目を覚ました時、世界は朱に染まっていた。
それが傾いた陽の輝きであることに気付くまで、数秒かかった。
(ここは……)
視界に入る天井に見覚えはない。
だが頭の中で朱を取り払った色が白一色であることと、鼻孔を刺激する消毒液の匂いが医務室であることを強く示していた。
「う……づっ!?」
身を起こそうとして、全身くまなく鈍痛が走る。
僅かに浮いた頭が枕に墜落して、ようやく自分がベッドに寝かされていることに気付く。
そしてまどろんだ意識が痛みで覚醒すると同時に、怒涛のように記憶が蘇る。
―――クラス代表戦、鈴音、乱入者、黒い無人機、最後の攻防。
一夏は目を見開いて反射的に起き上がりかけて、
「そ……ぐ、づぅう!!」
叶わず、枕に墜落する。
急な動きに、身体が悲鳴を上げたのだ。
そんな道化じみた行動を眺めていた者がいた。
「―――目が覚めたか、一夏」
千冬だ。
一夏が軋むような痛みを堪えながら首の動きだけで横を見ると、ベッド脇に椅子で座ってこちらを見下ろす彼女と目が合う。
その表情は、いつもよりもさらに冷たい。
「ち、ふゆねえ?」
「………一夏、お前どんな状態か解かってるか?」
思わず家族としての呼び方をしてしまったが、それに対する反応はない。
むしろ、彼女の方も今は姉としてここにいるようだ。
「極軽度とはいえ、全身打撲だ。 下手をすれば背骨が折れていたかもしれなかったらしいがな。
運が良くて何よりだ」
内容の割に言葉の響きは酷く堅く冷たい。
だが一夏は家族としての付き合いの長さから、鉄面皮の裏側で滾っているものを察した。
有体に言えば――――大変、お怒りになられている。
正直、無人機など比にならないほどに怖かった。
「…………………ごめん」
絞り出すような謝罪に対ししばらく眼力を強めていた千冬だが、やがて大きく息を吐いて肩の力を抜いた。
その表情には、しかし怒りよりも呆れと安堵が勝っていた。
「まったく、遠慮も容赦もいらんとは言ったが……これだったら無茶もいらんと言っておけばよかったな」
「………返す言葉もない……」
「正直、言いたいことは山ほどあったんだが……まあ、無茶をやらせたのはこちらにも責任はあるか」
なにはともあれ、と言って、千冬はおもむろに一夏の頭に手を伸ばす。
思わずびくりと目をつぶってい仕舞うが、しかしくしゃりと頭を撫でる彼女の手つきは優しいものだった。
「お疲れさま、だ。 ………大事が無くて本当に良かったよ」
「―――ありがとう、千冬姉」
そこでようやく一夏は肩の力を抜いた。
と、その脳裏にあることが引っかかる。
鈴音と、無人機のことだ。
「千冬姉、鈴は? それに、あの機体は」
「不明機に関しては現在調査中だ。 ―――あとはこちらに任せろ」
一夏の言葉を遮りながら、千冬は席を立つ。
そこには、有無を言わさない言外の迫力が存在した。
どうやらこの件にこれ以上関わらせるつもりはないようだ。
と、彼女は小さく笑いながらこちらに背を向ける。
「そして鈴に関しては、本人と直接話せばいい」
言って、彼女はベッドを囲っていたカーテンを開く。
その先にはもう一つのベッドとそこに腰掛けている、
「鈴!」
呼ばれた彼女は、どこか照れくさそうに視線を逸らしていた。
そんな二人を尻目に、千冬はその場を後にする。
「それではな。 一夏、今日はこのままここで休んでいろ。
鈴、話すのはほどほどでな」
そうして医務室から退出して、残された二人に沈黙が降りる。
それからお互いに何も言わないまま、時間だけが過ぎていく。
一時間以上にも感じた数分の後、真っ先に口を開いたのは一夏だった。
「鈴」
「な、なに?」
「身体の調子はどうだ?」
「え、えぇ。 大丈夫よ。
この通りピンピンしてるわ」
「そうか」
思わず声を上ずらせながらも、力こぶを作るように腕を曲げて壮健さをアピールする鈴音。
そんな彼女に、安堵したかのように一夏は小さく笑みをこぼす。
そうして再び互いが押し黙った後、一夏がポツリと零す。
「……悪かったな」
