インフィニット・ストラトス~シロイキセキ~   作:樹影

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35:明かりなき先を見据える、夜語り

 

 

 

 

 雲も疎らに月と星が瞬く夜空を、蘭は縁側に腰掛けながら見上げていた。

 すぐそばには虫よけの蚊取り線香が焚かれている。

 また、それとは別に酸味を帯びた芳香が微かに鼻をくすぐる。

 日が落ちてから家の中へと仕舞われた天日干しの梅の残り香である。

 作り始めたばかりの実はまだ青味と張りが残っており、梅干しとなるまではまだまだ遠い。

 

「………」

 

 投げ出した足をプラプラと揺らしながら、蘭はぼうっと月を眺めている。

 大分丸みを帯び始めており、目に刺さる輝きも少し眩く感じる。

 日中は大分暑くなってきたが、夜の帳も落ちきれば肌にはそれなりに涼しい。

 虫の対策さえすれば過ごしやすい時間だ。

 と、そこへトストスと軽い足音が近づいてきた。

 ゆらりと振り向けば、蓮がお盆を持ってそこにいた。

 

「お母さん」

「黄昏てるわねぇ。 はい、これどうぞ。

 ………今日はちょっと悪い子になってみましょうか」

 

 言ってコトリと傍らに置いたのはガラス皿に盛られたバニラアイスだ。

 丸く二子山に盛られたそれには、上から黄褐色のジャムのようなものがかけられている。

 

「いただきます」

 

 先の蓮のセリフと合わせ、何だろうかと気になりながら一匙掬って味わう。

 すると真っ先に感じるのはアイスの冷たさと甘みで、次いで梅と僅かな酒精の風味だ。

 口を冷やし鼻を抜けるそれらを飲み込んで、蘭は一言。

 

「お酒?」

「去年漬けた梅酒の梅を、叩いてかけてみたの。 ちょっとした大人の味ね」

「………いいの、これ?」

 

 言うまでもなく、蘭は未成年である。

 直接的な飲酒ではないとはいえ、酒に漬け込まれ続けていたそれは酒精の強さとしてはブランデー入りのチョコよりも強いかもしれない。

 首を傾げて問うてみれば、蓮は若々しい外見に悪戯めいた笑みを浮かべて口元に人差し指を立てる。

 

「言ったでしょ? ちょっと悪い子になってみようかって」

 

 そんな風に言われてしまえば蘭としても苦笑しか浮かばない。

 出てきたものに罪はなし、味も見事なので堪能することにした。

 そうしてしばらく味わっていけば、後に残るのは僅かに解けたアイスが残滓として残る空の皿だ。

 

「ごちそうさま。 美味しかった」

「はい、お粗末様」

 

 空の器を受け取りながら蓮がそう返す。

 しかし蓮はそのまま蘭の隣に腰を下ろしたままなにも言わない。

 そのことに蘭が若干戸惑うが、しかし何も言えずにそのまま母娘並んで月を見上げるばかりだ。

 夜気を含んだ涼しい風が、さらさらと髪を揺らす。

 ややあって、蘭がようやく口を開く。

 

「―――お母さんは、どう思う?」

 

 なにを、とは言わないし蓮も問わない。

 そも暴走しかけた厳を鎮圧したのは蓮である。

 それまでの会話の内容くらいは把握していた。

 ……暗に、娘とその想い人の会話を出歯亀していたということになるのだが、それはとりあえず置いておく。

 蓮は「ん~」と少し考えたように唸ってみせる。

 

「反対する理由はないわね。 だって行き止まりじゃないもの」

「行き止まり?」

「ええ。 IS学園なら進学でも就職でも不利になることはないでしょうし、受からなくてもそのまま今の学校の高等部に進めばいいだけだもの」

 

 なるほど、確かに蓮の言う通りだ。

 IS学園は世界中から才媛を集める近代の名門で、ISパイロットになることが構わなくてもそこを卒業したというだけで相応の能力があるという証左になる。

 そういう意味ではそこらの三流大学などよりもよほどに雇用の需要があるだろう。

 その辺りは今通っている学園も同じで、こちらは歴史に裏打ちされた信頼というものがある。

 そして外部受験する場合でも、高等部への進学資格が無くなるわけではない。

 故にどちらを選ぼうとも、蘭の道は余程の下手を踏まない限りは安泰であると言えるのだ。

 そんな母の現実的な言葉に、蘭は思わずため息を漏らす。

 

「なんだか生臭い話だね」

「そりゃあ大切な娘の将来のことだもの。 けど、そういう風に訊いてくるってことはやっぱり迷ってるの?」

 

