紫陽花   作:大野 陣

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『電子キー』
 量子暗号化された電子情報を持つ、スティックタイプの鍵。主に車や家の玄関の鍵として使われる。一本で複数の情報を持たせることも可能。


Ep8.

『……き、おき…』

 

 声が聞こえる。この部屋には俺しかいないはずなのに。あと、揺れてる気がする。

 

『ア……………ってば』

 

 誰だろう。聞き覚えのある声。耳元で聞こえる。一夏の声みたいだけど…そんなはずはない。アイツに鍵は渡してない。目を閉じているのに、妙に明るい。誰だ、カーテン開けたのは。

 

『……キ、起きないと、キス、するよ?」

 

 …え?キス?

 一気に目が覚める。目の前には桃色の唇。

 反射的に距離を取り、布団を抱き締め、ベッドの壁側まで逃げた。抱きしめた布団ごと胸を押さえて、吐き気に耐える。こみ上げてきた苦い液体を飲みこんだ。とにかく、身体は目覚めたみたいだけど、頭が目覚めてない感じがする。なんで?なんでいんの?どうなってんの?あと何かよくわからん声が出てた気がするけど、気のせい?

 

「…い、一夏…?」

「おう。おはよ」

 

 心臓がバクバクと音を立てる。自分の吐息がうるさい。最高に最悪の目覚めだ。何故か一夏が朝から俺の部屋にいて、ベッドの横で座ってる。しかも、コイツ、男なのにキスしようとしやがった。いや、見た目は女の子だけど。アレか、俺がパニクってるのは女の子にいきなりキスされかけたからか。男にキスされかけてもこうなるか。いや、でも渡したヘアピンつけてるし、今の見た目は女の子で…あぁ、頭がマトモに動かない。

 

「いつまで寝てんだよ。明日から学校だろ?今日ぐらいちゃんと起きないと、明日起きれねぇぞ?」

「…だからって、こんなに朝早くに起こすことねぇだろ?」

「……まだ寝てんのか?」

 

 一夏が俺の机を指差した。机にあるデジタル時計には9時48分と表示されている…うん。遅刻だな。どう頑張っても間に合わない。二限目に出れるかどうかも危うい。おかしい、まだ7時ぐらいだと思ったのに。

 

「あ…明日は目覚ましかけるから…」

「ま、いいけどな。朝飯作ってあるから、あとで食ってくれよ。あ、ちゃんと着替えるように」

 

 びしっと俺を指さし、ダイニングへ立ち去る一夏。これで二度寝したら…本気でキスされるだろうな。気持ち悪っ。

 寝巻代わりの長袖Tシャツでダイニングに行ったら、多分、怒られる。俺は諦めてTシャツを着替え、適当な服を着た。

 

 

 

 ダイニングには一夏が作ってくれた朝食があった。味噌汁と納豆とハムエッグ…一般的な朝食だと思う。和洋が混ざってるのは気にしちゃいけないと思うし、ウチには魚の切り身なんか置いていない。一夏は既に食べたのか、自分の家で食べてきたのかはわからないけど、俺の朝食が用意してある席の向かいでホットミルクを飲みながら、マンガを読んでいる。ちらっと見えた。少女マンガか。

 とりあえず、頂こう。冷めちゃ作ってくれた一夏に悪いし。いただきます。

 

 納豆をかき混ぜながら、一夏に聞きたいことを聞いてみた。

 

「で、どうやってウチに入ったんだ?」

「コレ。なんか束さんがくれた電子キー。アキんちの鍵も兼ねてるらしいから、テストして来いってさ」

「……犯罪じゃなかったっけ?ソレ…」

「まー、束さんだし、なんでもできんじゃねぇの?技術力のテストだーとかいって」

「さいですか…んじゃ、あの起こし方は?」

「マンガで読んだ。面白そうだったから、試してみただけだぜ?」

「…まさか、そのマンガって…」

「千冬姉と束さんがくれた少女マンガ。コレだよ。ああいうのって男の夢だろ?」

「少女マンガに男の夢は載ってねぇよ……」

 

 朝からSAN値がガシガシ削られる。なんだこの振り回されてる感は…これなら鈴ちゃんや弾の方が数倍マシだ。コイツ、男の時と距離感が変わってないから、余計に疲れる。

 

