「お疲れ様、織斑くん」
地面に降り立った後、楯無が笑いかける。
それに対して、一夏は降りる前と変わらず憮然とした表情を浮かべており、溜息一つを置いて告げる。
「こちらこそお世話になりました。
早速ですが賭けの清算といきましょうか。
―――それで? 敗者にいったい何をお望みでしょうか?」
慇懃な問いかけに、楯無は眉根を寄せて首を傾げる。
「あれ、あっさり負けを認めちゃうの?
一応、どっちもシールドはほとんど削られてなかったんだけど」
「それ、本気で言ってます?」
冗談めかした物言いに対し、一夏が返す視線はひどく冷たい。
「あの内容で俺が勝ちを主張するとでも?」
「………ごめんなさい。 ちょっと調子に乗りすぎちゃったかしら」
本気の怒気を感じ取り、楯無もバツが悪そうに謝罪する。
一見すると勝敗がどちらかわからなくなりそうな光景である。
気を取り直し、楯無が改めて笑顔を向ける。
「それじゃあ織斑くん……貴方、入学したら生徒会の副会長ね」
「………………………………………………………………………………………………は?」
決定、と締めくくられたその言葉に、一夏の思考が停止する。
再起動直後に記憶を反芻し、聞き間違いだろうかと疑問を抱き、確認しようとして、
「反論がないようなので就任確定でーす。 おめでとう」
「ちょっとまて」
寸でのところで静止をかける。
どうやら耳鼻科の世話になることを検討する必要はなくなったようだ。
自分の耳は正常に機能している。
事態は異常だが。
「なんでいきなり副会長?
というか、選挙は?」
「生徒会役員は会長からの任命制なの。
一応、一夏くんと一緒に入学する予定の子も含めて書記と会計は揃ってたんだけどね、副会長だけが決まってなかったの。
でもこれで解決!!」
自信満々に親指を立てる学園最強に、思わず頭を抱える。
先に副会長を決めるものではなかろうか、いや実務的な役職を優先したのかもしれないが。
とりあえず、これだけは確認しておかなければと気を取り直す。
「………なんで俺なんですか」
「貴方がいいと思ったからよ」
そんな根本的な疑問に、まっすぐとした瞳で射抜かれながら即答される。
先ほどまでのおちゃらけた様子とは打って変わってその姿はどこまでも真摯にこちらに向き合っている。
そのギャップに、一夏の思考が先程とは違う意味合いで停止するほどに。
「さっきの戦いを通して、そう思ったの。
将来性も含めてね」
思わず、苦い顔を浮かべてしまう。
先ほどの戦いと言われても、彼からすれば賞賛を受けるところがあっただろうかと疑問を抱かざるを得ないからだ。
と、それをどう思ったのか、楯無は途端に不安げな表情を浮かべる。
「ダメ、かしら?」
「……………………ハァ」
一夏は思わずため息を漏らす。
元より賭けに応じてそれに敗けたのだから逆らうのは筋違いである。
内容もそう無体であるとも思えない。
なにより、今の相手の姿を見て罪悪感を抱いた時点でそういう意味でもこちらの敗けだろうと自嘲する。
「いえ、非才の身でよろしければ謹んでお受けします」
「っぃよしっ!! それじゃあこれからよろしくね、織斑くん!!」
わざとらしく慇懃無礼な了承を得て、楯無が力強くガッツポーズを見せる。
そんな彼女に飄々としている割にころころとよく表情が変わる人だと思いつつ、一夏はふとある疑問が沸いた。
「ところで、戦ってそれを決めたってことは、戦う前はどんなことをさせるつもりだったんですか?」
「うぇっ!?」
青天の霹靂か、思わず変な声を漏らす楯無。
しどろもどろに顔を赤らめる彼女に、一夏はよからぬことをさせられる予定だったのかと思わず身を引かせてしまう。
その様子に気付いた楯無が慌てて弁明する。
「いや、ちょっと引かないで!?
違うから、君が想像してるのとは恐らく絶対違うから、多分!!」
「………それじゃ何でしょうか? 内容次第じゃ応じることも考えないでもないですが」
「む………」
言われ、思わず口を噤む。
しばらく視線を逸らしたりしていたが、やがて観念したかのようにポツリと呟く。
「それじゃあ………敬語とさん付け、今度から無しにしてもらっていい?
