売れないロックシンガー in 戦姫絶唱シンフォギア   作:ルシエド

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ややグロ話


喪失のロックンローラー

 ネットで英語で検索したら『汚いモードレッドを叩くスレ』が普通にヒットして困った。

 スレを覗いたら書き込みもまばらだったので、スレ内のリンクから書き込みが多い『ウェル被害者スレ』なるスレに移動する。

 スレの住人は固定気味で、それぞれがコテハンを使って話しているっぽい。匿名掲示板でコテハン語りって時点でなんか古い世代の人間くせーな。

 でも住民(被害者)の数がクッソ多いせいでスレの消費は割と安定してるな。

 ウェルとか呼ばれてるこいつ、下手なネットのクソコテ荒らしよりよっぽど嫌われて粘着されてんじゃねえのこれ? 悪行まとめwikiとかあんぞ?

 こんな奴と関わらなくちゃならねえのか。

 

 ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクス。

 生化学の偉い科学者、らしい。つまり理科とかの分野の偉い学者か。

 多分カエルの解剖とかやってんだろうが、ネットの評判クッソ悪いことから見るに、解剖したカエルを仕事仲間に投げつけるくらいは平気でやってんな多分。

 そんな男がキャロルちゃんの後援者?

 やばくね?

 騙されてるとかあるんじゃね?

 

 出会ってから短くてその男の性格良く知らねえとか。

 ……いや、それは俺か。

 キャロルちゃんが窮地にあって、そこを助けられて性格錯覚してるとか。

 ……いや、それは俺か。

 キャロルちゃんにとって大切な物をウェルが持ってて、協力関係切れないとか。

 ……いや、それは俺か。

 

 全部俺だった。どうしよう。

 まあいいか、会って判断すりゃいい。今はとにかく走ろう。

 

「キャロルちゃん、どっか痛いとこあったら言ってえな」

 

「い、痛いところはないです。ないんですが……」

 

 キャロルちゃんを背負って、とにかく走る。今警備の目を盗んで国境一つ越えた。

 

「イタリアからイギリスまで走っていくというのは、流石に無理があると思うんですけど!」

 

「いや電車もバスも使ってたやろ、何言ってるんや」

 

「使ってたのほんのちょっとだけでしたよ!?」

 

 イタリアからイギリスに移動しようとした俺達は、エテメンアンキの検問にぶつかった。

 俺が神剣ぶっぱしたせいらしい。

 キャロルちゃんもクッソ驚いた顔してて、あ、やべーって思ったもんだ。

 流石のキャロルちゃんの錬金術でも、エテメンアンキの検問相手だと三割くらいの確率でバレて捕まるかもしれないんだとか。やべーなエテメンアンキ。

 

 そこで俺達は通常の交通機関を使うことを放棄。

 俺の提案で俺がキャロルちゃんを背負い、イギリスまで走って行くこととなった。

 

「第一ナポリからイギリスまでの道のりならもう3/5くらい踏破してるやん」

 

「ボクが優柔不断だったから……

 言うべきか言わないべきか迷っていたら……

 本当に信じられないくらいあっという間にこんな所まで……」

 

「分からん子やな。何が問題なんや?」

 

「距離ですよ! 他に何があると思ってるんですか!?」

 

「言うて、今時鹿児島から青森まで自転車縦断する人が居る時代やで?

 鹿児島から青森までなら走りやすい道選んでも3000kmないやろ。

 ナポリがいくらイタリアの南側やからって、イギリスまで直線距離で1600kmってとこやで?」

 

「ええ……んん……?」

 

「検問避けて、人目を避けて、適当なところで宿取って。

 エテメンアンキが見張ってない場所なら交通機関使って。

 まあ基本は俺が走って。

 慎重に見つからんように移動しても一週間かからんやろ、普通」

 

 地図で見てそれだけで判断するから錯覚するんだ、まったく。

 西欧なんて小さな国の寄せ集めなんだから、日本内で長距離を移動する旅を経験した奴からすれば、びっくりするくらい短い距離でいくつもの国を横断できる。

 数字で見れば、人目を忍んで走り抜けられない距離じゃないってすぐに分かるっての。

 イギリスまでの道には海があって面倒だが、船と飛行機ばかり警戒しているお役所仕事の警備なら、海の上を走るだけで簡単に突破できるだろうさ。

 

 これだから既成概念に縛られてる奴は困る。

 ほんのちょっと発想を変えるだけで、こんなにも簡単に目的は達成できてしまうというのに。

 シルクロードを見りゃ分かる。人間は自分の足だけであんだけ移動できるんだ。

 健康な足ってのはそれだけで、大抵の交通機関に勝る財産なんだぜ。

 

「ボクが間違ってるんでしょうか……」

 

「キャロルちゃんは頭がええからなあ。ぎょうさんある知識が邪魔しとるのかもしれへん」

 

「……なんでしょう、この、納得できない感じ」

 

 この辺が不適合者の面倒なとこだな。

 キャロルちゃんは俺のこと察しの良い男だと思ってるらしいが、相手の気持ちや考えてることが分からなければ、言葉を尽くすしかない。そいつは俺も同じなんだ。

 

「そら、キャロルちゃんの気持ちも分からないわけやない。

 女の子が異性に背負われるのは、肉体的接触もあって嫌やと思う。

 でもエテメンアンキが大きな交通機関に網を張っとる以上、軽挙はあかん。

 キャロルちゃんには申し訳ないんやが、もう少し我慢してな? な?」

 

「いや、ボクはそういうことを言っているわけでは……

 確かに恥ずかしいですけど、問題はそこではなくてですね。

 背負われてることが嫌というわけではなく、恥ずかしさは恥ずかしさで……えぅ……」

 

 照れて口ごもらないでいただきたい。

 俺適合者じゃないから複雑な乙女心とか言ってもらわねえと分かんねえんだけど?

 いやまあ背負われてんのが恥ずかしいってことくらいは分かるが。

 

「おっ」

 

 もう何度見たかも分からないクレーターが目に入る。

 今までに見たものの中でも最大だ。

 百年前に月が落っこちた後。地球に刻まれた無数の穴。吹っ飛ばされた街だったものの残骸。

 ルナ・クライシス、月の崩壊、大災厄など、色んな呼び方をされる百年前のロックな月砕きの被害跡地だ。

 

「ルナ・クライシスの傷跡、欧州のはやっぱでっかいなぁ」

 

「この辺りは、特に酷いですからね……」

 

 イギリスとイタリアの間くらいの地域は、世界で三番目に月の欠片が落ちた被害がデカかったと言われる場所だ。

 そりゃもうポコポコ落ちたらしい。

 そこかしこが穴だらけ、国としての機能を維持できなかった国も多数。

 キン肉マンって漫画の設定より穴が多いとか言ってた奴も居たな。

 

 やべーのは、そっからスムーズにエテメンアンキとかがヨーロッパの立て直しをやったっつーことだ。

 月の欠片が落ちた量からすりゃ、人的被害はクッソ少なかったと聞く。

 月の欠片のデカいやつを弾く、隕石落下による氷河期の到来を防止、落下前に住民避難、月の欠片落下後の地上の立て直し、だいたいフィーネとその部下がやったってことだよな?

 フィーネ婆さん、有能。マジでどうやったんだ。

 昔この辺に住んでた人達も、別の国に住居と仕事を用意して貰ったんだろうしよ。

 

 俺の足元にクレーターがある。

 地平線の向こうまでクレーターが続いている。

 右を見ても左を見てもクレーター。

 百年経って、世代交代が完璧に終わって、まだ誰もこの辺に住もうとはしない。

 月の欠片に百年前にここを追い出された人達は、ここに帰ることもできないまま、百年の間に皆寿命死したわけだ。

 

 ……百年ってのは、長え時間だな。

 

「あ、鹿発見。キャロルちゃん一回降ろすから待っててな? アレ昼飯にしよ」

 

「携帯食料ありますし、見逃してあげませんか?」

 

「せやかて獲りたての動物も食べた方が栄養面では絶対にええと思うよ?」

 

「殺す必要が無いなら、見逃してあげたいです。あの鹿さんも生きてるんですから」

 

「……女子はそういうとこ妙に男子より優しいんよな」

 

 でも、人間以外の生命はここでもたくましく生きてんだな。

 

 月の欠片が落ちた国もある。落ちなかった国もある。

 適合者と不適合者で力を合わせて立て直した国もある。適合者を優遇、不適合者をこき使って立て直した国もある。

 適合者と不適合者で力を合わせて立て直した後、不適合者の差別政策をやったとこもある。

 そして大抵の場合、適合者は多数派だ。

 こうして月の欠片が地球をぶっ壊した跡を見ると、月の欠片は地球と社会の両方をぶっ壊していったんだと、つくづく思う。

 

 一流のロックンローラーなら、こういうクレーターにインスピレーション感じるんだろうか?

 それで一曲作れたりするんだろうか?

 名曲作っちゃったりするんだろうか?

 俺は何も感じない。

 でも俺が何も感じなかった風景に誰かが何かを感じて名曲作ったら多分イラッとするな。

 そう考えるだけでそわそわしてくる。

 クソっ、出て来い俺のインスピレーション!

