「………………え?」
鈴音が戸惑い、首を傾げる。
その表情は呆気にとられたものだ。
まぁ、無理もないだろう。
久方ぶりにあった(しかも憎からず想っている)相手に、いきなり頭を下げられたのだから。
しかも雰囲気からして冗談の類とも思えない。
だが、本人としては全く身に覚えがないので戸惑うばかりである。
「え、えーと? ねえ一夏、いったい何のこ……」
「お前が転校した理由」
「っ」
言葉とともに、息が詰まる。
彼女のその反応に、一夏は胸中に苦いものを感じる。
そして同時に、己の予想が正しかったことを察した。
「………やっぱり、親父さんたちの」
「うん……」
力なく肯く鈴音の姿に、罪悪感が募る。
両親の離婚。
それが、中学時代に鈴音が帰国するに至った理由だ。
一夏がそれを知ったのはある国からの留学から帰った後のこと。
見送ることもできず別れてしまった彼女と話をしようと思い、伝手を頼って連絡先を調べたのだ。
その時に、図らずも彼女の両親が別れてしまったことを知ったのだ。
「本当なら、お前の口から聞くべきことだった。
すまない。 余計な詮索をした」
結局、そのことが棘となって今の今まで話をすることができなかった。
だから一夏は、彼女と会えたならまず真っ先にこのことについて謝ろうと心に決めていたのだ。
「ちょ、ちょっと! もう、頭上げてよ」
再度頭を下げる一夏に、鈴音は困ったように笑う。
彼女からしてみれば、驚きはしたし当時のことを思い出して暗くはなってしまったが、だからといってそれで一夏を責めようとは欠片も考えてはいなかった。
「別段、このことであたしにどうこういうつもりじゃないんでしょ?
なら別に良いわよ。 不可抗力なんでしょ」
「………そうか。
ただ、一つ訊いてもいいか?」
「………なに?」
「親父さんとは、話してるのか?」
再び鈴音の顔が曇り、やがて力なく首を横に振る。
一夏の調べでは、彼女は母親に引き取られている。
なら父親と疎遠になるのは自然なことともいえるが、それでもいなくなる前の彼女たちを知っている一夏からすれば、突き付けられる現実は胸に来るものがある。
だから、彼は余計なお世話を焼くことにした。
生徒手帳を取り出すとメモ欄を開き、そこに何事かを書き連ねていく。
「一夏?」
問う鈴音の目の前で、一夏はペンを走らせていたページを破ると、彼女に差し出した。
思わず受け取った彼女が目を落とせば、そこに記されていたのはいくつかの文字と数字の羅列だった。
住所と、電話番号だ。
「親父さんのアドレスだ」
「えっ!?」
「一応、確かめてあるから問題なく繋がるはずだ」
予想外の言葉に、思わず鈴音の視線が手に持つ紙と一夏の顔を何度も往復する。
何か言おうとして、しかし何も言えずに口を噤む。
やがて彼女は俯き、ポツリと呟く。
「………なにを、話せばいいのかな?」
絞り出すような声音は、今まで表に出すことができなかったからなのか。
抱えていたと、本人も自覚していなかった心の内が溢れだす。
「あたし、二人がなんで別れたかも知らないの。
お母さんにも訊けなかったし、お父さんにだって訊ける気がしない。
ねぇ、一夏」
改めてこちらを見上げてくるその表情は、虚ろな笑みで、
「―――あたし、何を話せばいいのかなぁ?」
今にも泣き崩れてしまいそうなほどに、脆く儚いものだった。
そんな底なし沼のように暗い眼差しを浴びながら、一夏はあっさりと答えて見せる。
「なんでもいいんじゃないか?」
「…………………………………………え?」
驚きに目を見開く鈴音に構わず、さらに続ける。
そこに気負った様子はない。
「別れた理由なんて聞きたくないなら訊かなければいいし、一年も話してないなら話題なんていろいろあるだろう。
特に、お前は中国の国家代表候補生にまでなったくらいだしな」
「っ! 知ってたの!?」
「そりゃ当然。 それはさておき、それを自慢してもいいだろう。
それでなくても、取るに足らない、小さなことでもいいんじゃないか?
それこそ、昔みたいに、その日あったこととかな」
「………けど」
敢えて軽い調子で言うの一夏に対し、しかし鈴音の顔は晴れない。
そこには、胸の内の不安が滲み出ていた。
「………嫌われないかな?