「え?」
何のことかわからないという表情を浮かべる鈴音。
それに対し、一夏は努めて平静に続ける。
「お前が抱えてるもの、気付いてやれなかった」
彼の脳裏に浮かぶのは、鈴音の慟哭だ。
会えない日々の中で、自分が抱え込ませてしまった不安と恐怖。
「あの場ではああ言ったし、その言葉が本心には違いないが……」
同時に、そうさせてしまったのは他でもない自分なのだ。
その不甲斐なさが、今さらながらに情けなくなる。
「だから……」
「ちょ、ちょっと待って!」
と、唐突に鈴音が一夏を止めた。
見ると、彼女は恥ずかし気に片手で顔を隠していた。
夕暮れでわかりにくいが、もしかしたら赤くなっているのかもしれない。
「そ、それはもういいわよ! ……ぶっちゃけ、一夏に言われたのももっともだったんだし」
「だが」
「それより! アンタこそ身体はどうなのよ?」
強引に話題を変えつつ、鈴音は半目で睨んでくる。
どうなのかと訊かれれば、答えなど決まり切っていた。
「全身くまなく痛い」
「でしょうね。 ……ったく、乗ったアタシが言うもんじゃないけど、無茶にもほどがあるわよ」
「返す言葉もないな」
千冬の言からも実際かなり危険な真似だったのは確かだ。
それに加担させてしまったことを考えれば、先の話もあって今はどうにも彼女に頭が上がらない。
「反省してる?」
「しているよ」
「……でも、どうせ似たようなことになったら同じように無茶するでしょ?」
言葉を詰まらせる一夏に、正鵠を射てしまった鈴音は呆れ交じりに溜息をもらす。
そして、そういうところも彼らしいと思ってしまう自分もいた。
と、鈴音は腰掛けていたベッドから降りると、千冬と同じように出口へと歩いていく。
「鈴?」
「あんまりいると千冬さんの雷が落ちてきそうだし、そろそろ行くわ。
それじゃあね」
そうして扉に手を掛けて、しかしそこで止まる。
ややあって、彼女は振り返るとビシリと指差してきた。
「そ・れ・と! 言っておくけど、アタシは負けたわけじゃないんだからね!!
次やるときは、ギッタギタにしてやるんだから!!」
「―――今日日、ギッタギタとかなかなか聞かない言葉だよな」
「うっさいバカ! ―――じゃあ、またね」
最後に、クスリと微笑んで鈴音はその場を後にした。
一人残された一夏は、医務室の天井を見上げながら沈思する。
その内容は、無人機のことだ。
(調査中って話だが……あの言い草だと、千冬姉はたぶんアレのことを教えてくれる気はなさそうだな)
まあ、仕方がないともいえる。
教師としても姉としても、これ以上首を突っ込ませる気は毛頭ないということだろう。
そのことに、しかし焦りや悔しさはなかった。
何故なら、情報を得る伝手に心当たりがあるからだ。
(まあ、それは後ででいいか)
そう考えて、彼は重たくなった瞼を素直に閉じる。
どうやら睡魔がぶり返してきたようだ。
それから程なくして、静かな寝息だけが医務室の空気を震わせはじめた。
***
寮への道すがら、鈴は先の戦いを思い返していた。
一夏と、そして無人機相手の彼との共闘だ。
その上で彼女は自らを判じた。
「……まだ、ちょっと届かないかな」
間近で見た一夏の雄姿を脳裏に浮かべて、思わずそんな言葉を零す。
たまさか肩を並べることができたが、だからこそまだどこかにある差を感覚として得てしまう。
だがその瞳には今までと違い不安はない。
何故ならば。
「背中は見えた。 あとは突っ走るだけ」
そう、もう手が届かない遠くのものなどではない。
後ほんの少しで、本当の意味で同じ場所に立つことができる……彼女はそう確信していた。
そうすれば、三年前や今日のような無茶に彼を苛まさせることはなくなるはずだ。
「待ってなさい、一夏。 すぐに追い抜いて吠え面かかせてやるんだから」
彼女はそんな決意を口にして、足取り軽く歩を速めた。
その為に、まずやるべきことを頭の中に思い浮かべながら。
***
「ラブリーナースの楯無さん、満を持して登・場!!