 

 出て来ねえ。しかたないな、鹿たない。

 

「このクレーターのように、月の欠片が落ちて、ボクの……

 ……いえ、オリジナルキャロルの生家跡地も吹き飛んでしまったんです」

 

「そら、フィーネも恨まれるわな。

 俺かて母さんと過ごした場所吹っ飛ばされたら殴りに行くわ」

 

「ボクもキャロルの記憶を与えられて起動した予備躯体の一つです。

 このクレーターを見てると、少し寂しい気持ちになってしまって……

 だから結弦さんが近くに居てくれて助かりました。少し心強いです」

 

「そか? 役に立っとるんなら嬉しいなぁ」

 

 もう死んじまってるとかいうオリジナルキャロル。

 俺の知ってるキャロルちゃんはそいつと自分を同一視してはいないが、どうにも他人と言えるほどに切り離せていないフシがある。

 フィーネがオリジナルのキャロルとやらをぶっ殺してたなら、フィーネを前にした時、キャロルちゃんは冷静で居られるんだろうか。

 ……その時になんねえと、分かんねえな。

 

「こんなクレーター、ノイズ使える組織なら簡単に直せそうなもんやけどな。

 俺の中だとエテメンアンキは隠してるだけで超技術沢山使ってるイメージなんやけど」

 

「フィーネはエテメンアンキに異端技術をそこまで降ろしていないんです。

 基本的にその時代の人間基準の技術を使っての組織構築にこだわっていたようでして」

 

「それなんの意味があるんかなあ」

 

「ありますよ? まず、安定感が違います。

 突出した技術ではなく、普通の人達でも制御できる技術で組織を作っているわけですから」

 

「安定感とはまた、ロックの真逆やなあ」

 

「結弦さんのような聖遺物人間を生み出す技術も、フィーネなら持っていたかもしれません。

 でも、もしそうして強大な力を持った『個人』が組織に反抗した場合、止められませんから」

 

「必要なのは決められた規格の社会の歯車ってことやな」

 

 個性より規格化。

 尖った特徴より人気のテンプレ。

 昔はロックにもそういう時代があった。

 

 音楽業界は一級のプロになってないマイナーな評価高い奴を拾ってプロデュースし、メジャーになる前から付いてたファンが買ってくれることを見越し、固定購入層を獲得しようとした。

 自分を表現するバンドは、売れるためのテクを学び、自分を表現することより売れることを優先した曲を作り、聞き手側に批判された。

 後にその辺りからロックスターが生まれると、その真似をした人間は『ワナビ』と言われた。

 ワナビは人気になった人を真似するので、下層は更に個性がなくなった。

 個性がなくなった、人気者の真似だけのワナビを批判する流れが生まれて……というわけで。

 

 組織と違って特徴的な個性が尊ばれるロックの世界でもそうなんだから、人間っつうのはもしかしたら自然と安定と画一化に向かうように出来てるのかもしんねえな。

 なんかなろー小説とかいうので同じ歴史を繰り返してるみたいな話を聞いたことあるが、小説は専門外なんで俺は知らん。

 まああっちも音楽と同じ創作の界隈だ。

 苦労や苦悩も引っくるめて、昔の時代を繰り返すこともあるのかもしれん。

 

「そういやこの辺詳しく聞いたことなかったな。

 エテメンアンキはノイズをどないして操ってるんや?」

 

「エテメンアンキの本部に『ソロモンの杖』というものがあります。

 この杖は何かの聖遺物で他世界から大きなエネルギーを得て起動した、完全聖遺物です。

 大規模な制御装置に接続されたこの杖は、外部からのアクセスで稼働を開始します。

 そして外部からの指定に沿ってノイズを出現させ、操作するというわけですね」

 

「エテメンアンキが全員それ使えるってわけやないんやろ?」

 

「たぶん、上位の幹部十数人以外は存在も知らないと思いますが……」

 

「ふーむ」

 

「だから不適合者排斥派の人間が幹部に居る、と思うんです。

 不適合者の排除にノイズを使うのに積極的な人が、最低一人は」

 

「セレナさんの味方して不適合者守っとる人もエテメンアンキやろ?

 そんな別々のスタンスの人間が肩並べて戦っとるの、ホンマ凄いことやと思うわ」

 

 前にもキャロルちゃんと話したが、やっぱエテメンアンキのトップが凄い。トップやってるフィーネ老人が凄えんだ。異常なぐらい、手綱を握るのを上手くやってる。

 この話を聞く度に、俺がそこに何かよく分からない違和感を覚えるくらいには凄え。

 

「ふっつーは気に入らん人とは共存できへん。

 いじめっ子といじめられっ子が共存できひんようにな。

 普段ジャイアンにいじめられとんのに仲良くできるのび太くんは聖人過ぎや」

 

 俺小学校の時俺を不適合者だとバカにした奴全員覚えてるからな。

 

「あ、ドラえもんですよね! 知ってます知ってます!

 それならボク知ってます! ようやく共通の話題ができましたね!」

 

 そんだけのことではしゃぎすぎだろ!

 

「おっと、クレーターまた増えてきてもうた。

 また揺れるんで気を付けてな、キャロルちゃん」

 

「大丈夫です。走ってる結弦さんの背中、ほとんど揺れていませんから」

 

「そかそか。あ、ノイズの話ありがとな。一つ賢くなった気分やわ」

 

 ノイズは今の地球だと最高の兵器だ。

 何せ、()()()()()()()()()()()()()()()

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 そういう意味じゃ、ノイズは"この世界に最も適合した兵器"だ。反吐が出るぜ。

 

 だが、雑音(ノイズ)音楽(ソング)に勝てるわけねえってのは世の真理だ。

 俺もこれから、そいつを証明していこう。

 

「今回ボク達が会いに行くウェル博士は、ノイズを操れる立場の人間に追放された方です」

 

「え、マジで?

 そんな偉い人に目え付けられてよく今でも活動できるもんやな。

 事故に見せかけて殺されとる可能性も十分にある立ち位置やろ、それ」

 

「ウェル博士は有能だったんです。

 殺すには惜しい、身内に置いておくのは危険、と判断されたんだと思います」

 

 一番面倒くさいタイプの奴だな、それ。

 

「気を付けてください。ボクが思うに、ウェル博士は音楽の良さが分からない人です」

 

 ……ロックの良さが分からねえ奴と、仲良くできる自信ねえよ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 むかーし、むかし。

 ロンドンに月の欠片が落ちた。他の所にもバンバン落ちた。

 イギリス最大の都市はガタガタになり、他の街もバンバン壊れた。

 そこで「新しいロンドンを作って一からやり直そう」と誰かが言った。

 反対者も多かったが賛成者も多く、新しいロンドンを作ろうと皆が動き始めたらしい。

 

 んで、そこでエテメンアンキの救援が来た。

 エテメンアンキはあっという間にロンドンを復旧。畜生かよ。

 人間ってのは特に理由なければ"今まで通り"を望むもんだ。今を変えようとすんのは、激しいロックンローラーみたいな、時代や社会や環境に不満を持ってる奴らが中心だ。

 ましてイギリスは伝統と歴史とやらに誇りと拘りを持っている国。

 新しいロンドンは半端な出来で放置され、先走って新しいロンドンに住んだ奴や、他の場所から流れて来た奴が定着した。

 その後はロンドンの横で発展したり、拡大したり。

 それから何十年か経って、今はロンドンとは全然違う町並みを形作ってる。

 

 ここはロンドンの東南に位置する街、ニューロンドン。

 勘違い野郎のロンドン(ポォウザァー・ロンドン)とも呼ばれる、ロンドンになれなかった街。

 俺もニュースで何度か名前を見たことがある街。

 ウェル博士とやらが拠点にしてる街で、今クッソヤバい状態にあるようだ。

 

「えろう反応に困るな、この状況……」

 

 右を見る。

 

「うちの子が身の程知らねえ不適合者に殴られたんだぞ! 犯人出せや!」

「この街の通り魔犯罪者は不適合者100%! 街の治安を悪化させていまーす!」

「俺達の街から出て行け!」

「うちの自治体、明らかに不適合者のせいで仕事効率落ちてんだけど!」

「去年俺の親父は不適合者に殺された! 忘れたとは言わせねえぞ!」

 

 左を見る。

 

「てめえら互いのこと分かってますよって感じで距離感近すぎベタベタしすぎできめえんだよ!」

「人種差別は後進的! 適合者は現代人とは思えないほどに野蛮だ!」

「そっちの子が殴られたのは学校で適合者派閥作っていじめやって、反撃されたからでしょ!?」

「適合者に精神的に追い込まれて罪を犯した奴だって居るんだぞ! お前らさえ居なけりゃ!」

「この街から出て行け、適合者!」

 

 バカじゃねえの、こいつら。

 

「どうなっとんのや、これ」

 

「ここは適合者と不適合者の対立が特に過激なんです。きっかけは……」

 