 問われ、蘭はコクリと頷いて俯く。

 その表情は内心の懊悩を示すように暗い。

 そんな彼女に、蓮は「ふぅん」と唸って、

 

「―――一夏君のこと、諦められるの?」

「っ!!?」

 

 二段抜かしくらいの勢いで、ぶっこんできた。

 これには蘭も思わず目を剥いて振り向くが、こちらを見返す蓮の眼差しはまっすぐだ。

 ジッと見つめあうこと暫し、蘭が深い溜息と共に脱力しながら膝を抱える。

 

「………ううん、やだ。 あきらめたくない」

 

 そう、諦められない。

 世間から見れば自分はお子様で、この恋も可愛らしい背伸びに見えるのかもしれない。

 けれど、誰に何と言われようともこの想いは本物なのだと胸を張れる。

 出なければこんなにも痛くも熱くもならないし、悩んだりだってするはずがないのだ。

 愛娘の宣言に蓮は小さく笑う。

 

「なら、いいじゃない。 好きな人を追いかけるのだって、立派な理由よ」

「でも……」

 

 それでも尚、煮え切らない蘭。

 その理由を蓮は母として正確に見透かしていた。

 彼女が言うとおり、好きな相手や憧れている存在を追いかけるというのは理由としてはありふれている。

 それでもこうして二の足を踏んでいるのは、真剣に考えるきっかけがその当人であったこと。

 そしてもう一つ。

 

「―――IS学園に入学しても、その時にもう一夏君が誰かと付き合ってたら意味がないんじゃないかって考えてる?」

 

 その言葉に、蘭が息を飲んでバッと振り向く。

 まっすぐ見返してくる蓮に、蘭は言葉が出ないままやがてゆっくりと頷いた。

 

 一夏に想いを寄せる女性は多い。

 話を聞いているだけでも疑わしき存在はそれこそ数えきれないほどいる。

 自分がよく知っている鈴音さえも、同性である自分から見ても綺麗で可愛らしい少女だ。

 ならばまだ見ぬ恋敵はどれほどまでに魅力的な女性たちなのか。

 そんな人たちに囲まれている一夏を想うと、蘭は不安でいっぱいになる。

 仮に自分が受験して合格を勝ち得ても、それまでに一夏が自分以外の誰かに心惹かれ、結ばれてしまったなら?

 自分の努力も、決意も、すべて無駄になってしまうのではないか。

 そんな考えが彼女に重しとなってその歩みを阻ませていた。

 

 あきらめたくない、あきらめきれないというのは確かに彼女の本心だ。

 けれど、どう足掻いても届かなくなってしまうならば、このまま身を引いてもいいのではないか。

 そういう弱気な考えが首をもたげてしまっている。

 

 そんな娘の不安を受け止め、蓮はしかし笑顔を崩さない。

 彼女は蘭の頭を優しく撫でながら続ける。

 

「なら逆に訊くけど、そうなったらあなたはすぐに自分の恋を終わらせられるの?」

 

 その問いかけは、蘭に雷に打たれたかのような強い衝撃を与えた。

 そして彼女は反芻するかのように改めて自問する。

 仮にこのまま諦めて、道を分かって歩んだとして果たして自分はこの想いを忘れることはできるのか。

 答えは即、否と出る。

 

「―――ううん、無理。 きっと、すっごく引きずる」

 

 情けないかもしれないが、それは胸を張って確信できた。

 

 それはいつかは癒える傷になるかもしれない。

 いずれは忘れ去って、そんなこともあったと笑って語れる時が来るのかもしれない。

 けど、このまま何もしないで終わればそれはずっと尾を引き続けるのだと、蘭は確信を抱いていた。

 ともすれば生涯に渡って心の底で澱のように蟠りかねないとも思える。

 ―――少なくとも、このまま何もしないまま終わってしまえば。

 

 そんな結論に辿り着いた蘭を見て、蓮は安心したかのように笑みを深める。

 

「なら、それが理由でもいいんじゃない?

