「―――それで、今度はフランスとドイツの知り合いがこっちに来るのか」
「ああ。 どちらも入学の予定がずれ込んでいたとは聞いていたが、まさか同じ日に編入の連絡が来るとは思わなかった」
ある休日。
一夏は五反田食堂の厨房で皿を洗っていた。
これはさほど珍しい光景ではなく、中学の時は留学の合間によく見られた光景だった。
一夏が時折こうして手伝うようになったのは弾が修業を始めてからしばらくのことで、その見返りに厳に料理の手ほどきを受けてたりしていた。
もともと家事は得意なほうであったが、やはり本職による指導は文字通り一味違うと実感仕切りである。
彼の後ろでは弾が野菜の下拵えをしている。
その手の中で、ジャガイモが回転しながらまるで帯をほどかれるように皮が剥かれていく。
このあたりの技術はさすがのものであるが、それでも祖父から比べればまだまだ足元にも及ばない。
水の張られたタライにポチャリポチャリと裸の芋を落としながら、弾は溜息を吐く。
「やれやれ……蘭も鈴も苦労しそうだな」
「ん? どういうことだ?」
「知るか。 テメェで考えろ」
呆れ半分に言い捨てる弾に、一夏は首を傾げるばかりだ。
弾としてはもはや慣れきってしまって何かを言う気も起きない。
というか、下手につつくとどうなるか解らず、それで妹が泣いたり怒ったりする事態になれば洒落にならないので放置するしかないのである。
西洋の原罪にそろそろ朴念仁とか鈍感とか追加されないだろうかと思わなくもない。
「……つぅーかお前ら、仕事中にくっちゃべってるとか、イイ度胸してるじゃねぇか」
あ、という暇もなく拳骨が二人の脳天を直撃する。
それぞれ手が塞がっているため、抑えることもできずにその場で悶えるばかりである。
一方の拳の持ち主である厳は勢いよく鼻から息を吐くと、悶える二人に言い放つ。
「お前ら今ある分が終わったら上がっていいぞ。 弾、こいつの飯作るならついでに自分と蘭の分も作ってやれ」
「りょ、了解です」
「うぇーい」
二人は返事もそこそこに、残った仕事を片付けていく。
しばらくして、一夏が昼の客も大方引いた店内で卓につくとほぼ同時に蘭が姿を現す。
「一夏さん、お疲れ様です」
「ああ、ありがとう蘭」
手ずからおしぼりを受け取ると、水仕事で冷え切った手をほぐしながら拭っていく。
熱めに感じる湿った布の感触が何とも言えず心地よい。
そうして一息ついていると、対面に蘭が座った。
めかしこんだその恰好は、淑女然としていてとても気合が入っているものだ。
「どこかに出かけるのか、蘭?」
「い、いえ、そういうわけじゃないんですけど……」
「そうか。 似合ってるぞ」
「ほ、本当ですか!?」
一夏の賛辞に花咲くような笑顔を浮かべる蘭。
この辺りは恋する乙女としていじらしい反応なのだが、その対象が全くその辺りに気付いていないのが痛ましくもある。
それはさておき、蘭は久方ぶりの一夏との語らいに鼓動を速めながらも努めて平静を保ちつつ、話題を切り出す。
「ところで、IS学園のほうはどうですか?」
「ん? ああ、ようやくパンダ扱いも落ち着いてきたところだ。
少なくとも同じクラスの人間からじーっと見つめられることはなくなったよ」
「あはは、それはまた……お疲れ様です」
蘭は苦笑とともに一夏の苦労を労う。
同時に、彼のクラスメイトや同級生の心情もなんとなくわかる。
女子高に合法的に異性の生徒が登校していたらそりゃ注目するのも当然だろうと。
ましてやIS学園のような特殊な場ならなおさらだ。
「生徒会の業務も慣れてきたしな」
「確か副会長なんでしたっけ? やっぱり忙しいんですか?」
「いや、そうでもないさ。 むしろ楯無……会長のお目付け役やってる会計の先輩のほうが大変そうだな」
「……あはは。 でも、すごいですよ。 スカウトされて初日から生徒会の副会長だなんて」
名前呼びに引っ掛かりを覚えつつ、それをお首に出さずに贈られた賞賛の言葉に、一夏は苦笑を浮かべる。
そこまで称えられるようなこととは思えないからだ。
「そんなことはない。 正味、会長の気まぐれって言われたほうが納得できるしな。
それよりも、ちゃんと選挙やって選ばれた蘭のほうがよっぽどすごいだろう」
「い、いえ。 ウチのはぶっちゃけ誰がやってもあんまり変わらないし……」
褒められ返されて、蘭は赤面して縮こまる。
彼女も、通っている学校の中等部で生徒会長をしている身の上だった。
蘭が通っているのは【聖マリアンヌ女学園】という中高一貫のミッション系の私立校で、何もかもが最新鋭のIS学園とは対極に位置する歴史と伝統に裏打ちされた名門である。
本人はなんでもないことのように言っているが、所謂お嬢様学校の中で食堂の娘という市井の出はこの手の隔絶された場所では軽んじられるのが道理だ。
にもかかわらず生徒会長という地位に選ばれたという事実は、彼女の優秀さが単純な成績だけではないと推して知れる。