 この街は幸か不幸か、昔から適合者と不適合者の比率が吊り合っている珍しい街なんだと、キャロルちゃんは言った。

 不適合者の数多くねえのに、そんな風になるのは逆に珍しいな。

 いや待てよ、なるほど、それでか。

 普通なら街の不適合者割合は減っていくもんだ。

 だけどこの街に不適合者の居場所があるって知られりゃ、他の国や街から不適合者が流入する。

 

「ここはシーソーみたいに、適合者と不適合者のどっちが大きいか定期的に入れ替わるんです」

 

 そりゃ喧嘩にもなるわ。

 不適合者の居場所を求めてこの街に来た人は、よその場所で適合者で虐げられて逃げて来たんだろうから、そりゃこの街では適合者に敵意むき出しだろう。喧嘩も売るだろうな。

 それなら適合者だって喧嘩は買うさ。

 いや、適合者だって不適合者に喧嘩売って、それを買われることもあるだろう。

 ひっで。

 二種類の飢えた肉食の虫を、狭い虫かごに放り込むようなもんだな。

 良心的な適合者と不適合者でさえ、時間経過で鬼になってもおかしくない環境だ。

 

「行きましょう、結弦さん。これは今のボク達にはどうにもできないことです」

 

 差別ってのは時間が経てば『上と下』じゃなくて『多い方と少ない方』になるもんだ。

 適合者は不適合者を差別してる。見下してる。相手個人の人格を見ようとしていない。

 不適合者は適合者を差別してる。見下してる。相手個人の人格を見ようとしていない。

 どっちが悪いとか、もうそういう話ですらなく。

 ただ単純にクソッタレだ。

 この両者は互いに対し、『見るだけで不快に思う』『死んで欲しいと思っている』『罵倒すると気持ちいい』『相手を見下して自分を高い位置に置く』という関係を完成させている。

 これだ。

 これが、昔ロックが反抗したもの。

 ロックンローラー達が立ち向かって、負けてしまったものだ。

 

 黒人の音楽を白人がすげえすげえと言って、人種差別にそれが踏み潰されたのも昔の話。

 今、ここには、見るに堪えないものがある。

 

「お前なんか生むんじゃなかった! 不適合者の息子なんか、赤子のうちに捨てればよかった!」

「ついに本音が出たなお袋! ぶっ殺してやる!」

 

「バカな真似はよせ! 私達は親子だろう!」

「うっせんだよ! 不適合者の親とか俺の唯一の汚点だ!

 不適合者の親が俺の肩書きから消えなきゃ、俺はどこにも行けねえんだ父さん!」

 

「なんであなたがそこに居るの! あんなに優しい娘だったのに!」

「……適合者は、皆で不適合者をいじめないと、学校でいじめられるの! 分かってママ!」

 

 適合者から生まれた不適合者。

 不適合者から生まれた適合者。

 親子でも殺し合いかねない一触即発の空気が、ここにはあるってことだ。

 ……適合者の親に、不適合者の子、か。

 これを見逃してコソコソしてたら、俺の音楽が泣くな。

 

 俺は、ロックンローラーだ。

 

「キャロルちゃん、ちょっとここで待っててーな」

 

「え、止めるんですか? 結弦さん英語話せたんですか? 危ないですよ、やめた方が……」

 

「英語はロックの単語を使う英語と、授業で習った英語くらいなら使えるで」

 

 まあ、止めるのに英語使う気なんて全く無いんだが。

 キャロルちゃんの耳に耳栓を押し込む。キャロルちゃんはくすぐったそうにして、次に不思議そうにして、最後にハッとして俺を止めに来るが知ったことじゃない。

 ギター抜刀。

 ロックの魂が、ギターの形になって抜け出て来る。

 適合者達と不適合者の間に立つ。

 何か言ってるが、もう聞こえない。

 俺の演奏は上手くはないが、それならそれで別にいいさ。

 

 気絶するくらいに、最高にど下手なヤツをキメてやる。

 

「Come on, let's rock'n roll to the mostッ!!」

 

「「「 ギャアアアアアアアアアアッッッ!!! 」」」

 

 聖遺物の力で、最高に都合の良い音を、最高にド下手な最大音量でぶちまけた。

 

 1分30秒の演奏後、見える風景死屍累々。俺とキャロルちゃんだけが立っていた。

 

「お、音響兵器……」

 

「後遺症は残らんやろ。証拠も残らん。

 エテメンアンキも、まあ音爆弾くらいに思うんやないかな」

 

 お、警察も来た。俺の音が警報代わりになったか?

 まあ五分もすりゃ全員目が覚めんだろ。

 全員お巡りさんに絞られてゆっくり反省しやがれ、どアホどもめ。

 俺は差別は面倒臭えと知ってるが、差別主義者は許さん。

 小学校の時に俺を不適合者とバカにした奴らも許さん。

 俺の目の前で堂々と差別など許さんぞ。

 

「聞こえてねえやろけど、言っとくでお前ら。

 俺がこの街に居る間は、堂々と差別しようとしたらまた邪魔しに来るかんな」

 

「結弦さん……」

 

 バイトを辞めてからの"俺は自由だ"感半端ねえ。

 失業を恐れて自重する必要が無くなった感半端ねえ。

 無職って、こんなにも最強だったのか……

 

「無茶はやめてください。ボク、今すっごく心配したんですよ?」

 

「ごめんなぁ。でも、キャロルちゃんもこういうのほっとくの嫌やったんやないか?」

 

「……それは、そうですけど……結弦さんって、ボクの心が読めるんですか?」

 

「他人の心なんていっつも読めてへんよ、俺は」

 

 差別ってーのは難しい。

 結局『相手を見下す気持ち』があれば、どいつもこいつも同類になっちまう。

 生まれつき差別が好きな奴も居て、教育のせいで差別するようになった奴が居て、環境のせいで差別するようになった奴が居て、境遇のせいで差別するようになった奴も居る。

 

 大槻ケンヂは「コンプレックスを舞台に上げればそれはロックになる」と言った。

 リアム・ギャラガーは兄への劣等感が力になった。

 他人に見下されて抱いた劣等感が、ロックの爆発力に変わるなんつー話は、度々世間で語られるくらいにありきたりな話だ。

 

 この街は誰も彼もが他人を見下してやがる。

 クソみたいな話だが、そのお陰で『ロックの聖地らしさ』みたいなもんまで感じまった。

 この街には、ロックがよく映える。この街の風潮に反抗したくてたまらなくなってきた。

 

「さ、変な寄り道してもうたな。行こか、ウェル博士のとこへ」

 

 一つ、分かったこともある。

 こんな街に好き好んで住む奴が、まともなわけがない。

 キャロルちゃんがどう言おうが、ウェルって奴はイカレ野郎かクソ野郎かのどっちかだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 音楽学校近くの防音マンション、その地下にウェル博士の研究所はあった。

 秘密基地か何か? なんか、特に理由も無いがガキっぽい印象受けるな、これ。

 このマンションは音楽家志望の奴に人気があるらしく、深夜だろうが真っ昼間だろうが構わず音弾きがされてるって話だ。

 逆に言えば、ちょっと変な音がしたくらいじゃ気にされない。

 やましい科学者が色々実験する場所としては理想的、ってわけだ。

 

 キャロルちゃんはすいすい警備システムのロックを解除して、マンション地下の研究所の中を勝手知ったる様子で進んでいく。

 

「ウェル博士には一部の富豪が金を出していらっしゃいます。

 何故なら、彼の研究の副産物でも莫大なお金になるからです。

 ボクは逆にウェル博士に支援してもらっていますが、彼を助けてはいません。

 ウェル博士の研究内容や研究過程も、ボクはほとんど知らないくらいで……」

 

「つまり見返り無しなんか。んー、どういうことや」

 

「彼曰く、『適合者社会への嫌がらせ』だと」

 

「……やっぱこらまともじゃないなぁ」

 

 見返りが無い取り引き、というものはあんまりない。

 無償の奉仕にだって『満足感』『達成感』みたいな見返りはあるんだ。

 ウェル博士が本当に『嫌がらせの満足感』だけでキャロルちゃんを支援していたというのなら、嘘偽りなくそれが真実であるのなら、そいつは。

 

「嫌がらせというのは嘘じゃありませんよ。僕も適合者ではありませんからね」

 

 開きっぱなしのドアの向こうに、男の姿が見える。

 開きっぱなしのドアの向こうから、男の声が聞こえる。

 男は試験管を揺らしながら、顕微鏡の向こう側の虫を見るような目で、俺達を見ている。

 ……あんまり好きになれなそうな雰囲気の男だった。

 メスとか武器にして戦いそうな顔してやがる。

 

「やっぱり相互理解能力は無いと今時の職場はやっていけないんでしょうねえ。

 まあ僕は天才なんで使われていたんですが、流石にウザくなって来まして。

 僕が言ってることが分からないとか、研究の遅延になるとか、まあうるさいうるさい。

 王族関係者の招きで所属していた研究所だったんですが、さっさと出て来たわけです」

 

「は、はぁ」

 

「相互理解不能結構、僕としちゃ願ったり叶ったりですよ。

 僕の頭の中を見ず知らずの他人に理解されるだなんてきっしょく悪い。

 相互理解なんてものは、頭の中お花畑な人達だけが喜んでりゃいいんです」

 

 ファンキーな奴だな、この白衣メガネ。

 

「なるほど、それで職場を出てったわけやな。

 しっかしそれにしたってもうちょいいい場所に研究所用意しても良かったんやないか」

 

「適合者かどうかは生まれればすぐに分かります。

 適合者の親が不適合者の赤子を、不適合者の親が適合者の赤子を捨てる。

 そういうことが多々あるので、ここはよく瀕死の赤ん坊と赤ん坊の死体が手に入るんですよ」

 

「―――」

 

 今、なんつった?

