売れないロックシンガー in 戦姫絶唱シンフォギア 作:ルシエド
個人的な印象ですけど
あ、この前書きに深い意味はないです。ないですよ
アパートの家賃は払い切った。
持って来るべきものは全部持って来た。
小日向さんちにはしばらく来れないって書き置きと、ありがとうございましたって書き置きと、コンビニで買ったお中元もどきの贈答品を置いてきた。
バイトも辞めた。
立つ鳥後を濁さず。社会的地位も金も近所付き合いも無い俺の旅立ちなんて、気楽なもんだ。
だがまさか、速攻で船で日本を出るとは思わなかった。
「海はええなあ」
「いいですねえ」
「キャロルちゃん、海泳いだことある?」
「無いですね。結弦さんはあるんですか?」
「泳いだことも走ったこともあるで。楽しかったなぁ」
「走る……? ああ、波打ち際を走るとか、そういうのでしょうか」
揺れる船、船の窓から見える夜の海、月光の無い世界に飛沫を上げる昏い荒波。
キャロルちゃんと、俺と、セレナとかいう子と、船の操舵手。
四人揃って法律ぶっちの国外渡航。最高にロックだぜ!
「聖遺物……なんやすごいっちゅうそれが、イタリアにあるんか?」
「はい、二つ見つかっています。
ボクらはそこに向かっているわけですね。
イタリアにあるのはイガリマとシュルシャガナです」
「それも俺の胸にあるもんと似たようなもんなんか?」
ディバインウェポンとやらは、胸を触っても手触りだけじゃそこにあると分かりもしない。
だけど
"抜く"こともいつだってできそうだ。
話によれば炎の剣らしいんで、上手く使えば魚を三枚におろすことも焼き魚を作ることも自由自在だろう。なんて便利なんだ聖遺物。お得感マシマシすぎじゃないか?
「似て非なる、というのが正しいですね。
例えば、ノイズの位相差障壁のことはご存知ですか?」
「ムテキバリヤーのことか? 小学生の頃、
『不適合者菌がうつる~』
とか言って同級生が俺によくノイズのムテキバリヤーの真似してたわ」
「む、ムテキバリヤー?
いや呼び方はどうでもいいんです。
ノイズは別世界とこの世界をまたいで存在しています。
だからこそ通常の兵器の一切が効かない、社会正義を翳す処刑人足り得るのです」
「うんうん」
「これを突破する方法はいくつかありますが……
ボクは波動、つまり重力波をモデルとした『波』を使うのが一番的確であると思います」
「なるほど」
さっぱりわっかんね。
「重力はこの宇宙から別の宇宙へと世界の壁を越えて伝わっているのはご存知ですよね?
粒子ではなく波を使う方向性を持てば、他世界への干渉が見えてきます。
分かりやすく言えば、歌です。ロックと同じ歌ということで考えてみてください。
超弦理論における弦を弾く音の違いというものがありますよね?
同様に物質と波動の性質をここから解釈すると言えば、なんとなく分かると思います。
位相差障壁は聖遺物を媒介にした波の干渉によって突破することが可能です。
キャロルが残したデータによれば単独で平行世界に干渉する聖遺物さえあったようです。
ロックが弦とそれを弾く音で解釈できるように、位相差障壁も弦と音で解釈すればいいんです」
「なるほど」
分かりやすく例える、とか言ってるけど全然分からないんですけど?
俺に合わせて俺が分かる単語を例に上げてくれてるみたいだけど、全然分からないんだけど?
猿でも分かるように説明してくれよ、じゃねえと多分俺分かんねえよ。
数学の教科書の擬人化か何かかね君は。
「ディバインウェポンにも、それに類する能力が搭載されています。
つまりは、『通常干渉できないと思われているもの』に干渉できる力です」
「キャロルちゃんは凄いんやなあ。
言ってること分かったんやけど、そんなこと考えられるなんてびっくりやわ」
「えへへ」
「こらもう考えるのは全部君に頼った方が良さそうやな。頼ってええ?」
「はいっ、どーんと頼ってください!」
嬉しそうに微笑む彼女の表情が、暗い夜空と夜の海によく映えている。
明るい顔も最近はよく見るようになったなぁ。
まったく、俺が適合者じゃなくて助かった。
俺達が適合者だったなら、今頃キャロルちゃんは相手に何も理解させられない説明をしてしまったことを恥じて、俺がそれを誤魔化したことにも気付いて、今頃顔を真っ赤にしてたことだろう。
俺達の間に完全な相互理解がなくてよかった。
おかげでこの子は傷付かずに済んだんだ。
言語を超越した対話ツールである統一言語に完全に適合した人間は、会話も言葉も必要なく相互理解を成すという。
そういうのに適合した人は、キャロルちゃんが今した説明みたいなのも完全に理解できるんだろうか? 人間の心だけじゃなく、人間の知識も理解できるんだろうか?
……よく分からんな。
俺がこうして適合者のことを理解できないように、適合者には不適合者のことが理解できないから、それが差別の元になってるんだろうか?
……それも分からんな。
バラルの呪詛とかいうのが無くなって、完全な相互理解が世の中に普及しても、適合者と不適合者は相互理解できないってのも笑える話だ。
「ほな、このディバインウェポンっちゅうのは、ノイズを倒すための剣なんか?」
「いえ、正確には違います。
ディバインウェポンは聖書の創世記における、生命の木の守りです。
知恵の木の実を口にしてしまった人間から、生命の木の実を守るため刺された剣ですね」
「あー、アダムとイヴのアレ?」
「はい、アダムとイヴのアレです。
聖書によれば、神の剣が生命の木の前に刺されたのはその木の実を食べさせないため。
知恵の実と生命の実を食べ人間が神と等しくなることを神が恐れたから、とされます。
これは伝承にある、
分かるには分かるけどディバインウェポンの説明する度に俺の胸の心臓のあたり触るのやめてくれキャロルちゃん。普通に恥ずかしい。
「これは人という種に『してはならないこと』を打ち込む剣なのです。
世が世なら、この剣は人が生命の実を食すことを止める剣となったでしょう。
ですがこの世界においては、人間種の相互理解の力を一時的に封ずる楔となります」
してはならないこと。
楔。
なるほど、ドラッグやってるロックシンガーに薬禁ぶちこむようなもんか。
だけど今の世界でそんなことやるのはヤバくねえか?
「そんなことして大丈夫なんか?