 結果がどうあれ、自分の想いに決着をつける―――恋する女の子が前に進むには、十分すぎる理由よ」

 

 と、蓮は皿を抱えて立ち上がりその場を後にする。

 その去り際、立ち止まって振り向く。

 

「………言っとくけど、略奪愛を推奨してるわけじゃないから、そこら辺は誤解しちゃだめよ?」

「娘を信用してないのか、アンタは」

「バカね。 娘は信用してるけど、色恋沙汰の女ほど信用できない存在はないのよ」

 

 ちらりと女の闇を覗かせて、今度こそ蓮は奥へと消えていく。

 それを何とも言えない表情で見送って、蘭は深い溜息と共に改めて月を見上げる。

 

「………まったく。 締まらないなぁ、もう」

 

 再び縁側から足を放り出して、パタパタと揺らす。

 黄色がかった月の輝きに、思わず目を細める。

 

 ハラは決まった。

 もはやこの想いに恥じるところはどこにもない。

 本当に受けるかどうかはともかく、どういう形にしろいつかはこの想いに決着を付けに行こうと気持ちを固める。

 

「……とはいえ、告白するにはまだちょっと足りないかな」

 

 それは勇気か、それとも覚悟か。

 微妙にヘタレな自分に苦笑を浮かべる。

 まあ、とりあえずは。

 

「―――資料請求から始めますか」

 

 スマホを取り出し、IS学園のサイトを検索し始めた。

 その表情にすでに陰はどこにもない。

 

 

 月の下で、五反田 蘭は先の見えない闇のような未来に向け一歩前へと進む決意と覚悟をその胸に抱いたのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 翌日。

 

「あの、なんだか昨日の記憶が途中から曖昧になってるんですけれど……なにかありました?」

 

 きっと学園の教職員というのはよほどの激務なのだろう。

 そんな真耶の一言から始まった朝のSHRにて、今年度の学年別トーナメントがタッグマッチでの開催となる旨が正式に通達された。

 そして休み時間、常よりもさらにざわめく教室の中で、一夏に歩み寄る二人の少女がいた。

 ラウラとシャルロットだ。

 一歩出遅れた箒を始め、その場の皆が揃って一夏とタッグを組みに誘いに行ったのだと思った。

 ならば一夏はどちらを選んで、或いはどちらも断るのだろうかとめいめい予想を立て始める。

 しかしラウラの口から出たのは周囲の少女たちからすれば完全に予想外の一言だった。

 

「一夏、私はシャルロットと組む」

 

 瞬間、クラスが一層ざわついた。

 そんな周囲に構うことなく、ラウラは力強く一夏を見据えながらそのなだらかな胸を自信満々に張る。

 

「私とシャルロットで、お前に勝ちに行く」

 

 真正面からの宣戦布告。

 それに対し、一夏は思わず不敵な笑みを浮かべた。

 

 

 

 







 未成年と妊婦さんと車の運転する予定の人の飲酒は、ダメ絶対。

 というわけで短めですが夜語り三つ目、蘭のお話でした。
 ……こんなにも短めなのに、なぜだか異様に時間がかかってしまった。
 蘭と蓮の会話は大体の内容は決まっていたのですが、セリフ回しとかが中々うまく思いつかず……
 最近モチベが上がらないこともあって何気に難産になってしまいました……

 それはさておき。
 この章もだいぶ長くなってきましたがまだあと二~三話は戦闘のない話が入る予定。
 けど、いったん戦闘シーンに入ったらトーナメントが終わるまでずっと戦闘回ばっかりになる予定ですので、ご了承を。
 ……ぶっちゃけ時間置いてたら予定よりも戦闘回数が若干増えてたり(汗
 といっても追加分はさっくり終わる分だけなんですけどね。
 そこら辺も含めていずれ書いていきたいなと思いつつ、今回はこの辺で。



追伸:(ぶっちゃけ作品内容と関係ない話なんで読み飛ばしても構いません)
 最近、ネットのニュースで某アニメ化決定していた作品が作者の過去の書き込みで書籍回収にまでなったというのを読んでビックリ。
 その作品は名前くらいしか知りませんでしたが、何年も前の書き込みだという話らしく、非常にそら恐ろしく思ったり。
 ……自分は大丈夫だろうかと考えて、ひとつだけ不安があったのでここでちょっとだけ釈明を。

 ………以前、境ホラやシンフォギアを例に挙げつつ百合ネタが苦手とか書きましたが、あくまでも自分個人が苦手なだけで、そのジャンルそのものを批判しているわけではありませんのでご理解ください。
 境ホラもシンフォギアも作品自体は大好きですので。
 あらゆる媒体におけるあらゆるジャンルのあらゆる作品がこれからも発展していくことを願い、微力ながらも応援しています。

 ………いや、あくまでも個人の好みの話だから心配しないでもいいと思いますが、一応ってことで。
 まあ、心配する必要がある予定とか、全くないんですけどね(笑)
 蛇足ですいませんでした。

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