 

「行政にあまりマークされておらず、簡単に、定期的に、一定量手に入りますからね。

 気を使っていれば僕が真っ先に摘発されることもまずありませんし。

 分化や成長もしていない赤ん坊の細胞は、今の研究テーマに合ってるんですよ」

 

 一瞬、俺の思考が止まって。気付けば俺は、ウェルの襟首を掴み上げていた。

 

「正気か」

 

「僕は僕のことを正気だと思ってますよ? それでいいじゃないですか」

 

「俺は良くねえ言うとんのや!」

 

 キャロルちゃんが口元を抑えて青い顔をしている。

 そりゃそうだ、知ってたならキャロルちゃんが止めないわけがない。

 よく見りゃ、この研究室はビーカーやらカプセルやらの中身が『赤ん坊だったもの』でいっぱいだ。

 だけどこいつが語るまで、俺はそれらが赤ん坊だとは気付かなかった。気付けなかった。

 原型留めてなかったから、気付けなかった。

 自分に腹が立つ。

 目の前の男に腹が立つ。

 握る拳に力が入る。

 殴ってやろうと、迷いなく思った。

 

「というか道端に捨てられてる赤ん坊の死体を有効活用してるだけじゃないですか。

 悪者は誰だと思います? 僕じゃないでしょう。赤ん坊を捨てるクズな親ですよ」

 

「それはっ……!」

 

「君がここで僕を殴ったとしましょう。

 僕がこの研究を止めたとしましょう。

 赤ん坊が捨てられるのは止まりませんし、赤ん坊が死ぬのに変わりはありませんよ?」

 

 襟首を掴む俺の手の力が、弱まる。殴りたい気持ちが濁って萎える。

 

「それとも、捨てた親を責めますか?

 やめましょうよ、このご時世に。

 適合者の家に不適合者が生まれたら、捨てるのも賢明ですよ。

 無理して育てても、親も子も不幸になるのが関の山でしょうに」

 

 違う。

 そう思った。なのに言えなかった。

 捨てるのは悪いことだ。

 そう思った。なのに言えなかった。

 捨てられる子供の気持ちになれ。

 そう思った。なのに言えなかった。

 適合者の親と不適合者の子供でも上手く行ってる家は山ほどある。

 そう思った。なのに言えなかった。

 適合者と不適合者のカップルが夫婦になった例がいくつあると思ってんだ。

 そう思った。なのに言えなかった。

 

 不適合者で何もできない子供だった俺は、母さんにとってはただの重荷で。

 不適合者として生まれた俺は、オヤジにとっては遠くに居て欲しい邪魔者で。

 

「親にだって子供に自分の人生を台無しにされない権利はあるんですよ?」

 

 悪いかよ。

 適合者の父親に、不適合者の息子が生まれちゃ悪いかよ。

 適合者の親父と、不適合者の母さんの間に生まれたのが、俺みたいな不適合者じゃなくて、適合者の子供だったなら、母さんだって家に居場所が出来て、もしかしたら……ッ。

 

 ……違う!

 違う、そうじゃない!

 そういうことじゃない!

 

「どないな理由があったとしても、子供捨てる親は普通にクズやろ!」

 

「なら堕胎した親もクズですか?」

 

「―――っ」

 

「別にクズと呼びたければどうぞ。

 子供を捨てるのは仕方ない、子供を捨てるのはクズ、その二つは両立します。

 今の世の中、不適合者及び不適合者の家族がどのくらい生きにくいかは知っているでしょう?

 どうぞ、赤ん坊を捨てずに苦しんで生きながら破滅しろと、そう言えばよろしい」

 

 言えない。

 俺には。

 ……言えない。

 ……俺は、母さんに、オヤジに……

 

 手が、急に暖かくなった。

 握った拳の暖かさを不思議に思って、そこを見る。

 キャロルちゃんが俺の拳を、両の手で包んでいた。

 首を横に振っていた。

 俺の思考と行動の両方を、彼女の暖かさと優しさが、止めてくれていた。

 

「ウェル博士、結弦さんをこれ以上いじめるならボクは絶対に許しません」

 

「おやキャロル。さっきまで真っ青な顔で黙りこくっていたのに、急に元気になりましたねぇ」

 

「黙ってられない理由が出来た、それだけです」

 

「ふぅん」

 

「それよりお仕事の話をしましょう。

 大英博物館に運び込まれ保管された、『アガートラーム』についてです。

 ボクらの支援をお願いします。イギリスの後は、ボクらも予定通りアメリカに向かいますので」

 

 キャロルちゃんが会話を遮った?

 俺を助けてくれたのか?

 この子が、俺を気遣って?

 

 キャロルちゃん……ありがとう、それと、ごめん。

 くそ、頭冷やさねえと。今の俺は明らかに頭に血が昇ってた。

 

「ああ、それは別にいいんですけど、僕の支援はそれで最後ってことでお願いします」

 

「え?」

 

「以後僕の支援は打ち切りです。僕らの縁もここまでということで、どうぞよろしく」

 

「ま、待ってください! ボクに落ち度があったなら謝ります! どうか理由を教えて下さい!」

 

 は? 何考えてんだこいつ?

 ……いや、待て。

 こいつ、なんで笑ってる? もしかして俺をさっき言葉で殴ってた時も笑ってたのか?

 だとしたら――

 

「決まってます。オリジナルのキャロルが所在が明らかになったからですよ」

 

「……え」

 

「なのでコピーの方に手を貸すかどうか再考したいんですよ。

 ましてやオリジナルキャロルさん、今やエテメンアンキのトップやってるみたいですし」

 

「……え?」

 

「エテメンアンキの内何人が気付いているのやら。

 それとも誰も気付いていないのかな?

 フィーネの玉座が既にキャロルの座る席となっていたとは、面白い。

 近年の不適合者の扱いや、コピーの君の扱いに、意図がうっすら見えて来ませんか?」

 

 ――こいつ、救いようのない、クソ野郎だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウェルは間違いなく天才だった。

 他人が努力で真似出来ないことができるやつは、天才としか言いようがない。

 こいつが掴んだ情報は二つ。フィーネの不在と、オリジナルのキャロルの立ち位置。エテメンアンキの上位幹部ですら掴めない情報を、こいつは掴んでいた。

 

「エテメンアンキの上位幹部が掴んでいなかったわけではありませんよ。

 ただ、キャロルは『想い出』を使っているようです。

 気付いた人間は丁寧に記憶処理をされているみたいですねぇ。

 だからこそ、僕がその情報を手に入れる僅かな隙があったというわけですが」

 

 記憶処理された奴が記憶処理される前に残したメモでも手に入れたのか?

 いずれにせよ、尋常じゃねえ。

 こいつは間違いなく凡人の枠に収まらねえ奴だ。

 

「参考までに僕に教えて欲しいんですが。

 世界を救うために、まだオリジナルキャロルとの対立構造を続けますか?」

 

「ボクは……キャロルと敵対なんて……」

 

「では世界を救うのを諦めますか?

 何を企んでいるかは分かりませんが、オリジナルの方に世界を救う気は無さそうですよ」

 

「……キャロルが間違ったなら、ボクが止めるしか……」

 

「僕は死にたくないんで、そうしてくれると助かりますねえ。

 あと、あなたの存在意義もだいたい予測がつきましたよ。

 "キャロルはそこに居る"と錯覚させ、最後に"キャロルはそこで死んだ"と錯覚させる。

 情報操作の一環として、エテメンアンキに『キャロルの死』を誤認させるのがあなたの役目」

 

「―――」

 

「あなたは死ぬためにロールアウトされたわけだ」

 

 おい、ウェル。

 お前、よく笑ってられるな?

 俺はここで笑って許してやれるほど人間出来てねえぞ。

 

「キャロルちゃん」

 

「違います」

 

 俺の呼びかけに、彼女は泣きそうな顔で首を振る。

 

「ボクは、キャロルじゃありません」

 

「……」

 

 ほら、見ろ。

 彼女のこの顔見ろ。

 ぶっ殺すぞてめえ。

 

「おおっと、僕への暴力はやめましょうよ。暴力反対!

 君の大切な()をその辺の椅子に座らせてあげた方がいいんじゃないですかぁ?」

 

「……ちっ」

 

 キャロルちゃんを椅子に座らせる。

 

「キャロルちゃん?」

 

 呼びかけても返事はない。

 『キャロル』と呼びかけてるからダメなのか?

