シュピーゲルに前は任せたと言ってウェーブは暗がりに紛れる様にして姿を消した。それはゲームのスキルによる物では無くてプレイヤースキル……彼が修めた技能によるものだと察する事が出来た。気配を消す技能があることはよく小説でも挙げられているので知っているが、視覚に影響を及ぼす程の練度とか彼は何者だと問いたくなるがはぐらかされるのは目に見えているので黙っておく事にする。
漣不知火という人間は、その本性を隠している。いつもヘラヘラとした笑みを浮かべて警戒していなさそうに見えるがその目は相手を観察し、どういう人間なのかを見極めようとしている。トチ狂った様な言動は本心からなのだろうが、それも見極めの為の材料の一つにしか思えない。
道化の仮面を被った何かの様にしか思えない。
だというのに彼は恐ろしく律儀なのだ。
約束は何があっても守ろうとするし、困っていれば手を差し伸べる。今日の私だって自分が誘ったからと言いながら決して少なくは無いクレジットを簡単に差し出して来た。それは流石に気軽に受け取れる物では無かったので借りるという形にしたのだが。
総合してみればよく分からない人間というのが私が彼に抱いた感想だった。
「さてっと。シノンは悪いけど二階に居てくれるかな?そこに隠れてても良いし、撃っても良いし」
「シュピーゲルはどうするつもりなの?」
「ここでガン待ちしてる。AGI極振りって奇襲には向いてるけど防衛には向いてないんだよね。だからウェーブが戻って来るまで耐えるつもり」
「……分かったわ」
GGOもVRMMOも初心者の私は素直に経験者であるシュピーゲルの言葉に従う事にした。気を引くためにか外に向かって〝レミントンR5RGP〟を撃っているシュピーゲルを背にして二階に登り、窓からスナイパーライフルの〝H&K MSG90〟を構えてスコープを覗き込む。
映るのは弱者を甚振る事に快感でも覚えているのか下卑た笑みを浮かべて銃を乱射し続けている5人の男性プレイヤーの姿。考えなしに撃ち続けているのかと思えばオブジェクトの陰に隠れながら少しづつ前進しているのが上から見て分かる。幸いな事に彼らは私に気がついていない。狙い撃ちに特化していると教えられたスナイパーライフルなら、頭を狙えば倒せるはずだ。
そう思い、トリガーに指を乗せーーー過去の出来事がフラッシュバックする。
ーーー五月蝿く喚く男の姿が
ーーー虚ろな目を宙に向けて床に倒れる女性の姿が
そしてーーー返り血を浴びながら黒い拳銃を握る、幼い
「ーーーッ!!」
その光景を思い出してしまい、身体から熱が消え失せた。手足の感覚がほとんど無くなり、それなのに心臓は五月蝿いくらいに激しく暴れ回り、呼吸の仕方を忘れたかの様に息が出来なくなる。
思わず〝H&K MSG90〟を投げ捨ててその場に座り込む。寒さからなのか恐怖からなのか震える身体を押さえ込む様に抱き締めるが震えは止まらない。
ゲームだと分かっていたつもりだった。ここで人を撃ってもアバターが倒れるだけで人は死なないと分かっているつもりだった。だけど人を撃とうとした瞬間に心はそれに反応し、ゲーム内だというのに発作を引き起こしそうになった。銃に触れてもしかしたらと考えた自分を殴りたいと思った。これではウェーブが言っていた通りでは無いか。
身体の震えが止まったら、動悸が落ち着いたら、呼吸が元に戻ったらと理由を並べ立てて先延ばしにしようとする。そんなことをしている暇があったら撃たなくてはと自分でも理解しているが、トラウマがへばりついて離れないのだ。やるからやるからと言い訳をしながらウェーブとシュピーゲルが敵を倒してくれるのを待つ事しか出来なかった。
徐々に大きくなってくる銃声。かなり近づいているのかウェーブとシュピーゲル以外の男の声が聞こえてくる。苛立たしげに叫ばれる怒声が、私の傷を刺激して止まない。
「はやく……はやくおわって……!!」
怖い怖いと震えている私に出来る事はこれが早く終わって欲しいと祈る事だけだった。彼らならどうにかしてくれると耳を塞いで信じる事しか出来なかった。
だけど、その祈りは無駄に終わる。
「ーーーおっ、はっけぇ〜ん!!」
「ヒィーーー」