「俺んちじゃ男言葉も禁止されてっからさ。なんか、窮屈なんだよ。それにほら、アキも女慣れした方がいいだろ?お互いにいい訓練になると思うぜ?」

「それ、俺しか訓練になってなくね?」

 

 

 

 朝飯を食べ終わり、洗い物も終わった。春休みの課題も終わってる…ブツは弾が持ってるけど。今日はゆっくりと本でも読んで、まったりと過ごそう。一夏もマンガを読んでる間は大人しいし。

 

「なぁ、アキ。今日暇か?」

「本を読むのに忙しい。こないだ贔屓の作家の新刊買ったんだよ」

「それ、暇っていうんだぜ。今からウチの掃除、手伝ってくんね?」

 

 えー…本読みたいのに…

 露骨に嫌そうな顔をしてやる。織斑家にはお世話になってるけど、わざわざ始業式の前日に掃除をしたくない。週末の土日使ってやってもいいじゃん、別に。

 

「へー…ふーん…そーいう顔するかー…アキの弱点、全部知ってんだぜ?」

「オーケー。わかった兄弟、話し合おう。協力する。だから近づくな」

 

 席を立ち、こっち側まで来ようとする一夏を制止する。さっきのキス未遂といい、コイツは危険だ。俺の弱点を知っているからこそ、なおのこと危険だ。チクショウ、誰だコイツにこんな武器与えたヤツは。

 俺の春休み最終日、俺の優雅?な最終日の予定は、織斑邸の掃除を手伝うというイベントに上書きされた。

 

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 

 二人そろって織斑邸に入る。もちろん、挨拶は二人とも『ただいま』だ。どうやら、今日は千冬さんの部屋と客間という名の空き部屋を掃除するらしい。特に千冬さんの部屋は一夏もしばらく入ってないらしく、どうなってるかが怖いくらいらしい。確かに、最近はなんだかんだで千冬さんが家に帰ってきてたから、部屋もよく使ってたんだろう。あの見た目からは想像できないぐらい汚部屋らしい。らしい、が付くのは俺が見たことないからだけど。

 一夏が先に上がり、こっちを振り向いた。ここに来るまでの間、俺が無言だったことを少し気にしているらしい。まぁ、休もうと思ってた日に仕事を放りこまれりゃ、機嫌も悪くなる。

 

「まーまー、そうむくれんなって。昼飯ぐらい作ってやっからさ。オムライスでいいだろ?」

―デーデーン 『いっちゃん、アウトー』

 

 束さんの声が聞こえた。アレ?あの人今日も来てんの?

 シュッと風切音がした。と、ほぼタイムラグなしで一夏の短い悲鳴が聞こえた。いつの間にか、一夏のおでこから吸盤付の矢が生えていた。

 

「な、なんだこれ…」

―デーデーン 『いっちゃん、アウトー』

 

 またしても同じ声。そして同じ風切音に、一夏の悲鳴。今度は左の頬に矢が引っ付いている。二本の矢を一夏が外していると、一夏のケータイが鳴った。すぐには取らず、少しためらっている。覗き込むと文字化けした文字。なんだろう…凄くややこしい所から通話のような気がする。いや、こういうことをやらかしそうな人を一人だけ知ってるけども。一夏が覚悟を決めて、通話に出た。

 

『もしもしひねもすー』

「やっぱり束さんの仕業ですか…」

『そだよー。早速作動したみたいだね!束さん特製男言葉矯正装置!名付けて!「いっちゃんをもっと可愛くしちゃおうシステム」☆いっちゃんの男言葉に反応して、どこからともなく矢が飛んでくるシステムだから気を付けてね♡

 あ、ちなみにいっちゃんを傷つけるような矢は飛んでこないから安心してね!でも、お気に入りのお洋服を着てるときは要注意だよ☆じゃね~』

 

 束さんは言いたいことだけ言って、通話を切った。うん。あの人らしい配慮と、あの人らしい技術の無駄遣いだ。俺たちは無言で玄関に立ち尽くしていた。

 

 

 

 何とか再起動した一夏は、無言のまま千冬さんの部屋へ入っていった。俺はキッチンに行き、黒と透明のゴミ袋を何枚か用意した。千冬さんだって見られたくないゴミとかあるだろうし。あと、青い洗濯カゴと。それらを千冬さんの部屋の前に置き、客間へ向かった。

