「来たわね……」
「そんなに堅くならなくても良いだろ」
アスナと〝スリーピング・ナイツ〟のメンバーが1パーティーのみでボスを倒し、〝剣士の碑〟に名前を刻むという偉業を成し遂げた翌日、始業式だけだった学校を終えた俺と詩乃はその足で横浜港北総合病院に来ていた。総合病院というだけあって規模は大きく、壁は建てられて時間が経っているはずなのに清潔さを感じさせる色合いに保たれている。始業式が終わってすぐに来たので訪れる人影は少ない。詩乃の手を引きながら受付に向かう。
「すいません、ここに紺野藍子という人がいるはずなんですが」
「紺野……まさか、お名前を教えて頂けますか?」
「漣不知火です。こっちは朝田詩乃」
「それと、何か身分が確認出来る物を」
そう言われても出せる物は学生証くらいしか思いつかない。素直に詩乃と一緒に学生証を出して証明写真と俺たちの顔を見比べられて確認される。本人だと確認出来ると看護師は受話器でどこかに連絡を取り、第二内科の倉橋という人物が会うと言う。おそらく昨日ランが言っていた人物と同じなのだろう。銀色のパスカードと一緒に返された学生証をしまいながら礼を言って指示された階へと移動する。
そして四階の受付前のベンチで待っていると白衣姿の男性が足早に近づいて来た。
「ーーー漣不知火さんと朝田詩乃さん、ですね?」
「はい、貴方が倉橋さんですか?」
「えぇ、紺野藍子さんの主治医の倉橋です。よく訪ねて来てくれました」
小柄でやや肉付きの良い倉橋さんはそう言いながら垂れ気味の目を細めながら微笑む。敵意を感じさせない朗らかな笑みは患者への精神的負担を与えないので医者としては利点だろう。俺の様な目付きだと警戒させていらぬ負担を掛けさせる事になるからな。
「立ち話もなんですし上のラウンジに行きましょう。あそこのラウンジのコーヒーは美味くも無いけど不味くも無いと有名なんですよ」
「素直に普通って言ったら良いんじゃ無いですか?」
「普通とも言い難いんですよね」
そう言って苦笑しながら倉橋さんはエレベーターに向かう。その後ろをついて行こうとすると、詩乃が服の袖を引っ張っているのに気が付いた。
「どうした?」
「……不知火が敬語で話すって違和感しか感じないんだけど」
「帰ったらALOでやったみたいに可愛がってやる。嫌だと言っても超可愛がってやる」
前にやった時のことを思い出したのだろう。詩乃は顔を真っ赤にさせると俯きながら頷いた。
倉橋さんに案内されたのは広々とした待合スペース。そこの奥まった席に詩乃を隣に座らせて倉橋さんとは向かい合って座る。周囲には人影が少なく、誰かが話を盗み聞こうとしている気配も感じられなかった。
「……確かに美味くも無いけど不味くも無いですね」
「それに普通とも言い難いわ……」
「でしょう?今ここに勤めてる看護師と医者の署名を集めてこれをどうにか出来ないかって話し合ってるところなんですよ」
倉橋さんが勧めて来たコーヒーはブラックで飲むと確かに美味くも無いけど不味くも無い、それでいて普通とも言い難い味をしていた。飲めなくは無いから俺はそのままブラックで飲んでいるが、詩乃は飲みにくかったのかミルクと砂糖を入れて飲みやすい様にしている。
「さて……2人は藍子さんの事をどこまで知っていますか?」
「私は知らないです」
「〝メディキュボイド〟を利用していると確信してます。多分、〝スリーピング・ナイツ〟……ランが所属していた団体も似た様な状況なんだと思います」
「なるほど……藍子さんが言った通りに漣さんは鋭い様だ」
「ねぇ、〝メディキュボイド〟って?」
「朝田さんは知らない様ですね。なら、そこの話からしましょうか」
〝メディキュボイド〟とは、アミュスフィアの体感覚キャンセル機能を利用した医療用フルダイブ機器だ。アミュスフィアの出力を強化して延髄に電磁パルスを送り神経を一時的に麻痺させる事で全身麻酔と同じ効果を発揮させる事が出来る。その間、患者の意識はVRワールドに行っていて手術の間の苦痛は感じないし、例え意識の無い状態だろうと患者とのコミュニケーションを取ることが出来る。見た目としては白い箱と同じだが、医療現場で生きる人間からしてみれば本当の意味での夢の機械と同じだ。
