紫陽花   作:大野 陣

29 / 43
一夏ちゃん、応援する@バスケの試合


Ep18.

 バスケットシューズが体育館のワックスを擦る。ボールがフロアを打ち、リズムを奏でる。不規則ながらも、躍動感のある楽曲を奏でる。

 

「せーのっ「ナイッシュー!」」

 

 東中バスケ部員がゴールを決めた。数秒後にブザーが鳴り、部員たちがベンチに引き上げきた。第二クオーター終了のブザー。汗だくの部員たちに甲斐甲斐しく一夏と梓がタオルやドリンクを渡す。彼女たちは制服のセーラー服を着用しており、胸には『マネージャー』と記されたリボンが付いている。

 

 もちろん、彼女たちは正規のマネージャーではない。志帆の応援に来たのだが、一夏曰く『学校は制服で登校するもの』なので、全員でわざわざ制服を着用して登校した。制服姿を男子バスケ部長に見つかって『チームの士気向上のために、今日だけでも!』と懇願されて二人が折れた結果だった。

 市代表常連の北中学相手に東中学がリードしている。美少女マネージャーコンビの成果かもしれない。可愛い娘の前ではいい格好をしたい、カッコいい所を見せたい…中学生男子の本領発揮といったところである。

 

「お疲れ!カッコよかったよ!」

「あ、あの、よかったらコレ…」

 

 二人が労いながらタッパーに入ったお手製の冷凍はちみつレモンを渡していく。昨夜に志帆用として一夏が作ったものだ。ただ、秋久も同じものを用意していたので、今回は男子用に回していた。マネージャーお手製の差し入れが入り、部員たちの士気が上がる。さらに美少女の笑顔付きである。彼らのテンションはうなぎ登りであった。

 顧問からの指示が終わり、試合に出ていたメンバーがベンチに座り始めた。彼らの前に立ち、どこがカッコよかった、凄かったと一夏が話していく。この気さくさとコミュニケーション能力の高さが一夏の人気の理由の一つでもある。一方、梓は部員たちからタオルやドリンクを回収し始め、新しいタオルを渡していく。地味な作業ではあるが、大事なマネージャーとしての作業。梓の方がマネージャーには向いているようだった。

 

 

 

「…なんだこれ」

「……知らねぇよ…」

 

 そうボヤくのは秋久と弾。彼らも制服姿で胸元に『マネージャー』と記されたリボンをつけている。この試合が終われば、今度は志帆たち東中女子バスケ部の試合が始まる。ハーフタイムを利用してのアップに付き合わされ、ランニングシュート練習のため、ゴール下のハイポストでパス出し係を務めていた。

 

「あんまテンション上がんねぇな」

「まぁ、弾からすれば辛いわな」

 

 想い人が男共に囲まれている。面白い状況ではない。さらに自分は何故かマネージャーの仕事をやらされている。余計に面白くない。

 一夏たちとの交流である程度女子慣れしたらしい秋久。淡々と飛んできたボールを返している。彼も会話や接触さえなければ、コミュニケーションが可能になったらしい。それをコミュニケーションというかは別として。

 

 短く二回ブザーが鳴った。ハーフタイムの残り時間が三分を切ったようだ。サブの部員たちがコートから引き揚げ、スタメンだけが残る。それぞれ自由な位置からシュートを始めた。外れたボールや部員たちの手元に戻らないボールを秋久と弾が回収し、彼女たちにボールを返す。

 

 今度は長めのブザーが鳴った。ハーフタイムが終了したらしい。志帆ともう一人の部員がスリーポイントラインよりも二歩ほど離れた位置からシュートを放った。志帆のシュートはリングに触れることなくゴールに吸い込まれたが、もう一つのボールはリングに当たった。そこに弾が走り込み、リングを掴んでゴールに叩き込んだ。既に弾の身長は180cmを少し超え、元々の身体能力の高さもある。アリウープを成功させた、いきなりのアクションに会場が湧いた。

 

「バスケ部入れば?」

「部活はパス…センパイとか怖えじゃん」

「…テンション上がったか?」

「まぁ…ちっとだけ」

 

 

 

 試合再開前に東中のベンチ前で円陣が組まれた。後半のスタメン五人と何故か一夏も混ざっている。

 

「絶対勝つよ!!」

『オオォォー!!』

 