さぁ、治療しちゃうわよ?」
「チェンジで」
「いや、そんなシステムないから」
陽も完全に落ちた夜半、空腹に自然と目が覚めてからしばらく経っての寸劇だ。
身を起こす一夏の前で笑顔から一転して頬を膨らませているのは、小さな土鍋を乗せた盆を持った楯無だ。
どうやら夕食を持ってきてくれたようだ。
また彼女自身が言った通り、何故かその身にナース服を纏っている。
真っ白なそれは、彼女の起伏に富んだ肢体に張り詰めて否応なしに色気を醸し出している。
有体に言って、如何わしいお店の看護婦さんにしか見えなかった。
さすがに、それは口には出さないが。
「まったくもう。 そんなこと言うならご飯あげないわよ?」
「悪かった。 けど、ここに持ってきていいのか?」
「大丈夫よ、ちゃんと許可はとってきてるから」
言いつつ、彼女が蓋を開ければ途端に醤油出汁と卵の良い匂いが鼻孔を擽る。
どうやら雑炊のようだ。
楯無は盆を傍らに寄せた小さなテーブルに載せると、レンゲで中をかき混ぜてから一匙すくい、ふーふーと息を吹いて程よく冷まし、
「はい、あ~ん」
「ちょっと待て」
匙を差し出してくる楯無を、一夏は手で制した。
そんな彼に、彼女は再び眉を顰める。
「なに? ちゃんと食べないと良くならないわよ?」
「わざわざそんなことしなくても自分で食える」
「ダーメ。 まだ体動かずの辛いんでしょう?
今日くらい甘えなさい。 会長命令よ」
「……職権濫用だな」
軽い調子ながらも引く気はない楯無に、一夏は早々に諦めて従うことにした。
実際、身体がまだきついことは確かなのだ。
気恥ずかしいが、その状態で抗い続ける気力もなかった。
「それじゃ改めまして……あーん」
再び差し出されたそれを、今度は咥えて中身を咀嚼する。
まず口の中に広がるのは醤油の風味と、とろみを帯びた米の熱さと甘みだ。
更に噛みしめれば半熟の卵の優しい味わいに、微かに肉の触感が混じっている。
どうやら鳥の挽肉を若干加えているようだ。
雑炊の味わいの邪魔をせず、良いアクセントとなっている。
じっくり味わって飲み込めば、次に出てくる一言は自然と決まっていた。
「美味い」
「そう。 ならどんどん食べてね」
言いつつ、再び匙ですくっては冷まして差し出してくる。
一夏も、体の痛みに加えて空腹も援軍として加わった衝動に勝てず、あとは黙々とそれに従った。
一夏が鍋の中身をすっかり平らげたのはそれからしばらくのことだ。
「ご馳走様」
「お粗末さまでした」
食べた一夏以上にご満悦な様子で微笑む楯無に、一夏は静かな視線を向ける。
「なあ、楯無」
「なぁに、一夏」
食後のデザートとでもいうのか、今度はリンゴを取り出して剥いていく。
その手つきは慣れているのか危うさは欠片もない。
鼻歌を交じりに極薄極細の赤い帯を延々と作っていく楯無に、一夏は問う。
「―――無人機についてなにか解かったか?」
プツリ、とリンゴの皮が千切れた。
しかし楯無はすぐさま皮むきを再開する。
「なんのことかしら?」
「とりあえず、わざとらしく動揺を隠してるふりはやめろ。
どの道、それを話すつもりでここに来たんだろうが」
「……ちぇー、ノリ悪いの」
唇を尖らせて拗ねる楯無だが、それが一夏の言が正しいことを示していた。
その様子に、一夏は内心で溜息を吐く。
楯無は八分割したリンゴの二つに爪楊枝を差していく。
