『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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57(2101年)

 いままで一日一日を悔いなく過ごしてきた。最早やり残したことはない。

 エレナは自分の役割が終わりつつあるのを悟っていた。

 嘗て伯父ヘリックが嘆いたように、後継者の育成を怠る事はなかった。副大統領と共に避難している閣僚は、夫と過ごした思い出の町セシリアで新たな政府を築きあげてくれるだろう。いずれは息子と共に新しい国を支えてくれるに違いない。自分にできるのは、少しでも新しい世代に橋渡しするための負荷を減らすこと。大統領である自分が未だ首都に立て篭もり抵抗を続けていれば、敵は必ずやってくる。自分が敵の立場であれば、広大な共和国領を統治する為にも大統領の掌握を望むはずだ。だからこそ、露骨ではないものの敵を惹き付ける形での脱出方法を選んでいた。自分の命と引き換えに。

 

 エレナは濃紺のケースをそっと閉じていた。父と、そして母との思い出。自分がムーロアに繋がる証しでもあるこの紋章を携え脱出することはできない。

(さようなら、お父さま、お母さま)

 エレナは心の中で、紋章との別れ、そしてムーロアの血との別れを告げた。

 隔壁越しに間断なく鳴り響く警報の中、扉の向こう側に人の気配を感じた。準備が整ったのかもしれない。

「鍵は開いています」

「失礼します」

 扉の向こう側に佇んでいたのは、脱出準備を報告に来た兵士ではなく、数年来彼女の秘書役を務めてきた、まだあどけなさの残る女性であった。幾分荒げた呼吸から、すぐに言葉を発することができないでいた。全てを察したエレナは、静かに惜別の言葉を告げる。

「あなたの務めは終わりました。私のモルガを使って脱出してください。

 大丈夫、きっとみんなが守ってくれる。モルガをお願いします。お母様は確か今は南エウロペでしたね。セーラブ先生にも宜しくお伝えください」

 それに反し、デキツェリンは母親譲りの大きな瞳を潤ませ懇願した。

「考え直してください。降伏したっていいじゃないですか。敵は命までは取らないでしょう。戦場を強行突破するなんて無謀です。命を無駄にしないでください」

 彼女はいつになく感情的であった。情熱的なブローニャの娘らしい。砲撃音が遠雷の様に司令部に響く。堪らずデキツェリンはエレナに縋りつき泣いていた。

「私は大統領……ルイーズおばさまと、お別れしたくないのです」

 エレナは既視感に襲われた。自分はデスファイターで出撃したマイケルと同じことをしている。残される者の悲しみを知っていたはずなのに、立場の違いが悲劇を繰り返すことを痛感した。できることは、あの日の恩師と同じ行動をとるしかない。彼女は縋りつくデキツェリンの肩を優しく支え、見上げる大きな翠緑の瞳を見つめ微笑んだ。

「もしこの戦争が無くとも、あなたは愛する人を見つけ、家庭を持ち、新たな命を育てるために必ず私と別れなければならなかった。そのときが少し早くやってきただけです」

 涙ぐむデキツェリンの手をそっと握る。

「これは私がリチャードとの結婚に悩んでいる時に、前大統領夫人であるローザさんから聞いた言葉です。

『二人が共に幸せになる自信があるのなら、思いの丈をぶつければいい。理屈で割り切ろうとしてはいけない。この感情に合理的な解釈は不可能です。解決する方法はたった一つ。自分の気持ちに素直になればいい』。