だって、ずっと、会ってなくて、それでいきなり、連絡して、話しかけて……
それに、いまのおとうさんが、あたしのしってるおとうさんじゃなかったら……」
「………」
既に、彼女の声は震えていた。
あとほんのひと突きでも決壊してしまいそうなほどに。
一年。
短いようで、存外長い。
少なくとも、何かのきっかけで人が変わるならば十分な時間だろう。
それらを踏まえて、しかし一夏は揺るがない。
「俺が知ってる親父さんは、そんなことで鈴を嫌ったりはしない。
けどもし親父さんが変わっちまってたなら―――」
その時は。
「―――俺を責めろ」
「え?」
「実際、俺のせいだしな」
戸惑う鈴音に、一夏は小さく笑って見せる。
そもそも、鈴音とて調べようと思えば父親の居場所くらい、いくらだって調べられるだろう。
それを敢えて『一夏が勝手に調べて渡す』ことの意味は、そこにある。
「使いたくなきゃ捨てればいい。
捨てた後でやっぱり使いたくなったらいくらだって書いてやる。
それで、もし使う時は……」
一夏の手が、鈴音の頭を撫でる。
掌に柔らかで暖かな感触が返ってくる。
「不安だ怒りだ責任だなんて余計なものは、全部俺にぶつけちまえ。
上手くいかなかったら、いくらだって怒られてやるし、殴られてやる」
「……………なによ、それ」
撫でられ続ける鈴音が、再び俯きながら声を絞り出す。
気のせいか、先程よりも声に力がある。
「ほんとに自分勝手。 押し付けて、それ格好イイと思ってんの?」
「そうだな、おせっかいにもほどがある」
「ほんとにそうよ。 大きなお世話よ」
「ああ、まったくだ」
「というか、なに当たり前みたいに人の頭撫でてんの?」
「撫でやすい位置にあったからな」
「それ嫌味? バカみたいにデカくなって」
「そっちはあんまり変わらなかったな」
「セクハラかコノヤロウ」
「そういう意味じゃない」
「どっちの意味でも同じことよ。 バカ」
「はいはい、悪かった」
「フン………………………………………………………………一夏」
「ああ」
そこから幾つかの呼吸の分、間を置いてから、鈴音は頭に一夏の手を乗せたまま彼の顔を見上げ、
「――――――ありがとう」
ついに涙を流しながら、しかし柔らかく微笑んだ。
直後、鈴音は一夏の胸に飛び込み、顔を押し付ける。
その涙は、先程まで彼女が零しそうだったものとは違い、暖かなもので、だからこそ、
(今日は昼飯は食えそうにないな……まぁ、実技の授業がなくてよかった)
一夏は鈴音の後頭部をよしよしと撫でながら、そんな暢気なことを考えられたのだった。
***
しばらくして。
泣きはらした以外の理由も含めて顔を真っ赤にした鈴音が、そっぽを向きながら父親のアドレスが書かれたメモを掲げる。
「一応、こいつはもらっといてあげるわ」
「そうか」
そこから先は彼女次第だ。
一夏にできるのはその結果を受け止めることだけである。
「それじゃあ、そろそろ戻るか。
お互い、初日から授業に遅刻するとか恥ずかしいだろ」
「う、うん。 ……ねぇ一夏」
「む?」
踵を返してその場を後にしようとしたところを呼び止められる。
首を回して肩越しに鈴音を見ると、
「―――約束してほしいことがあるの」
彼女は、酷く真剣な表情を浮かべていた。
というわけで、予告通りまるっと一話全部鈴。
……一夏のセリフ回し、寒くなってないだろうかちょっと不安です。
今回、彼女の家族のことにちょっとだけ触れてみました。
といっても、これ以上掘り下げたりはしない予定。
で、感想返しでもちょっと触れましたがここの鈴ちゃんは一夏と酢豚云々の約束してません。
お別れのときも留学中で、帰ってきてから転校と帰国を知り、連絡先を調べたら離婚していたという感じなので、そもそも約束するタイミングが存在しませんでした。
この作品では、そこらへんも含めて鈴にはちょっと抱え込んじゃってるものがあったりします。
詳しくはクラス対抗戦編にて。
その前にセシリアとですね。
いろいろ期待していただけたらありがたいです。
それでは、また次回に。