――今こそ好機。
”赤”の陣営は撤退、”黒”の陣営は勝利に浮かれ、またサーヴァント達は消耗し、こちらの動きには気付いていない。今なら、誰の邪魔も受けることはない。
ここはイデアル森林の最北端。清冽な湖が、息を潜めてその時を待っている。
準備は完璧。あとは事を為すだけ。
「先生! いよいよですね!」
隣で目を輝かせる
幸運なことに、マスターも自分と同じ、聖杯大戦などどうでもよく、宝具の完成を望んでいるらしかった。このタイミングでの発動に不審を抱くことなく、また他のマスターに知らせようともしなかったので、こうして起動に立ち会うことを認めたのである。
傍らの「炉心」を一瞥し、アヴィケブロンは湖に手を浸した。
悲願の達成を目前にして、しかしただ粛々と。
”
霊峰の如き巨躯は、巌の如く堅牢で。万民を守護し、万民を統治し、万民を支配する貌を持つ。
汝は土塊にして土塊にあらず。汝は人間にして人間にあらず。汝は楽園に佇む者、楽園を統治する者、楽園に導く者。汝は我らが夢、我らが希望、我らが愛”
さあ、神の起源を思い出せ。
我に苦難を与えよ! 然る後――。
”
――そして。
湖から、
「これが、原典にもっとも忠実なゴーレム……」
マスターの言葉など、もうアヴィケブロンの耳には届かない。
炉心を取り、彼の胸へ――偉大なる守護者の胸へ。
斯くして奇蹟は達される。
草木は茂り、自然の賛歌を唄う。
大気は幸福の芳香に充ち満ちる。
ここが約束の場所。民が望んだ希望の大地。
そこに苦痛はなく、哀切はなく、ただ随喜と祝福がいつまでも続く。
自律式固有結界――『
ここに願望は叶えられた。
「い、いやっ、こんなの、違うっ……!」
耳障りな声が響いて、アヴィケブロンは顔を顰めた。いったい誰が喧しくしているのか……?
「先生? じょ、冗談ですよね? こんな、こんなゴーレムが起動したら……」
ああ、マスターか、と思う。腰が抜けた様子でアダムを見上げているが、そうか漸くこの素晴らしさに思い至ったのか。
まあ……どうでも良いが。
「先生? ……先生!?」
アヴィケブロンはアダムの肩に乗り、世界を――これから塗り替えられる穢れた世界を、睥睨した。
「さあ――、行こうか」
「あ、あ、あ……」
ロシェはその時、やっと気付いた。
宝具の意味に――ではない。
アヴィケブロンと己の食い違い――でもない。
自分が望んだのはゴーレムを造ること。
何が目的で何が手段か? どちらが正しい存在か?
そんなことは……言うまでもない。
「あああああぁぁぁぁぁぁっっ!」
自分でも判らないほどの感情に呑まれ、ロシェは逃げ出した。己が造った卑小なゴーレムに乗り、眩い光を避けるように去って行く。
訳も判らぬまま――彼が知らず掲げていたのは。
「れ、れ、令呪をもって命じる!」
ああそうか、と思った。
マスターは――そう考えるのか。
けれど幸運なことに、死に方を選ぶ猶予くらいはあるらしい。
楽園は成る。
その様を見られないのは――とてもとても、残念だ。
未練がない、とは、口が裂けても言えない。だが――それでも。
「往け、『
そうしてアヴィケブロンは、アダムに溶け込んで消えた。
#
「動き出した……?」
ルーラー、ジャンヌダルク。彼女が見上げる先で、”赤”の空中要塞が、ゆっくりと飛行を再開していた。
この聖杯大戦に不穏なものを感じ、啓示の指し示すまま彼女が向かった先、それがあの要塞である。どうやら赤の陣営の「何者か」に、自分は会わねばならないらしい。戦闘が起きている最中にまみえることは叶わなかったが、どこかに隙がないものかと、遠くから観察していたのである。
「しかし、あの方向は……」
大気を低く鳴動させ、要塞が向かう先。
それは、つい先ほど圧勝を収めたはずの敵陣営。”黒”のミレニア城塞であった。
いったい何をするつもりか?