 一夏、梓の順でメンバーたちとハイタッチを交わし、送り出していく。彼らは気力、スタミナ共に完全に回復したらしい。恐るべし、女子マネパワーと思春期男子である。一方の北中はやや疲れが残っていた。格下だと思っている東中に追い込まれている焦りもあるようだった。

 

 センターサークルに両チームのジャンパーが向かい合った。ジャンプボールから後半戦が始まる。

 

「頑張れー!応援してるからねー!!」

「が、頑張ってー!」

 

 両手を口元にあててメガホンのようにし、声を張り上げる一夏。少し恥ずかしいのか、遠慮がちに声援を送る梓。このままのリードを保てれば、晴れて東中男子バスケ部が市代表となる。あまりバスケのことはよくわかっていないが、同級生が頑張る姿に一夏と梓の応援も熱が入った。

 

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 

 リードを守り切り、東中が勝利した。北中のメンバーが焦って自滅したのか、それとも東中が本気を出したのか、それは定かではない。ひょっとすると、美少女マネに嫉妬したのかもしれないし、ゴールを決める度に飛び跳ねて喜ぶ一夏に注目し、集中力を欠いたのかもしれない。だが、勝負の世界は結果が重要である。とにかく、東中が夏大会の市代表の座に就いた。

 

 次は志帆たちの出番。彼女たちへの応援こそが、本日の目的である。試合を見届けた一夏と梓は観覧エリアのある二階へと上った。

 階下のコートではベンチを設営していく一年生を秋久と弾が眺めていた。最初は手伝おうとしたようだが、彼らはド素人。逆に邪魔になってしまい、少し離れた位置で待機していた。

 男子バスケ部に比べると女子バスケ部はいわば『ガチ』である。普段の練習も厳しければ、上下関係も厳しい。

 

 さっさと手際よくベンチセッティングが終わり、スタメンが集まった。男子と同じく試合前に円陣を組むらしい。マネージャーの二人も呼ばれるが、秋久は辞退し、弾を生贄に捧げた。

 志帆の横に弾が入り、肩を組む。さらにその外周にはサブメンバーが円陣を組んでいる。

 

「五反田、なんかないの?」

「あー…必勝祈願!」

『ハイ!』

 

 よくわからない弾の掛け声で、試合前の円陣が終わってしまった。

 

「なんだよ。アレ」

「うっせ。そんならお前が次やれよ」

「無理」

 

 

 

 試合は始終東中優勢で進んでいった。チームメートがゴールを決める度、ベンチと観覧エリアから応援歌が聞こえてくる。男子の試合では皆が口々に応援していたが、女子は統制が取れている。観覧エリアにいる一夏と梓も応援歌を教わり、周りの女子バスケ部員と声を合わせて歌っていた。

 

 

 

 第一クオーターが終了した。ベンチに志帆たちレギュラーが引き揚げていく。秋久と弾が味を調整した薄めのドリンクとタオルを渡していく。志帆がベンチに腰かけた後、秋久に話しかけている。流石に二階まで声は届かないが、二人とも比較的にこやかに話をしているようだ。弾は弾で他の女子に囲まれ、少し鼻の下を伸ばしながら話をしている。秋久も弾も、女子からの人気でいえば、校内トップ20には入る男子である。男子バスケ部ほどではないが、女子たちも些か張り切っているように見える。

 

「…美智華ちゃん?」

「え?なに?」

「すっごい難しい顔してたけど、大丈夫?」

「そんな顔してた?あ。暑いからかなぁ」

 

 胸元をパタパタと仰ぎ、大げさに眉を顰める一夏。セーラー服の通気性は悪いし、体育館は蒸し暑く、二階はさらに暑い。梓も一応は納得し、一夏に倣って胸元を仰いだ。

 

 一夏が女性化し、変わったことが一つある。とっさの嘘が上手くなったことだ。今も簡単に梓を誤魔化せた。確かに蒸し暑い。だが、先ほどまで気にしていなかったし、そこまで不快ではない。

 不快なのは、自分の胸中だった。先ほどから胸に木のトゲが刺さったような気分だった。志帆と秋久が仲良くなる…それは喜ばしいことだ。秋久の女性恐怖症が治り、彼が恋人を作る。そうすれば千冬も束も安心するだろう。志帆と秋久が仲睦まじく手を繋ぐ。そこに一夏はいない。小指に刺さった木屑のように、気にならないといえば気にならないが、気にしてしまうと痛み始める。気づかないうちに、一夏の眉間の皺が深くなった。

 

