「この姿は……」
「自分にも、わかりません」
エレナはふと、記憶の淵に留めていた会話を思い出した。
「シュウから――あの時ガンブラスターであなたと戦った共和国の科学者です――聞いたことがあります。進化生物学を学んでいた彼の友人が、断続平衡説といわれるゾイドの種としての跳躍的進化は人の意識に感応し、突然変異をも超越した急激で神秘的な能力が存在するはずだと主張したことを。
私は笑って言いました。『人の意志の力でそんなに都合よくゾイドが変身できるのでしたら、マイケル先生達技術者はお払い箱ですね』と。
でも今、私たちは強く願ったはずです。生き残りたい、それも二人で。この機体はその想いに応える機能が備わっていたのではないでしょうか」
エレナの話を聞きながら、シュテルマーはあの日最後に見たギュンターの背中を思い出していた。死出の旅路に向かうには違和感があった。何かに期待をしている気がした。その一つが遺していく息子ヴォルフ・ムーロアであり、もう一つが自分とこの機体、そして自分が救うであろう姉エレナのことではなかったかと、今更ながらに思えた。それは亡きゼネバス・ムーロアが持っていた諧謔、葛藤の中に隠した矛盾する答えを、ゼネバスの息子ギュンターが受け継いでいた証拠と思えた。
「閣下、感謝いたします」
シュテルマーは静かに呟く。
遠く見渡す水平線に、朝日が昇っていた。
突然のエヴォルトに呆然としていたダークスパイナーだが、再び強力な指向性のあるジャミングウェーブを撃ちこんできた。しかし、それに対抗する為にエヴォルトしたアイアンコング・エヴォルツォーネにとって、もはや何の効果もなかった。
周囲に散乱していた連装電磁砲、大型ビームランチャーを拾い上げると、電磁砲をハードポイントに装着しビームランチャーを抱え込む。そして背中と腕から伸びたケーブルを2本の腕と5本の指で器用に引き出し装備する。それは既に金属生命体としてのゾイドではなく、ゾイドコアを媒介にして人に似せた生物――いわゆるホムンクルス――である“人間型ゾイド”にも見えた。
エレナは、ビームランチャーの充填率が異様に早い事に気付いた。コアが活性化している。それに負担も少ない。エネルギーゲージ一杯になったビームランチャーを構え、エヴォルツォーネは雄叫びを上げる。
「照射10秒、行けます……シュテルマー、あのゾイド達、殺さずに倒せますか」
昔と変わらず、ゾイドにも愛情を注ぐ姿に過去が蘇る。
「脚部を狙います」
右腕でシュテルマーがトリガーを引く。伸びる閃光がウルフの足元を薙ぎ払い、次々と横転させて行く。AC部隊はほぼ壊滅となるが、その爆炎の向こう側に、再びAZ144㎜スナイパーライフルの発射態勢を取ったガンスナイパーが出現、一斉に徹甲弾を発射した。
ゾイドとしては信じられないほどの柔軟性で、射線から身体を逸らし直撃を避ける。マニューバスラスターは既に破壊されているにも拘らず、それ以上の跳躍力で一気にガンスナイパー群の元に接近、ビームランチャーを逆手に持って棍棒の様に振り回し、残る機体を完全に打ち据えた。
前傾姿勢を取り、ジャミングウェーブを発生していた2機のダークスパイナーも、自らの攻撃が通じないことを知り慌てて格闘形態に変形する。
「殺さないで!」
シュテルマーは無言で頷くと、ダークスパイナーの蠢く背鰭を掴み力の限り毟り取った。頸部を僅かに捻じ曲げられ止めのハンマーナックルを受けたダークスパイナーは、2機とも森林の中に吹き飛ばされ動かなくなった。コアに損傷はない。戦闘ゾイドとしては再起不能だが、死ぬことには至らないだろう。エヴォルツォーネの前には、キラースパイナー1機のみが残っていた。
その時シュテルマーは、エヴォルツォーネの圧倒的な能力により敵が残り1機となったことに油断していた。彼らはキラードームがそのドーム内に強力な通信装置を装備していることを知らない。背負われたキラードームは戦闘の経過を逐一報告し続け、更には増援部隊さえも呼び寄せていた。増援のダークスパイナー3機が、5機のゴルドスと十数機のカノントータス、そして3機のゴジュラス部隊を率いてエヴォルツォーネの元に接近しつつあった。そうとは知らないシュテルマーは、残った1機のキラースパイナーを睨みつけていた。
「あれはどうしますか」
「何とか、命を奪わず倒せますか」
「昔から無茶を言う方ですね。いいでしょう、やってみます」
彼は自分が饒舌になっていることに気付いた。これが人との触れ合い、愛した人、いや、愛するひととの触れ合いなのかと。
自分の人生は終わったはずだ、などというのは思い違いに過ぎないと知った。
老いたとはいえ、今自分は生きている。生きて戦っている。
それも憎しみの為ではなく、復讐の為でもなく、敵を含めて生き残るために。