しかし、そんな蘭も一夏の前では一人の恋する乙女でしかない。
「それはさておき、どうにか慣れてきたってところだな。
部屋ももうすぐ一人部屋になるって話だし、これでようやく心置きなく羽を伸ばせる時間が増えそうだ」
「―――ちょっと待ってください」
故に、決して看過してはいけない言葉を聞き逃すはずもなかった。
一夏が何事かと目をしばたたかせていると、目をわずかに据わらせた蘭が確認するかのように訊ねてくる。
「一夏さん、IS学園って全寮制なんですよね?」
「あ、ああ。 そうだが」
「―――相部屋、だったんですか?」
「いろいろと事情があってな。 まあ、久方ぶりに再会できた幼馴染だから、まだマシ……というのも変か?」
苦笑を浮かべる一夏をよそに、蘭の優秀な頭脳が恋する乙女ブーストがかかった状態で高速回転を始める。
内容はもちろん一夏の女性関係の推察だ。
(一夏さんのこれまでと今の態度から考えてフリーなのは確実。
問題はその周囲。 いままで聞いた留学の時の様子からすでに国外にもライバルがいることは明白。
そして先ほど言っていた生徒会長の楯無さんと今言っていた幼馴染さんも可能性は高い。
鈴さんもいるし、話題に出ていない人間で憎からず思っている人間も少なからずいると判断すべき。
くっ! やはり一歳差というハンデはあまりにも大きいか!!
―――ここは少しでも私のことを意識させる方へ向けさせねば……!!)
ここで不躾な人間ならば『とっとと告白しろよ』とでも言うかもしれないが、そんな勇気があったら鈴のいない間にシュートを放っているのである。
ゴールポスト内に入るかどうかは別として。
それはさておき、蘭はある紙を取り出すと一夏の前で広げて見せる。
一夏が何事かと見てみれば、それはISの簡易適正検査の結果だった。
対象者はもちろん蘭で、適正ランクは、
「へぇ、Aランクか」
なかなか、というよりかなりの高い結果に、思わず声が漏れる。
当然ながらこの適性検査自体はそこまで精度が高いものではないし、そもそも適正ランク自体が技術習熟の度合いで上下することもあるものなので一概にISを扱う才能に直結しているというわけでもない。
だが、ここまで高いランクを叩き出せるなら素質は人並み以上にあるといってもいいだろう。
感心するかのような一夏の言葉に、蘭は笑みを浮かべつつさらに続ける。
「はい! それで一夏さん、実は私、IS学園を受験してみようかと思ってるんです!」
その言葉に、一夏の眉根が歪む。
それに気づかないまま、蘭が畳みかけるように続ける。
「つきましては、一夏さんにアドバイスとかいただけないかと!!」
身を乗り出す蘭に対し、一夏は椅子の背もたれに身を預けて腕を組む。
その様子と、難しい表情に蘭がようやく気付いて戸惑いを浮かべる。
「あの、一夏さん?」
「………蘭、一つ聞かせてくれるか?」
「は、はい!」
真剣な声音の一夏に、思わず背筋を伸ばす。
彼は一呼吸おいて、蘭の瞳を見つめながら問う。
「何のために、IS学園を目指すんだ?」
その真っ当といえばあまりにも真っ当な問いに、蘭の頭が急速に冷やされた。
まさか『あなたが好きだから』と真っ正直に答えることもできず、顔を俯かせて言葉を失う。
そんな彼女に、一夏はさらに続ける。
「蘭なら成績的にも学園に入ることはできるだろう。
けど、そのあとで何を目指すんだ?
蘭は、何をするためにIS学園に入学するんだ?」
真剣な問いに、蘭は何も言えなかった。
そこまで考えていなかったからだ。
ただ想い人に振り向いてほしくて、彼を想う他の女に先を越されたくなくて、少しでも近づきたかった。
そんなことしか考えていなかった自分が、どうしようもなく情けなくなって仕方がない。
蘭が自己嫌悪に涙を滲ませていると、その頭を優しくなでる手があった。
思わず顔を跳ね上げると、一夏が身を乗り出してこちらに手を伸ばしていた。
「い、一夏さん?」
「悪いな。 すこし言い過ぎたか」
「い、いえ。 悪いのはあたしですし」
ぐしぐしと目元を拭いながら手を振って否定する。
席に座りなおした一夏は、先ほどよりも幾分か力を抜いた調子で笑いかける。
「別段、とくに理由はないけど入るってのも構わないんだ」
「え?」
「実際、そういう風に学園を受験して、実際に入ったヤツもそれなりにいるだろうしな」
無論、そんなノリでも実際に合格までこぎつけたのならば十分に優秀であるということなのだが。
一夏としても、それはそれで構わないと思っている。
そも、IS学園に入学してもISのパイロットになれるのは一握りにも満たないのだ。
ならば特に明確な目的なく目指すのもありといえばありだろう。
本人の人生なのだ、好きにすればいい。
ただ、と思う。
「IS学園を目指すのが本決まりじゃないんだったら、結論出す前にちょっと考えてみるのもいいんじゃないか?
