真夏、うだるような暑さの博麗神社。そこにいつも通り白黒のアイツがやってきた――――
「おーい霊夢ー! いないのかー?」
「あー?」
笑顔で「なんだいるじゃないか」と寄ってきた魔理沙と対照的に、霊夢が思いっきり気だるそうに顔をゆがめる。うちわ片手に、縁側で水を張った桶に足を突っ込んでぐったりしている姿は、とても十代の少女には似つかわしくないが、これはもはやここ数日の博麗神社でずっとリピートされている光景であった。
「おーおー、相変わらずだな」
「そうねぇ、アンタのその見てる方が暑くなりそうな格好もね」
霊夢の言うとおり、魔理沙の黒を基調とした服は、本人よりむしろ見ている人を暑くさせそうなものである。しかもこれで二、三枚重ね着というのだからどうして熱中症にならないのかと霊夢が不思議がるくらいだ。ただ、今日はいつもと違うところが一つ。
「で? その背負いモノはどうしたのよ」
霊夢の問いかけに、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりにニヤけた魔理沙が担いでいたのは、真っ青に茂った竹である。魔理沙が五人いてもてっぺんに届くかどうかというほどで、それをどうやって運んできたのかというほどだ。どこから持ってきたのか、は考えるまでもなく迷いの竹林からなのであろうが。
「おいおい、今日は七夕だろー?」
「いや、それはそうだけど。なんでそれをウチに持ってくる必要があるのよ」
「そりゃー、こういう行事は神社でやるもんだろ?」
わけがわからないと返した霊夢を尻目に、魔理沙は勝手にここら辺を借りるぜと、どこからか取り出したスコップで穴を掘り始める。本当にどこにしまっていたんだろう。とかく、こうなってしまっては魔理沙は霊夢の言うことに聞く耳持たずだろう。なぜこういう行事は神社でやるものだという思想が生まれたのかは放っておいて、ついでに魔理沙も放っておくことにしよう。
魔理沙に構うことを止めて再びぐったりし始めた霊夢。対照的に魔理沙は汗水たらしながらも活き活きと竹を神社の土地に植えるべく作業を進める。カンカン照りの下での彼女は無邪気に遊ぶ子供のようだ。いや子供なのだが。
「魔理沙ー。暑さでやられる前に休憩しなさいよー?」
霊夢の声に生返事で返し、まだ穴を弄っている魔理沙。あれはダメだと感じた霊夢は、神社境内で倒れられても困ると思い、厨へと向かう。湯呑に汲み置きの水を注いで、塩分もとった方が良いだろうと梅干しを甕からいくつか取り出して器に乗せる。ああ、氷精でも拉致してこようか、という危険な考えが霊夢の頭に浮かんでくるほどの暑さである。汲み置きの水でも十分に体に涼をもたらすことだろう。
呼んでも気が付かない魔理沙に、暑さと相まって苛立ちが頂点に達しかけた霊夢の怒気を感じた魔理沙がようやく応じてしばらく、縁側に腰かけた二人は並んで汗を垂らしていた。水を飲んだ直後、まるで風呂上りに酒をかっ喰らった親父のような喜び方をした魔理沙に若干呆れつつ、霊夢はこりゃ一杯じゃ足りないなと、いくばくか大き目の容器に水を汲んで持ってきた。
「ねえ、ホントなんでウチでやろうと思ったわけ?」
「あー? だからこういうのは神社でやるもんだろ?」
「その発想が既におかしいわ……」
今度は本当にため息を吐いた霊夢。そういえば、と霊夢は思い出したことを魔理沙に教える。
「毎年里の方で七夕やってるでしょ。あっち行きゃいいじゃないのよ」
「んー、そうなんだけど、あっちはほら、派手すぎるだろ?」
なんだそれは。霊夢は再びため息を吐く。七夕に限らず、普段は半ば派手をモットーにしているような魔理沙の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。
「いやな? 私は派手なのは好きだが、こう、たまには静かに七夕を過ごすのもいいと思ってな」
「なおさらウチでやる意味ないじゃない」
「仕方ないだろー? 私の家だと竹がすぐしおれるんだもんよ」
「試したのね……」
屈託なく笑いながら言った魔理沙に、思わず苦笑いがこぼれる霊夢。きっと魔理沙のことだから、それもお手製のグリモワールという名のメモ帳に書き記してあるのだろう。
「ま、私に害が無ければいいけどね」
最終的に、特に断る理由もないかと七夕を博麗神社で行うことを承諾した霊夢。と、その時をねらっていたかのように、霊夢の肩の近くに、黒い亀裂が走った。
「あら、珍しい。ここで七夕でもやるの?」
「出たなスキマ妖怪……言っておくけど、主催は私じゃないわよ」
突如――――もはや博麗神社の日常風景となっているが――――姿を現した紫に、思いっきり不機嫌な顔を作って霊夢は応える。そんな霊夢の対応を見越してか、妖怪の賢者たる彼女は、自身が上半身だけを乗り出すようにしていたスキマから何かを取り出した。
「あらあら、良いじゃない、七夕。ほら、お土産もあるから私も混ぜてくださらないかしら?」