うち一つは彼女自身が手に取った。
「ほら、途中で変なこと言うから間違って全部剥いちゃったじゃない。
本当ならウサギさん作るつもりだったのに」
「知るか。 それより、情報」
一夏もリンゴを摘まみつつ催促する。
楯無はやや不満げだったが、表情を若干引き締めて本題に入った。
「………とりあえず、犯人に繋がることは何一つ出なかったようよ。
なにせ、機体に使われてたパーツどころかISコアまで未登録のモノだって話だから。
まぁ、おかげで違う意味で大騒ぎみたいだけど」
彼女は、恐らくは学校どころか国際的にも最高機密に分類されるだろう情報を世間話のように披露していく。
知っているだろうと確信していた一夏だが、実際に目の前で話されると戦慄を覚えずにはいられなかった。
だが、それは今は捨て置く。
考えるべきことは別にあるからだ。
無人機を誰が作ったか。
何の目的で送り込んできたか。
―――そんなことは今はどうでもいい。
それは学園側がすでに調べ始めているだろう。
それよりも気になることが別にある。
「楯無、一ついいか? コアの方も未登録なんだよな」
「えぇ、もっとも一夏の攻撃のせいで損傷してるから今のままだと使えないようだけど」
「それでも未登録だと解る程度には原形が残ってるか……」
「一夏?」
思考に更け始める一夏に、楯無が訝し気に首を傾げる。
すると、彼は思い出すように呟く。
「………あの時、無人機は最後までこちらを狙ってた。
それこそ、帰還不能で殆どスクラップになってる状態でも」
「でも、無人兵器なら壊れるまで動き続けてもおかしく……いや、違う」
言っていて違和感に気付いたのか、彼女は真剣な面持ちで口元に手を当てる。
やがて得心して頷き始める。
「……不自然ね、無人機だって言うならなおさら」
「気付いたか」
「たった今ね」
一夏に切り裂かれた無人機は、ボロボロの体を引きずってそれでも一夏を撃たんとしていた。
それ自体はおかしくない、機械であるならば壊れるまで目的を果たさんと動き続けるのは当然のことだ。
問題は、どうしようもなく壊れてもなお目的が変わらなかったことだ。
「どうあがいても帰還不能な状態に陥ったのに、証拠隠滅の類は一切なかったってことだよな」
そう、彼らが引っかかったのはその部分だ。
あの無人機はどう考えても秘匿されているべき代物だ。
ISの無人操縦技術に、未登録のコア。
その上でアリーナのシールドを簡単に破る攻撃力。
そのほかの機能も破格といって差し支えない。
控えめに言っても最高機密として扱われてしかるべきだ。
「正味、俺は最後の一太刀の後に自爆するモノだと思ってたんだがな」
「……ねぇ、それ巻き込まれてたらどうするつもりだったの?」
「シールドエネルギーが切れてても、絶対防御のほうで防ぎきれると踏んでたからな。
証拠隠滅が目的なら、下手に破片をまき散らすような大きな爆発じゃなく、徹底的に内部を破壊するようなものにするだろうしな」
だが、現実にはそうならなかった。
ISのコアが未登録であると判断されたなら、そちらにも強酸などによる自壊措置はされていなかったということだ。
これが意味するものはなにか。
破壊されるとは思っていなかったから処置を施していなかった?
そもそもそんな発想も出てこないようなおめでたい頭の持ち主だった?
