か昨夜から腫れてて……すみません」

「そうかい? 今日大丈夫?」

「それは勿論!」

 実際痛みはもうなく、腫れているのを忘れてしまうほどであった。それにいくら店長が優しいからといって、タダ飯を喰らうのには抵抗がある。万一ここを放り出されでもしたら、野垂れ死には免れまい。

「まあ、無理はしないでね」穏やかな声で店長が言って、ぱんと手を叩いた。「そうそう、言い忘れてたんだけど、実は今日は予約が入っていてね」

「予約――ですか? 何の?」

「貸し切りの、ね。昼からウチでパーティーをやるってことでね。お客さんは入れずに、もう少ししたら準備を始めるから。今のうちに休んでおいて」

 そんな予定を伝え忘れるなんて、店長にしては珍しいな、と思いつつアルは頭に書き込んでおく。

「貸し切りか……」

 カウンターを一瞥すると、昨日の忘れ物である、茶色い鞄が置かれたままになっていた。

 仮に昨日の男が忘れ物に気づいたとして、店で貸切パーティーをやっていては、入りにくいかもしれない。とすると、今の内に警察に持って行った方が良いのではなかろうか。幸い、警察までは然程遠くない。

 そうと決まれば行動は早い。

「すいません、店長、ちょっと行ってきます!」

 言うが早いか、アルは店を飛び出した。


 昨日と同様に、鞄を持って警察までの道のりを歩く。

「あ、こういう時って、中に入ってるものを警察で確認しなきゃいけないんだっけ……」

 そうなると身分証の提示とか求められそうな気が……。いや、あのカフェは昔からシギショアラにあるそうだから、店長の名前を出せば大丈夫だろうか。
 そんなことをつらつら考えつつ、近道の曲がり角を曲がったところで。

(……勘弁してくれよ、本当に)

 そう思わずにはいられない。

 その細い路地には、小さな子供が、壁に凭れるようにして蹲っていた。

「あー……、君、どうしたの?」

「…………」

 おずおず声をかけるも、その子は肩を震わせるばかりで、何も話そうとしない。

「……迷子? 親とはぐれちゃった?」

 こくん、と頷く少年を見、アルは顔を顰めた。

 別に難しいことではない。幸い自分が向かっているのも警察なのだから、一緒に連れて行けば良い話。
 しかし、自分の身分には何の保証もない。誘拐犯に間違われるかもしれず、それは何だか――面倒だった。

 面倒だと思うと同時、アルは己の自分勝手な思考にぞっとする。

 もし記憶を失い、経験が失われたとき、人間の本質が浮かび上がるとしたら。
 以前の自分は――、こんなにも身勝手だったのだろうか。

 それは駄目だろう、と首を振る。

 溜息をひとつ。

 腰を屈め、子供の前に手を差し出した。

「お兄ちゃんと一緒に探そう?」

「……うん」

 差し出された手を暫し見つめた後、小さく頷いて、少年はアルの手を握った。

「よし、じゃあ一緒に警察に――」

「こっち」

「え」

 早速警察へ向かおうとしたアルを遮り、少年は真反対の方向へ腕を引っ張った。

「おかあさん、こっちだとおもう」

「いや思うって言われても――」

「いいから!」

 大人と一緒にいるという安心がそうさせるのか、少年の足取りは堂々としたものである。
 その確信を持った腕に、自分に確信が持てないアルは引き摺られていった。
 これではどっちが迷子だか判らないな、と思いながら……。


          #


 山上協会から逃げるように麓へ下りてきた獅子劫は、工房作りに取り掛かるでもなく、シギショアラの街をうろついていた。

『おっ、この店はいいな! マスター、ここ入ってくれ』

「……あぁ」

 モードレッドが指したのは、女性服を扱うブティックである。秋服を着たマネキンが立ち並ぶ華やかな店構えで、決して疵顔の男がひとりでふらりと立ち入るような店ではない。

「ま、約束は約束だ」

 堂々入れば意外と目立たないものである。決心を固め、扉を潜った。


「全く、酷い目に遭った……」

「まあまあ、いいじゃねえか。巧い言い訳だったと思うぜ?」

 ケラケラとモードレッドの笑う声が響いた。
 彼女はもう現代の服を身に纏い、その引き締まった体躯を惜しげもなく公道に晒していた。――とはいえ、その凶暴な雰囲気は隠しようもなく、獅子劫の風貌と相俟って、彼らの姿をじろじろ見る者などいなかったが。

 さっさと霊体化を解き、突然試着室から姿を見せた時の店員の顔を思い出し、またモードレッドは笑った。

「『違う、俺じゃない、姪に頼まれたんだ』――だったか? あれは傑作だったな!」

「……二度と行かねぇ」

 獅子劫はぐったりと肩を落とす。銃弾飛び交う戦場は幾多と越えてきたけれど、こんな恐怖や緊張は初めてのことである。そしてこれが最後になろう。いや、最後にする。固く決意する。

「そう落ち込むなって! あれはあれで――む」

「どうした?」

 突如声を落としたモードレッドに、獅子劫は即座に警戒態勢に入る。

「――()()()。判るか?」

「ああ……。だがマスターの気配しかしない。サーヴァントは霊体化したままか……もしくは」

「こそこそ遠くから窺ってやがるかってことだな。ハン……クソ面白くもねえ」

 警戒を最大限に引き上げつつ、獅子劫は考えを走らせる。
 ここで”黒”の陣営が仕掛けてくる利は――まずないだろう。現状、彼らにとっての最善手は城塞で防備を固めることのはず。未だ合流していないというアサシンの線もあるが、それならここまで気配をダダ漏れにすることはあるまい。
 とすると……。

「”赤”のアーチャーか」

 同じ結論に至ったのか、モードレッドが口の端を歪めた。

「だろうな」

 獅子劫は、先刻協会にてシロウと名乗る神父と交わした会話を思い出した。


「我が”赤”の陣営には、既に()()のサーヴァントが合流しております」

「五騎? 残りは俺たちと、あとはどのサーヴァントだ?」

「アーチャーですよ。まだこの教会にも顔を見せていません。何か不測の事態があったのでは、と思うのですが……」

「不測の事態、ねぇ……」


 魔術協会が選出した魔術師は、誰も彼もが一流である。仮に事故があったとして、死ぬような人選ではない。とすると。

「オレたちと同じく、あのアサシンどもの怪しさに気づいたってことか――それも対面する前に? そいつはなかなか……」

 やるじゃねえか、という言葉を呑み込んで、モードレッドは獅子劫に目配せする。

 決して少なくない人通りの中、二人の眼は過たず、ある青年を見据えていた――。

「ああまさかこんな遅くなるなんて……。店長怒ってるよなあ、どうしよう馘になったら。子供恐い……。見境なく走り回る子供恐い……。何度車に轢かれると思ったことか……」

 ――片手に鞄を提げ、独り言を漏らしながら足早に歩く青年の姿を。