私も、名前で呼ぶから」
「…………………それだけ、ですか?」
「う、うん」
想像以上に穏便な内容に思わず呆気にとられる。
他の狙いがあるのかと一瞬考えたが、上目遣いでこちらを伺う様子に嘘は感じられなかった。
そも、その程度で何の企みに生かせるというのかと思えば、変に疑うのも馬鹿らしくなった。
一夏は短く溜息を吐く。
「生徒会の副会長を任されるとなれば行事などかしこまった席で目立つ場所にいることもあるでしょう。
そういう場合に生徒同士とはいえ目上の者相手に馴れ馴れしくするのはさすがに憚れます」
「あ……」
「―――だから、そういう場所以外なら喜んで」
断られると思ったのか、落胆した表情を見せる楯無に一転して笑いかける。
すると彼女もまた花開くような本当にうれしそうな笑顔を魅せる。
そして彼女は鋼鉄の掌を彼に差し出し、
「それじゃ改めて。 これからよろしくね、一夏」
「ああ。 よろしく、楯無」
一夏もまた、笑顔と共にそれを握り返した。
こうして。
一夏はIS学園副会長の座に入学前に就くことが決定したのだった。
***
その後、楯無と別れた一夏は纏った打鉄を返却し、汗を流すためにシャワールームの併設されたロッカールームへの道を戻っていく。
その道すがら、彼はよく見知った顔に遭遇するのだった。
「千冬姉……」
「―――その様子なら、小言は必要ないか」
「………」
そう判じられた一夏の表情とはどんなものだったのか。
当の本人は無言のまま実の姉の横を通り過ぎ、ふと立ち止まる。
「なぁ、千冬姉。 あれが、学園最強なんだな」
「ああ、そうだ」
「千冬姉は、もっと強いんだよな」
「愚問だな」
「………他にも、強い人たちがいるんだよな」
「当然だ。 ここをどこだと思ってる」
「そっか………」
それだけ残して去っていく弟に、千冬は同じように振り向かずに言い放つ。
「一夏、今日は構わないが……入学したら、私のことは織斑先生と呼べ。
いいな?」
「………、了解」
思わず小さく噴き出してから応じると、今度こそ一夏はその場を後にする。
残された千冬は小さく息を吐き、
「まったく……手がかからなくなるというのも、手持ち無沙汰になるものだな」
言外に寂しくなったと呟いた。
一方の一夏はロッカールームでダイバーが着るような作りのISスーツを脱ぎ去ると、シャワールームに直行した。
水音が響く個室の中は、しかし湯気が立つことはない。
シャワーヘッドから降り注いでいるのは冷水だからだ。
理由は単純……文字通り、頭を冷やしたかったためである。
「…………………糞っ!!!」
思わず、壁を殴りつける。
拳に響く鈍い痛みに、しかし頓着する余裕もない。
「……負けた……敗けた……」
それも、完膚なきまでに。
その事実に、一夏は自身への苛立ちを抑えきれなかった。
先の戦いにおいて、一夏はいくつかの武装を併用したが、それに対して楯無は一貫して槍一本でそれを悉く制した。
ただ、それだけならばまだ良い。
自身の他の武器の練度が低かっただけだからだ。
だが、総じて結果だけを見ればどうだったろうか。
確かに、シールドエネルギーの数値だけを見れば大した差異はない。
せいぜいが誤差と判断される程度だろう……無論、本当の試合ならばその誤差で決着がつくが。
だが、問題はそこにはない。
一夏は結局のところ楯無に有効打を叩き込めず、シールドエネルギーを減らせなかった。
しかし、楯無はこちらのシールドエネルギーを『敢えて減らさなかった』のだ。
その差……一方的に手加減されたという事実と、それを可能とする圧倒的実力。
同じ機体を使ってこれなのだ。
もし習熟した彼女のためだけの専用機だったならば己はいったいどれだけその身で耐えることができたというのか。
天狗になっていたつもりはない。
だが、ここまで自身の力が通用しなかったという事実に、彼は平静を保つことができなかった。
