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「それにしても、ランも大分料理が上手くなってきたな」
「暇さえあれば毎日のように料理をしてましたからね、もうそろそろ熟練度カンストまで行きますよ!!」
「教えた私が言うのもあれだけど、まさかここまで料理に熱中するとは思わなかったわ」
皿の上に山盛りで積まれた肉と野菜の炒め物を箸を片手にひたすら食べ進める。〝料理〟スキルを取ったばかりの頃は焦げ以外の何でもない料理しか作れなかったランだが今ではマトモな見た目で美味しい料理を作ることが出来ている。ランがオタマと中華鍋を持ちながら胸を張ってドヤ顔をしているのだが、何故だか彼女の作る料理は全て中華料理っぽい物になる。思い出してみれば、ランが料理をする時にはいつも中華鍋を振るっていたから、それが理由なのかもしれない。
ともあれ料理が美味しいと言う事はいい事だ。上機嫌そうに鼻歌を歌いながらキッチンで中華鍋を振るって新しい料理を作っているランの姿を見ながら黙々と料理を食べ進める。料理が楽しくて熱中するのは良いのだが、俺一人で食べ切るような量ではない。実物は見た事は無いが、満漢全席を思わせる量の料理がテーブルの上に所狭しと並べられている。VRMMOでの食事は満腹感を得られても、実際に満腹になっているわけでは無い。食べようかと思えば食べられない事は無いのだが、度が過ぎればそれはただの苦行になってしまう。
助けを求めるつもりでシノンに目を向けるが首を横に振られてしまう。仮想現実の世界で現実世界の身体には影響は出ないとはいえ、流石にこの量の料理を食べたいとは思わない様だ。
仕方がないので皿を持ち上げて料理を一気に口に流し込み、咀嚼して吞み下す。脳から満腹感が伝えられて、身体がこれ以上の料理の受け付けを拒もうとするが、それをねじ伏せて次の料理に手を伸ばす。
「はーい、ランちゃん特製のエビチリが出来ましたよ〜!!」
「先にそれ頂戴。流石に苦しくなって来た」
新しく運ばれて来たのはエビチリ。余程に辛いのか匂いを嗅いだだけで少し鼻が痛くなる。それだけ辛いのなら、食欲を増進させる事が出来るかもしれないと先にエビチリを頂く事にする。
そしてエビチリの乗せられた皿を貰おうと手を伸ばした瞬間ーーー
「ッ……!?ァーーー」
ーーーランが胸を押さえてその場に崩れ落ちた。エビチリの乗せられた皿はランの手から離れて床に落ちて砕け散る。
「しら、ぬい……さーーー」
そしてランは苦しそうな顔を俺に向け、縋るように手を伸ばしながら強制ログアウトされた。それと同時にエビチリがポリゴンに変わる。
何が起きたのか分からずに数秒だけ硬直してしまい、ある可能性を思い付いてしまう。考えたくもない可能性だったが、シノンも同じ様な可能性を思い浮かべたのか顔を青くしていた。
「チィッ!!」
その可能性を否定したくてウインドウを表示させて即座にログアウトの項目を叩くように押す。それを見て、シノンがログアウトの項目を押そうとしている時に俺は仮想現実の世界から現実世界に帰還する。
嘘だと信じたい。しかしあの時のランの苦しそうな顔がそれを否定する。確かめる為にアミュスフィアを投げ捨て、倉橋さんと連絡を取ろうとスマホに手を伸ばした瞬間、俺が触れるよりも先にスマホに着信が入った。
あまりのタイミングの良さに背筋に寒気が走る。まさか、と思いながらスマホのロックを解除し、メールを確認すると新着情報に倉橋さんの名前があった。
そしてメールの題名は緊急、紺野藍子と紺野木綿季の容体が急変したとだけ書かれていた。
いつまでもあの時間が続いて欲しいと願っていた。
あの日々がいつか終わると分かっていたつもりだった。
それでも、あの彼女と過ごした時間が楽しかったから、
馬鹿をやっている時間が好きだったから、
今を大切に生きている彼女の姿が綺麗だったから、
あの時間がずっと続いて欲しいと願っていた……いや、ずっと続いくものだと思い込んでしまっていた。
いつか終わる事など、分かっていた筈なのに。
詩乃と共に横浜港北総合病院に辿り着いた時、倉橋さんから連絡を受けたらしいアスナと合流する。そして受付窓口にはすでに話が通っていたようで、2人がいる中央棟最上階へ急ぐように告げられた。マナー違反だと分かっているが、病院内を走って中央棟最上階を目指す。
そして2人が眠っているはずの病室が目に入った時に、現実がやって来た。
ランが眠っていた部屋とユウキが眠っていたと思われる部屋のドアが人の出入りを優先する為に開け放たれていた。
「ーーー良かった、間に合いましたか」
