『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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(2034―2051)
9(2034年~2039年)


 エレナの生母エーヴと、父ゼネバスとの出逢いは劇的であった。

 アルダンヌ会戦直後。つまりゼネバス帝国が新型ゾイドを前面に押し立て大攻勢を図り、中央山脈以西の帝国領支配を盤石にした頃である。

 皇帝ゼネバスは、演習と巡幸を兼ね領内視察を盛んに行っていた。僅かな警護の兵を連れ、中央山脈付近の演習地に隣接する虫族が住む村に立ち寄った時、突然軍服姿のゼネバスに詰め寄り意見した、と言うより「文句を言った」女性があったのだ。

「軍隊が工房を壊してどうするのよ」

 事の発端は、納期間際に作業を完遂し納入を待つのみとなっていた製品が、前日ゼネバス達が行った演習の流れ弾の破片が飛来し工房を直撃したことだった。村にはゾイドの表皮を加工して増加装甲や打撃武器を作る工房が立ち並んでいた。エーヴの父カジミェシュは名の通った職人で、再統治した帝国の要請により連日突貫作業を繰り返していた。流れ弾による人的被害こそ無かったものの、完成品は破壊されしまう。怒りの収まらないのは、父を手伝い、父以上に作業を(こな)していた娘エーヴである。(たしな)める父を振り切り演習場に乗り込もうとしていた矢先の、ゼネバスの訪問であった。

 突然の出来事に驚くゼネバスに、彼女は切々と訴えた。

「私たちの皇帝陛下は、私たちを愛していたからこそ戦ってくれた。なのにあなたたち軍隊が民を守れなかったら、皇帝陛下の御心を裏切ることになるのよ。軍隊があっての民ではなく、民があっての軍隊ということがわからないの」

 上辺だけを着飾り、社交辞令を繰り返す王宮の中より、ゼネバスの心に響く言葉であった。誰よりも皇帝である自分を愛し、軍を律する言葉でもあった。

 ゼネバスはその場で素直に詫び、深々と頭を下げる将校を前にしてエーヴも素直に謝罪を受け入れた。納期延長手続きを約束すると、名前を告げずに去っていった背後で、事の経過を見ていた村人が囁いた。

「いまの、皇帝陛下じゃないか……」

 皇帝の肖像は広く亘っており、冷静に彼の顔を見つめればそれが皇帝ゼネバスであることは彼女もわかったはずだ。ところが怒り心頭に達していたエーヴには、ふらりと現れた将校が、よもや皇帝とは判断できずに、勢いに任せての「文句」となっていたのだ。

 小さく消えていくゼネバスの背中を、改めて見つめる彼女の心は如何ばかりであっただろうか。

 後に王宮に召喚されたエーヴは、正式にゼネバスからの求婚を受けることとなる。

 

 ゼネバスと兄ヘリックⅡ世との大きな違いは、それぞれの人間性にあると言えよう。兄弟は共に人間味に溢れ、常にユーモアのセンスを失わない前向きさと、時に冷徹に使命を遂行する合理性を兼ね備えていたが、兄ヘリックは後者が勝り、弟ゼネバスは前者の人間味が勝っていた。帝国領内の国民からゼネバスが支持され続けたのもの、時に激しい感情を剥き出しにして行動する皇帝が、皇帝と呼ばれるような雲上の人物ではなく、自分たちと同じ人間の君主としての愛情を抱かせたからだ。共和国政府が旧帝国領に於いてどれ程合理的な善政を布こうとも、感情に訴えかけるゼネバスには及ぶことがなかった。それこそが、ゼネバス自身も気が付いていなかった、彼のカリスマ性の顕現とも言えよう。

 

 2034年はゼネバス帝国にとって躍進の年であった。開発が本格化した新型ゾイドが次々と戦線に投入され共和国軍を粉砕、宿念の仇敵であったゴジュラスを圧倒するアイアンコングの配備も完了し、資源に乏しく常に劣勢を強いられていたゼネバス帝国にとって、積年の屈辱を雪ぐ快挙となった。

 加えて帝室に小さな喜びが加わった。ゼネバスの第二夫人エーヴが懐妊したのである。

 軍略に於いては無類の能力を発揮する皇帝ゼネバスも、出産を控えた産院では不器用な父親でしかなかった。終始産屋の前を気忙しく歩き回り、事あるごとに看護師に「二人とも無事なのか」と問いかけた。皇帝に対して不敬な振る舞いも出来ず、看護師たちは非常に困惑したと言われ、あまりの忙しなさに同席を頼まれたマイケル・ホバート博士が「もう少し落ち着かれた方が宜しいのでは」と何度も声をかけたと伝えられる。

 

 月が満ち、この世に生を受けた証となる元気な産声を耳にした瞬間、産院の外にいたゼネバスは、皇帝らしからぬ歓声を上げた。

 ゼネバス帝国第一皇女、エレナ・ムーロワの誕生である。

 

 授かったのは皇位継承権のない女児であった。ゼネバス帝室典範は、正室は同族の地底族より迎え入れなければならないとの厳重な縛りを皇帝に課していた。地底族出身故に虐げられたゼネバス自身が定めた法であったが、それが自身の地位を苦しめることになろうなど、反乱を起こしたばかりの若きゼネバスには予想もつかなかっただろう。