 ……だけど、俺は彼女を呼ぶ他の呼び名を知らない。

 彼女もそれ以外に呼ばれる名前なんざ持ってない。

 『キャロル』という名前が一つ取り上げられただけで、彼女と俺を繋ぐ見えない糸が、ぷっつり切れてしまったようだ。

 ああ、ちくしょう。

 

「ツラ貸せや、ウェル」

 

「凄まじい怒りようですね。僕は真実を告げただけなのに」

 

「ここでこないに直球に言う必要はないやろ! こうなると分かってたはずや!」

 

「まあ、こうなると分かってましたけど」

 

「ッ」

 

「でも、僕としては知ったことじゃない。

 こっちのキャロルがショックを受けようがどうでもいいことですしね。

 ですが彼女を気遣って確信を避けて話せば、それだけ無駄に時間がかかってしまうでしょう?」

 

「……は?」

 

「話が速く終われば、その分僕が研究に使える時間も増える。自明の理じゃないですか」

 

「マジで言ってんのか?」

 

「僕視点で見れば当然の損得計算でしょう。

 何故あなたは僕の損得を考慮してくれないんですか。

 もっと僕に気を使ってくださいよ、他人の気持ちも分からないんですか?」

 

 心底、殺意が湧いた。

 

 我慢も躊躇も迷いもなく、俺はウェルの頬をぶん殴る。

 

「あいだぁッ!?」

 

「俺はなぁ、クッソ俗物なんや。

 キャロルちゃんほど優しくもなければ人格者でもない。

 しょっちゅうムカついとるくせに、仕事クビにならないために我慢する。

 でもそういうもんがなけりゃ、クソ野郎を殴りたい気持ちを我慢なんてできへん」

 

 その手に剣が似合わないと言ってくれたキャロルちゃんに、心の中で謝る。

 その指はギターを弾くためにあると言ってくれたキャロルちゃんに、心の中で謝る。

 手を暴力なんかに使ってしまったことに、心の中で謝る。

 殴った後の拳を、更に強く握り締めた。

 

「僕がクソ野郎であるとでも言うんですか?」

 

「相手が傷付く言葉を『理解』して、わざとそれを口にするのは最悪のクソ野郎や」

 

 ウェルがキョトンとして、内心を見抜かれたことを喜ぶような顔をして、ウェルが笑った。

 

「君は、赤ん坊の話をした時、僕を殴るのを思い留まった。

 何故か? そこのコピー品に止められたからだ。

 君は今、さっき殴るのを思い留まった。

 何故か? そこのコピー品を僕に傷付けられたからだ」

 

 ―――こいつ。

 俺のことを、探っていた?

 どこから計算だ? どこまで天然だ? 俺の性格は、どこまで把握された?

 こいつは、自分をクズだと他人に思わせた。

 他人をクズだと思うことは、その他人を見下すことだ。

 見下すってことは、基本自分より下に見るってことだ。

 人間は無自覚に自分より上の人間を警戒して、自分より下の人間を侮るように出来ている。

 こいつに感情を煽られた人間は、無自覚にこいつの前で自分の底を見せちまう。今、俺がこいつにまんまと乗せられちまったように。

 

 こいつ、頭がいい。

 それも、品性下劣に頭がいい。

 生来の性格の悪さと、天然の頭の良さが綺麗にマッチしてやがる。

 こいつがクズであることが、こいつの頭の良さを活かしてやがるんだ。

 

「自己中心的すぎやしないかな?

 そこの赤ん坊はあの世で泣いているぞ?

 ああ、女の子のためにウェルは殴るのに、僕のためには殴ってくれなかったんだ! って」

 

 ウェルが笑う。

 むかついたんでウェルの顔面からメガネを引き剥がし、壁に全力で投げつけた。

 

「ああああああああああっ僕のメガネッ!」

 

「お前、他人傷付けて笑うのに、自分の眼鏡が割れたら嘆くんやな」

 

「当たり前だろう! 他人は他人で僕は僕じゃないか!」

 

 キャロルちゃんが人類には相互理解がまだ早すぎると言った理由が、よく分かる。

 この手の人種が居なくなってからじゃねえと、人は分かりあって歩み寄ることなんてできやしねえ。絶対にだ。

 こいつはロックじゃねえ。

 クレイジーなんだ。

 

 自分を表現し、認められるのがロックの王道。

 こいつは自分を表現するために行動はせず、他人を罵りその価値を貶めるくせに、他人に認められたいという欲求が透けて見えている。そのくせ、汚い部分を隠してもいない。

 自然と真似をしたくなる『熱』こそがロックなら、こいつはその対極の"真似したくない"要素の塊だ。

 

「俺はキャロルちゃんを連れて行く。お前の支援なんざこっちから願い下げや」

 

 不適合者であることが、他人の気持ちが分からないことの言い訳にならない奴を。

 適合者が不適合者を見る目以上に、他人を無価値に見ている目を。

 思い上がった適合者以上に、自分が素晴らしいものになることを疑っていない人の姿を。

 俺は、生まれて初めて見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少しばかり、時間が流れた。

 キャロルちゃんのアイデンティティがよっぽど揺さぶられちまったのか、俺の励ましが下手なのか、それともその両方か。

 一日や二日では復活してくれる気配さえ見せないほどに、彼女の落ち込みようは酷かった。

 復活の気配が僅かに見えても、それは復活にまで繋がらない。

 

「キャロルちゃん」

 

「……」

 

 キャロルちゃんに呼びかける。答えはない。自分の内側に閉じこもったままだ。

 ……死ぬために世界に生み出された、なんて聞かされりゃ当然か。

 この子は、オリジナルに立ち向かう勇気がないわけじゃない。

 むしろ立ち向かうガッツはある、と思う。

 後はきっかけだ。

 きっかけ一つで、彼女は立ち上がるはず。

 だけど俺がそいつをあげられてないから、話はややこしくなっている。

 

「ほら、所詮ウェルの推測やし。あれが正しいって決まったわけやないやろ?」

 

「……」

 

「ほら、元気出そな?」

 

「……」

 

 返答はない。

 俺が呼びかけても無視されることよりも、この子が傷付いた顔をしたままの方が辛い。その顔に別の表情と感情を浮かべさせられないのが苦しい。苛立ちが、俺自身への嫌悪を生む。

 懐かしい感覚だ。

 懐かしくて、嫌な感覚だ。

 母さんも、時々こうなることがあった。

 いつだって母さんは、俺を心配させないためだけに、この表情を引っ込めていた。

 

 俺はいつだって、自分の力だけでこの表情を終わらせることができない。

 

「……じゃ、俺出かけて来るから。

 今のキャロルちゃん危なっかしいから、あんま一人で出歩いちゃあかんで。

 部屋から出る時は、行き先をどっかにメモして残して置いてくれると助かるんで、んじゃ」

 

 ウェル博士の研究所の直上にある防音マンションの一室を借りた。

 飯も食わねばならない。

 安い着替えも購入した。

 となると、金だ。何をするにも金がいる。

 言葉の問題はロックで覚えた英語とボディランゲージだけでなんとかなった。つかボディランゲージだけでどうにかなったかもしれん。だが金だけは、これではどうにもならない。

 

 キャロルちゃんの金ならある。

 エテメンアンキを通さず引き出せる――おそらくはウェル博士とかから支援された――金があるんだ、そいつを使えば最悪飢え死にはしない。

 だが使いたくはない。

 ウェル由来の金かもしれない、ってのもあるが。

 

 無職でプロのロッカー志望で女の金にたかってる男ってのは、ちょっとアレだ。

 嫌だ。

 そういう人間にだけはなりたくない。

 むしろ女とか、友人とか、仲間とか、家族とか。そういう奴らが困ってる時に、自分の金だけで助けられるようになりたい。

 結局ロックスターってのは『どんだけ音楽のことだけを考えてられるか』みたいなところもあるもんだから、金や女の問題が絡むと音の質が落ちることも多いんだよな……

 

「ん」

 

 って、オイ。

 またか。街歩いてるだけでエンカウントか。また適合者と不適合者の抗争か。

 今日は適合者が不適合者を路地裏で襲ってて……よし、数も多くない。やりやすいな。

 金稼ぎは後に回そう。

 

「しゃあなし」

 

 昔、『スペクトラム』っつーロックバンドがあった。

 鎧を着て演奏し、ネタバンド止まりにならない強烈なサウンドを叩きつけてくる、1979年に結成し1981年に解散した朝露の如きバンドだ。

 これだけ言うと普通の人には「へー」としか反応されない。納得いかねえ。

 このバンドで活動してた人達はサザン・アニメデジモン・日曜朝の戦隊・桃太郎電鉄とかで活躍してるぞ、と言うと「やべーな!」と言われる。納得いかねえ。

 とにかく鎧を着るロックンローラーってもんは、それ自体がロックってわけだ。

 

「イギリスなら、プレートアーマーにフルフェイスゴテゴテ兜やな」

 

 神剣パワーで西洋騎士の鎧っぽい奴を具現化(マテリアライズ)。うし、成功。

 ……間に一回ロック系のイメージ噛ませると、途端に聖遺物の制御力が増すな! いったいどうなってんだ俺の聖遺物制御能力!

 まあいいか。

 

「不適合者排斥チーム過激派の襲来だー! 助けてー!」

 

 割って入って、止めてやる!