「とにかく跡を追わなければ……」
#
ノックの音と共に、ホムンクルスが一体、顔を覗かせる。
「ダーニック様」
「何だ」
そちらへ顔を向けずに、ダーニックは訊ねた。
正面には彼のサーヴァント、”黒”のランサーが腰掛けている。消し飛ばされた右腕も、形だけであれば既に再生していた。お互い、片手にワイングラスを持っている。
「先ほど、ゴルド様がお客様をお帰しになられました」
「言われずとも知っている」
「失礼しました」
一礼を残し、ホムンクルスは部屋を出て行った。
足音が消えたのを確認し、ダーニックはグラスを置いた。
「汚名返上の機会と思って任せてみたが、まさか腹中の敵を取り逃がすとはな。……やはりあいつに交渉事は無理だったか」
「アキレウスを討ったのだ。それなりに足が速いのだろうよ」
最も消耗している身でありながら、ランサーの口調は軽い。配下となったサーヴァント達の働きに、随分と満悦している様子であった。それはダーニックにしても同じである。
「まあ、今更アーチャー一騎を取り逃がしたところで、我らの脅威にはなりますまい。案外、赤の連中が始末してくれるかもしれませんな」
「それよりも今後だ」ランサーは鋭い眼光でマスターを見据える。「戦力的に圧倒しているとはいえ、あの浮遊要塞に籠城されては、こちらとしても攻め手に欠けよう。何か策があるか?」
「さてさて……」
敵の要塞を思い出す。
長年に渡る準備のなか、様々な状況を想定したつもりだったが、あの発想を、あれ程の規模で実行されるというのは、流石に想定外であった。
「現状、あまり有効な手立ては考え付きません。情報も少なすぎます」
「ほう……?」
ランサーは次の言葉を促す。ダーニックは、意味もなく弱気な発言をする男ではないと知っているからだ。
「ですが、それは赤にしても同じこと。彼らとてミレニア城塞を陥とす手立てはありません。暫くは小競り合いが続くでしょうが……、何、大聖杯は我らが手中にあるのです。必然、先にしびれを切らして攻め込んでくるのは敵。そうなれば――」
「迎え撃つ我らが優位に立てる、ということか」
「その通りです、領王よ」
にやりと笑って、ダーニックはグラスを持ち上げた。
#
それは唐突に訪れた。
『敵の要塞が迫ってきます。皆さん、迎撃の準備を』
”黒”のアーチャーから、全サーヴァント、マスターに念話が届いた。
躰を休めていた者、未だ警戒を敷いていた者、全員が一斉に城壁へ集まってくる。
「アーチャー!」
「見ての通りです」
彼が指し示す先、アーチャーのような優れた視力を持たずともはっきり見える。
戦場の向こうへ小さく浮かんでいた敵の浮遊要塞は、明らかに接近していた。今も徐々に大きくなっており、ミレニア城塞へ向かって来ているのは間違いない。
「ハン、奴等、破れかぶれの特攻に来たか! これはいよいよ我らの勝利が近いな!」
ゴルドが腹を揺らして笑う。確かにその見立てもあり得なくはないが――フィオレはそこまで楽観的にはなれなかった。見ると、傍らにバーサ―カーを伴ったカウレスも眉間に皺を寄せ、難しい顔で黙りこんでいた。
振り返ると、皆の後ろで腕を組んでいるダーニックが目に入った。
「おじ様。仮にそうだとして、この城塞は保ちますか?」
「無論だ」ダーニックは即答した。「何重にも張り巡らせた防御魔術、魔術礼装、サーヴァントの宝具を用いたとしてもまず破れぬ。仮に上空から直接乗り込んでも不可能だ。アサシンすら……」
「迎え撃つのが最善だ、と?」
カウレスの呟きに、そうだ、と頷いてみせる。
当主がそう言うのであれば、一族の中に反対意見を出す者はいない。早速、迎撃する方針の許、それぞれが配置に就く。
「ところでキャスターの奴は何処だ? まあ彼奴のゴーレムは役立たんだろうが」
ふとゴルドが辺りを見廻すが、マスターのロシェと合わせて、姿は見えなかった。サーヴァントを失ったばかりのセレニケも出てくる様子はない。当然といえば当然だが……。
殺気立った空気の中、迎撃準備をどうにか終え、皆はまた空を見上げる。
一見すると遅く見えるが、その実、要塞はかなりの速度をもってミレニア城塞に迫っている。
それはまるで、周囲の風を吸収して巨大化する影のようだった。月明りを遮り、ミレニア城塞に灰のヴェールを被せ、なおも接近は止まらない。
初めに気付いたのは誰だったか。
「これ、
浮遊要塞は一向に減速しようとしない。それどころか、益々速度を上げて、真っ直ぐこちらへと――。
まっすぐ?