―――そんな楽観に意味はない。
いま必要なのは対策を練るために必要な悲観的な予測だ。
そして二人は、考えうる最悪の方向性を口に出す。
「すでに量産の目途が立っているから、一機を調査される程度なら今更構わないか」
「発展機の開発が順調だから、旧式を使いつぶすのに躊躇がないか」
「「―――或いは、その両方か」」
沈黙が続くこと暫く、リンゴを摘まむシャリシャリという音が静かに響く。
やがてリンゴが片付いたころ、楯無が深く息を吐きつつ天井を仰ぐ。
「でも、それにしたって証拠隠滅しない理由が解らないわね。
そうしたほうが、こっちを混乱させられるでしょうに」
楯無の言うとおりだった。
仮に無人機が自爆し、コアを含めてあらゆる証拠が焼失したとしよう。
その場合、コアが未登録のものであるという推測に至るだけでも長い時間を必要としただろう。
ISのコアはすでに世界中に散っており、使われていないものに関しても各国が厳重に管理している。
登録されているコアの消息を調べ、その裏取りをするだけでもどれだけかかるか分かったものではない。
情報の混乱というだけなら、それだけでもかなりの効果が期待できるのだ。
同じ『何もわからない』でも、『最初から何もわからない』というのと『何がわからないかわからないところから始める』のでは雲泥の差だ。
そういった利点を捨てても物証をわざと残す理由が理解できなかった。
「それこそ愉快犯か……でなかったら」
「警告、か」
「やっぱりそうなるかしらね」
つまり、今日のようなことがこれからも起きるかもしれないということだ。
先に待ち受けているかもしれない苦労に、二人して疲れそうな思いに駆られる。
「とりあえず、その辺りのこともこっちからそれとなく報告しておくわ。
……つらいところ悪かったわね」
「いや、こっちが頼んだことだ。 むしろ礼を言う」
「なら、今日はもう休みなさいな」
そう言って笑いかけながら、楯無は鍋や皿などを片付けてまとめていく。
そして盆に乗せたそれを持って立ち上がると、医務室を後にしようとする。
その去り際、顔だけ振り返ると、
「一夏、今日はご苦労様。 ……でも、無茶もほどほどになさいね」
それだけ言い残して、今度こそ去っていった。
後に残った一夏は、しばらく見送るように扉を眺めていたが、やがて改めてベッドに身を沈める。
白い天井を見つめながら、思うのは今回の事件の心当たりだ。
そう、彼は今回の事件を引き起こしうる人間として真っ先に思い浮かんだ顔があった。
おそらくは楯無も最も高い可能性として考慮していただろうが、それを口に出さなかったのは彼女なりの配慮か。
一夏はそれでも、疑念を振り払うことはできなかった。
(今回のこと、貴女の仕業なのか……?)
ISの無人機を作り出す技術力。
未登録のコアを所持していもおかしくない存在。
それでいて証拠隠滅を考慮しないちぐはぐな行動。
それら全てに該当しうる者。
(―――束さん)
幼馴染の姉で、姉の親友で、ISを生み出した稀代の天才。
その名を思い浮かべながら、彼は言いようのない想いを胸の内にわだかまらせていた。
***
暗くなった廊下を歩くナース姿の楯無。
彼女はふと盆に乗った鍋を軽く上下する。
「―――フフ」
行きと比べ、手製の雑炊がなくなった分だけ軽くなったその事実に思わず笑みを零す。
年相応の、花咲くような笑みを浮かべる楯無。
彼女は軽い足取りで、非常に機嫌のよい様子で帰路についた。
***
しばらく後。
無事に授業に復帰した一夏は、ある昼休みに呼び出された。
呼び出したのは鈴音だ。
その手には、二人分の弁当の包みがに抱えられている。
「頼んだわけでもないのに飯作ってきてくれて悪いな」
「いいのよ。 誘ったのはこっちだもの」
ちなみに、誘う際に一夏の教室でちょっとした騒ぎになったのだがそれは余談だ。
二人は学食ではなく、屋上へと足を運んでいた。
この日は天気も良く、春らしい温かく過ごしやすい陽気だった。
丸テーブルはすでにいくつか埋まっていたが、どうにか空いている一つを確保することができた。
「それじゃ、御開帳っと」
鈴音はそう言いつつ、包みを広げ、弁当箱の蓋を開ける。