今すぐ憤りに叫びだしたくなるのを必死に抑えるのがやっとという有様だ。
その無様さが、更に自身を苛む。
そうしてどれほどの間、水を浴び続けていたのか。
一夏はおもむろにシャワーを止めた。
「あれが……学園最強……これがIS学園か」
前髪から水を滴らせながら上げたその顔、その瞳は。
「―――上等。 楽しみになってきた」
これ以上ないほどに獰猛な笑みと光が湛えられていた。
***
その頃。
楯無もまた、別のロッカールーム内のシャワーで汗を流していた。
こちらも一夏のような冷水でこそないものの、敢えて低めの温度に設定されていた。
と、楯無は口元に両手をやりながら、壁に背を預けてずるずるとへたり込んだ。
その顔は、茹だったように真っ赤だ。
「―――まずい。 予想以上というか、予想外というか」
先の戦い、実の所は一夏が思っていたほど彼女に余裕があったわけではなかった。
最初の攻防においては武器を弾いた時の感触が軽すぎたから察知出来たものの、もう少し騙しが巧ければあそこまで上手く流すことはできなかったろう。
その次、二丁拳銃を完封させられてからのスラッシュリッパー、そしてそこからのミサイルへの流れは内心で舌を巻いたほどだ。
放たれたミサイルを捌ききるまでは正直冷や汗ものだった。
だが何よりも、最後。
己の槍と彼の刀による応酬。
自分は終了の合図が出るまで幾度となく彼と打ち合ったが、そこにこそ瞠目すべき最大のものがあった。
一合を経るごとに、目に見えてわかる変化……否、成長をしていたのだ。
そう、それこそ自分との戦いを文字通り血肉とするかのように。
あの時、試験の終了を告げられなければいったいどれほどの高みへと昇っていたことだろう。
当然ながら負ける気は毛頭ないし、そうそう実力的に追いつかれるなんてこともないだろう。
だが、双方ともほとんど無傷などという余裕のある決着に至ることは難しかったかもしれない。
なによりも。
「あの目……」
隙あらば、こちらを噛み砕くつもりの眼光。
それが自分をどうしようもなく貫いていたことが、殊更に彼女から余裕を削ぎ落していた。
それほどまでに、あの眼差しは強く、鋭く、そして―――
「熱い……」
口元の手が滑って豊かな胸元へと落ちていく。
重ねて置いた掌からは早く力強い鼓動と、現実にはないはずの熱を感じる。
それこそ、夢見た直後よりもなお強く。
まるで燻っていた種火を、あの眼光が燃え上がらせたかのように。
「熱い、なぁ……」
彼女はその熱を逃がさないように胸元の手にさらに力を込め、かき抱くように蹲る。
まるで大切な宝物のように。
「なんなんだろうなぁ、これ」
不思議そうに、しかし抑えきれぬ笑みをこぼしながら彼女は呟く。
完全に無自覚に、どこまでも嬉しそうに無邪気な笑顔を咲かせている。
それでも、彼女はまだその熱の名前が何なのか名付けることができずにいた。
***
冬の終わり、それぞれがそれぞれの胸中に想いを抱いたままこの邂逅は幕引きを迎える。
再びの開演は季節が移り、年度を跨いだその先。
喝采のごとく艶やかに舞う桜吹雪の中、IS学園を舞台とした激動の日々が始まる。
というわけで、一夏くんだいぶ早送りで副会長就任。
といってもこれだけだとあんまり変わらないけどね。
精々、のほほんさんとの絡みがやりやすくなった程度かな。
最高だなオイ。
で、次回……は幕間なので次々回から原作突入。
ただし書き溜めがないのでかなり遅れる模様。
気長に待ってくださいね。
ちなみに原作ヒロインは開始時点ではセシリアと箒以外は割といろいろ変わってる予定。
ひとつだけ具体的に言っちゃうと酢豚さんが酢豚してません。
どういう意味かは本編を待ってくだされ。
次回は幕間でぶっちゃけ華やかさもなにもない話なんで同時投稿しときます。
それでは。