 キャロルちゃんはウェルの野郎の口撃で落ち込んじまったが、俺はウェルの野郎の口撃のせいでなあ! 発散しきれねえフラストレーション溜まってんだよッ!

 

「オラオラ退()けや! ロックンローラー歌劇派のおでましやで!」

 

「何ィ!?」

 

「過激派ごときが歌劇派に勝てると思うなやッ!」

 

 襲っていた適合者と、襲われていた不適合者が両方止まる。

 

「ジャック・ザ・ロッカーだ! 今日も来てくれたぞ!」

「伝説の通り魔の再来!」

「耳を塞げ! 奴はおそらく話に聞く日本人の騒音妖怪、ジャイアンだ!」

 

 ジャイアンクラスに酷く弾いてんのはわざとだからな! 勘違いすんなよ!

 

 適合者と不適合者が両方耳を塞いだが、無駄なことだ。

 弾く。

 叫ぶ。

 分身はせず、一気に大音量を"狙った奴の塞がれた耳の内側"にだけ叩き込む。

 

 悪事を働いていた奴らだけが倒れ伏し、俺が黄金に輝くギターを掲げると、追われていた不適合者達が歓声を上げた。

 

「ロッケンロール!」

「ロッケンロール!」

「ロッケンロール!」

 

「あばよ、気を付けて帰んな」

 

「ありがとう、ニューロンドンのジャック・ザ・ロッカー!」

 

 また時間を使っちまった。

 しかしあいつら仮にも恩人に通り魔の名前を付けんのはどうかと思う。

 ……いや、通り魔か?

 俺の街からの認識完全に通り魔になってんのか?

 俺の行動全部通り魔になってんのか?

 いやいやいや。通りすがりに大音量聴かせてるだけだから、通り魔じゃねーし。

 

 辻斬りロックが違法とかいう法律あるんですかー? どうなんですかー?

 ……日本にはあるけどな、辻斬りロックが違法になる法律。ちくしょう。

 

「今日は食費稼ぐついでに、お土産でも買えるくらい稼いでこかなあ」

 

 ロックンローラー名乗ってるような奴は皆、自分が特別な存在だと信じてる。

 俺だってそうだ。

 今はヘタクソとか言われてるが、その内全世界に名が知られるビッグなロックスターになるだろう。そいつはまず間違いない。

 だが、キャロルちゃんにはそれがない。

 

 聞いた話じゃ、キャロルちゃんは記憶してオリジナルの方から一部貰ったもんだって話だ。

 名前も貰い物。

 記憶も貰い物。

 だから、"自分だけのもの"が強く意識できてねえんだな。

 俺には一生縁が無さそうな悩みだが。

 キャロルちゃんが立ち上がるのに必要なのは、オリジナルのキャロルが何を考えてようがそいつをハナクソのように扱い、自分の選択と意志を押し通すスタンス。つまりロックの魂だ。

 

 あの子に自信を取り戻させないと、足を止めてるあの子が気になって、俺もどこへも行けそうにない。

 

「お、ジャック・ザ・ロッカーじゃん」

「おーいお前ら、いい暇潰し来たぞ」

「よーす」

 

「昨日も俺のショータイム。今日も俺のショータイムや。

 明日の俺のショータイムを聞きたいなら、おひねり弾んでくれると嬉しいで」

 

「良いロック見せてくれたら考えてやるよ、仮面男!」

 

 現代では衰退した文化、ストリートライブ。

 俺は分身してバンド構築、ロックンロール。

 客を湧かせて、金を貰う。

 この辺は適合者だ不適合者だと喧嘩する奴らにうんざりして、適合者も不適合者も関係なくつるんでる若者のグループがわんさか居る区域だ。

 

 さあ、聴け! こいつが俺の音楽だ!

 

「―――♪」

 

 俺の覚悟は足りていなかった。

 ロック一本で食っていく覚悟が足りてなかったんだ。

 調さんに思い知らされて、ようやく必要な覚悟が揃ったってんだから情けねえ。

 俺はロック(こいつ)に命を預ける。

 ロック(こいつ)で食い扶持を稼ぎ、ロック(こいつ)に未来の全てを賭けて、ロック(こいつ)に人生の時間の大半を使い、ロック(こいつ)と一緒に死ぬ。

 未来に無限の可能性なんて要らねえ。

 ロック(こいつ)と輝いてる未来だけあればいい。

 

「―――♪!」

 

 歌には上手下手があり、その上で好き嫌いがある。

 大衆に好かれる音があって、玄人にだけ受ける音がある。

 そんなんだから「俺のは大衆受けしねえだけだから」と自分を誤魔化したり納得させたりする奴も居る。しかも少なくねえと来た。

 大衆受けを狙うか否か、っつーのは音の世界じゃ究極の選択とさえ言われてる。

 俺の音は現状大衆受けしない。

 だが、この街の奴らに受ける音楽の傾向は分かってきた。

 金稼ぐためにゃあ仕方ねえ、ウケる曲を弾いて行くしかない。

 

 ああ、そういや、思い出した。

 俺はそういたあの子に成長した俺のロックを聴いて欲しくて、色々無茶やって、あの日死んで神剣胸に埋め込まれたんだっけか。

 俺のスタート地点は、あそこだったんだな。

 早く上達して、成長して、進化しねえと。

 あの子に好かれるような音が出せないんじゃお話にならねえ。

 

 まずはあの子の中で、俺の音が、永遠に愛されるくらいにならないと。

 

「二曲目行くぜオラァ!」

 

「イェーイ!」

 

 そしてラスボス(キャロル)ちゃんの前に、こいつらが永遠に俺のことを忘れられないようにしてやる!

 数分の音楽に全てをかける。

 たった数分で、その音楽を聞いている人の人生全てを変えてやるくらいの気合いで。

 自分の人生全てを、僅か数分に圧縮するくらいの勢いで。

 刹那に等しい数分を奏で、聞き手の中でその数分を永遠にする。

 

 俺のライブに参加した全員、俺のことを一生忘れんじゃねえぞ!

 

「ねえなんであいつ鎧着て分身して演奏してんのおかしいよ」

「黙ってろにわか」

「分身くらい受け入れろよ新参」

「ジャックのライブによくそんな軽い気持ちで参加したな」

 

 聴け。

 見ろ。

 感じろ。

 ()()()()()

 もっと、俺を見ろ!

 

「ジャック・ザ・ロッカー! 熱いが上手くはねえなおめー!」

 

「うるせえ黙って紅茶でも飲んでろイギリス人!」

 

 小さいライブハウスだと、『返しの音』ってもんがある。

 目の前にある仕切りとか観客とかが、微妙にギターの音や歌声を反射してくれることだ。

 こいつがあると自分の音とリズムが正常かが分かりやすい。

 でも変なところから音が返ってくると逆にテンポが崩れる人も居る。

 ここの観客はいい観客だ。

 その辺よく分かって立ち位置を決めてる。

 

 いや、違うな。

 『分かってる適合者』が一人居るんだ。

 そいつが俺の音楽の邪魔しないよう、統一言語で周りの人間を誘導してる。

 ったく、助かるな。

 ―――俺が不適合者だって、分かってねえはずがねえのに。

 

 弾いて、歌って、奏でて。俺がストリートライブを終えた頃には、目標金額の倍額がおひねりとして集まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺の音楽はキャロルちゃんにも言った通り、スラッシュメタル。

 メタルは『重たい鋼でぶん殴るような』衝撃的な音楽とも言われる。

 スラッシュメタルは鋼の斬撃。

 俺の曲なんざまだナマクラもいいとこだが、ようやく少しは他人の心にも刺さるようにはなってきたのかもしれない。

 

 昔と比べると反応が段違いだ。客の反応だけで素直に嬉しい。

 不適合者差別のブーイングも、ここの観客だとしてこねえし。

 ……ああ、そういや。

 アメリカの方で差別に潰されたロックも、ここイギリスに来て、差別の薄い場所で発展してアメリカに渡っていったんだっけか。ド忘れしてたぜ。

 

「ほな、俺帰るわ。腹出して寝るんやないで、お前ら」

 

「全身金属鎧の奴が言うと言葉の圧力半端ねーんだけど!?」

「あ、分身消えた」

「全身西洋鎧の男四人がロックライブやってるってそれだけで卑怯な光景だよな」

 

 これ金属じゃなくて聖遺物パワーで作ってるだけだぞ、とか言えない雰囲気。

 

「最近ここらの適合者と不適合者の対立はヤバいからな」

「巻き込まれたくないやつはこそこそしてるから窮屈なのなんの」

「私もこの時間帯しか外出はしてないわね」

「また弾きに来てくれよジャック、チップ弾むからさ」

 

「ええで、また来る。また旅に出るまではここに居るさかい、楽しみに待っててな」

 

 縮地縮地縮地。

 食い物を買って、おみやげ買って、速攻で家に帰る。

 玄関にキャロルちゃんの靴があってホッとした。

 キャロルちゃんがまた落ち込んでて気が滅入った。

 精神的に追い込まれるとロックに走る俺と、精神的に落ち込むと内側に向かうキャロルちゃんの思考は、こういう時に大きく離れる。

 相互理解から大きく離れる。

 心の距離も離れちまう。

 なのでどうしたらいいのか、さっぱり分からん。

 