「まさか――」
ダーニックが血相を変えるのと同時。
浮遊要塞を追って走る聖女は見た。
ミレニア城塞へ接近したそれが、糸を切られたように、落下を開始した様を。
魔術も侵入も通じない。ダーニックが何十年もかけ防護を整えた鉄壁城塞。
だがしかし――。
こんな大質量の落下など、計算に入っていない!
浮遊要塞は、城塞を圧し潰すように
凄まじい轟音。城壁同士の激突。破砕される互いの構造。
用意された結界は、破壊の前に枠ごと消え去り、無為に崩壊。
次に目を開けた時、ダーニックに見えたのは、半分以上が瓦礫と化したミレニア城塞と、その上へ突き立つ敵要塞。
ユグドミレニアの城は、一撃にしてその機能を喪失した。
「ランサー!」
とにかく己のサーヴァントの名を呼ぶと、
「無事かね?」
霊体化を解いたランサーが現れた。
「ええ、私は……」
衝撃でばらばらの位置に吹き飛ばされたのか、濛々と立ち込める土煙のせいで、周囲に他のマスターの姿は見えない。
予め自身に防護術式を仕込んでおいたお蔭か、ダーニックの躰に傷はない。だがもし、嵩に懸かって敵が攻め込んでくるとなると……。
しかし、周囲を警戒して暫くしても、一向にその気配はなかった。
「何がしたいんだ、奴らは……?」
そこへ、不意に声が響いた。
「こんばんは、黒の皆さん。こちらは”赤”のマスターです」
「っ!?」
「そんな身構えないでくださいよ。これは単なる降伏勧告ですから」
「降伏勧告、だと……?」
見上げると、突き刺さった要塞の上、黒い修道服の男が見えた。
瞬間、何処かから矢が飛んで、当たる寸前で鎖のようなものに阻まれる。少なくともこちらのアーチャーは無事らしい。
「大聖杯は既にこちらの手の内にあります。そしてはっきり申し上げて、そちらが数で勝ろうとも、この要塞を陥とすのは至難でしょう。ですから降伏を推奨します。如何でしょうか……、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア」
「……?」
その呼びかけには、ただ当主に降伏を求めるという、それ以上の含みを感じた。
もう一度その男の顔を見る。変わり果てた髪と肌色と、変わらぬ物腰。
そう、ダーニックはこの男を知っている――。
「ば――莫迦な。何故お前がここにいる……!」
だがその姿を目の当たりにして、なお信じることはできない。
そんなこと、有り得るはずが……。
そしてダーニックの煩悶に応えるように、新たな役者が現れる。
聖なる旗を片手に飛び込んできた彼女――。
「やっと、追いつきました」
聖女は、周囲を睥睨する少年と視線を交わす。
真名看破が互いの正体を明かし、驚きは呼気となって漏れ出る。
「なる程――貴方は第三次聖杯戦争で召喚されたルーラーか」
「その通りです、今回のルーラー」シロウは軽く頷く。「尤も、今は正式なマスターですがね――”赤”の陣営、皆の」
既に令呪の移譲は
だからこそ、何故、と思わずにはいられない。
その決然とした態度に、同じルーラークラスのサーヴァントとして。
「――何が目的なのです、天草四郎時貞」
「知れたこと。全人類の救済だよ、ジャンヌ・ダルク」
#
「天草四郎……全人類の救済……?」
物陰に身を隠して、”赤”のアーチャーは呟いた。
マスターの許へ向かう途中、轟音に振り返った先に広がる光景は、彼女の想像を絶していた。まさか強力な拠点をそのまま攻撃に転用するなど、正気の発想とは思えない。
ただ状況は変わった。この一手がどちらの陣営に転ぶか、それを見極めずに撤退することはできない。幸いマスターも無事だというし、城塞近くへ戻って人知れず様子を窺っていたのである。
天草四郎の名は、辛うじて知っている程度であった。東洋で
否――それよりも重要なのは。
彼女は息を呑んで、場の推移を見守る。
シロウ「銀英伝で見た」