 素敵でしょ。私はそして、最高の男性と結ばれました。彼と共に過ごした時間は短かったけれど、後悔はありません。だって、最高の人生だったから。

 あなたには本当にお世話になりました。私には娘はいなかったけれど、まるであなたを自分の娘の様に思っていました。出来の悪い母親でした。ごめんなさいね。

 でも、これは母親として思うことです。きっとブローニャも同じことを考えるでしょう。約束です。生き残って、必ず素敵な人を見つけてくださいね」

 デキツェリンに、エレナの掌の温もりと、覆すことの出来ない意志の固さが伝わった。大きな瞳から涙が零れ落ちる。

「泣かないでください。私だって悲しいのだから。さあ、顔を上げて。

 お願いがあります。あのディスクと、例の箱を持ってきてください」

 デキツェリンは袖で思いきり涙を拭った。

「了解しました」

 待機する部屋を去り、荷物を取りに駆け出す彼女は、母親譲りの大きな瞳が素敵な大人の女性へと成長していた。

「ありがとう」

 その背中に向け、エレナは呟いていた。

 

 共和国軍首都脱出部隊は、奇しくもヴォルフの部隊と同様に三つに分かれていた。第一の部隊は首都に立て篭もり徹底抗戦を続ける。彼らに許されていなかったのは、自決を選ぶことである。弾薬を撃ち尽くし、抵抗する手段を失った後は潔く投降するのを条件としていた。

 第二の部隊は、地下隧道を使って脱出する部隊である。2044年にデスザウラーによって首都が陥落した折、掘削された隧道は未だに健在で、一本はマウントジョーにまで、もう一本はグランドバロス山脈まで続いていた。懸念されたのは、このトンネル作戦はネオゼネバス帝国側にも察知されている可能性があり、隧道入り口からの追撃も考えられた。

 第三の部隊が、セイバリオンを主とした脱出部隊である。本来であれば敵のSSゾイドに対抗する為に開発された試作機を、大統領を乗せて敵中突破させようというのである。信じ難い事に、この情報は敢えて敵側に察知されることを前提として強行されていた。エレナは自分の命を囮にしてまでも、第二部隊の脱出を優先させたのだ。この時彼女は永訣の辞を各方面に送っていた。一通は行方の知れない息子の座乗するウルトラザウルスへ。一通はガニメデ市にいるマイケルへ。そしてその郊外の、深山幽谷に住む恩師へと。

 脱出部隊の兵力を三つに分断することにより、もともと手勢の少ない帝国北部方面軍の兵力も分散させることに成功した。

 準備は整った。立ち並ぶ幕僚を前にして、彼女は惜別のため手を差し伸べた。

 幕僚数人が一斉に彼女の手を握る。言葉を発することなく、粛々と別れの儀式が行われていく。数回で握手を終えた後、彼女はデキツェリンから渡された小ぶりのアタッシュケースを開いた。中には、3枚のデータディスクが入った小さな金属ケースと、片手程の長さの箱が入っていた。

「大統領。首都脱出の手筈が整いました」

 幕僚の傍らに、ひとりの兵士がいた。

「脱出機のパイロットを務めるトミー・パリスであります」

「ロブの腹心だった方ね。静養で本国に戻っていたと聞きましたが、もう傷はよろしいの?」

「はっ」

「では、貴方にお願いがあります」

 そう言って、エレナは小さな金属ケースだけをパリスに渡した。

「これをロブに、私の息子に渡して欲しいの」

 まるで愛おしい人を抱く様に、彼女の手の中にもう一つの箱が残された。彼女の見上げる先には、小型のライオン型ゾイドが聳えていた。手渡されたヘルメットを目深に被る。ゾイドに乗るのは久しぶりだった。

「セイバリオン、宜しく頼みます」

 知らぬ間に、エレナは言葉を発していた。そしてゾイドにも人にも変わらず慈愛の言葉を発することの出来るその女性大統領を目にした時、パリスは必ず彼女を守り通す決意を固めた。

(自分には勝利の女神がついている)

「出るぞ!」

 剥き出しのコクピットの上、彼は誰に告げるともなく叫んでいた。

 

                   ※

 