 とりあえずは、飯だな。

 

「キャロルちゃん、パン粥作ったけど食べん?」

 

「……」

 

 食べやすいもん揃えたけどダメか。

 キャロルちゃんは最近あんまり飯も食ってない。

 胃に負担かけるようなものはあんまり食わせたくないんだが、そもそも胃に優しそうなもの作っても食ってくれない。かなしい。

 旨味と塩味を整えた炭水化物ってのが一番理想的だとは思うんだが、さて、どうするか。

 っと、そうだ。

 

「これ、おみやげ。ひまーな時にでも手の中で転がしてみたら楽しいんやないかな」

 

 露天で買った銀色の十字架のキーホルダーをテーブルに置く。

 ガキの頃水族館で買ったイルカのキーホルダーよりちょっと高いくらいの安物だ。

 まー男から女への贈り物って初手から高いもんだと重いしな。最初は気軽に渡せて気軽に受け取れる、造形にセンスのあるキーホルダーとかがベタでいい。

 実は半分ヤケクソだ。

 キャロルちゃんが復活する方法が思いつかないんで手当たり次第だぜ、クソっ。

 だから期待は、してなかったんだが。

 

「―――っ」

 

 何だ、この反応。

 何だ?

 何考えてんだ?

 何感じたんだ?

 『十字架』が頭の中の何かどっかに引っかかったのか?

 

「……」

 

「ごめんな、ちょいと電話や」

 

 ええい、こんな時に電話かけてくんの誰……あれ? そもそもマンション備え付けのこの部屋の電話番号、誰が知ってんだ?

 

『やあ、僕ですよ』

 

「死ね」

 

 ウェルかよ!

 

『これは手厳しい』

 

「電話番号教えた覚えの無い奴から電話かかってきたんやぞ。

 俺の対応はまだ優しい方やろ、普通ノータイムで通報や」

 

『僕ここの警察の一部に金渡してますよ?』

 

「……」

 

 通報しても止められねえのか、おのれ。

 

『いい情報があるんですが、僕を殴ったことを謝れば教えてあげますよ』

 

「お前がキャロルちゃんに謝ったらええよ」

 

『えー、じゃあいいです。今教えますよ』

 

「……お前、何考えとんの?」

 

『いえ、別に?

 謝らなければ教えない、なんて言ってないじゃないですか。

 それに今謝られなくても、あなたが取捨選択できる人間なら結末は一つですよ』

 

 一つ?

 

『君は僕に頭を下げに来ますよ。君は一つ、決定的に見落としているものがありますから』

 

 なーにが見落としてるものだ。ハゲろ。

 何があろうと絶対に頭は下げないからな。デブれ。

 そうやって俺が頭下げる光景妄想しながら一生を終えろ。孤独死しろ。

 次また俺の知り合いに腹立つことほざいたら今度はキックもぶちかましてやるからなオラ。

 

『それは一旦脇に置いておきましょう。

 大英博物館の聖遺物、近日どこかへ搬送されてしまうそうですよ』

 

「! 近日!? いつや!?」

 

『さあ? 早ければ明日にでも運び出されるんじゃないでしょうか。

 移送先は完全に不明です。

 最近エテメンアンキの聖遺物研究が活発化してるらしいので、色々あるんでしょうねえ』

 

 俺達の活動の影響か? 分かんねえな、その辺は……

 明日、明日か。

 キャロルちゃんの立て直しをそんなに早くやんのは無理だ。多分。

 今の彼女に何かを期待すんのは、下手すりゃ彼女を潰しかねない。

 

 仮に彼女がキャロルに立ち向かう覚悟を決めたとしても、急かしたものじゃ意味が無い。

 聞くに、オリジナルとキャロルちゃんは半身同士なんだ。

 しっかりと自分の気持ちを固める時間をやりたい。

 ……時間が無い。

 時間が必要だ。

 やるか?

 こっそり忍び込むくらいなら、時間をかけりゃなんとかなるか?

 

『最近エテメンアンキの作った生体兵器が警備に使われているらしいですよ』

 

「生体兵器?」

 

『どこぞの優秀な人間の遺伝子データから作られたとか。

 元になった優秀な人間と同じスペックを持っているようですねぇ。

 その内専用の兵装などを装備されて量産されるようですよ。

 機密保持のため、生体兵器を見るかもしれない警備は減らされていると聞いています』

 

「うし、運が向いて来たな。それならいけるかもしれん」

 

 凧……は目立つ。黒服と最小限の道具だけで地味に行くしかねえ。

 決行は夜。

 俺一人で大英博物館に忍び込み、聖遺物・アガートラームを回収する。

 アガートラームがキャロルちゃんを元気付けてくれるかもしれないしな。

 ウェルに素直に感謝したくないが、この情報は俺達の命運をなんとか繋いでくれた。

 

『知ってますか? 僕を殴った人は、大体僕を殴ったことを後悔するんですよ』

 

「急に何言っとんのや?」

 

『いえ、これだけ覚えておいてください。どうせその内思い出しますよ』

 

 ……俺もこいつも、根に持つ性悪野郎だな。

 やられたことを忘れねえのは、俺もこいつの同類な証拠か。

 電話を切って、キャロルちゃんに出かけることを伝えて、服を選んで部屋を出る。

 イギリスで日本人がウロウロしてたら目立つ。

 まずはロンドンに人目を避け侵入、南側から大英博物館に近付いた。

 

「どうしたもんかな」

 

 時刻は夕方。まだ忍び込むには早い。

 姿を隠し、物陰から覗き込むようにして観察する。

 南西のブルームズベリー・ストリート側から観察し、モンタギュー・プレイス側、モンタギュー・ストリート側の順に観察する。

 パンフレットで得られる情報を、これで補完する。

 

 日が沈んでからも慌てない。

 日が沈んでからも六時間は待とう、その間大英博物館の観察を続ける。

 焦れそうになるが、焦れる気持ちすら今は余計だ。胸の奥に押し込み飲み込む。

 大英博物館の閉館時間はもうとっくに過ぎてる。

 それでもまだ動いてるのは、ゴミ拾いと残ってる人が居ないかの見回りか。

 焦るな。

 まだここで動くべきじゃない。

 退屈でも、時を待つ。

 

 ……よし。

 博物館内の見回りが減って来てる。

 もう深夜だが、これ以上待っても朝までに中に侵入する時間がなくなっちまう。

 近日中に外に運び出す聖遺物ってんなら、今置かれてる場所なんて限られてる。この博物館にずっと保存するつもりのものとは別の場所にあるはずだ。

 侵入経路は、それを前提に選ぶ。

 

 音もなく走って、光を反射せず動き、人の肌に触れる空気の動きは極力抑える。

 人間の捜査や警備の基本は、人間の感覚、機械の感覚、獣の感覚を使うものだ。

 人の視線の間をすり抜ける。

 赤外線センサー、圧力センサー、温度センサー、諸々を抜ける。

 番犬は居なかった。そりゃそうか。

 

 焦るな。焦らず、一つ一つ、警備の隙間を抜けていく。

 ああくそ、不安になる。

 俺にできるのか。

 俺に抜けられるのか。

 やるべきことを果たせるのか。

 あっちの家の慎次(あん)ちゃん、俺に勇気を分けてくれ。

 

 ……。

 ………………………。

 よし、抜けた。

 本当に警備が少ないな。

 生体兵器が警備に居るせいで警備減らされてるってのはマジ話だったのか。

 警備責任者は何考えてんだ?

 

「行ける」

 

 よし、見つけた。

 大昔の遺物はなんであれ保存に気を使うもんだ。

 移送直前なら、置き場所なんて候補はそう多くない。

 そう踏んでここに来た甲斐があった。

 ……ん?

 

「……」

 

 今、空気が動いた。音もなく、声もなく。

 

『試験機体名称:メタル・ゲンジューロー、起動』

 

「は?」

 

 咄嗟に、聖遺物で生成したギターを盾にする。

 

 ロンドンの夜空に、俺は吹っ飛ばされた。

 粉々に砕けた神剣製のギターの破片が、夜空にキラキラと舞う。

 惚ける俺は鉤縄をビルへと投げ、縄を手繰り寄せて空を跳ねる。

 瞬きの前に俺が居た場所を、メタルゲンジューローとやらの蹴りが通過した。

 

「そうか……博物館は警備はこいつ一体で十分やと、そう思ってたってわけやな!」

 

 なんだ、こいつ。

 ビルの壁を蹴って走る。

 俺の方が早くスタートすれば追いつけるわけが……え?

 

「痛っ!」

 

 俺より、圧倒的に速い!?

 またギターが粉砕されて、いや、問題はそこじゃない!

 ノイズを消し飛ばした、聖遺物の力込みの超音波兵器を当てても、まるで効果がない。

 耐久力もおかしいレベルだ。

 つまり、全部のスペックが突き抜けてる!

 

―――どこぞの優秀な人間の遺伝子データから作られたとか

―――元になった優秀な人間と同じスペックを持っているようですねぇ

 

 これが?