そら、不適合者は嬉しいかもしれん。
でも今の世の中、不適合者に優しい適合者もいっぱいおる。
不適合者を怖がっとるだけの適合者も多い。
統一言語のお陰で紛争がなくなった地域だってあるはずや。
今の社会に不満持っとる人間なんて、これ幸いと暴動起こしてもおかしないと思うが」
「大丈夫じゃないです。沢山、沢山、苦しむ人も死んでしまう人も出てしまうと思います」
「それでもやらなあかん理由があると思ってええんか? 大破壊、とかいう」
未曾有のうんたらかんたら、つってたな。
「なんか壊れるんか? 街? 国? もしや、大陸とかロックなこと言わんよな?」
「心の壁です」
「へ?」
「数十年前、核エネルギーを使った聖遺物起動実験が失敗しました。
場所はチェルノブイリ原子力発電所、使われた聖遺物は月の残骸。
人間の相互理解能力に干渉する聖遺物は暴走、大爆発。
統一言語能力と共鳴し、数十年後に人間の精神に作用する爆弾を残しました」
「え」
「あと五年以内に、人類の精神は究極の相互理解……
つまり、"全ての適合者の精神の融合同一化"が行われます。
相手と自分の精神が同一のものになる以上の相互理解はありませんから」
「―――」
あ、これアカンやつだ。
キャロルちゃんのこの辛そうな顔、泣きそうな雰囲気、ぎゅっと握った手、下を向く目線、どれもこれも嘘をついてる所作には見えない。
これ、マジで起こるかもしれんやつだ。
皆の心が一つになる、というフレーズは俺も漫画でよく見る。
理解し合った仲間と最高のコンビネーションを見せたシーンとかで使うフレーズだ。
だが、実際に一つになるとなりゃ話が別だろう。
そんなの死ぬのと変わらないんじゃねえのか?
「今の世界が抱える問題は、これ一つではありません。無数にあります。
適合者と不適合者の対立構造。
適合者にしか使えない、兵器利用のできる完全聖遺物。
相互理解によって敵国に発覚してしまった政治的汚点と、それによる国家対立。
統一言語がもたらした平和と和解もありますが、その逆のものももたらされているんです」
「マジっすか……」
「フィーネもこんな事態になるとは、予想外であったと思います。
フィーネほどの人物なら、この事態にも対策を立てているかもしれませんが……
それも、定かではありません。
フィーネが考えていることが、ボクには全く分からないんです。
だからボクは、できる限り犠牲が少なくこの問題を解決する方法を、ずっと探しています」
そのフィーネとかいうババアも……いやババアは失礼か。
そのフィーネとかいうお婆ちゃんも、今頃エテメンアンキのてっぺんで呆れてるのかもしれねえな。
相互理解もたらそうとしたってことからも、その後世界を最小限の犠牲で再構築したエテメンアンキ作ったことからも、なんか理想主義者っぽい性格が垣間見えてる。
そんなお婆ちゃんがあれこれやったってえのに、人間は相変わらずやっちゃいけない実験やら争いやらをやってて、人類は今や存亡の危機ってわけだ。
こりゃ時と場合によっちゃフィーネ婆さんには同情の余地があるかもしれねえな。
まあそれはそれとして、顔見たらぶん殴ってやるが。
不適合者がストレス溜めまくらないといけないこんな世界にしたことは許さん。
一発殴るまでは許さん。
同情の余地があっても一発殴るまでは許さんぞ。
お前の尻拭いをしてるこの子に、こんな顔させた件に関しては、一発殴っても許さん。
「世界が一つになる時は、皆がそう望んだ時であるべきだったんです」
「……」
「世界の歪みの理由なんて分かっています。
皆に分かり合う気持ちが揃っていないのに、皆を相互理解させてしまったからです」
理解があっても優しさがなければ価値がない、とキャロルちゃんは言っていた。
相手のことを理解しても、相手に優しくする気が無いなら、そりゃ意味がない。
キャロルちゃんは今にも泣きそうだ。
世界が一つになる時は、皆がそう望んだ時であるべきだった、か。
結局、それが真理なんだろうな。
相互理解で世界中の心が繋がっても、今、世界中の人の心は一つになってんだろうか?
ふと、一つ気付いたことがあって、気付いたことをそのまま口に出してみる。
「……人類が、相互理解の力を得ても一つになれないの、悲しいんか?」
俺がそう言えば、彼女は泣きそうな顔で微笑む。
「結弦さんは、ボクが何も言わなくてもボクの心が見えるんですね。適合者みたいです」
そんなツラして、分からないわけあるか、バカタレ。
だが、一つ確信できた。
この子は誰も傷付けられない。
一を犠牲にして百を救うという選択肢を迷わず選ぶことができない。
もしもこの先、目の前のボタンを押すだけで統一言語を排除できる段階に至ったとしても、この子はそのボタンを押せば不幸になってしまう人達の顔を想像して、手を止めてしまうだろう。
この子は、きっとそこまで割り切れない。
そしてこの子は、誰かを犠牲にできない自分の大きな優しさを、自覚していない。
自分の優しさを過小評価してるこの子は、一人だときっとまともな結末には辿り着けないんじゃないかと、ふと思った。
船の上は退屈だ。することもない。
準最新式らしいこの船は日本からイタリアまで信じられない速度で移動を終えたが、それでもやっぱり時間はかかる。
海路の途中で暇潰しにと、船内で何曲かキャロルちゃんに披露してみた。
前よりはちょっとマシな反応と評価を貰えた……と信じたい。
気になったのは、あのセレナって女の人の方だ。
俺より年上……いや、外人さんが日本人より年上に見えることを考えると、俺と同い年くらいだろうか? どうなんだ? 分からん。女性の歳は怖くて聞けん。
凄い美人でキャロルちゃんよりおっぱいも大きい。
初対面の俺にも穏やかに話しかけてくれて、人懐っこい笑顔を向けてくれたもんだから、初対面なのに俺も自然な警戒心を全く抱けなかった。
こういう第一印象だと、俺は逆に怪しみたくなる。
詐欺師は人の良さそうな笑顔で近付き、何も怪しませず仕事を終わらせるという。
"いくらなんでもいい人すぎる"と疑うくらいしか、それを見抜く方法は無い。
聞いた話によると、歯医者業界の一部では女歯科衛生士さんの胸にタオルを入れて患者に胸を当て、「おっぱい」と痛みから気を逸らさせるというテクがあるらしい。
偽乳を本物と錯覚させる悪魔の所業。
これもまた詐欺師の技と言っていい。
男専門の巨乳女詐欺師はいつの時代も居るんだと、Twitterで見たこともある。
俺は騙されるものか。俺はとっくに自立して生活してる、立派な社会人なんだ。
安易に他人に騙されるような人間じゃない。
キャロルちゃんが純朴で騙されやすそうな性格をしている以上、年上でしっかり社会経験もある俺が彼女を守ってやらないといけない。
ただ、良い人そうな印象が強いというだけで無意味に警戒しちまうのは、なんか自分の性格の卑しさを自覚しそうで嫌だ。
これでこの人が単純に良い人だったら罪悪感半端ない。
つか、セレナさんもキャロルちゃんと一緒にロック聴きに来るから困る。
手を叩いて合いの手を入れてくるのが困る。
曲が終わると全力で拍手してくれるのが困る。
そういうことされると無条件で好きになりそうで困る。
セレナさんがそういうことやるとキャロルちゃんも真似するから困る。
二人まとめてファンになって欲しい。
「ロック、やるんだ」
「せやで。ま、俺はまだまだ精進中ってとこやけど」
「ふーん」
「セレナさんはロック好きなん?」
「うん、私は好きだよ。
想い出のロックがいっぱいあるから、あなたのロックも懐かしく感じる」
「へぇ」
「ありがとう。だからこの船旅も、結構楽しかったよ」
しっかし日本語ペラペラだなこの人。適合者間は外国語習得の必要が無いのに不適合者は外国語覚えてないと外国人と喋れないってズルくね? やっぱフィーネ許さんぞ。
「あ、そうだ、ロックの練習もしたいよね?
