「…………………すまん、話が見えない。
とりあえず、なにに対しての礼なんだ?」
一夏が困惑しつつ当然の質問をすると、本音は手を合わせつつ困ったように眉を寄せる。
「ごめんね~。 それは言っちゃダメってお嬢さま……じゃなくて、かいちょーに言われちゃってるんだ」
「会長?」
その単語を聞いて、一夏の脳裏に即座に浮かんだのは入学前に出会った少女の顔だ。
記憶の内容に少しばかり苦みを覚えながら彼は確認する。
「楯無のことか? なら楯無に関係していることなのか?」
「う~ん、ごめん。 それも思い出すまで言っちゃダメだって」
恐らく、本音としても心苦しいのだろう。
先ほどよりも心苦しそうな表情を浮かべている。
さすがにこれ以上彼女を追及するのは憚られると同時に、一夏はある引っ掛かりを覚えた。
(………『思い出す』?)
本音は確かにそう言っていた。
もしこれが本当に楯無に関係する事柄だというなら、自分は彼女に対して何かを忘れているということになる。
そしてそれは同時にある事実を指していた。
(俺は、あいつに昔会ったことがあるのか?)
少なくとも、実技試験のときに礼を言われるようなことをした記憶はない。
入学までの間も彼女に関わった覚えはない。
ならそれ以前に自分は彼女に何かをしていたということになる。
(………まあ、布仏さんの口振りじゃ、直に聞いても答えなさそうだな)
ならこの場で延々と考えても仕方がないだろうと思い、一夏は改めて不安げに見上げる本音に向き合う。
「布仏さん。 正直な話、俺はそれがなんのことだか見当がつかない」
「そっか~」
「だから」
そこで彼はわずかに膝を折って、彼女と目線を同じくする。
キョトンとする彼女に、薄く微笑みながらさらに続ける。
「思い出した時、改めてその礼を受け取ろうと思う。
それで構わないか?」
「っ、うん!!」
本音が本当にうれしそうに顔を綻ばせる。
それを確認してから、一夏は別の疑問について尋ねることにした。
「ところで、楯無のことをお嬢さまって呼んでたのは?」
「あ、それはね。 うちはむか~しから代々更識家のお手伝いさんなんだよ~」
「あぁ、なるほど」
つまりは、家ぐるみの付き合いのある幼馴染か。
ただ、そこに主従のようなものがあるようだが。
一夏が一応の納得を得ていると、本音が続けて言う。
「それでね~、私とお姉ちゃんもおりむーと同じ生徒会の役員なのだ~」
「へぇ」
そういえば、楯無は二人は決まっていると言っていたような気がした。
それが彼女とその姉か。
「だからおりむー、私のことは名前で呼んでほしいな~。
布仏じゃ、お姉ちゃんとどっちか紛らわしいよ」
「……了解した。 それじゃあ改めて、よろしく頼む。 本音」
「ん!」
右手を差し出しながら口の端を持ち上げて見せると、本音も嬉しそうに頷いて袖を捲る。
想像以上に細く華奢な手指を曝け出すと、一夏の手を柔らかく握り返す。
その時、掌に伝わる感触に彼はあることに気付いた。
(思ったよりも皮膚が硬い……それにこのタコは……)
それは、日常的に工具や鋼材に触れる者の手だ。
より具体的に言うと、整備兵と同じ掌の持ち主である。
そのことで、一夏は彼女がそういった技術を有していることを察した。
「……おりむー、私の手、いやだった?」
と、黙りこくった一夏に不安を感じたのか、本音が先程までとは打って変わって弱々しい声を上げる。
もしかしたら、己の手のことを気にしているのかもしれない。
だから一夏は正直に答えることにした。
「いいや。 意外だったから驚いただけだ。
それに、これは努力と実力が刻み込まれた手だろう?