「ゴメン。ちょっとお水飲んでくるね」

「うん、いってらっしゃい。もうすぐ試合始まるからね!」

 

 梓の言葉もほとんど聞かず、一夏は二階から駆け下りていった。

 

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 

 蛇口を全開にする。凄まじい勢いの水を掬い、何度も顔を洗う。何度顔を洗っても、一夏の気分はすっきりしなかった。顔を洗うのが煩わしくなり、ヘアピンを外し髪を解いて蛇口の下に頭を持っていく。襟が濡れるのも気にせず、奔流を頭で受け止める。

 どれほど頭に水をかけ続けても、胸の中の棘が取れない。何度も描いてしまった妄想をかき消そうとする。だが、消えない。かき消そうとすればするほど、不快感は積もっていく。

 

 不意に水が止まった。顔を上げると、タオルを持った秋久がそこにいた。

 

「何やってんだ?タオルもねえじゃねえか」

「……別に。暑いから頭冷ましてただけ。アキこそなにやってんの?試合は?」

「試合中にやることないしな…お前が走って出て行ったの見えたから、気になって追いかけただけだよ」

「ふーん…タオル、ありがと」

「おう…」

 

 ガシガシと乱暴に頭を拭き、使い終わったタオルを秋久に押し付けた。まとめられていない髪が一夏の表情を隠す。

 

「お前、大丈夫か?」

「大丈夫。ほっといてよ…じゃ、もう行くから」

「あ、おい!」

 

 秋久の呼びかけを無視して、一夏は背を向けて走り出した。髪が濡れているのも気にせず。ただ、この場に居たくなかった。あのまま秋久と話し続けていれば自分の不快感を、よくわからない心情を吐露してしまいそうだった。いつも秋久に甘えている一夏ではあるが、今は違った。

 

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 

 走った。走って走って走って…一夏が逃げ込んだのは、秋久の部屋だった。息を切らせ、玄関に滑り込む。滝のように汗が流れる。早くシャワーが浴びたい。風呂場に直行し、服を脱ぎ捨てた。ショーツを下ろすタイミングで彼女は違和感を感じた。少し張り付くような感覚。クロッチの部分に少し血が付いてしまっていた。

 

「あー…」

 

 最悪だ。ショーツを汚してしまった。そこまでの量は出ていないが、不快ではある。秋久の部屋に生理用品は置いていない。汗塗れの下着と制服を再び身に付け、一夏は自宅へと戻った。

 

 

 

 

 温めに調整したシャワーを頭から浴びる。最初は冷水を浴びていたが、体が冷え切ってしまい、身震いをしてしまったので切り替えた。

 梓には体調が優れないので中抜けする旨を伝えてある。試合は恐らく東中の勝利だろう。志帆以外の部員たちも秋久と弾の応援でいつも以上に力を発揮しているはずだ。

 

 志帆…仲睦まじい志帆と秋久の様子を思い出してしまう。下腹部の不快感が強くなる。先程まで胸でのむかつきを覚えていたが、今では下腹部。現金な身体をしている。

 曇ってしまった鏡をシャワーで流し、そこに映った少女を見やった。水泳の授業の影響で、腕と脚は健康的な小麦色になっているが、胴の部分は白い。指定水着型に日焼け跡が残っている。胸元には確かな質量があり、少女らしく先端部の色は薄い。ウェストは細めだが、まだ女性としては成熟していないらしく、括れはやや浅い。

 女。紛れもない女子の姿がそこにはあった。出しっぱなしのシャワーが再び鏡を曇らせていく。湯気で見辛く鏡越しにでも、そこにいるのが女子であることがわかる。男とは違うシルエット。肩幅も狭く、なだらか。

 

 …怖い…

 

 水音の中で一夏が呟く。声に出したつもりだったが、喉が掠れてしまったためか、シャワーの音が大きかったのか、声が溶けていく。一夏の中で男だった頃の自分があやふやになっていく。

 男子バスケット部の部員たちと肩を組んだ時にも感じた、自分の身体との明確な差。ハイタッチしたときの掌の感触。思い出してしまうと、急に感覚が曖昧になる。

 脚に力が入らなくなり、ペタリとアヒル座りになった。頭からシャワーを浴びる。一夏は自分の掌をじっと見つめた。小さく、柔らかそうな掌を。

 

 男…そう、俺は男なんだ。でも、これは?




ご愛読ありがとうございました。

申し訳ありませんが、後編に続きます。

投稿は30分後です。
よろしくお願い致します。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。