「陛下、共和国軍がトンネル作戦を敢行するようです」

「性懲りもない。同じ手が二度も通じるものか。ガンタイガーとディマンティス部隊を回し、一気に蹴散らせ」

 抑揚の無い言葉が補佐官に告げられる。若き皇帝の元に補佐官は跪く。

「工作員が把握したところによると、ルイーズ大統領はゾイドを使って脱出するとの確実な情報を得ました。兵力の大部分はトンネルに向かっていますが、我々のもう一つの目的は大統領の確保です。如何なされますか」

 忌々しげにヴォルフが振り向く。

「それをなぜ先に言わない。大統領の確保が先決だ。ガンタイガーはイクスの援護に向けろ。ダークスパイナー部隊も回せ、絶対に生きて捕まえろ」

「御意」

 ズィグナーは復唱し、背後の士官に兵力移動を命じる。明滅する兵力配置図は、共和国軍残存部隊の動向を明確に示している。味方を示す矢印が、共和国軍の抵抗の中心と察知される基地に向けられる。もう一つの矢印は、共和国首都中心部から伸びた隧道入り口に向けられていた。

 

                   ※

 

「まさかもう一度このトンネルを使うとは思わなかったぞ」

 そう言って壮年を迎えた兵が高らかに笑った。

「見ろよ、このスコップを。60年前に親父が使った記念に受け取ったものだ。親父はモグラと呼ばれたことを誇りに思っていた。『俺は誰も殺さず、誰よりも多くの命を救ったことが誇りだ。そしてこのスコップは俺の命の恩人だ』とね」

 それが兵士の強がりでしかなく、そのスコップが果たして本当に2044年の共和国首都脱出トンネル作戦で使用されたものかなど判らない。だが人々は信じたかった。この脱出が成功することを。薄暗い明かりの中、無数の共和国民衆が歩む中、精一杯の勇気を奮い立たせるように、その兵士は先頭に立って歩んで行った。兵士が呟いた。

「ルイーズ、今の僕に出来ることはこんなことしかないんだ」

 兵士の傍らには、クリーム色の髪留め(バレッタ)を付けた女性が伴っていた。

 

 脱出部隊の殿を守るシャドーフォックスの索敵レーダーに反応がある。

〝後方から接近する敵がいる。ゾイド部隊は後方へ回れ〟

 歩兵部隊の通信機に警戒を告げる報告が伝わる。手勢は少ない。前方に工兵ゾイドのスピノサパーを残し、シャドーフォックス、ガンスナイパー、カノントータスが固める。

 隧道の首都方向から、カサカサと無数の脚を擦る音が聞こえて来る。カマキリ型SSゾイド、ディマンティスが隧道を辿って追撃してきたのだ。

 機動力を欠くカノントータスや、高速戦闘を得意とするシャドーフォックスには狭い隧道内での戦闘は圧倒的に不利である。また、火器は流れ弾による壁面の崩落や落盤の可能性もあり使用は躊躇われ、ガンスナイパーの豊富な武装も封じられている。一方のディマンティスは、SSゾイドという特性と、何よりその数を生かして進撃してくるため優位は動かない。卵嚢から生まれたてのカマキリが獲物を求めて湧き上がるような光景は、追撃を受ける共和国部隊にとって悪夢であった。4本の捕脚を忙しく蠢かせ、鎌にあたる2本のハイパーファルクスを振り上げている。前方の数機が、腹部の羽根を広げた。イオンブースターを噴射し、一気に躍りかかろうとしているのだ。暗闇に光る無数の赤い眼が不規則に揺らめき接近する。共和国脱出部隊は、絶体絶命かと思われた。

 跳び上がったディマンティスの機体が、最後尾のガンスナイパーの直前で、まるで見えない壁に遮られたように急停止する。後続の機体が衝突し、脚部を絡ませ落下する。不可解な事に脱出部隊のゾイドは火器を使用しておらず、まるで虚空から何かが引き寄せたかの如く、ディマンティスは次々と見えない壁に阻まれ落下していった。事態を把握できず、闇雲に跳び上がったディマンティスは、機体同士が折り重なり隧道を塞いでいく。無抵抗のまま忙しげに脚部を蠢かすディマンティスの群れを、狙い澄ましたシャドーフォックスのAZ30mm撤甲レーザーバルカンが貫いた。燃え上がる炎の壁が、帝国追撃部隊の進軍を遮った。共和国脱出部隊は、脱出の為の貴重な時間を稼ぎ出すことに成功した。