粘着質な愉悦に満ちた声が耳に届き、反射的に顔を上げる。そこに居たのはアサルトライフルと思われる銃を持った男性プレイヤー。外ではまだ銃声が聞こえてくるので恐らく1人だけ別行動でやって来たのだろう。彼は私が女だと、初心者だと、怯えていると分かると下卑た笑みを更に深めた。
「PKは初めてかいお嬢ちゃん?殺られる覚悟がなかったらGGOをプレイするなよなぁ!!」
「ガーーーッ!!」
力任せに振られた爪先がお腹に減り込む。あまりの衝撃と痛みで肺の中の僅かな空気が溢れ、呼吸が出来なくなってしまう。買い揃えた防具のお陰である程度のダメージは防いでくれたが彼と私とのステータスの差は歴然。満タンだったはずのHPは一気に赤色になるまで減らされた。
「ゲホッ!!ゲホッ!!」
「んん?こりゃあ〝H&K MSG90〟か?初心者の癖に良い銃を使いやがって!!豚に真珠ってヤツだな!!」
苦しむ私の姿がそんなに可笑しいのか、彼は投げ捨てた〝H&K MSG90〟を拾い上げながら笑っていた。そしてストレージから回復アイテムと思われる物を取り出して私に使い、また蹴った。
回復させては蹴り、回復させては蹴り、回復させては蹴り……今すぐに私をアサルトライフルで撃てば良いのにそうしない。明らかにこの状況で私を甚振る事を愉しんでいた。
「うぅ……」
何度蹴られたか、回復されたか分からない。それにHPが回復しても痛みは残るらしく、マトモに呼吸が出来ていないことも合わさって状態は最悪だった。
「さて、外の奴らも終わったみたいだしさっさと合流するか」
彼の声を聞いて初めて気が付いた。外で五月蝿いくらいに聞こえていた銃声は止んでいる。シュピーゲルが倒したのか、それとも倒されたのか……今の私では判断出来なかった。
下卑た笑みを浮かべながら、彼は私の〝H&K MSG90〟をまるで自分のもの様に扱い、銃口を私に向けた。トリガーに指が乗せられ、〝
このまま撃たれれば楽になれる。所詮はゲームなのだから死にはしない……何時もの私なら、きっとそう考えていたに違いない。
この時、私が抱いていたのはーーー
強くなりたいと思ってこのゲームを始めたのに、過去の自分に負けたくないと願ってこのゲームを始めたのに、結果は見ての通り。ただ怯えて震えるだけしか出来なかった。
そんな自分が許せない。そんな自分が憎い。負けたくないーーー
「じゃあなーーー」
引き金が引かれるーーーその瞬間に、反射的に〝H&K MSG90〟の銃身を
銃口がズレたことで見当違いの方向に飛んでいく弾丸。男は予想外の展開に目を見開いて驚愕している。その隙に腰のホルスターに吊るしていた〝グロック17〟を引き抜いて男の腹部に照準を合わせる。狙うならば小さい頭よりも大きい胴体の方が避けられても当たるとウェーブに教えられたから。
そしてーーー躊躇うことなく引き金を引いた。
「アァァァァァァァァーーー!!!」
叫びながら引き金を引き続ける。〝グロック17〟の装弾数である17発を撃ち尽くし、それでも引き金を引いた。カシャカシャと虚しい音が弾切れを伝えるーーーが、男は生きていた。防弾性の防具でも腹部にあったのか、HPは削られている様に見えない。
「ーーーんのアマァァァァァァ!!!」
撃たれたことに逆上して男は〝H&K MSG90〟とアサルトライフルを投げ捨てて殴りかかってきた。簡単に怒り過ぎだと思うが恐らく初心者の私に撃たれるとは思っていなかったのだろう。最初と言っていることが違い過ぎてーーーそして、このタイミングで
「ーーー反撃されたからってブチ切れるのか?それでも男かよ、程度が知れるぞ」
2度鳴り響いた轟音、〝
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「よぅ、大丈夫か?」
「なんとかね……」
両腕を失った痛みからなのか男は床を転げ回りながら悶え苦しみ、その後ろからウェーブが〝デザートイーグル〟を片手で弄びながら現れる。タイミングが良すぎるので狙っていたのでは無いかと疑ったが、その顔には間に合った事の安堵が浮かんでいたので違うと分かる。
「お前ぇ……!!お前ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
「五月蝿いな、どっからどう見ても絶体絶命だろうが?潔く終われよ」
「余裕かましていられるのも今の内だぞ!!今に俺の仲間がやって来るからな!!」
「仲間って外にいた連中か?