人生とは戦いに相違ない。でもそれは、互いの命を奪い合う殺伐とした戦いではなく、互いに高め合うための競い合いだ。
ゾイドは互いに競い合うことで進化を遂げてきた。
我々人類も、さしてゾイドと変わりはないはずだ。
生きてこそ、生き抜いてこそ命は育つ。
そしていつしか死を迎えた時、後の世代に競い合った知識と経験を残し、時代を積み上げていくのだ。
死ぬことは何時でもできる。
生き抜くことの方が、遥かに苦しく、厳しいものだ。
それでも生まれてしまった以上、生きていくほかない。
下を向いて、過去を振り向きながら生きるより、前を向いて進むほうが正しい道筋を見ることが出来る。
自分は残り僅かの人生であっても、想い人と再び出逢うことが出来た。その幸運に感謝しようと。
「エレナ様」
「ルイーズと呼んでください」
「ルイーズ……様、共に生きましょう」
「はい、互いに命尽きるまで」
アイアンハンマーナックルが、キラースパイナーの脚部を削ぎ落とし、ジャイアントクラブを根こそぎ引き抜き圧倒する。
累々と横たわるゾイド群を足元に、アイアンコング・エヴォルツォーネは輝く朝日の陽射しを浴び、雄々しく勝鬨のドラミングをしていた。
戦いを終えたコクピットの中、シュテルマーが左腕を抱え込んで蹲る。限界を超えて肉体を酷使してきた反動が襲ったのだ。
思わずエレナは彼に寄り添い、シュテルマーの左腕を持ち上げる。
「これ程までに悪化していたなんて」
ゆっくりと持ち上げた感覚で、エレナは悟った。彼を正面から見据え、静かに言葉を選びながら告げる。
「どうか驚かないでください。私は看護師として傷病兵の治療に携わってきました。様々な症例を見てきた経験から申し上げます。あなたのこの腕はもう……」
「切断する以外に救済の方法がないのですね」
苦痛に歪む表情を浮かべながら、彼は悲しげに笑って即答した。
「覚悟はできていました。ただ、こうして生き永らえたことこそ奇跡と思っています。甘んじて艱難辛苦を受け入れましょう」
エレナは僅かな沈黙の後、小さく首を横に振る。背負っていた小箱を取り出し、シュテルマーの前に置き、そっと蓋を開いた。
緩衝材に埋もれた箱の中から現れたのは、手入れが行き届いた、使い込まれた跡の残る左腕の義手であった。
「リチャードの遺したものです。これを使ってください。きっと夫も喜んでくれるでしょう」
エレナは微笑みながら泣いていた。まるで思春期の少女の様に大粒の涙を流しながら。その義手に、計り知れないほどの切ない思い出が詰まっているからに違いない。全てを
「ありがとうございます、ルイーズ。是非とも使わせてください」
「ありがとう、シュテルマー。私の全てを受け入れて頂けて」
箱からそっと取り出し持ち上げる。
「……手術は可能でしょうか」
「この惑星で最高の医師を知っています。いま南エウロペにいるはずです。任せてください」
眼鏡を額に持ち上げて涙を拭いながらエレナが微笑む。シュテルマーはいつの間にか左腕の痛みが和らいでいたことに気付いた。
コクピットにアラート音が響く。ディスプレイに再び“enemy”を示す光点が無数に現れる。
「そんな……」
確認されたのは、数十機から編成される鹵獲ゾイドの大部隊である。
或いはこのエヴォルツォーネであれば、倒せない数ではないだろう。だが、先程の様にゾイドの生命を奪わずに戦うことは不可能と思える兵力である。
これ以上、ゾイドの命を奪いたくない。しかし四方から迫るダークスパイナー率いる部隊は、完全にエヴォルツォーネを包囲していた。
「覚悟してください。ゾイドを倒さずして、脱出は叶いません」
「止むを得ません」
言ってからも、エレナは悲痛な気持ちを拭い去ることができなかった。
突然、頭上に赤い翼を持つ黒いゾイドが現れた。
背部の銃身から放たれた強力な光が、幾つもの鹵獲ゾイドを薙ぎ払う。
光に纏わりつくプラズマから、その兵器が荷電粒子砲であることだけはわかるが、これほどの破壊力を持つ飛行ゾイドは、エレナの記憶に無かった。
傍らで、シュテルマーも呆然としていたが、あるゾイドの名前を口にした。
「ガンギャラド。なぜあんな機体が」
黒いドラゴン型ゾイドだ。
ガンギャラドから錘の付いた細いケーブルが伸び、エヴォルツォーネの前に落下した。有線での通信を行うつもりなのだろう。シュテルマーは機体を操作し、ケーブルを拾い上げた。
〝聞こえるか、赤いコング。上を見ろ〟
ガンギャラドのパイロットからの通信だ。不思議な事に、その声に二人とも聞き覚えがあった。言葉に従い空を見上げる。
朝焼けに染まる茜雲を纏い、直上から降下する巨体が現れた。見る見る地上に接近すると、空一面を覆うばかりのホエールキングが2隻出現した。
「『
エレナは船体の下部に記されていた古代ゾイド文字を読んでいた。エレナにとってあの深山幽谷の宮殿で出会った、見覚えのある言葉であった。通信が立て続けに送られる。