……まぁ、こんなギリギリの時期に迷えっていうのも勝手なお願いだと思うけどさ」
「い、いえ! そんな」
苦く笑う一夏に、蘭は恐縮するように首を横に振る。
彼は苦みはそのままに笑みをわずかに深くして、最後にこう付け足した。
「―――まあ、迷う選択肢もなかった奴の勝手なお願いだ。
無視してくれても構わないぞ」
「あ……」
その言葉に、蘭は言葉を失う。
そう、一夏は事故によってISを動かせることが解かったその瞬間から、IS学園以外の選択肢を失ったのだ。
彼からすれば、そう気にしたものではないのだが、それでもそれはある意味での自由の剥奪だ。
蘭にとってみれば、一夏への想いもそのために学園を目指すと言ったのも決して悪ふざけの類ではない。
だが、彼に対して本当に胸を張って言えることなのかどうか……その自信は不確かになっていた。
ややあって、蘭は静かに頷く。
ここで本当に考えなければ、それこそ一夏に顔向けできないと思ったからだ。
「そうか……」
蘭の返事に、一夏は静かに息を吐く。
そうして湯飲みのお茶を一口啜り、
「………そんなわけなので、殺気を収めてもらえませんかね。 厳さん」
背後に立つ大魔神に許しを乞うた。
ゆっくりと後ろを振り返ると、そこには老齢に似合わぬ筋肉を纏った孫娘命のお爺ちゃんの姿が。
「お、お爺ちゃん!?」
たった今その存在に気付いた蘭が素っ頓狂な声を上げるが、厳は構わず一夏へ鬼気を向けていた。
その威容は、荒野をバイクで駆け抜けるモヒカンの集団くらいなら指先一つで殲滅できてしまいそうなレベルだ。
ふしゅるー、と口から蒸気を吹き出しかねん雰囲気とともに厳が口を開く。
「おう、一夏……蘭を泣かすとか、テメェ死にたいらしいなオイ」
「ちょ、お爺ちゃんこれは!?」
紡がれる声は地獄から響いているかのような重低音。
蘭が慌てて立ち上がるが、厳は構わず殺気をニトロのように燃え上がらせて拳に込める。
なんかもう女尊男卑の世の中とかIS最強とかそんなものお構いなしの有様である。
そして爺バカな世紀末覇者の拳がゆっくりと振りかぶられた。
「さあ……往生せぶげろばっ!?」
そして拳ごと真横にすっ飛ばされた。
殺気漲る筋肉ジジイに汚い悲鳴を上げさせてすっ飛ばしたのは、厳の娘で蘭の母である蓮だ。
五反田食堂の看板娘(自称)は厳の脇腹に拳による痛烈な打撃をぶち込んだのだ。
それこそ、衝撃が反対の脇腹にまで貫通していそうなほどの剛撃を。
それほどの一撃を放った蓮は、それが嘘のように涼しい表情で片手に頬を当ててあらあらと困ったような声を上げる。
「まったくもう。 お父さん、乙女の問題に口出したらだめですよ」
「ぶふげぶごは」
蓮は床に五体を投げ出している父親を窘めているが、当の本人はそれどころではないように呻いている。
一夏はふと蘭のほうを見やるが、彼女は安心したかのように息をついていた。
厳の惨状についてはまったく気にした様子はない。
蓮はニコニコと笑いながらぐったりとした厳の襟首を掴んで厨房へと引きずっていく。
「それじゃ、一夏君。 ごゆっくりね」
「あ、はい」
そうして二人が厨房の奥へと消えていったのと入れ替わりに、弾が二人分のお盆を持って姿を見せた。
彼は立ち尽くしている一夏を見て、眉を顰める。
「どうした、なに突っ立ってんだ?」
「いや……」
一夏は言い淀んでから、遠い瞳でぽつりと零した。
「………この家、蓮さん最強すぎるだろ」
「なにをいまさら」
親友の口から出てきた絶対の真理を、弾は呆れるでもなく淡々と切って捨てた。
彼からすれば、本当に今更なことである。
今日も今日とて五反田食堂は平和だった。
※特別付録:五反田家のヒエラルキー
蓮>>超える気も起きない壁>>蘭>>>(略)>>>五反田家男衆
さて、短めですが更新です。
一学期も半ばすぎてるのに中学三年に進路で悩めとか鬼畜じゃなかろうか(台無し
というか、これ一夏が説教キャラみたいで不快に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、この辺りはこういうこと言えるのが彼しかいないのでご容赦ください。
原作だとあっさり流されてましたが、この作品だと経緯的にこういう諌言は言いそうな気がしたので。
さて、次回からはいよいよ本格的にあの二人が物語に参加してきます。
あと、この章はバトルもそれ以外の場面も多めになるので長くなると思いますが、ぜひともお付き合いをお願いします。
次回更新は未定ですが、できれば年内に最初の戦闘くらいは終わらせたいなと思ってます。
それでは、この辺で。
追伸:艦これイベ、涼月GET!! ……疲れた。 伊400欲しいけど資源が……