手配する住居はロックンロールしても文句言われない場所にしておくよ。
今日のところは旅の疲れをゆっくり癒やして、明日から思う存分練習どうぞ」
何だよこの人、良い人かよ。ちょっと警戒して損したわ。
「ここがイタリア南部、ナポリの街だよ。
私はこれからあなた達の潜伏先を用意して来るから、少しどこかで待っててね」
「へ? 俺らお尋ね者になったと思ってたんやけど、街うろついて大丈夫なん?」
「キャロルちゃんは大丈夫だって言ってたから大丈夫じゃない?」
なにこの適当……いや、違うか。『適当』じゃなくて『信頼』か。
だからちょっと、疑問に思った。
「あんさん、なんでキャロルちゃんに協力しとるんや?」
なんでこの人は、あの子に力を貸してるんだろうか。
最悪エテメンアンキに目を付けられかねないだろうに。
「私は居場所のない不適合者の人達や、難民の人達を助けるために、世界中飛び回ってるの」
「赤十字的なもんなんか?」
「うーん……似てるけど違う? かな。
キャロルちゃんとはその途中で知り合って、以後何度か助け合ってるの」
この人はキャロルちゃんの『統一言語の封印』っちゅう目的を知ってるんだろうか?
……確かめるの怖いな。
もしそれを確かめようとして、この人が何も知らなくて、俺のせいで全てを知って、キャロルちゃんに協力するの止められたらキャロルちゃんに嫌われるかもしれん。
ダメだ、確かめる勇気が持てない。
ちくしょう、いい人っぽく微笑みやがって。覚えてろよこの美人め。
「さっきの質問をそのまま返すけど、あなたはなんでキャロルちゃんに協力しているの?」
「本物のロックを聴かせるためや」
「え?」
「本物のロックを聴かせるためや」
「いや、あなたの返事を聞き損ねたわけじゃないんだけど……」
じゃあなんで聞き返したんだよ、よく分からんやつだな。
「あー、うん、そういう人?」
「そういう人ってどういう人やねん」
「いい人? なんじゃないかなと私は思ったわけなのです」
何故疑問形。
「キャロルちゃんが心底信頼してるみたいだからどんな人なのかな、って思って。
でも魂レベルのロックンローラーなら、少し話したのもあってなんとなく納得できるよ」
「マジ? すんごいなロックンローラー、世界レベルの信頼要素なんか」
「え? それはどうなんだろう……」
セレナさんは戸惑った様子を見せたかと思ったら、すぐに嬉しそうな微笑みへと表情を変える。表情がコロコロ変わる人だ。
「キャロルちゃん、昔から一人で頑張ってることが多かったから。
だから彼女が人を連れて船に来た時びっくりしちゃった。
ああ、キャロルちゃんの友達なんだ、味方なんだ……って、ちょっと嬉しくて」
ああ、もう。俺はなんでこの人疑ったかな。
こんな顔する人だったのか、セレナさんって。
「俺からすれば、セレナさんがキャロルちゃんに優しい方が意外や」
「そう? 私、何か変なところあった?」
「あんた適合者やろ?」
「―――」
びっくりした顔された。
不適合者には黙ってれば分からないと思ったのか?
いや、会話のノリで大体分かるっての。
不適合者と話すことが多い仕事してるからその辺誤魔化すの自信があったのか? そんな驚かなくてもいいと思うんだが。
あれ、何故そこで笑う。
「適合者と不適合者じゃ、友達になっちゃいけないの?」
「いや、そんな決まりがあったら俺が困る」
「でしょ? 私とキャロルちゃんは友達。それでいいんじゃないかな」
なんだ?
気のせいか?
なんか微妙に馴れ馴れしくなった気がする、この人。
いや、距離が近くなったのか? 赤の他人の距離感つーか、友人の距離感の一歩手前くらいのような……うん?
「友達の友達もまた友達、って素敵な言葉だと思わない?
私、あなたともお友達になりたいな。上手くなってから、またあなたのロック聞きたいもの」
「せやな。喜んで」
おっぱいの大きい友達が出来た。
セレナと別れて、俺はキャロルちゃんと街を回ることになった。
ここはナポリタン発祥の地、ナポリ。
……ではない。
ナポリタンは日本生まれの料理なのでナポリは全く関係ないのだ。
観光に来た日本人があまりにもナポリタンを要求するもんだから、ナポリの飯屋には日本のレシピを学んでナポリタンをわざわざ作るようになったところもあったとかなんとか。
この街はとにかく美しいことで有名だ。
死ぬんならナポリを見てから死ね、ナポリの風景を見なけりゃその一生に意味はない、とさえ言われるほどに美しいんだとか
いやジジイじゃあるまいし、若者が風景だけで楽しめるわけねえ。
楽しめるとしたらピザ、ピザだ。
ナポリ人はナポリのピザが美味すぎるせいで、ナポリ以外の場所でピザを決して頼まないとかいう噂だ。ピザーラのピザしか食ったことのない俺にその味が分かるだろうか?
だがピザーラより美味いことは確実だろう。
前にピザーラで注文したら箱の中身偏ってたが、あれずっと許さんからな配達員このやろう。
「キャロルちゃん、俺ら普通に街歩いてるけど大丈夫なん? 捕まったりせえへん?」
「大丈夫です。
ボクの手配書は回ってると思いますが、今のボクをボクと認識できるのはあなただけ。
結弦さんに至っては、ボクの協力者があなたであることも判明していないと思います」
「凄いな錬金術。魔法使いのハリー・ポタージュくんもびっくりや」
「ホグワーツの魔法使いさんってそんな美味しそうな名前でしたっけ……」
「え? ちゃうかったっけ。んにしてもキャロルちゃんは凄いなぁ」
「これはディー・シュピネの結界の応用です。
そこで使っているエネルギーは結弦さんの心臓の剣から引き出しているんですよ?」
「へ? そうなん?」
「はい。だからボクが凄いのなら、それは結弦さんも凄いってことなんですよ」
「……まいったな」
ピザも食いたいがポタージュも食いたくなってきた。
キャロルちゃんに店選んでもらってさっさと店入ろう。
「このお店にしましょうか。ボクの後に付いて来てください」
「知ってるお店なんか?」
「いえ、知らないお店です。でもAVPN認定の看板がありましたから」
「AVPN?」
「
ここのピッツァは伝統を守ってますよ、という証明です。
日本にも認定店はいくつかあると思いますよ?