 それは首都進攻の直前まで配備が遅れ、実戦投入された時にはまだ充分に性能が知られていなかった共和国軍SSゾイド、メガレオンのアームキャッチャーによる攻撃であった。ニクスのトリム高地から齎されたライガーゼロイクスの残骸よりステルス能力と光学迷彩の技術を解析し、その性能を強化小型化したメガレオンは、隧道の暗闇と相まって無敵の能力を発揮した。隧道に配備されたのは僅かに5機。だが光学迷彩によって姿を消したこの共和国軍SSゾイドは、狭い隧道の中では脅威であった。

 ディマンティス部隊にとっては、露出したコクピットが被害を拡大させた。見えない敵によって撃墜された残骸が道を塞ぎ、追撃を妨げる。無数のディマンティスが残骸の奥で蠢く姿を見ながら、青く塗装された1機の古びたモルガを含む共和国脱出部隊は、隧道を駆け抜けていった。

 

                   ※

 

〝大統領を乗せたゾイドは小型機と判明。各方面に陽動を含めた脱出を開始した。包囲網を狭め脱出路を絶ち必ず確保せよ。最悪の場合生死は問わない〟

 短い通達文には『画像添付:①陽動を含む共和国大統領脱出ルート・②ルイーズ・キャムフォード大統領』とある。シュテルマーは、議事堂の上で、折れた稲妻を意匠とした国旗を睥睨し、モニターに画像を展開した。

 彼は陥落した大統領府の前で、自分の葬った無数の共和国ゾイドの残骸を見下ろしていた。コングの眼下を、最後まで抵抗を続け投降した共和国兵が捕虜として後頭部に両手を回して一列に歩かされている。背筋を伸ばして歩むその姿から、彼らが決して虚勢を張っているのではなく、何かの使命を着実に成し遂げた充実感が漲っているのを、シュテルマーは敏感に感じ取っていた。残骸には重装甲を誇るゴルドスやカノントータスが多く、コクピットは一様に開かれている。操縦者は死ぬまで戦ったのではなく、可能な限りの戦闘の後、機体を捨てて脱出しているのだ。思い起せば、抵抗部隊は長距離射程を誇るゴルドスの105㎜高速レールガンも、旧装備に換装されたカノントータスの大口径突撃砲も、有効射程の遥か遠くから砲撃を開始していた。もちろん、ダークスパイナーのジャミングウェーブの到達距離に接近させない為の戦略とも言えるが、それ以前に、砲撃は単なる時間稼ぎであったことが抵抗部隊の未消去のデータから判明したのだ。

 抵抗部隊の本来の目的は、ゾイドを使用した大統領の脱出であった。送信された配置図より、陽動を含む大統領搭乗機が脱出を図る経路は5本。それぞれが制圧された共和国首都の中を扇状に広がって移動している。そのどれかに大統領が向かっている。確率は五分の一だが、彼にとって選ぶ経路は決まっていた。

 エレナであれば、きっとこの道を選ぶに違いない。

 シュテルマーが目指したのは、5本の中で最も移動距離の長いルートであった。

 地図をスクロールした画像の下に、眼鏡を掛けた初老の女性の映像が映る。ギュンターによる情報封鎖以来、久しく目にしていなかった姿だった。貴種に繋がる品格は隠しようもなく、年齢を重ねたからこそ醸し出す美しさもまた輝いている。万感の想いが込み上げる。だが、思い出に浸っている余裕はない。画像が北部方面軍の全部隊に送付された以上、共和国大統領の捜索に拍車がかかるに違いない。通信装置を確認し、敢えて音声をマイクに拾わせる様に告げた。

