「ーーー貴女達に渡すお金なんて無いわ」
寒くなり防寒着が手放せなくなってきた12月、いつも通りに誰からも腫れ物扱いされる学校からの帰り道に引きずり込まれた路地裏で過剰な化粧とアクセサリー、そして丈の短いスカートを着た同じ学校の生徒……かつて私を利用しようとして、今も金ヅルとしか見ていない遠藤にそう断言した。
学校が終わってから30分でカラオケを歌って電車代が無くなったからと一万円も要求してきたのだ。定期カードを持っているだろうとか、電車代に一万円もいらないだろうとか矛盾は数多く上がってきたがそれを指摘したところで逆上されるのは目に見えている。
「へぇ」
その拒絶を聞いて目に加虐的な光を宿した遠藤は立ち上がり、私の目の前に立つ。取り巻きの2人は私を逃さない為にか背後に回っている。それに漣君を警戒してか、遠藤の背後には下卑た笑いを浮かべながらタバコを吸っている男たちの姿も見えた。
弱者をいじめ、アウトロー気取りの彼女達であるが直接的な手段に出るとは考えにくかった。何故なら彼女達は私や漣君のように一人暮らしをしているわけでなく実家で暮らしている。何か問題を起こせばすぐに保護者が飛んでくると理解しているから。
「ーーーバァン」
だから暴力的ではなく精神的に、彼女は私を傷付けにきた。
握られた右手の親指と人差し指を立てるという銃のような形を作り私に突きつけ、口で銃声を真似した。それだけ、それだけで私の全身からは熱が消え失せる。脳が揺れて平衡感覚が怪しくなり、視界が歪むのに目は銃口の人差し指から話せない。銃声を聞いた時には吐き気が込み上げてきて反射的に口を塞いだ。
GGOをプレイして数ヶ月経ち、上位プレイヤーとして数えられるようになった私だが、現実ではまだ弱いままだった。シノンなら銃を持っても、銃を撃っても平然としていられる。なのに朝田詩乃は子供の遊びのような物でこうして発作を起こしてしまう。
強くなりたいーーー弱い自分に負けないくらいに。
強くなりたいーーー過去に押し潰されないくらいに。
強くなりたいーーー1人でも生きていられるくらいに。
そう思いそう願って生きていたはずなのに今の自分は弱いまま、発作を起こして過去の出来事がフラッシュバックする。思い出してはいけない、考えてはいけないと意識すればする程にあの時の事が鮮明に蘇ってしまう。
そんな私を見て、遠藤は後ろにいた男たちに何やら指示を出す。それを聞いた男たちは下卑た笑いを一層深めながら立ち上がり、私に迫ってきた。逃げなくちゃ、逃げてはいけない、弱い自分の声と強くなりたい自分の声が頭の中に響き渡るが私は何もする事ができないでいた。
「ーーー何やってんの?」
だから、彼の声が聞こえた時に素直に嬉しいと思ってしまった。大きくは無いが自然と良く通る声が耳に届き、グチャグチャになっていた頭の中を鎮めてくれる。
「漣、くん……」
振り返れば私と同じ学校帰りで制服姿の漣君が呆れたような表情を浮かべて立っていた。実際に呆れているのだろう、大勢で私を囲んでいる遠藤たちの事を。
「漣ぃ……ッ!!」
「えっと、ゴメン、どちら様?生憎、そんなケバケバしい顔面の持ち主の知り合いはいなくてね」
遠藤は漣君を親の仇でも見るような目で睨んでいるが、漣君は本気で遠藤の事を知らないような素振りを見せている。記憶力が良い彼だがその反面興味が無い出来事は全く覚えていない。彼にとって彼女たちは興味を惹く存在では無かったのだろう。
「おいおい、ガキが突っ込んで来るなよなっ!!」
私に迫っていた男の1人が漣君に近づき、不意打ちのつもりなのか話しながら殴り掛かってきた。指にはアクセサリーが嵌められていて、殴られたら相当なダメージを受けるのは目に見えている。
もっとも、そんな不意も突けていない不意打ちなんて彼には通じないのだが。
首を傾げて拳を躱し、股を蹴り上げた。男の両足が地面から浮き上がり、着地と同時に崩れ落ちて動かなくなる。その光景を後ろで見ていた男たちは全員内股になる。あれは痛いと思う。昔に好奇心で私のお爺さんの股に竹刀を振ったのだが、あのお爺さんが情けない声をあげてその場から動かなくなったから。
「次は?」
「お、オォォォォォォ!!!」
怯えを拭うためにか叫びながら突進するが漣君はヒョイと躱され、足をかけられて顔から転ぶ。そして追撃で股を蹴り上げた。
「次来いよ」
「なんで股ばっか狙うんだよ!?」
「あ?女の子1人に対して集団で襲うとか玉無しだろ?つまり玉は要らないって事だろ?潰れても問題ないだろ?」