伝統と規則を守ってますから、この看板があるお店なら不味いものはまず出ません」
「おお、キャロルちゃん物知りやなあ。俺外国初めてやし、色々教えてな」
「はい、どんどんボクを頼ってください!」
本人は頼れる自分を演出してるつもりなんだろうなあ。
童顔とか低身長のせいで背伸びしてる子供にしか見えんけど。
……あ、やべ、さっそくキャロルちゃんヘルプ案件だ。
「メニューイタリア語で読めんがな」
「ボクが代わりに注文しますよ。すみません、マルゲリータ二つお願いします!」
「おお、イタリアン的な多分イタリア語だと思うよく分からん言語をキャロルちゃんが……」
この子俺と同じ不適合者なのに何カ国語使えるんだ? 半端ねえ。
「ピッツァが来るまで時間がありますので、少々お待ち下さい」
「ほな、なんか話そうか。そういえばあのセレナって姉ちゃん、どういう関係なんや?」
セレナさんがキャロルちゃんをどう見ているかは大体察せた。
ならその逆も聞いておきたい。この子に取って、あの美人さんはどういう人なのか。
「結弦さんは、適合者と不適合者の対立構造と言えば何を思い浮かべますか?」
「俺? 俺なら、適合者の独裁者と社会底辺層の不適合者とか真っ先にイメージするなぁ」
「はい、そういうのも勿論あります。
ただ現代においては、複雑に絡み合う政治の問題がそこに影響を及ぼすこともあるんです」
なぬ?
「例えば、不適合者が沢山居て生産の基盤になっているA国があるとします。
その隣に、国民のほとんどが適合者で、適合者を優遇するB国があるとします。
B国は適合者を優遇する政策が必要で、A国は過度に差別的なB国を見下しています。
この二つの国の間には対立があるため、人の流れに小細工する必要があると思いませんか?」
「せやな」
あ、今回は分かりやすい。やればできるじゃねえかキャロルちゃん。偉いぞ。
「例えば、ある発展途上国Cがあったとします。そこに政治家Dと政治家Eが居たとします。
政治家Dは不適合者を救う政策を掲げて、不適合者票を集めようとしています。
政治家Eは適合者優遇政策を掲げていたとします。
すると、浅慮な人は手っ取り早く選挙に勝つためにどうすると思います?
Eは不適合者を減らして敵の票数を減らそうと、Dは不適合者をEから守ろうとするんです」
「……うわぁ」
発展途上国、ってわざわざ指定してるがまさか実話……いやいやいや。
「セレナさんのお仕事は、こういう対立で生まれる犠牲を減らすことです。
不適合者保護派の依頼を受けることです。
不適合者排斥派がとんでもないことをしそうになった時に人を逃がすことです。
だからエテメンアンキにも、彼女を味方に思う人と邪魔に思う人が居たりします」
「それ、エテメンアンキ内で喧嘩したりせえへんの?」
「トップのフィーネが手綱を握っていますから、そうはならないみたいです。
不適合者の扱いも個人の裁量の範囲でやってるのがほとんどみたいですよ?」
「……エテメンアンキも複雑やなあ」
「ボクがこう言っているのは、敵の組織の大きさと多様性を教えたかったからです。
エテメンアンキは、世界で一番大きく一番に多様性を内包する組織です。
錬金術の技術を危険視してボクを殺しに来る人も居ます。
不適合者を救うためセレナさんの後援をしている人も居ます。
ボクの目的を知り、統一言語の喪失で苦しむ人を守るためボクを狙う人も出るでしょう」
エテメンアンキはそういう組織なんです、と彼女は締めくくった。
彼女はきっと不安なんだろう。
俺が二つ返事で彼女に付いて来たもんだから、エテメンアンキという組織の大きさを分かってないまま付いて来たんじゃないかと、今更に不安になったんだ。
だからこうして、組織のデカさと、違う目的の人間達が一枚岩になっているという強さを思い知らせようとしてるんだろう。
なんだかなあ。
可愛い思考だな、とは思うけど。
俺がそんな軽い気持ちで付いて来たと思われるのは、ちょっとショックだ。
いっつもヘラヘラしてるから、やっぱ必要以上に軽く見えんのかな俺。
「大丈夫、分かっとる。分かった上で付いて来たんや」
「……結弦さん」
「そんなどうでもええことより、キャロルちゃんとセレナさんの話もっと聞きたいなあ」
ロックンローラーは後先考えないだけで、いつだって本気なんだけどな。
「普段はセレナさんも世界中で難民を助けるお仕事が多いみたいです。
そこで、ボクも助けて貰って……
今ではボクの目的も全部知った上で、協力してくださってるんです」
全部知った上で、か。じゃあ本当に全面的な賛同者なのか、セレナさん。
日本でのうのうと暮らしてた俺と違って、世界の色んな所で色んなものを見たセレナさんは、何を考えてそれを選んだんだろうか。
キャロルちゃんが言っていた"この世界はガタガタ"という表現が、なんというか、どんどん現実味を帯びてきた気がする。
俺が色々と聞いたからか、キャロルちゃんの口から次々とセレナさんの想い出話が飛び出してくる。
ピッツァの話は元々、キャロルちゃんが旅をしていた時に難民キャンプでセレナさんに聞いた話なんだとか。
セレナさんには姉が居て、妹特有の苦労した話を聞かされた思い出話とか。
世界を回ってるセレナさんには、歳が近い元捨て子の友達が二人ついて回ってるんだとか。
楽しそうに記憶を語るキャロルちゃんに、思わず俺の口元も緩む。
「二人はええ友達なんやな」
セレナさん最初にいい人っぽくておっぱい大きいってだけで悪人かどうか(ほんのちょっとだけ)疑ってごめんなさい。一生反省します。
二人は、本当にいい友人だった。
照れて頬を赤らめて、キャロルちゃんは珍しく『友人関係』に関して本心を顔に出す。
「セレナさんがボクを親しい間柄と思ってくれていたらいいな、って思います」
他にも色々話を聞いている内に、なんか頭の中でイメージが固まってきた。
「セレナさん、イタリアンロックみたいな姉ちゃんやな」
「イタリアンロック?」
「その名の通りイタリアのロックや。
大人しそうだとか、芸術性があるとか言われるんけど、とんでもないパワーが有る。
情緒と情熱と芸術性、この国のそういうのを内包したでっかい多様性のあるジャンルや」
人間を音楽に例えるのは、共感してもらえなかったり、同意が得られなかったりするんであんま普段はやらないんだけどな。
「諸説あるけど、国ごとのロックは国の特徴が出るって話やな。
アメリカンロックは黒人音楽から生まれたもの。
枠をぶち抜こうとする、どこまでも楽しそうな音楽。
ブリティッシュロックは海の向こうから伝わったもの。
堅苦しく格式高いイギリスの美徳を抜け出そうとする音楽。
イタリアンロックはそのどちらでもないんやな。
イタリアは自前の芸術性をヘビメタに組み込むとか、中々『
「
そう、
昔からスーツの世界から靴の世界等、色んな所で『きちっとしていて礼儀正しく厳格なイギリス』に『多少ソフトでかっこよくマイペースなイタリア』の違いは際立っていた。
それは音楽もそうだ。
"厳格にキッチリ"を求められてストレスが溜まっていたイギリス人は、色々と溜まっていたパワーをストレスと一緒にロックに吐き出した、とも言われる。
イタリアはただ純粋にロックのかっこよさに驚き、1970年前後のアメリカロックに起こった"ロックに芸術性を求める"というムーブメントを、イタリア単独で起こした。
イギリスのロックは解放。
イタリアのロックは芸術。
この二つは互いに影響し合い、アメリカやオーストラルリアのロックとも互いに影響し合い、他のロックのいいところを吸収しながら高め合ったっつー話だ。
……まあ、当時俺は生まれてもなかったから、この辺は本で知ったんだが。
俺は今セレナさんに、修羅場をいくつも越えてきたタフさと優しさの両方を感じてる。
そんな彼女のイメージが、何故かイタリアのプログレッシブ・ロックと重なったんだ。
そういう風に締めようとしたが、キャロルちゃんに意外な一言を挟まれてしまった。
「ここイタリアで、ロックの勉強したいんですか?」
「……や、流石にそこまで我儘は言えんよ。キャロルちゃんの目的最優先で行こう」
意表を突かれて、一瞬どう返したものか迷ってしまう。
本音を言えばイタリアンロックとか真面目に学びたくてたまらん。
が、俺の要件は後回しでもいいだろ。別にこっちを優先する理由もねえんだし。
それに、キャロルちゃんの要件を優先してやりたい。
……お、ピザも来たな。
「ピッツァお待ち! アツアツな内に食べてくんな!」
ピザ持ってきてくれたみたいだけど、このオッサンが何言ってんのかさっぱり分かんねえ。
イタリアンロックの歌詞に使われてる単語だけで喋ってくれよ、それなら分かるから。
俺が最初に覚えた外国語『Fuck』だぞ。
「ピッツァ来ましたね」
「ピザ来たな」
俺もピッツァって呼んだ方がいいのか……?