「ジェノサイドモードへ移行する」

 躊躇うことなくシュテルマーは禁忌の機能を発動させ、目差す脱出ルートに向けてアイアンコングEを発進させていた。

 

                   ※

 

 エレナは激しい振動に耐えていた。機外では激しい格闘戦が繰り広げられている。迂闊に言葉を発すれば舌を噛む。今はただ黙って戦闘の行方を見守る他ない。揺れ動くモニターに映るのは敵の赤い小型ゾイドであり、遠方で巨大な背鰭を靡かせる緑色のゾイドも見える。周囲には敵の砲撃が降り注いでいるはずなのに、彼女を乗せたセイバリオンは一定のリズムを刻んだまま駆けて行く。

「大統領、御無事ですか」

 振り回される仮設シートの中、エレナは周囲を取り囲む殺意を感じながらも、それを越えた安らぎを覚えていた。

 不思議と死の恐怖が湧いて来ない。必ずこの窮地を越えることができるという確かな希望があった。目差す先は中央山脈、2044年に使用していた秘密の地下司令部である。首都脱出が成功すれば、途中でタートルシップと合流し移動する手筈だった。その時エレナは少女の頃見たケック村の美しいミストラルを思い描いていた。村は隕石の直撃により跡形もなく吹き飛んでおり、今は見る影もない。そして仮に戻ったとしても、旧ゼネバス帝国領にあたるその地域は既にネオゼネバス帝国軍の制圧下にあるはずだ。人は死を間近にして、過去を振り返るという。その時が近づいて来たと思う一方、それでもエレナの心は澄み切った湖水の様に鎮まっていた。

 

 トミー・パリス大尉という若者の顔は、人生を共に過ごしたひとと似ていた。戦場で瀕死の重傷を負い、絶望の淵を彷徨い、それでも諦めずに立ち上がる。

(リチャード……)

 最愛の亡き夫に面影が重なる。そしてもう一人の顔がエレナの脳裏を過った。あの日キングゴジュラスで隕石を防ぎ、息子を救うために命を散らした父、ゼネバスの姿である。

(お父様は、リチャードと会えたのでしょうか)

 死後の世界など信じてはいない。死は自分を含め誰にでも平等にやってくる。自分にとって最愛の人々との再会を夢見ても許されるだろう。

 

 突然セイバリオンの歩調が変わる。何かを警戒しているのだ。

(待ち伏せ?)

 パリスは培った戦士の嗅覚で、見えない敵の存在を察知したのだろう。小さなモニターでは外の様子を窺い知る事はできないが、緊張はエレナの乗る仮設シートにも伝わってくる。シートの丁度真上にコアがあるため、SSゾイドの薄い装甲越しにコアの鼓動が響いてくる。歩みを止めず、しかし微細に歩調を変化させていく。

 エレナの身体が激しく揺さぶられた。セイバリオンが跳んだのだ。モニターに一陣の閃光が過る。それは闇の獣王ライガーゼロイクスの狙い澄ましたストライクレーザークローだった。だが、タイミングをずらされ、空を切ったイクスの右前脚は、セイバリオンの渾身のハイフリークエンシブレードによって鮮やかに薙ぎ払われていた。

 

                   ※

 

「クック湾基地より入電、現在大陸西より所属不明の大型飛行物体が接近中。機体の規模からして、ホエールキング級2隻と思われますが、味方識別コード無し……。つい先ほど索敵圏外に離脱」