「……は?」
ウェーブの言葉が信じられないのか、男は呆けた様な声しか出せなかった。つまりウェーブは後ろから来た集団を倒した後にシュピーゲルと合流して外の奴らを倒し、1人足りない事に気がついて私のところに来てくれたらしい。
「死んでると思わなかったの?」
「死ぬかもって思ったから全力で来たんだよ。それに約束したしな」
約束というのはアレだろう、絶対に助けるからそれまで生き残れというやつ。初心者の私1人では死ぬに違いないのに、彼は私が生きていると信じて助けに来てくれたのだ。
その事が、少しだけ嬉しい。
「んじゃ、そういう事で」
「待って」
〝デザートイーグル〟の銃口を男に押し当ててトリガーを引こうとしたウェーブを止める。ウェーブは怪訝そうな顔になりながらも私の言葉に従ってくれ、男は助かるかもしれないと希望を抱いたのか安心した様子を見せた。
そんな考えを裏切る様に男の頭に拾い上げた〝H&K MSG90〟の銃口を押し当ててトリガーを引いた。
発射された弾丸が男の頭を弾き飛ばし、ポリゴンとなって消え失せた。ウェーブはその光景を見て、予想外だったのか珍しく呆気に取られた顔をしている。
「ーーー私は強くなる。弱い自分に、過去に負けないくらいに」
そして決意を口にしながら〝H&K MSG90〟をウェーブへと向ける。トリガーからは指を退けているので誤って撃つことも無い。ウェーブもそれを分かっているからなのか、銃口を向けられているのに焦っていない。
「だからーーー私は貴方を倒す。そのくらい強くなれば、きっと、私は弱い自分に、過去に勝てるから」
「ーーークハハッ!!素敵な啖呵をありがとうよ」
私の無謀とも言える決意を聞いてウェーブは遊び相手が見つかった子供の様に楽しそうに笑っていた。だけどその目は真摯に私のことを見つめていて、侮蔑の色を一切見せない。私がウェーブよりも弱いと分かりきっているのに、見下さずに対等な相手として見てくれている。
「あぁ、だから俺も約束しようーーー俺はシノンに負けるまで誰にも負けないってな」
〝デザートイーグル〟の銃口が向けられる。安全装置が作動していて、トリガーに指を乗せられていないから彼も撃つつもりは無いのだろう。そんな事よりも、私の決意に対して真剣に返してくれた事が嬉しかった。
「約束よ?」
「安心しろ、気に入った相手との約束は何があっても守るさ……気に入らなかったら破るけど」
「ダメじゃない」
冗談の様に紡がれた言葉が可笑しくて私はつい笑ってしまった。
それはゲーム内とはいえ、久し振りに心の底から出た笑いだった。
というわけでシノのん初戦闘。原作だとガンガンプレイヤー撃ってたシノのんだけどトラウマの事考えたら無理なんじゃないかなって考えてオリジナルぶっ込んでみた。