「さー手に持ってガブリと行ってこそピザやなぁアッツゥイ!?」
「ゆ、結弦さん! 出来たてピッツァですよ!?」
クソが! ピザーラとは格が違う熱さだったぞ! こんなところでもピザーラとの格の違いを見せ付けてくるのか!
「結弦さん、ナポリのピザはナイフとフォークで食べていいんですよ」
「え、そうなんか。ピザーラの礼儀作法では手で食べるもんだったからてっきり」
「手で持って食べるなら、四つ折りにして扇状にして紙で持つんです」
「四つ折り! はー、文化が違うんやな……」
さっきからチラチラ見える立ち食いの人達、あれクレープか何か食ってるんじゃなくて、ピザ食ってたのか。
よく見るといつの間にかナイフとフォークがテーブルに置いてある。
不適合者を嫌な顔一つせず店に招き入れたことといい、ここの店大当たりなんじゃないか?
これで味が良ければ、120点やれるぞ。
「そうです、気持ち細めに切り分けて……
切り分けたピザをくるくる転がして、ロールケーキみたいに丸めるんです。
そこにフォークを差し込んで、パクっと食べるのがこのピザの食べ方です」
「あふゅい!」
「そりゃ迷いなく口に入れたらそうですよ!?」
熱いんだよ! でも美味い! 120点!
「はふはふ、ふーふー」
ふーふーしながらピザ食ってる姿もなんか可愛いなこの子。
その辺歩いてるお爺ちゃんお婆ちゃんが超微笑ましいものを見る目で見てるぞ。
多分俺もそういう目で見てるぞ。
まーたそんなにふーふーして……あ、目が合った。
「結弦さんのように火を口に入れるように食べる、というのが正しい食べ方らしいですよ」
「その割にはキャロルちゃん、随分ふーふーしてたみたいやけど」
「……ぼ、ボクはちょっと、熱いのが苦手で……」
「あ、ごめんな、そこをとやかく言う気はないんや。
自分が食べやすい温度が一番やから、誰に何言われても気にせんでええんやで」
猫舌気味なのか?
でも俺の中だとキャロルちゃんは子猫より子犬のイメージ……ってこれ前にもやったな。
しかし美味い。
本当にピザと一緒に火を食ってる気分だ。
ラーメンと同じだな。冷たいものより、熱いものの方が美味く感じる。
そしてロックも同じだ。ロックは冷たい奴のための音楽じゃない。
熱くしたい奴、熱くなりたい奴、熱くなってる奴のための音楽だ。
「……そうか、このピザもまた、ロックなんやな」
「は?」
「人を熱狂させてこそロック。
熱さがあってこそロック。
観客が冷めたらライブは終わり、ピザの美味しさも冷めたら終わり……」
「結弦さん?」
「そうか、"CDよりライブ"な人を理解する手がかりはここにもあったんやな。
ライブはできたてホヤホヤの曲と歌を観客に提供するもの。
本場のピザ屋はできたてほやほやのピザを客に提供するもの。
今そこから生まれる一瞬の熱さ、そこをライブハウスで意識すれば、何か変わるか?」
「結弦さーん?」
「ピザにこんなことを教えられるなんて、皮肉やな……」
「あ、あの……無視されると……ぐすっ……」
「!? あ、ごめんな!? ごめんな、ちょっと自分の世界に入ってたんや!」
や、やべーやべー。
流石に無視して泣かせるのはあかん。
キャロルちゃんを慰め……ん? ちょっと待てそこの黒髪ロリ。お前、いつからそこに居た?
「今ロックの話してました?」
話しかけてきた!
え、なにこいつ?
なんでこんな食い気味にこっち来てんの?
「って誰やねん君」
「ロックの話をしてたかと聞いているんです」
「そらしてたけど」
「日本人の方ですよね? 私もちょっと混ぜてください」
「初対面の人間のロック話に混ざろうとする君の生き様が既にロックやな……」
ちょっと俺的には高得点だ。
「ちょっ、調! 何してるんデスか!」
すると金髪の女の子がやって来る。
―――瞬間、俺は直感的に理解した。
この金髪の子、間違いなくデスメタルをやってたことがある。俺の目は誤魔化せねえぜ。
「ごめんなさい、この子ロックが好きなんデス! 悪気はなくて!」
「君の友達? ええよ、気にせんで。俺もロックが好きやからな」
ロック好きに悪い奴は居ない。ただ音楽性の違いで仲良くできない奴は居る。それがロックシンガーに共通の認識だ。
彼女らもまず悪い人間ではない。
仲良くできるかどうかは音楽性次第だな。
が、それはそれとして、一瞬にしてここ周辺の空間の女密度が引き上がった。俺は絶対に女とバンドは組まないと決めているので距離を取っておこう。
俺知ってんだかんな、女ができるとロックスターの音楽性が死ぬこともあるって。
ビートルズは女の問題で解散したんだぞこんにゃろう。
だが硬派な俺は恋人を作ることはしないからその心配もない。
ポストオノヨーコが発生する可能性は存在しないんだぜ。
でも可能性がなくてもそれはそれとしてロックバンドに女が混ざる可能性はご遠慮したい。距離を取ろう。
「あ、この顔、よく見たら……」
「セレナが迎えに行ってくれって言ってた人じゃないデスか!」
「どうも、調さん、切歌さん。
ボク今顔をちょっと誤魔化してますけどキャロルです。この人は緒川結弦さんですね」
「よろしゅうな。君達の名前は?」
バッ、と何故か女の子二人が距離を取る。何故だ。
二人の女の子がポーズを取る。何故だ。
そして二人同時に度が入ってないメガネをかけた。何故だ。
「暁切歌デース!」
「私は月読調」
「最近のトレンドは、この知的に見えるメガネデース!」
「私達は生まれた日と時違えども、同じ日同じ場所で死すことを願った桃園式姉妹」
「メガネっ娘の千倍凄い二人組、その名も!」
「ギガネっ娘シスターズ」
「「 どうぞよろしくっ 」」
「イタリアのおバカっ娘は日本とは桁が違うんやな、勉強になったわ」
「「 !? 」」
メガ×1000=ギガってお前。
メガ二人で二百万パワーズとか名乗ってた方がまだ妥当じゃねえか?