 

 

 

 千冬さんの肌着やらなんやらを手際よく干していく一夏。俺は客間の布団をベランダに干していく。もちろん、汚れないように下にカバーは敷いている。二人とも無言で作業をしたお蔭で、洗濯関連は昼前に終わりそうだ。

 そろそろ終わりが見えてきた。時間的にも昼飯にはちょうどいいだろう。

 

「ホント…マジで勘弁して欲しいぜ…束さん…」

―デーデーン 『いっちゃん、アウト―』

「え?ウソ?!ヤダ!どこから!?…ぴぃっ!!」

 

 ホント懲りんヤツだな。束さんなんだから、『家』っていったら全部に決まってんじゃん。ベランダだから油断したか。しかし、この技術力は凄い。流石は天才束さん。多分、カメラの三次元画像認識か何かで一夏の姿勢を判断して、的確に矢を放っている。ちなみに、今回は何か冷やっこいモノが背中に入ったらしい。

 

「ひゃんっ!やっ!冷たっ!!もう!やぁんっ!あきぃ…取ってぇ…」

「無理。触れん」

 

 くねくねと体を動かし、背中からの冷たさから逃れようとする一夏。男が悶えても可愛くないぞ。いや、見た目女の子だから可愛いけど。あとヘンな声出すな。

 

 

 

 昼飯は一夏の宣言通り、オムライスだった。半熟のとろとろオムライスではなく、薄い卵に巻かれたオムライス。俺はどちらかというとこっちの方が好きだったりする。一夏のは半熟卵のオムライスだ。

 ただ、量がかなり違う。一夏が女の子になるまでは同じぐらいか、一夏の方が多いぐらいだった。今では完全に俺の方が多い。俺が茶碗二杯分ぐらいで、一夏は一杯分もない感じだ。

 

「お待たせ。じゃ、食べよっか」

「おう、ありがとな」

 

 二人で手を合わせていただきます、と挨拶をする。それぞれケチャップを好きなだけかけるスタイルだから、オムライスにケチャップはかかっていない。一夏がケチャップを自分の分にかけ始めた…ところで、つい数日前のイベントを思い出す。アレは焼うどんにカツオ節だったけど。

 一夏が俺の視線に気付き、顔を上げた。ニッコリと微笑んだ。目が笑ってない気がするから、その笑い方やめて。怖いから。

 

「アキのもかけてあげるね。オイシクナーレオイシクナーレハイ、ドーゾ」

 

 声が固いし、抑揚がない。この前の照れてる感じじゃなくて、何かを抑え込んでるような声の固さだ。怖い。

 俺のオムライスにはケチャップで『ワスレロ』と書かれていた。うん、黒歴史だよな。ごめんな。一夏。

 

 

 

 昼飯の後、掃除を再開した。俺は客間の窓枠や桟を掃除したり、ライトの埃を落としたり、掃除機をかけたりとなかなかに働いた。気が付けば、夕日が部屋に射していた。

 

 客間を出た。ほぼ同時に、一夏も千冬さんの部屋から出てきた。一夏は普通に綺麗、ぐらいで掃除を止められる。でも、俺は、一夏曰く、病的なまでに綺麗にしたがる、らしい。そこまで病的にやってるつもりはないんだけどな。

 そろそろ晩飯の買い物にでも…と思っていると、弾から通話が入った。何とか課題を写し終ったから、返しに来たいらしい。一夏に一言断り、俺は家に戻った。

 

 

 

 部屋で弾から課題を受け取った。ヤツからの報酬は古本セットだった。弾はこの辺りの話をよくわかってるヤツだから、話が早くて助かる。前に一回だけ官能小説セット買ってきやがったこともあったけど。

 結局、晩飯の買い物も行きそびれた。米は炊いてあるから、適当に冷蔵庫の中のものを使って…うん。この材料ならカレーかな。ルゥもあるし、大丈夫だろう。学校始まったら作るの面倒になるし。

 献立をカレーに決めて、準備していると、玄関が開く音がした。

 

「うぃーっす!」

「大声出さなくてもわかるから。忘れ物か?」

「いや、晩飯作りに来てやった」

「あっそ…カレーにしようと…って何その荷物」

 

 大声を出し、勝手にダイニングに入ってくる一夏。鍵持ってるからって、許可なく入ってくるな。せめてインターフォン押せ。そして、何故か持っているトートバック。見た感じでは、結構中身が入っている。