〝これから貴様らを釣り上げる。余計な物は捨てて平地に来い〟
「誰だお前は。何故我々を助ける」
シュテルマーが呼びかける。それはエレナも同じ気持ちであった。
〝馬鹿者が。俺の声を忘れたのか。おめでたい奴らだな。ヴァーノン・ワンギュルだよ〟
「ヴァーノン中佐!」
二人の言葉が重なる。
〝その階級章で呼ぶな。古傷に触られるようだ。俺はキリンディニの糞ジジイに頼まれて、貴様らを助けにきたんだよ。わざわざ出向いてやったんだ、さっさとホエールキング『パルデン・ラモ』に乗れ〟
嘗ての慇懃無礼な口調は消え去り、言葉は口汚く荒々しい。しかし彼が本音で生きている温かみが伝わる。エレナは知った。人は変われるものなのだと。
ネオゼネバス帝国軍の一瞬の隙をついて強行着陸したホエールキング『パルデン・ラモ』は、エレナたちの乗るアイアンコング・エヴォルツォーネを収容すると、僚機である『ドルジェ・シュクデン』と共に緊急浮上する。強力なジャミング出力とステルス性能を併せ持ち、尚且つ希少で強力なガンギャラドの護衛を伴った2隻のホエールキングは、ネオゼネバス帝国の追跡を容易く振り解き、西に向かって飛び去って行った。
「所属不明の2隻のホエールキングは、西方に進路を取り、飛び去ったとの報告です。偶然帝都上空を哨戒中の『モビーディック』が2隻の機影を確認しましたが、南エウロペ方面に向かったとしか確認できておりません。防空部隊の不手際、遺憾ともし難く、管轄者として面目次第も御座いません」
ヴォルフを前にして、ズィグナーは深々と頭を垂れていた。止むを得ないことと知っていた。どれほど共和国軍を圧倒したとはいえ、中央大陸全土を勢力下に置いたわけではない。警戒網の穴を突いて脱出することなど造作もないのだ。それに若き皇帝にしてみれば、幼い頃より仕えてきた忠臣に、これ以上の屈辱的な姿勢を取らせることは忍びなかった。怒りが無いわけではないが、今更老兵が一人去ったことで悔やむ感情は湧いて来なかった。あるのは幾つかの疑問であった。
「なぜそのホエールキングを捕捉出来なかった。増して我が軍最強の『モビーディック』であれば尚更であろう」
「恐れながら陛下、敵はそれをも上回っておりました」
「ガイロス帝国なのか」
ズィグナーは届いていた報告書に目を落とし、自身も信じ難いという表情を浮かべ答える。
「艦種こそホエールキングですが、速度やステルス性、機動性などスペックが桁違いです。一部技術的な点で古代ゾイド文明と通じており、或いは形が同じだけの全く別種の機体かとも思われます」
あり得ることであった。巨大な輸送ゾイドであるホエールキングは、その亜種であるホエールカイザーから派生的に開発されたものである。ドラグーンネストの如く、強制的に巨大化させたゾイドと異なり個体差も大きい。謎の機体が南エウロペに向かっていることからも、未知の技術が採用されている可能性は存在する。今更目の前の律義な補佐官を責めたところで、見失ってしまったという結果は変わらない。
「シュテルマーとアイアンコングEはどうした」
「依然、確認できません。可能性としては」
「もういいよ」
ヴォルフは思わず以前から交わしていた口調で、その補佐官の言葉を遮った。
聞きたくもなく、責めたくもなかった。
「もういい。下がって共和国領の統治計画を再考しておいてくれ。ルイーズ大統領が見つからない以上、我々だけでやらねばならぬのだから」
一方のズィグナーも、決して若き皇帝に悟られぬ場所で、安堵していた。
『ムーロア一族の血の縛りを断ち切るために、息子に我が姉と会い見えることの無いよう取り謀れ。これは貴君とシュテルマーのみが知る事で良い』
ギュンターより託されたのは、伯母殺しという不名誉な称号をヴォルフに背負わさないための苦肉の策であった。敢えてシュテルマーにエレナを救わせることにより、後にヴォルフが彼女との血縁を知り、己の血の呪いに苦悶することの無いように謀ったのだ。或いはこの若き皇帝がエレナと出会った時、その思想に感化され、帝国再興の目的が揺らぐことを恐れたのかもしれない。
何れにせよ、ギュンターも同じゼネバスの血を引く者として、エレナが再び為政者の地位に就く事が無いのを予測していたのであろう。シュテルマーはギュンターの餞の言葉の裏側を理解し、ズィグナーも若き皇帝の穢れを防ぐため尽力した。
これらは紛れもなく皇帝への裏切りである。だがそれは、最高の忠誠心から発したものでもある。
その後、叔母殺しの汚名を被ることなく、ヴォルフはこの惑星にネオゼネバス帝国中興の歴史を記すこととなるが、彼の生涯を描くのはこの物語の主題ではないので省くこととする。
ただ一つだけ言えるのは、この若き皇帝も、その後多くの人々と出会い、そして成長していったということだった。