とりあえずその伊達メガネ外せ。
「とりあえずその伊達メガネ外せ」
「結弦さん結弦さん、思ったことがそのまま口に出てますよ」
お笑い芸人に会いにイタリア来たわけじゃないんだけど?
月読調と暁切歌。
日本人の血が流れる女の子で、孤児だった頃にセレナさんと出会い、それから今になっても一緒に世界中を回っている二人なんだとか。
日本生まれの外国人とかお前ら小野洋子かよ。
しかし切歌ちゃんはともかく調ちゃんの方は、キャロルちゃんより膨らみの無い悲しみの平地だな……かわいそうに。
俺はまあ胸が小さくても女の子は可愛けりゃいいだろ派閥だから気にしない。
彼女には強く生きて欲しい。
調ちゃん俺より胸なさそうだな、と今一瞬思ってしまったが、服で誤魔化されてるだけで少しは膨らんでいる可能性もある。観測されていない事象はどうとでも解釈できるんだ。
頑張れ調ちゃん。
「今何考えてたんですか?」
「ロックのことやで、調ちゃん」
「……」
二人に案内されたのはメインストリートから離れた住宅街の一軒家だった。
この辺は売れないロックシンガーが日々練習しており、売れないロックシンガーが生み出すヘタクソな音楽に耐えられない人は最初から引っ越してこない、俺に最適な場所なんだとか。
……チクショウ! 事実だから何も反論できねえ!
セレナさん合いの手も終わりの拍手もきっちりやってくれてたが、内心では俺のことヘタクソだと思ってたなこれ!
「簡単な家具一式は用意されてます。
食料も同様です。セレナ曰く、聖遺物は早ければ明日、遅くても明後日には届くと」
「おおきに、調ちゃん」
「……」
無言で頷く調ちゃん。
隣ではキャロルちゃんが切歌ちゃんの説明を受けている。
あんまり物がない部屋だが、自前のギター一本あれば十分か。
おっ、よく見たら向こうの壁に水着のねーちゃんのポスターがある。前にここに住んでた奴の忘れ物か? 無いよりかはマシかね。
「え、えっちなポスターは廃棄です」
「えええ……」
キャロルちゃんに捨てられてしまった、もったいない。
「それよりも」
おう調ちゃん、俺のギターを勝手にケースから取り出し……なッ!?
このギターの持ち方! 素人がする持ち方じゃないッ!
それだけじゃない、この手! この指! この皮! 間違いなく一流ベーシストのそれ!
この子、糸使い……否、『弦使い』ッ!
俺が気付かなかった!?
いや、隠蔽されて気付けないようにされていたんだ!
綺麗で細い指に一部だけが硬くなった皮、こんなにも美しいベーシストの手を俺の目からずっと隠していたなんて……この少女、間違いなく女狐! いや小狐の類!
子兎と見て侮った俺の油断を、この瞬間に自覚させに来たッ!
「一曲聴かせてください」
「む」
「お願いします。聴かせてくれたら切ちゃんがなんでもします」
「デェス!?」
冗談だろうが友達売るなよ。
「どないしよ、キャロルちゃん」
「乞われたなら聴かせてあげる、そんなロックシンガーさんがボクは好きですよ」
……逃げ道が塞がれてゆく。ちくしょう、その言い方は卑怯だろキャロルちゃん。
いや、俺も船上でずっと練習してた。
いけるやもしれん。
俺の音楽は日本ではとことん受けなかったが、音楽なんて千人居れば千の好みがそこにあるのが普通なんだ。俺の曲が調ちゃんの好みに合致する可能性は、ゼロじゃない。
「では一曲。曲名は―――」
メタリカで行くぜ。
弾く。
弾いて、歌う。
荒々しく、強烈に、インパクトに特化させる。その心に深く感動を刻み込むために。
さあ、反応は―――
「ぺっ」
あっ。
「し、調! 何故わざわざ窓を開けて外に唾を吐き捨てるなんてことを!?」
「ここが室内だったから。床に吐き捨てるのは、ちょっと」
あかん。これ、キャロルちゃんやセレナちゃんより数段キツい塩評価だ。
心が痛い。
「運指の速さには目を見張るものがある。
でもそんな技術が足りない中途半端な運指でどうするの?
弦の抑えからして全体的に足りてない。
一言で言うなら、あなたは早いだけで全く上手くない男」
死にたい。
「歌だってそう。肺活量は飛び抜けている。
でも声量を上げると一気に声が不快になる。
これは声の高低、声量の大小で常に一定の声を維持できていない証拠」
いっそ殺せ。
「あなたには惰性の努力を続ける根気強さはあるかもしれない。
でも、貪欲さがまるでない。ロックンローラーは飢えてなければ務まらないのに」
「……」
「あなた、そんなに軽い気持ちでロックの世界に入って来たの?」
ああ、そうか。
キャロルちゃんにイタリアでロックの勉強したいかって言われて、俺はもっと迷うべきだった。
彼女とロックを天秤にかけて彼女を選ぶにしても、もっと迷うべきだったんだ。
そのくらいロックが『重く』なけりゃ、話にならなかったんだ。
「ロックンローラーは餓狼。
金に飢え、飯に飢え、名声に飢え、飢えから社会にさえ噛み付いていく。
あなたには劣等感はあっても、飢餓の如き上達意欲がまるで見当たらない」
調さんの言葉に、膝が折れるのを感じた。
「『ロック』を知らないあなたに……ロックを語って欲しくなんてない」
調さんがどこかへと去っていく。
すみませんでした、調さん……俺は、思い違いをしていて、あなたに聞くに堪えない未熟なロックを披露してしまった。
俺はロッカー失格だ。
いや、もしかしたら、彼女の中ではまだロッカーにさえなっていないのかもしれない。
調さんから見れば、俺にロックンローラーの資格なんて、最初から無かったに違いない。
不甲斐ない。
悔しい。
悲しい。
劣等感と無力感がふつふつと湧き上がってくる。
もう弾きたくないという気持ちと、がむしゃらに弾きたいという気持ちと、もっと弾いてもっと上手くなりたいって気持ちが混ざって、一歩も動けなくなってしまった。
「あ、あー……気にすること無いデスよ! うんうん!