 

「あ、コレ?着替えとか」

「はぁ?着替え?」

「おう。泊めてくれ」

「無理」

 

 即、断った。無理だ。男だった時ならまだしも、今は無理だ。だってお前見た目は女じゃん。

 

「なんでだよー。一宿一飯の恩義っていうだろー」

「使い方を間違ってることは置いといて、お前んち、すぐソコだろ。それに今日色々手伝ったの俺だろうが」

「…今日は…帰りたくないの…」

 

 小さな両手を顔の前で組んで、上目遣いで強請ってくる一夏。

 

「可愛いけど、それで堕ちるのは千冬さんと束さんだけだからな」

「…ちっ」

「可愛くねぇぞ…晩飯なら今から作るから、食ってってもいいぜ。ただ、食ったら帰れよ」

「…どうしても?」

「無理だって。俺死んじゃう…そんなに家にいたくねぇの?」

「……あの家寛げねぇし…独り言にも反応すっからさ…」

「あー…頑張って…」

「なぁ、ほら。可愛い下着も持ってきたしさ」

 

 トートバッグから下着を取り出し、見せてくる一夏。淡いピンク色のブラで、カップの上の部分に淡いブルーのリボンの装飾がある。思わず想像してしまった。違う、忘れろ、俺。顔が熱くなる。

 

「ほら、パジャマも可愛いだろ?」

 

 フードつきのふわふわしたパジャマもバッグから取り出して、見せてくる。こっちも薄いピンクと白のボーダー柄で可愛らしい。一夏の可愛らしい顔立ちによく似合いそうだ…って違う。想像するな。

 

「お?照れてる?照れてる?」

「……晩飯やらねぇぞ…てめぇ」

 

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 

 一悶着あったが、無事に二人でカレーを作り、夕食を済ませた。食事中、秋久が顔を真っ赤にしながら、ちらちらと一夏を見ていた。見られていた一夏も気恥ずかしくなり、二人で真っ赤になりながらカレーを食べていた事を思い出す。

 

 女の子の夜歩きは危ない、ということで、食後に秋久が一夏を送っていった。ほんの数分の距離はあるが、秋久が送ってくれた、という事実に胸が暖かくなる一夏。普段は一夏を男扱いするが、所々でこういう優しさを見せてくれる。少し戸惑いを感じることもある。一夏を男として見ているのか、女として見ているのか。

 先ほどまで二人で騒いでいたせいか、家の中がより静かに思える。いつもより寂しくなった。

 

 

 

 脱衣所に入り、ヘアピンを外した。コームで髪を解く。鏡に写っているのは、女になった自分。今までならこんなことはせず、すぐに服を脱ぎ、シャワーを浴びていた。今日はシャツだったので服を脱いでいないが、頭から脱ぐ必要のあるTシャツのような衣服の場合、下着姿で髪を解くこともある。

 鏡を見ながら、今日の、ついさっきの出来事を思い出す。顔がニヤける。真っ赤になって慌てふためく秋久のことだ。彼に対して、初々しさと可愛らしさを感じた。

 以前、弾に胸触らせて欲しいと頼まれた時は嫌悪感しかなかった。適当に言い訳をし、拒否した。だが、先程のように秋久が求めてきたら、どうだろうか?なんだかかんだと言い訳をして、拒否するだろうか。いや、拒否できるだろうか…危ない。そこを考えてはいけない。想像してはいけない。織斑一夏は男であり、同じく男である秋久の衝動を受け入れてはいけない。

 だいたい、どれだけ髪を解き続けているというのか。自らの思考の危うさを感じ、一夏は服を脱いだ。下着を脱ぎ捨て、風呂に入る。先程の思考を疲れのせいにして。

 明日から学校が始まる。説教をした側が遅刻するなどという醜態は晒したくない。手早く身体を清め、一夏はこの後、ぐっすりと眠ることを第一考えた。




 現在の一夏ちゃん…メンタルはほぼ男で、見た目は女の子(美少女)。男特有の気安さで接してくる…いいですよね?ね?

 秋久ですが、萌えることはできます。ですが、エロは無理な人です。萌え妄想は平気ですが、エロ妄想…特に行為に関わる妄想は無理です。

 ご愛読ありがとうございました。
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