 これが、『それ』なのか?

 ヤバい。

 手合わせすりゃ、大体の力の差と勝率くらいは分かる。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「もう一曲!」

 

 この一部の体色、この感じ、この気配。こいつ、構成部品がノイズと同じだ。

 ノイズをバラして、ノイズの固有能力を発動させる部分を使わず、特に頑丈な素材で出来てる部分を繋ぎ合わせて作ったのか?

 体の大部分は謎の人物の遺伝子を参考にした生体部品。

 機械のフレームに肉を乗せて作ったかのような違和感。

 無機質な行動形式に、人体が持つ壁を超えた強さ。

 これは……ノイズの、次の世代の兵器!

 ノイズとは別の用途を想定された、明らかにヤベえ兵器だ!

 

「うがっ!」

 

 分身出してんだぞ!

 少しはそっちに食いつけ!

 分身込みでフェイントかけて回避行動に動いても、こいつは平然と本体を蹴り込んで来る。

 風より速く雷に近い速度で動いて、岩よりも鉄よりも硬い筋肉で防御を固め、天も地も砕くような腕力で殴りかかってくる。

 神剣使って防御してなきゃ、俺もとっくにミンチだ。

 

「クソがッ!」

 

 テムズ川の方向に逃げる。

 川の上走ってメタルゲンジューローの走行ルートを川で邪魔すれば―――嘘だろッ!?

 川を殴って、テムズ川の水を一滴残らず殴り飛ばした!?

 マズい、川の水踏むつもりだったから、体が浮いて隙が――

 

「――づぁあああああっ!!」

 

 熱い。

 痛い。

 何かが俺の内側から漏れ出してる。

 あ、この感覚、覚えがある。

 俺の心臓に穴が空いた時と、似た苦痛だ。

 

 敵は川の水をパンチ一発で全部殴り飛ばし、舞い上がった川の水をまた殴り、ウォーターカッターみたいに飛ばしてきやがった。俺の左目を狙って。

 ボロっと、瞼の下から眼球が落ちた。

 水の刃に切り落とされた眼球は、もう拾えない。拾える余裕と時間がない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 さっき俺の脳裏に浮かんだフレーズが、頭の中でリピートされる。

 

「い、ぐ、ぅ、づ……!」

 

 なんだ、この違和感。

 この兵器が『自動で動く人形』に見えやがる。何だこの違和感は?

 殴られて、蹴られて、ディバインウェポンの力でなんとか致命傷だけは避けても、もうとっくにロンドン郊外にまで吹っ飛ばされてる。

 上空方向に蹴り出された時は、キャロルちゃん達が居るニューロンドンが見えるくらいだ。

 

「あ」

 

 しまっ、足、片方捕まっ――

 

「ああああああああああッ!!」

 

 ――ぶちっ、と、足を引きちぎられた。

 痛くて叫んでる体と、心の繋がりがぶっちぎれる。

 意識が体の痛みを認識できてない。

 痛みのせいで喉が勝手に絶叫してんのに、足の痛みが認識できない。

 走れない。

 歩けない。

 立てない。

 この状況で、この損失は致命的だ。

 

「舐めんなぁッ!」

 

 せめてもの意地。

 変わり身の術で心臓抜きの一撃を回避し、一本足と二本の手で連続バック転。

 ほんの数秒の延命の果てに、最接近して来たメタルゲンジューローの手刀に俺の右腕は肩口から切り飛ばされ、俺の右腕が宙を舞った。

 

 ふざけてやがる。

 実在の人物を使った生体兵器だとか、普段見てたなら鼻で笑ってやった。

 ネーミングセンスわりいな、ってバカにしてやれた。

 でも、もうできねえ。

 笑えねえ。

 これは、もう、ダメだ。

 

 もう、立ってられん。

 

「……っ……」

 

 血が抜けて、頭が軽く回り出す。

 こいつが走馬灯ってやつか。記憶が浮かび上がって、頭の中でどんどん整理されていく。

 色々と。

 なんか、色々と思い出す。

 ……そうだ。

 

 ここで死ぬのは俺だけだ。キャロルちゃんは死なない。

 キャロルちゃんという駒は残る。

 俺が死ねば神剣も普通に体から抜ける。こいつは俺の心臓の代わりやってるだけで、俺の体と分離できないほど融合してるわけでもないからだ。

 

―――こっちのキャロルがショックを受けようがどうでもいいことですしね

 

 ウェルは、キャロル個人の好感に興味は無かった。

 嫌われることにさえ興味は無かった。

 だからああいう素の喋りをしていた。

 

―――なのでコピーの方に手を貸すかどうか再考したいんですよ

 

 支援は打ち切られた。

 だけど今言葉を拾ってみると、あの野郎『再考』って言ってやがった。

 あいつはまだ、キャロルちゃんを完全に切り捨てちゃいない。

 ……あいつは、俺とキャロルちゃんに利用価値があるかどうかを見定めている?

 

―――知ってますか? 僕を殴った人は、大体僕を殴ったことを後悔するんですよ

 

「あ、ん、にゃろ……!」

 

 あいつ、俺に一定以上の戦闘力があるか試しやがった。

 同時にただの嫌がらせもしてやがった。

 実力無ければ死なせてディバインウェポンを回収していい、くらいの気持ちで。

 俺の死を利用して色々と吹き込めば、大なり小なりキャロルちゃんも操れる。

 

 俺が生還してウェルに敵対しなけりゃ、実力認めて支援再開も検討できる。

 俺が生還してウェルに敵対行動取れば、あいつはエテメンアンキに駆け込めばいい。

 感情に任せた俺の仕返しさえしのげれば、あいつを脅かすものはもうどこにもない。

 あいつは、天才だ。

 あいつの才能を必要とする場所がある限り、あいつは複数の勢力を天秤にかけていられる。

 陣営をコロコロ変えるコウモリで居られる。

 人格がどんなにクソだろうと、金と能力のある人間に需要はあるからだ。

 

「……くっ、痛っ……」

 

 まただ。

 あの野郎、一貫してやがる。

 今俺が抱えている問題は、この生体兵器を倒して大英博物館にある聖遺物を回収する以外では解決しない。またしても、()()()()()()()()()()()()()事案だ。

 あいつは俺を騙したわけじゃない。

 嘘をついたわけでもない。

 罠を張ったわけでもない。

 この夜に俺がアガートラームを回収できなきゃ、事態が悪化してたのも確かだ。

 あいつがしたことといえば、"生体兵器について念入りに忠告しなかった"ことだけ。

 それも、俺があいつの顔面ぶん殴ったことを考えりゃ当然と言える。

 それを除けば、あいつは有益な情報をこっちによこした協力者でしかない。

 

 誰かに傷付けられても、拳を振り上げなかったキャロルちゃんには仲間が多く居て。

 怒りのままに殴った俺は、ウェルの機嫌を損ねてこうなった。

 ああ、くそ。

 妥当なだけじゃねえか、こんなもん。

 因果応報なのは分かるが、せめて最後にウェルの野郎をぶん殴りたかった。

 

 あの野郎、俺をこんなとこに放り込んでおいて、一通り事件が終わった後に俺を仲間に引き込める可能性も考慮してんのか。あいつ、正気かよ。

 

「……で、ここで、死ぬわけなんやな」

 

 ウェルの損得基準の計算と、感情優先の私怨。それが入り混じった企みが、ウェルとは関係のないこの場所で俺を殺す。

 メタルゲンジューローが近寄ってくる。

 クソみてえな結末だ。

 もうちょいマシな死に方すると、思ってたんだけどな。

 

 まあ、いい。

 俺は残ってた左腕で中指を立てる。

 

「Fuck you. 俺はな、俺を殺す奴が出て来たら、最後に中指立ててやるって決めてんのや」

 

 ロックンローラーに生まれは関係ない。

 だが、生き様と死に様は永遠に歴史に刻まれる。

 どんなにみじめに死のうが、お前が戦いの勝者だろうが、んなこた知ったこっちゃねえ。

 俺はてめえに中指を立てる。

 

「くたばれクソ野郎」

 

 こいつが俺の信念だ。

 迫るメタルゲンジューローの拳を見ている内に、あの十字架のプレゼントの感想聞いてなかったなって、最後に一つだけ残った心残りが、胸に浮かんで――

 

 

 

「俺の偽物が! まだ年若い若者を殺すなど、許さんッ!!」

 

 

 

 ――俺の手足をもぎ取った化物より、もっと強い化物が現れて、メタルゲンジューローとやらをパンチ一発で粉砕していった。

 

「すまない。俺が来るのが、少し遅れたようだ」

 

 酷え街で、酷え科学者に会った。

 俺を助けてくれた女の子が居て、その女の子を上手く助け返せなかった。

 博物館でモンスターに襲われたと思ったら、もっと強いモンスターに救われた。

 今、めっちゃ強いその男が、俺を力強く抱きかかえている。

 

「だが、もう大丈夫だ。ゆっくり休め」

 

 何この人の形をしたゴジラ。そう思ったが、もう喋る余裕もなかったので、言えなかった。

 

 

 


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