中には、ゴマの振られた白く輝くご飯に、色取り取りの副菜、そして主菜として盛られているのは、
「へぇ、酢豚か」
豚肉や色とりどりの野菜がぶつ切りに炒められ、赤みがかった煌きを魅せている。
その彩りと冷めてもなお微かに鼻腔をくすぐる香りが否応なしに胃を刺激する。
「それじゃ、ありがたく。 いただきます」
手を合わせてそう言うと、さっそく酢豚に手を伸ばす。
それを摘まんで頬張り、味わう。
と、一夏は唐突に懐かしさを感じた。
それは彼がよく知っている味付けだったからだ。
「これ……親父さんのと同じ?」
「そうよ。 うまくできてるでしょ」
思わずといった一夏の反応に、鈴音が満足げに微笑む。
彼女の自信を証明するかのように、美味さと懐かしさで一夏の箸は進んでいる。
「ああ、昔よくご馳走になってた味だな」
「ふふん、結構苦労したんだからね。
……まあ、最後のコツはお父さんに聞いたんだけど」
と、一夏の箸がピタリと止まる。
彼女の言葉の意味は、つまりそういうことだ。
「そうか……親父さん、元気そうだったか?」
「ええ、アンタにもよろしくってさ」
歯を見せて笑う彼女に、もはや陰は見えない。
そんな姿に、一夏はようやく胸の内にのしかかっていた荷物が降りた気がした。
「そうか。 よかったな、鈴」
「うん!」
そうして、一夏は改めて食事を再開する。
甘酢餡を纏った香ばしい豚肉やシャキシャキとした食感の野菜を味わい、副菜を摘まみつつ米を食む。
それらを美味と堪能しながら、何気なくつぶやいた。
「これだったら毎日食いたいくらいだな」
瞬間、同じく弁当を食べていた鈴音が盛大に喉を詰まらせた。
涙目になりながら、乙女のプライドで醜態を抑えながらどうにかお茶で流し込む。
「大丈夫か? どうした、いきなり」
「だ、誰のせいだと……!!」
せき込みながら睨むが、心当たりがないといった様子で首を傾げる一夏に、鈴音は盛大な溜息とともに脱力する。
どうしたのだろうかと困惑する一夏に、鈴音は半ばヤケになりながら舌を出す。
「なんでもないわよ! ―――バカ一夏!!」
―――いつか過ごしていた日々。
それと同じようなやり取りの中に自分がいる。
鈴音はそうしてようやく自分が一夏の傍に帰ってこれたのだという実感を噛みしめていた。
***
弁当を平らげ、まったりと食後の休みを堪能していた時。
ふと、一夏が気づいたようにスマホを取り出した。
「どうしたの?」
「いや、メールが来たみたいでな。
………へぇ」
操作して、浮かべた彼の笑顔に鈴音は眉根を寄せた。
薄い胸に疼くものを感じたのだ。
「なにかあったの?」
「ん? いやな……っと!?」
鈴音に答えようとした直後、一夏の手の中でスマホが震えだす。
どうやらまたメールのようだ。
同じように彼が中を見たその時、
「マジか」
軽い、驚きのようなものを得ていた。
同時に、鈴音の胸騒ぎも増している。
「―――ねぇ、いったいどうしたの?」
知らず、声が平坦になっているのを自覚しながら問いただす。
すると一夏はなんでもないといった風にこう答えた。
「いや、同じ内容のメールが連続してきたからちょっと驚いてな。
―――知り合いのドイツとフランスの候補生が、こっちに編入してくるらしい」
その時。
鈴音は、新たな嵐が巻き起こる未来予知的な確信を得ていた。
主に恋する乙女的な意味合いで。
いつだったか、鈴は酢豚じゃないといったな。
あれは(ある意味)嘘だ。
……や、ぶっちゃけこのやり取りは割と予定外でしたが、個人的にはいい感じじゃないかと思うがどうでしょう?ダメ?
で、ここでぶっちゃけ裏話。
実は、セシリア戦終了時には鈴はすでに親父さんと電話してた予定だったんです。
なんでそれがなくなったかというと、単純にその辺り描写し忘れてたまま投稿しちゃったっていう……間抜けですね、ハイ。
まぁその分、第二章に含みを持たせられた気もするので結果オーライということにしてください(土下座
楯無と一夏の無人機に対する考察に関しては、実際に戦った人間だからこそでてくる疑問と推察を出せればなと思って書きました。
さて、この章も次回の幕間で終わり。
第三章は原作とだいぶ違うことになる予定ですので、楽しみにしていただければなと思います。
それでは、また明日。