「そうなんですか……良く知ってたわね?」
「恭二から前に聞いたことがあってな。アミュスフィアを医療に使うっていう発想が面白かったって覚えてたんだよ」
「……だったら、漣さんは藍子さんが今どういう状況なのか理解してるんですね?」
「〝ターミナル・ケア〟ですよね?」
「〝ターミナル・ケア〟?」
「日本語では、終末期医療と言います」
「ーーー」
終末期医療。その言葉の意味は知らなくても響きからどういうものなのかは予想する事が出来る。予め予想していた俺は平気だったが、詩乃は冷水でも掛けられたかの様に表情を強張らせていた。
倉橋さんの表情も〝メディキュボイド〟について語っていた時の様な生き生きとしたものでは無くて労わる様なものに変わっている。
「漣さん、朝田さん。ここで話を止めておけば良かったと後になって思うかもしれません。その選択をしても僕は貴方たちを責めませんし、藍子さんも責めません」
「俺は聞きますよ」
正直な話、俺はランがどういう生き方をして来たのか大体予想は出来ている。なのでどんな話になろうが受け止める覚悟は出来ている。だけど、詩乃は分からない。ほとんど売り言葉に買い言葉の様な感じでここに来た詩乃にランの経歴を聞くような覚悟は出来ていない。この続きを聞いて、聞かなければ良かったと後悔するかもしれない。それが普通なのだ。普通の感性の人間なら、そう思う。
だけど詩乃は二、三度深呼吸をして気持ち落ち着かせると流石に頷いて話を聞くことを肯定した。
「……そうですか。藍子さんに2人とも話を聞こうとするとは言われていましたけど、本当にそうなりましたね。分かりました。藍子さんからは2人が望むなら全てを伝えても良いと言われています。ここから藍子さんの病室までは少し遠いので歩きながら話しましょう」
そう言って倉橋さんは立ち上がり、エレベーターに向かって行った。その跡をついて行こうとすると、詩乃が俺の手に自分の手を重ねているのに気が付いた。
そして、その手は僅かだが震えている。
その震える手を無言で握り、俺たちは倉橋さんの後を追ってエレベーターに乗り込んだ。
エレベーターに乗りながら移動した先は病院の最上階となる12階。部外者の立ち入りを制限する為に〝スタッフオンリー〟と表示された通路といくつかの電子ロックの扉を潜りながら倉橋さんの跡を詩乃の手を引きながらついて行く。
その道中で語られたのは〝ウインドウ・ピリオド〟という言葉の説明、その〝ウインドウ・ピリオド〟の存在故に起こってしまう輸血用血液製剤の汚染、そしてラン……紺野藍子が出産の際の大量の出血によりウイルスに汚染された血液を輸血されてしまったこと。しかも紺野藍子だけでは無く彼女の両親、そして双子の妹までがウイルスに感染している事が輸血後の確認血液検査で判明した。
詩乃の足取りが重くなっているのを感じるがそれを無理矢理に引っ張って行く。ここに来る事を、そして話を聞く事を選んだのは詩乃なのだ。ならばここまで来て引き返すという選択肢は存在しない。彼女もそれを分かっているのか手を握る力を増しながらも大人しく引っ張られている。
〝第1特殊計測機器室〟と書かれたプレートが嵌め込まれた部屋に入る。内部は奥行きのある妙に細長い部屋で、左手側のガラスは黒く染まっている。恐らく、ここにランはいるのだろう。中を見れない様に黒く染められたガラスの前に立ったその時には、俺が痛いと感じられるほどに詩乃の手には力が込められていた。
だけど、彼女はその手を振り解いて逃げ出そうとしない。
「このガラスの先は無菌室なので入ることは出来ません。ご理解ください」
無言で頷いて肯定すると倉橋さんは黒い窓に近寄り、下部に設置されているパネルを操作する。微かな振動音と共にガラスの色が薄れていき、透明なガラスに変化して病室の光景を露わにした。
病室の中央にはベッドが設置されていて、その上で痩せ細った1人の人間が全身から周囲の機械に続いているチューブを生やして横たわっていた。顔はベッドと一体化した白い直方体が覆い被さっていて直接見ることは出来ず、見えるのは色素が失われた唇と皮と骨だけになって尖った顎だけ。
「彼女が、紺野藍子さんです」
それがALO内で〝絶刀〟と謳われた少女の現実での姿だった。