彼女が取り出したのは一升瓶。細腕でも妖ゆえにひょいと取り出されたそれは、霊夢に「仕方ない」と言わせるに十分な代物であった。
「……どうしてこうなった……?」
紫の乱入から数刻。夜も直にやってくるかという頃合、霊夢の前に広がっているのは、博麗神社境内にはびこる幻想郷中の力のある妖怪達である。どころか、妖精やあの世の幽霊、山の神々も見かけられる。幻想郷のパワーバランスを担う者たちが、神社に一気に集まってきていた。
「そりゃあどっかの天狗が言いふらしたんでしょうねぇ。これじゃいつもの宴会ね」
困ったわぁ、と全く困っていない顔で言った紫。扇子で隠された口は絶対笑っている。そんな確信が霊夢だけではなく魔理沙にもあった。むしろ、こいつが一枚かんでいるのではないかという疑いすら抱かせるレベルである。
「ま、追い出しても仕方ないか」
「それは私が言う立場だけどね」
もう呆れることにすら呆れを覚えた霊夢は、既に笑みすら浮かべて言っている。そもそも、紫が言っていたように、博麗神社にこのように皆が集まることは割と日常茶飯事である。特に少し大きめの異変の後は決まってこうやって集まっている気もする。
「まあ主催の魔理沙が良いんならいいけど……あ、もう星が出始めてるわね」
霊夢が気付いて、魔理沙と紫も空を見上げる。既に藍色に染まり始めた空に、薄らと星が輝き始めていた。それに皆も気付いたのか、誰からともなく皆静かに空を見上げつつ手にした盃を傾けはじめる。やんややんやと騒いでいた周囲の空気は、辺りで談笑するだけの静けさとなった。
やがて陽は沈みきり、星が華やかさを持ち始めたころ、魔理沙が霊夢に問いかける。
「なあ、霊夢は短冊になんて書いたんだ?」
「んー? 秘密。魔理沙は?」
「おいおい自分だけ秘密にしようってのはナシだろー?」
笑いあいながら二人は続けた。
「そうねー。まあ後で見てみればいいんじゃないかしら? 見つけられればだけど」
「お、じゃあ後でみんなのも見てみるか」
そういって二人は一旦会話を止め、静かに境内の宴の様を楽しみつつ、空のロマンスに思いを馳せる。空にかかる天の川が、大き目の盃に映る。それを肴に酒を飲んで、また盃に映る天の川を愉しむ。彼女ら――――境内にいる全員――――にしては、珍しく静かな愉しみ方だった。きっと今頃人里では、お祭り的にこの七夕を楽しんでいることだろう。魔理沙の案に乗って正解だった、と内心でだけ霊夢は魔理沙に感謝した。
「なー霊夢ーお前の短冊どれだよー?」
「さーどれでしょうね? っと、これ魔理沙でしょ。なになにー?」
「う、うわ馬鹿っ! やめろー!」
「えーと『これからも普通の魔法使いでいられますように』だって? 魔理沙らしい」
予想外に速く見つかった自分の短冊を読み上げられ、顔を酒以外の理由で真っ赤にする魔理沙。対して霊夢はほかの短冊も見て回る。読み上げこそしないが。そんな余裕な態度を見せる霊夢に、顔の赤らみを更に加速させてムキになった魔理沙は、ローラー作戦を敢行する。徹底的に探し出すようだ。だが、一つこの作戦には欠点がある。それは――――
「お馬鹿さんねぇ、霊夢が名前書いてるとは限らないじゃない。貴女も書いてなかったようだけれど」
ずっと背後から保護者のようにスキマから身を乗り出して見ていた紫が、今度は本当に困り顔で告げる。それに魔理沙はあっと短い声を上げてしばし固まってしまった。
「だ、だけど私だって霊夢と何年も異変解決を含めて付き合ってきたんだ、霊夢が書いた短冊くらい……!」
魔理沙は再びローラー作戦に戻る。しかし、酒が入った頭では、ぼんやりとしか考えがまとまらなくなってくる。むしろ、もう短冊に何が書いてあるのか頭が理解していないと言っていい。10枚目を数えようかというとき、ふらりと体勢を崩した魔理沙を、そうなるだろうと予測していた霊夢が支える。
「全く……手間を増やさないでほしいんだけど」
「あらあら、もうぐっすりね。霊夢、この子は運んであげるから、布団を敷いてきて頂戴」
「分かったわ……もう」
魔理沙と対照的にまだ足取りのしっかりとした霊夢が布団を敷きに向かい、紫も魔理沙と一緒にスキマへ潜る。
霊夢が布団を敷き終わる頃を見計らって、紫が隙間を開いて現れる。二人とも無言で頷きあい、魔理沙をそっと布団に寝かせた。普段、太陽の化身であるかのように明るく振舞い、今は無邪気な寝顔を晒し、と子供そのものである彼女を見て、二人はクスクスと笑いあった。そのまま静かに部屋を出て、再び盃を手に取った。
「ねえ霊夢? 短冊。なんて書いたのかしら」
「言ったでしょ。秘密よ。あんただって秘密なんでしょ?」
「そうねえ、霊夢が秘密にするなら私も秘密にしようかしら」
でしょうねえ、と返した霊夢。それから二人も会話はまばらになり、ただ天の大河を眺めつつ杯を傾けて、夜が更けていった。
(言えないわよねぇ。私が書いたのが『こんな平和な幻想郷がいつまでも続きますように』なんて……)
密かに、霊夢は自分の短冊を思い出して、自分らしくないかなぁなどと一晩悩んでいるのを、天の川は見下ろしていた。