調はあれで面倒臭いところもあるデスし、一度気にしたことはずっと気にしてますが!
別に一度嫌った相手を嫌いっぱなしってタイプの人間でわけでもないデスので、はい!」
切歌さんが必死にフォローしている。俺に気を使う必要なんてないってのに。
「セレナにはロックンローラーの姉が居るんデス。
調は昔からそのお姉さんのロックを聞いて耳が肥えてるんデスよ。
セレナの姉はマリア・カデンツァヴナ・イヴって言うんデスけど、ご存知デスか?」
「セレナさんが、あの『ファッカー・ザ・マリア』の妹やて!?
なるほど、ロックに変に好意的だと思ったらそういうことなんか……」
「あの、結弦さん、それは誰ですか?」
「ロックの世界の女王様や。
ファッカー・ザ・マリアはインディーズ初期までの彼女の異名やな。
ストリートでの初弾きからスマホで撮影され、ようつべにアップされ、大人気となった異端。
全米最強の女。ギターリフだけで勃起させる淫魔。そのシャウトは絶頂を呼ぶという……」
現代において、最強のロックンローラーと呼ばれる者の一人。
それが、マリア・カデンツァヴナ・イヴだ。
「あの子は本物のロックを知ってたんやな……」
「調は言う時は全く遠慮なく言うだけで、普段はいい子なんデス。平に、平にご容赦を」
「悪いのはこっちや、こっちが謝らないかん。
本物のロックを知る者は特に、半端者のロックを忌み嫌うっちゅうしな……」
にわかが一番嫌われるんだ。
あの時の調さんの淡々とした指摘は、何かの小説のヘビーなファンの前に原作未読の人間が出て行って、ネットの聞きかじりで分かった風に小説を語ってきた、それに近いだろう。
俺の関西弁も関西のコテコテのおっさん酔っ払いに絡まれたことがある。お前の関西弁は変だって。仕方ねえだろ! 俺別の関西の育ちでもねえし、旅で色々方言あるとこ回ってたんだ!
関西生まれの関西育ちは俺の母さんの方だよ!
俺は関西人の前でコナンの服部みたいな口調をする以上の侮辱をしてしまったんだ。切歌さんは気を使ってくれてるが、悪いのは俺だ。
「結弦さんはロックンローラーが手に持つべきものは持ってると思うんデスけどねえ」
「ロックンローラーが、持つべきもの?」
「自信と楽器と、ソウルデス!」
「……!」
「後日また調を謝らせに来るデス。
曲聞かせろって無理言って後に罵倒とか擁護できないデスからね。では、また明日!」
切歌さんが去っていく。
明日になれば、切歌さんが調さんを連れてここに来ることだろう。
調さんは、切歌さんに言われた通り、今日のことを俺に謝るかもしれない。
だがその瞬間―――俺はおそらく、ロックンローラーとして死ぬ。
そうして死ねば、二度と蘇ることはない。
ギターが俺の魂を奏でる可能性は消え失せ、胸の内のロックの炎は冷えて消える。
調さんが俺に謝れば、あの指摘を撤回してしまえば、俺はそうなる。確実に。
で、あれば、することは一つだ。
「キャロルちゃん、明日まですることない?」
「はい、ないです。それがどうしたんですか?」
「明日まで、君の時間が欲しい。助けて欲しいんや。手ぇ借りて、ええかな?」
「はい、喜んで。どんどん頼ってください、その方が嬉しいですっ」
修行しかない。明日までに、上手くなってやるッ!
弾いて、弾いて、弾きまくる。
旋律に歌を乗せ続ける。
もう何時間やってるかも分からなくなってきたが、流石に指と喉がキツくなってきた。
精を煉り気と化す。気を煉り神と化す。神を煉り虚に還す。
丹より息吹に通ずる流れを生み、疲労を飛ばしながら弾き続ける。
オヤジが緒川本家に対抗して生み出した内丹術の応用も、体の疲労と痛みを消去することくらいにしか使えない。
あんたが頑張って生み出したこの技まるで役に立たねえぞオヤジぃ。
もっとロックに使える術無かったのかよ。
「結弦さん、そろそろ休憩しませんか?」
キャロルちゃんが曲の合間に声をかけてくる。
俺の方はまだまだシャウトも平気だが、聞き役をやっていた彼女の方が体力的に厳しくなっちまったのかもしれない。まあ、女の子だしな。
「ああ、そうしよか」
ギターを置き、汗を拭いて、水をがぶ飲みし、カロリーメイトをかっ食らう。
今の俺に時間は無い。余裕も無い。閃きも無い。
どうすりゃいいんだ、分かってたことだが劇的に上手くはなってねえ。
ナポリの西側には海がある。東に走ってイタリアの東側の海に到達するまで走ってみるか? 地図を見るに大雑把に片道267.3km。そんなに長い距離じゃない、ちょうどよく手頃な距離だ。
今の俺には邪念が多い。
三蔵法師でさえ望むものを得るためには3万km歩いたんだ。
走るのは歩くのの百倍の負荷がかかると仮定すれば、俺は300kmくらい走れば三蔵法師パワーで何か悟りっぽいものを得られるかも……いや、ダメだ、時間がもったいない。
明日すぐにでも調さんが来るかもしれないのに数時間のロスは大きすぎる。
迷走はダメだ、時間は有効に使わなくちゃならねえんだ。
ロックシンガーのトム・モレロは
『どう弾くかではなく、何故弾くか。ということをいつも考えている』
『ランディー・ローズのコピーをする時間が有れば、どうすればサイレンの音をギターで出せるか研究した方がいい』
と言った。どう弾くかではなく、何故弾くか?
コピーは時間の無駄、望みの音を出すべく研究する?
……難しいこと言ってくれてんな、ったく。
「結弦さん、そんなにムキにならなくてもいいんじゃないですか?