俺は好きだぞ、そういうの」
彼は留学中、これと同じ掌を持つ者たちと何人かあったことがある。
親し気に話しかけてくれる者もいれば、偏屈な老人だっていた。
だが、誰もが己の仕事と技術に真摯に向き合い、見ていて思わず固唾をのみ込むほどに没頭していた。
だから彼女の手を笑うことは彼らを笑うことに繋がってしまう。
なにより、自分と同い年の人間が彼らと同じ領域に足を踏み込んでいることは、素直に尊敬を抱かざるを得なかった。
一方で、そんな言葉を返された本音はというと、
「あぅ……」
呻くような声を漏らしながら、顔を真っ赤に染めていた。
どうやら一夏の言葉はあまりにも不意打ちに過ぎたらしい。
が、その原因である一夏はなぜ本音がいきなり顔を赤くして黙ってしまったのかわからなかったらしく、首を傾げている。
朴念仁の証左だ。
「どうかしたか、本音?」
「にゃ、にゃんでもないよ!! そそれじゃあ、そろそろ戻ろうか、おりむー!!」
「あ、ああ」
戸惑う朴念仁を尻目に、ぎくしゃくと歩き出す本音。
が、不意にピタリとその歩みが止まる。
そのまま動かずにいること数秒、彼女はゆっくりと振り返り、コテンと首を傾げた。
「………教室、どっちだったっけ?」
その後、一夏が道順を覚えていたため、二人は遅刻することなく帰還できた。
***
それから幾つかの授業と休み時間を経て、現在は昼休み。
初日の感想としては、概ね大過なく過ごせたと思う。
授業の方は留学での経験から難なく理解することができた。
寧ろ休み時間の方こそ気疲れを得たものだ。
本音が話しかけた後だからか、箍が外れたように取り囲まれたのだ。
特になにやら本音との仲を邪推されたときは誤解を解くのに酷く苦労した。
(本音にもあとで詫びないとな)
変わらなかったのは、相変わらずこちらをちらちらと見ていた箒と、我関せずを貫いていたセシリアくらいか。
昼休みも、ぼやぼやしていたら同じことだろう。
そうなる前に、一夏は動き出す。
「さて、と」
そうして立ち上がったその時、教室の入り口から久しく聞いていなかった声が響いた。
「一夏!! いるわね!?」
見れば、そこにいたのは中学の初めに転校してしまった知己、【凰 鈴音】だ。
一夏は心臓が跳ねあがるのを自覚しつつ、安堵の息を吐く。
手間が省けた、と内心で嘯いた。
「よう、鈴。 久しぶり」
「え、あ、うん、久しぶり」
勇ましく声をかけてきた割りには急にしおらしくしどろもどろになる鈴音。
どうやら、いざ本人を目の当たりにして少なからず動揺してしまったようだ。
構わず、一夏は続ける。
「とりあえず、ここじゃあなんだし……人がいないところで話そうか。
―――俺も、お前に言わなきゃいけないことがあるからな」
「ひゅぅっ!!?」
途端、顔を真っ赤にした鈴音が喉から声というより風漏れのような音を喉から絞り出す。
それに対し、周囲がざわめきを得る。
本音に続いて他の娘とも!?……そんな衝撃が駆け巡り、教室を満たしていく。
一夏はそれが外へと侵食しない内に、鈴音の手を引いて教室を後にした。
残されたのは、やはり本音のときのようにキャッキャッと盛り上がる少女たちに、
「………」
一夏たちを呆然と見送る箒。
そして、
「………………」
もはや言葉もないとばかりに憮然とした表情を浮かべるセシリアだった。
***
「この辺りならいいか」
教室から離れた一夏たちの姿は、アリーナの入り口前にあった。
やはりたった一人の男子生徒というのが珍しいのか、どこへ行っても注目されてしまうため、人気のない場所を探すのには少し難儀した。
結局辿り着いたのはこの時間もっとも混むだろう食堂や購買から遠いこの場所だった。
或いは、熱心な生徒辺りが許可を得て使用しているのではないかとも考えたが、新年度初日だからだろうか杞憂に終わったようだ。
改めて一夏が鈴音へと振り向くと、彼女は顔を真っ赤にしてそわそわと身を捩っていた。
「ね、ねえ一夏……あたしに話したいことって、何?
こんな人気のない場所でなんて………」
「落ち着けよ、鈴。
というか、真っ先にお前は来るもんだと思ってたんだが……」
「え、えぇ……本当はそのつもりだったんだけど、すごい人だかりだったしね。
次の時間とかも、アンタたくさんの女の子に囲まれてたし……」
言っていて、おもしろくなかったのか不機嫌そうに一夏を睨む。
当の本人からすれば溜息しか出ない。
「おれとしちゃ、勘弁してくれって話だったんだがな。
パンダの気持ちなんて知りたくもなかった」
「………それ、大昔にからかわれてたあたしへの当てつけ?」
「………あー、悪い。 そのつもりはなかった」
「冗談よ」
言って、漸く肩の力が抜けたように笑う鈴音。
それに対し、一夏も軽く笑って、しかしすぐに表情を引き締めた。
「鈴」
「う、うん」
一夏の表情に、思わず佇まいを直す鈴音。
そして数秒の沈黙を経て、
「――――――すまない。 お前に謝らなきゃいけないことがあるんだ」
深々と、頭を下げた。
なんでいきなりジゴロってんだコイツ(真顔
いや、当初の予定では本音とは違う会話をする予定だったんですよ。
ただ、ちょっと不自然な感じになるなと思ってそっちは没ったんですよ。
で、一夏とのほほんさんが握手する辺りで……
・そういえばのほほんさんって整備スキル持ちだったよな
↓
・てことは手とかもそれっぽい感じだろうな
↓
・実は微妙に気にしてるとか
↓
・まぁ一夏は気にしないだろうな(原作でもウチのでも)
↓
・あるぇ~?
……こんな感じ。
気が付いたら真っ赤になったのほほんさんを描写してましたよ。
おかしいなぁ、のほほんさんのフラグはもう立てるにしてももうちょっと後のつもりだったのに……
まぁ、まだ落ちてはいないと思いますよ。
そんなチョロくはないはずですよ?
どっかのイギリス貴族じゃあるまいし(爆)
そして登場の鈴。
とりあえず次話は丸々鈴との会話です。
で、ちょっと冒険。
アンチとかじゃないですけど、受け入れられるかがちょっと心配だったり。
サブイボとか出たらごめんよ(なに書いた貴様
とりあえずはこの辺で、また次回。