 皇帝として世嗣の誕生を逃した落胆はある。しかしそれを上回る大きな喜びを得ていた。新たな肉親の誕生が何より嬉しかったのだ。

 産院のベッドに横たわりながら、看護師から皇帝の喜びの様子を伝えられたエーヴは、安堵の微笑みを浮かべながら言ったという。

「陛下は優しくて寂しがり屋なのよ」

 

 エレナの誕生は共和国にも伝わってはいたが、当時新型ゾイドの開発競争の真っただ中であり、エレナが世嗣でなかったことも、共和国側報道機関の注目を得られなかったようだ。新たに開発された高速ゾイド、サーベルタイガーによって共和国は苦戦を強いられていた最中でもあり、ヘリックⅡ世大統領は、軍の総司令官として、ゾイド開発の指揮者として、そして政治家として多忙な日々を送っており、側近の一部が敢えて情報を抑えた節がある。

 もしヘリックが姪の誕生を知っていれば、後にゼネバスが腕輪を送ったように、同様の祝福を兄は行っていたに違いない。

 

 

 ゾイド開発競争により、両国のパワーバランスは激しく変動する。2039年に戦況は一変した。

 ヘリック共和国は当時最強のゾイド、ウルトラザウルスを開発し一大攻勢をかける。

 帝国首都は陥落し、ゼネバスは僅かな手勢と共に暗黒大陸へと脱出、ダニー・ダンカンを初めとする優秀な配下を数多く失い、技術力の圧倒的な格差を見せつけられたのだった。

 エレナやエーヴを中央大陸に残していく他に手段はなかった。トビー・ダンカンの操るシュトルヒが帝国王宮を飛び立ち、共和国の追撃部隊を引きつけている間に、エーヴたちゼネバスの姻族は密かに義父カジミェシュの手引きによって中央大陸付近の山村に避難していったのである。

 

 

 中央山脈西側の麓、虫族の生活するケック村。エーヴがゼネバスと出会った故郷の場所からは少し離れるが、気候や風土に大差はない。

 陥落した帝都を離れ、エーヴの父カジミェシュの手引きによってエレナたちが隠遁している先がここであった。

「お母さん、お祖父(じい)ちゃんにこれ作ってもらったよ」

 青い瞳を輝かせながら、少女は母親に、手にしたゾイドの玩具を誇らしげに示した。精巧に作られたそれは、小さいながらも今にも動き出しそうである。「よかったわね」と母が微笑むと、少女は玩具を手にしながら遊び友達の名前を言って駆け出して行く。

「ブローニャに見せてくる!」

 風に靡く少女の金色の髪を見送りつつ、母親は小さく溜息をついた。

「お父さん、なんでサラマンダーなのよ」

 母親は与えられたゾイドが共和国のものであることが不満らしい。少女の駆けていく方向を振り返りながら、初老の男性が笑いながら母親に近づいてくる。

「ゾイドに罪はないだろう。良いものは良い。それが何処の国のものであろうと。エレナには、物事を色眼鏡で見て欲しくないんだよ」

「それにしたって、ゴジュラス、ゴルドス、サラマンダー。今度はアイアンコングにしてよね」

 エーヴも、父の前ではエレナと同じに我儘を言う娘であった。

 

 エーヴは出自を隠すために、敢えて自分を「母上」とは呼ばせず、身の回りの慣習も庶民の生活と同様にして、村人の中に溶け込んでいた。庶民出身のエーヴはもとより、宮廷育ちであったエレナもこの一年半の内にすっかり村の生活に馴染んでおり、移築した祖父カジミェシュの工房に出入りするようになっている。

 エーヴは母親としての務めは充分に果たし、不在の父親に代わって祖父カジミェシュがその役割を担っている。エレナは自然に囲まれ健やかに育っていた。

 家族が引き裂かれてしまったことは不運かもしれないが、エレナにとってこの期間は必ずしも不幸ではなかった。

 祖父カジミェシュは、それまで王女として手の届かなかった場所にいた代償を払うかのように、父親代わりとして可能な限りの愛情を孫娘に注いだ。故郷に戻ったエーヴも、格式ばった王宮の生活から解放され、喜々として父の作業の手伝いを行った。名目上は姿を隠すためというが、実際は鬱積していた不満を解消するのも目的であった。豊かとは言えない生活だったが、村人との温もりに満ちた触れ合いは、エレナの成長に大きな影響を与える。

 

 エレナは手にしたサラマンダーを滑空させる様に操りながら、中央山脈の稜線を見つめた。晴れ渡った青空の下、凝結した水分がまるで緩やかな滝のように山肌を流れ落ちている。波涛の如きミストラスの動きを望みながら、幼い少女は父への思いを巡らせていた。

 

 お父さん。

 お父さんはいまどこにいるの。お母さんはがんばっているけれど、寂しがっているよ。遠く離れた海の向こう側で、お仕事をしているのは知っているけれど、早くみんなと一緒に暮らしたい。贅沢なんていらない。強くて優しいお父さんと、また一緒に暮らしたい。

 

「エレナちゃん、それどうしたの」

 エメラルド色の瞳をいっぱいに輝かせた少女が駆け寄って来た。グレーの髪の毛に黄色い大きなリボンが揺れる。

「またお祖父ちゃんに作ってもらったの」

「いいな、私にも貸して」

 エレナは素直に手にした玩具を友だちに渡すと、手を繋いで村の広場に向かって駆けて行った。無邪気に遊んでいることが、母への最大の貢献であることを、幼い少女は理解していた。

(お父さん、早く帰って来て)

 少女の願いは、遠からず叶えられることになる。

 


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