調さんに言われて気にする気持ちも分かりますけど、そこまで気にしなくても……
言われた部分はいつでも直せますし、そんなに無理をしてすぐ直さなくてもいいと思うんです」
「ムキになってるように見えるん?」
「す、すみません」
「ムキになってるのとは、ちょっと違うなあ。俺は応えたいんや」
「応えたい……?」
「調さんと切歌さん、適合者やな。セレナさんと同じ」
「!」
そうだ、俺が言われた、調さんのあの言葉は。
「調さんが俺を軽蔑したのは俺が不適合者だったからやない。
厳しいあの人を満足させられるだけのロックを、俺が聴かせられなかったからや」
ただ単純に俺がヘタクソだったからぶつけられたもので、それ以外の理由なんてない。
「クッソ悔しいし、少し嬉しい。
日本にはまだあったんや、俺の音楽に対する、多少の偏見。
純粋に俺の音楽を見てもらえてるなあって、そう思えて……」
不適合者はさっさと消えろ、が日本で貰った声。
そこが下手、あれが下手、本当にやる気あんの? がイタリアで貰った声。
"ただの罵声"を沢山貰った覚えがある俺は、調さんの言葉が"ただの罵声"じゃないことくらいは分かる。
だから、少し嬉しいのさ。
「あの二人は適合者やから、今頃切歌さんも調さんのことを理解したんやないかな」
「結弦さん、落ち込んでいないんですか? ヘコんでいないんですか?」
「落ち込んどるよ、ヘコんでもいる。
劣等感も無力感も感じてて、自分のヘタクソさに絶望もしとる。
でも、それだけや。
そういう暗い気持ちは今全部、『見返してやる』って気持ちの原動力になっとるな」
「……結弦さん」
「自分を見下した奴を上手い演奏でびっくりさせたい。それだけやで」
本気度が足りないと言われた。ならもっと本気出して、もっとデカい本気を見せてやる。
明日、俺の本気の本気に本気を懸けた本気を見せてやる。
「しかも比較対象があのファッカー・ザ・マリアとくれば、逆に光栄ってもんや」
「マリア・カデンツァヴナ・イヴさん……そこまで凄い人なんですか?
CDショップで名前を見かけたことはありますが、ボク如何せん音楽業界に疎くて……」
「マリアにファックできぬもの無し。
デトロイト・メタル・マリア。
自由の女神像をイカせた女。
数々の異名で呼ばれたのは、それだけ多くの伝説を残してきたってことなんや」
地球最強のロッカー、その一角が奏でる歌。
「それに耳が慣れてるってことは、生半可なロックじゃ認められることはないやろな」
俺が挑む相手は事実上、米国チャートの頂点を彗星のごとくかっさらい、全米NO.1ファッカーとも呼ばれたかの女王というわけだ。
現代のロックンローラーでも指折りの清純派であり実力派。
スキャンダルによる知名度ブーストさえ使わず、純粋に実力でロックの国・アメリカをねじ伏せた女王様に勝てる者など、この地球上に何人も居ないに違いねえ。
「調さんに言われたことを一つ一つ直していきましょう。
それは無駄なことでも、無意味なことでもありません。
一つ欠点を直す度、あなたは確かに成長しているんです。そう思いませんか?」
だが、キャロルちゃんの言葉が俺の心を落ち着かせる。可愛い声してんなこの子。
そうだな、一つ一つだ。
俺はどう足掻いても天才にはなれねえんだから、一つずつ積み上げていくしかない。
一歩ずつゆっくり進む歩みが遅くとも、前に進んでることに変わりはねえんだ。
「俺な――」
何か言おうとして、胸の奥で何かが跳ね上がって、何も言えなかった。
「――え? 熱、い?」
え、なにこれ。とうとう俺の中の熱いロック魂が覚醒したのか?
「なんやこれ……胸が熱い」
「ノイズです! ノイズと聖遺物には反応するんです、ディバインウェポンは!」
「なっ」
「多分、不適合者の難民です!
セレナさん達がここに居るのはお仕事のためというのもあるんですよ!
海に浮かぶ船舶に集められた不適合者達が、おそらく狙われてるんです!」
「え、どないすりゃええんや!?
また剣バーンビームバチーンでええんか!?」
「の、ノイズだけに当てられるのであれば! それだけで十分です!」
表に出てみる。
マジだ。なんとなく、動いてるノイズの存在が感じ取れる。
キャロルちゃんを抱えて、心臓に漲るパワーを流し込み、足に力を入れる。
「舌噛まないように気ぃ付けて!」
「ひゃっ!?」
お、跳べた。聖遺物の力で跳べる気がしたが、マジで跳べるのか。
これが聖遺物のパワー!
……いや、普段とあんま変わんねえな。
足が光るだけだったわ。普通に走ろう。あんま凄くねえな聖遺物パワー。
「キャロルちゃん、降ろすから転ばんように気を付けてな」
「ひゃい、じゃなくて、はい」
海が見える。
船が見える。
目を閉じると、なんとなく船の内部の人間達と、船に近寄るノイズの群れの存在を感じる。
これが聖遺物の探知能力!
……違った。船の中でギャーギャー騒いでる人の声がうっせえのと、ノイズが海水でバシャバシャ音立ててるからだ。
この距離だとあんま意味ないな聖遺物の探知能力。いや剣に探知能力求めた俺がアホなのか。
「結弦さん! 胸の剣を抜いてください!」
だが攻撃力は半端ないはずだ!
"確実に倒したいなら核爆弾持って来い"とまで言われるノイズをあの日、殲滅したスーパー攻撃なら! 行くぜ!
「ディバイン!」
一瞬意識が飛んで、中学の時の記憶が蘇る。
クラス対抗野球戦。2アウトランナー満塁、バッターは俺。俺は軽いバットをフルスイングし、ボールはスタンドへ突き刺さった。
すっぽ抜けたバットはセンターの山本くんの股間に突き刺さった。
ごめん山本くん。本当にごめん山本くん。でも君があれをきっかけにドマゾホモに目覚めたのは流石に俺のせいじゃないと思う。
そう、あの時の感覚だ。
こらやべえ、と思った瞬間。
「ウェポ……あれ!?」
手の中のディバインウェポンが、暴走を開始した。
「暴走してます! デュランダル側が過剰出力です!
ダインスレイフ側の出力が……と、とにかく! 撃ってください!」
「あー死にそ……」
「死にかけるまでがギャグみたいに速い!?
速く蓄積エネルギーを解き放ってください!
このままだと、あなたの心臓まで止まってしまいます!
嫌、嫌です! これでお別れなんて嫌です! 出してっ!」
「……んぎぎぎどっせいっ!」
死にそうで、死にかけで、キャロルちゃん泣かせるのはダメだ、という一心で発射する。
……。
……っ、うっ、意識が断続的飛んで、思考が続けにくい。
っと、どうなった? ……うわっ、海がえぐれて、ノイズ全部吹っ飛んでるが、これは……偶然そうなっただけで、今下手したら、不適合者の船を俺が吹っ飛ばしてたそこれ……
「……結弦さん、聖遺物制御も練習しないと無理そうですね、これ」
聖遺物扱うセンスもあんま無いのか、俺。
よく考えなくても聖遺物の扱いがギターの扱いより簡単なわけねえわ、うん。
「……俺の神剣は早漏で困る。暴発とかマジ勘弁やで」
バタンキュー。俺もう、立ってられん。
「結弦さん!?」
「ロッケンロール……俺の音楽は、俺だけの曲は、
ああ、なんか思い出してきた。
山本くん適合者だった。
今思うとあの頃のクラスメイト全員、統一言語と相互理解のせいでドマゾホモに覚醒した山本くんの性癖を強制理解させられてたのか。地獄だな。
よかった、俺不適合者で。
……あ、調さんの件何も解決してない。どうしよ……
調「半端な気持ちで(ry」