「やめてよぉ!!」
漣君の所業に思わず1人が泣き叫ぶが彼は止まらない。恐怖で足がすくみ来ないのなら自分からと集団の中に飛び込み、次々に股を蹴り上げていく。離れて見ているから分かるのだが彼は逃げ出そうとしている者を優先して狙っているが、彼らがそれに気付くことは無いだろう。
2分もすれば男たちは全員内股になりながらその場に倒れ、遠藤たちは逃げ出したのか姿を消していた。彼が来たからなのか、それともあんな光景を見せられたからなのか、発作は治って体調は元に戻っていた。
「大丈ーーー」
「ーーー朝田さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
一仕事終えたという風にやり切った顔をして振り返った漣君だったが横からドロップキックを決められて路地裏へと吹っ飛んでいった。突然の出来事で何があったのか理解できないでいるとドロップキックを決めた人物は華麗に着地し、私に抱きついて来た。
「朝田さん朝田さん朝田さん朝田さん朝田さん朝田さん!!大丈夫ですか怪我してませんか気分は悪く無いですか貞操は無事ですか!?ごめんなさい!!私連れて行かれるところを見てたんだけどそこのキチガイが出動するの見えたから怖くなってーーー」
「ーーー反撃のドロップキ〜ック」
まくし立てるように話しながら私の身体を調べていた彼女だが、再起した漣君にドロップキックを決められて吹き飛ばされる事になる。よく見れば漣君の額には青筋が浮かんでいるので怒っているのだろう。
「痛かった……痛かったぞこのクレイジーサイコレズがぁ!!」
「このキチガイィ!!私と朝田さんとの時間を邪魔するんじゃない!!しかも乙女の顔面にドロップキックするとか正気!?」
「……乙女?朝田以外に居ないだろ?」
「ぶっ殺してやらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
いつものヘラヘラとした笑みを浮かばない無表情で言われて本当にそう思っていると錯覚した彼女はそう言って近くに落ちていた鉄パイプを握り締めて漣君に向かって行った……世の中には性格が合わない人も居るだろうから仲良くしろとは言わない。だけど煽って殺しに行くとか止めて欲しい。
鉄パイプを振り回し、残像を残しながら漣君に逃げられている彼女は
だけど同性愛者である。私の事を性的な意味で好いていて、油断をすればガチで貞操を狙って来る。過去に一度、自然な流れで襲われそうになった事があるが、その時は作りすぎた夕飯のおかずをお裾分けに来た漣君に助けられた。
「あ〜あ、またやってるよ」
「新川君……」
2人のやり取りを見ていると呆れた顔をしながら新川君がやって来た。漣君とは違い、現実では武芸を修めていないので足手まといになると考えて今まで出て来なかったのだろう。
私の過去が広まった時、私は新川君はきっと私から離れると思っていた。けど、彼は離れる事なくいつも通りの態度で接してくれた。その理由を話そうとしないが数少ない私と対等でいてくれる貴重な人である。
「ここの処理は僕がやっておくから朝田さんは帰って良いよどうせ発作を起こしたんでしょ?こんなところじゃなくてちゃんとしたところで休んだ方が良いからね」
「……そうさせてもらうわ。ゴメンけど漣君にお礼言ってもらえるかしら?直接言いたいのだけど……あれじゃあ……」
「完全におちょくってるねぇ……お、凄い。右に避けようとしてから左に避けた」
本当だったら直接お礼を言った方が良いのだが漣君は怒りで我を忘れている金本さんの相手で忙しそうだ。お礼を伝えるように新川君に託けて、好意に甘えさせてもらう事にする。
煽りながら笑っている漣君の声と金本さんの言葉にならない罵声、2人のやり取りを見て感心している新川君を残して私は路地裏からアーケードに出て家に帰る事にした。
最終的には発作を起こして漣君に助けられたが、遠藤たちの脅しに正面から立ち向かえた事に細やかな自信を感じながら。
「……あ、スーパー行くの忘れてた」
部屋の前まで戻り、鍵を開けようとした時にスーパーで買い物するのを忘れていた事を思い出しながら。
BoB開始前の現実世界での一幕。さり気無くクレイジーサイコレズとかいう濃いオリキャラが登場してるけど、彼女にもちゃんと役割があるから。
この後シノのんは面倒だと思いながらスーパーまで戻って買い物を済ませました。その間にも修羅波とクレイジーサイコレズのじゃれ合いは続いていたらしい。