ランの病室から姿を現したのは僅かに息を乱れさせた倉橋さん。彼は俺たちがやって来た事に喜んでいるようだが、彼の言葉が俺たちの思い付いた可能性が本当なのだと交代してしまっている。
「倉橋さん、ランに……藍子に会うことは出来ますか?」
「はい、会ってあげてください。きっと、彼女もそれを望んでいるはずだから」
その言葉に軽く頭を下げるだけで返して詩乃の手を引きながらランの病室へと入る。日和見感染を避ける為に固く閉ざされていたドアは開きっぱなしになっていて、それが否応無しに現実を押し付けてくる。機械が所狭しと置かれて最小限のスペースしか無かったはずのランの病室だが、スペースを作る為にか殆どの機械は左の壁際に押しやられていた。2人の看護師がランの容態を見ているが、その姿からは死なせない、必ず助けるという熱量が感じられない。
その姿を見て、気が付きたく無かった現実を受け入れるしかないと悟った。人を助ける事が使命のはずの彼らがそれをしない、つまり取り返しのつかない段階に入ってしまっているという事を。
「ねぇ……どういう事なのよ。ランは、まだ大丈夫なのよね……?」
「……倉橋さんの話によると、俺たちが来た頃からランとユウキはいつこんな日が来てもおかしく無かったらしい。AIDSの発症による免疫力の低下、そのせいで起きた感染……そんな中で、2人は生きてたんだ」
詩乃の言葉を肯定してやりたいが、それは不可能だとランの顔を見て思い知らされた。噎せ返る程の死の匂いが彼女からは立ち込めている。それは俺が姉ちゃんを殺した時に彼女から感じられたそれと同じだったから。
〝メディキュボイド〟が外された事でラン……いや、紺野藍子の顔を初めて見る事が出来た。ガリガリに痩せかけて色素の薄い顔はまるで死人の顔のよう。だけど、そうなってまでも生きたいと、そうなるまで生きたと分かる顔にはある種の幻想的な美しさが感じられた。
詩乃の手を引いて、力無く横たわる藍子の手に重ねる。そして俺は反対側の藍子の手を詩乃と同じように重ねた。骨と皮だけの手は女の子のものとは思えない程に硬く、生きている人間のものとは思えない程に冷たかった。脈は殆ど感じられない程に弱々しい。
しかしその手は紛れもなく死にたくないと、生きたいと願って戦い続けた人間の手だった。
そしてその時、藍子の閉じられていた瞼が僅かに持ち上げられた。長年使われなかった事で殆ど失明しているに近いはずの瞳が俺に向けられて、色素の無くなった唇が小さく動く。視力と同じで長年使っていなかったことから彼女の声帯は本来の働きをする事は出来ない。
だけど、その僅かな動きだけで彼女が何を求めているのか理解する事が出来た。
「……詩乃」
「……えぇ、行ってあげて。きっとランも貴方の事を待ってるから」
「あぁ……すいません、彼女に〝メディキュボイド〟を使わせてあげて下さい」
「えっ?でも……」
「お願いします、彼女も……藍子もそれを望んでいるから」
渋る看護師に頭を下げ、何とか〝メディキュボイド〟の使用を了解させる。そして隣のモニタールームに飛び込んで倉橋さんがいつも面談に使っているアミュスフィアを装着してランが待っている世界に行く事にした。
意識が覚醒したのは〝新生アインクラッド〟22層にある俺の家。寝室で目を覚ました俺は家の外に彼女がいる事に気が付いた。玄関まで移動する時間が勿体無いと、寝室の窓から飛び降りて外に出る。
「……えっと、どっちで呼んだら良いですかね?どうせなら本名で呼びたいんですけど」
「好きに呼んでくれ。俺もそうするから」
「はい、それなら不知火さんと呼ばせて貰います」
そう言いながら儚げに微笑むランからはついさっきまで感じられた生気を殆ど感じられなかった。燃え滓、残り火、切れかけの蛍光灯……今の彼女の状態を言い表す言葉が次々に思い浮かんでくる。
「どこか行きたいところはあるか?」
「それならヨツンヘイムに、不知火さんと詩乃さんと初めて出会ったあそこに行きたいです」
「いいのか?ユウキたちと会わなくて」
「実はですね、いつこんな日が来ても良いようにみんなと話してたんです。私が死ぬ時は不知火さんと2人っきりが良いって」
「……」
いつもならば不吉な事を言うなとパンチ付きで言い返すのだが、今に限ってはそんな気にはなれなかった。
「ほら、手を貸せ。辛いんだろ?」
「アハハハ……分かっちゃいますか?実は結構いっぱいいっぱいで……エスコートは宜しくお願いします」
「ハッ、藍子こそ、何時ぞやみたいに強制ログアウトなんかするなよな?」
だから、なけなしの憎まれ口を叩きながら
そしてストレージから転移アイテムを取り出して、俺たちが初めて出会った地下世界、ヨツンヘイムの世界樹の根の元に転移した。