「ガイロス軍でしょうか」

「奴らが今更何をしに来るのだ。進路は確認できたのか」

 まだ若い通信兵は、覚束ない仕草で機材の操作を行う。

「西に向かった後、中央山脈付近で消失」

「動向を確認しろ、再び接近した場合に備えておけ」

 復唱した後、通信兵はズィグナーに再度敬礼をし直した。

「まだ何かあるのか」

「大型飛行物体消失の直前に、突撃部隊より緊急入電があり、報告が前後しました。実は……アイアンコングEが、戦線を離脱しました」

 ズィグナーが告げると、皇帝ヴォルフは露骨な舌打ちをした。

「やはりそんなことか。構わぬ、何処へなりとも行けばよい」

 大統領の捕捉はできないものの、首都制圧戦は完了している。今更老兵一人とゾイド1機を失ったところで何の損失もない。むしろ陰鬱な影を引き摺る人物がいなくなっただけ僥倖と思えた。だが、補佐官が続けて告げた報告は若き皇帝を極めて不愉快にさせた。

「シュテルマー殿の最後の通信に〝ジェノサイドモードへ移行〟との音声記録が残っておりました」

 ヴォルフは身を固くした。それはIFF(敵味方識別)シグナルの制約を無視し、敵味方の区別なく攻撃を可能にする機能である。敢えてそのモードに移行した事実を通信記録に残している以上、あの老兵はヴォルフのネオゼネバス帝国に反旗を翻したと判断していい。

――父は何故、あんな奴を自分に随伴させたのだ――

「ルイーズ大統領の捕捉に加え、本時刻を以てシュテルマーとアイアンコングEを共和国軍同様に掃討対象に修正、敵性ゾイドと認識せよ。奴は歴戦の強者だ。赤いコングを発見した場合、直接戦闘に移らずダークスパイナーのジャミングウェーブを待て。裏切り者を逃すな」

 エナジーライガーが完成していれば。

 ヴォルフの焦燥は、嘗てシュテルマーが最終兵器ギルベイダーの完成を望んだ感情と重なっている。歴史はここでも韻を踏んでいた。

 

                   ※

 

 イクスの攻撃を躱した後、セイバリオンは首都を取り巻く小高い丘に向け、再び一定のリズムを刻んで駆けていた。心地よい振動に揺られる仮設シートの中、エレナは緊急脱出用のレバーを見つめ思いを巡らせ続けていた。

 

 自分が生き延びれば、再び争いの中心に立ち続けることだろう。思えば、三期目の大統領就任を最後に隠棲するはずが、戦乱の発生に巻き込まれ身を引く機会を失っていた。これまで無我夢中で戦ってきたが、今戦っている相手が自分の甥であり、肉親であることに寂寥感を募らせていた。父と伯父のような、忌まわしきムーロアの血の呪いを受け継ぐことは避けたかった。肉親同士が争い合う世界など、決してこの星に良い影響を与えるはずがない。そして、やはり肉体の老いを感じないわけはいかなかった。果たして自分がこのまま、共和国の中心に存在して良いものなのだろうかと。

 安易に命を絶って責任を投げ出すことだけは彼女の倫理観が許さなかった。生きることは権利であると同時に義務であり、自分はリチャードの分まで生き延びなければならなかったからだ。

 エレナは小箱を抱きしめた。

 彼女には確信があった。セシリアに脱出した閣僚や、パリス少尉をはじめ息子を支えてくれる人々、そしてヘリック共和国を惑星大異変(グランドカタストロフ)の廃墟から立ち上がらせた無数の意志が、必ずこの国を再興させてくれることを。

 

 セイバリオンの歩みが止まる。パリスは脱出した首都を、雪辱を誓うために見下ろしているに違いない。モニターに、燃え上がる首都の遠望が映る。

「ロブ、こんな母親を許してくれるでしょうか」

 機体の停止したその瞬間、エレナは無心に目の前のレバーを引いていた。

 

 音もなく開かれたハッチから、エレナはシートごと落下する。シートに施されたウレタンが緩衝材となり、身体を地表にぶつけることなく着地した。腹部ハッチが開いていることも知らず、セイバリオンは再び先ほどと同じ歩みで走り出した。

「ありがとう、トミー・パリス少尉。あなたの武運を祈念します。ロブを宜しく」

 エレナはヘルメットを脱いで立ち上がり、思いを込めて手を振り続けていた。

 


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