クック湾へのドラグーンネスト上陸から7週間。共和国首都ヘリックシティーに迫ったヴォルフは、未だに降伏勧告を受け入れないルイーズ・キャムフォード共和国大統領の姿勢に苛立ちを隠せなかった。
勝てないと判っているのに、なぜ降伏しない。
ヴォルフはエレナとの会見を純粋な政治的判断として望んでいた。共和国元首がネオゼネバス帝国皇帝の降伏勧告を受け入れることにより、より平和裏に占領政策を進めるためである。しかし、勧告は黙殺されたまま話し合いの場にも着こうとしない。ルイーズ大統領とは国民の生命を最大限に尊重する良識ある人物と聞いており、無駄な血を流さないためにも、彼女ならばすぐに交渉のテーブルに着くことを予測していたヴォルフにとっては理解し難いことだった。
共和国大統領は、自ら死を選ぶことで国民の団結を図ろうとしているのではないか。
進撃するドラグーンネスト艦隊旗艦『ネアンデル』のブリッジで、ヴォルフは唇を噛み締めた。もしそうだとすれば、厄介なこととなる。彼女の望み通り彼女の命を奪ってしまっては、共和国軍残存部隊が死力を尽くして反攻するに違いない。たとえ力でねじ伏せたとしても、長く怨恨が残り統治に支障が出るのは明らかだ。ヴォルフにとって、共和国政府組織を維持したまま支配するのが理想であった。父ギュンターが放った情報工作員が、新たにガイロス帝国の逆襲という脅威論を喧伝し、ネオゼネバス帝国による統治の必要性を根付かせようとしている。圧倒的な進撃も、首都を陥落させてしまえば必然的に鈍化するだろう。
「ズィグナー、どうあってもルイーズ大統領を生きて捕らえるようにと全軍に厳命してくれ」
「御意に御座います、皇帝陛下」
「やめてくれ。今は誰もいないのだから」
ヴォルフはその尊称で呼ばれることが嫌いだった。ズィグナーだからこそ言えた不満だ。他の兵が一人でもいれば受け入れたが、ブリッジでは今まで通りの階級章で呼んで欲しかったのだ。
ふと、ヴォルフは振り返り、背後に控えるその補佐官に尋ねた。
「あいつはどうした。私がクック湾での最大の軍功を賞賛しても挨拶にも来ない。父から特別のアイアンコングを譲り受けているにも関わらず、礼を欠いているのではないか」
自分でも饒舌になっていることがわかる。ヴォルフはあの老兵を疎ましいものと感じていた。作戦に干渉するわけでもなく、見かけ倒しの無能な兵士でもない。しかし、過度なまでに寡黙で何を考えているのか判らない。なぜ亡き父はあの老兵を自分に随伴させたのかも判らない。「頼りになる者だ」以外の説明も無かった。
ヴォルフの感情を逆撫でしたのは、彼が仄かな香りを漂わせていたからだ。最前線での戦闘は長期間に及ぶため、特に女性兵士の間では香水を使う者もいたが、その老兵は武骨な風貌に不釣り合いな強く甘い香りを漂わせていた。軍規に背くわけでもなく、指摘する事も躊躇われたが、ヴォルフには老兵への特異で軟弱な印象を拭い去ることが出来なかった。
「依然、例のアイアンコングのコクピットにて待機しております」
ヴォルフは心の中で舌打ちをし、再び背を向けた。羨ましかった。自分にももっとゾイドと繋がる時間が欲しいと。若い彼には相談相手が欲しかったが、老兵はいつもあのアイアンコングのコクピットに座り、世捨て人のように瞑想している。ヴォルフの焦燥はゾイドと繋がることができる老兵への妬みでもあった。
「一体何なのだ、あのPKは」
「陛下、僭越ながら、あれはPKではなく〝E型〟と呼称される機体であります」
彼は自分が一層不機嫌になり、そんな自分に更に嫌気がさしたため、口を噤んだ。僅かに目配せをする。補佐官は「話を続けろ」という無言の訴えを察知した。
「整備兵によれば、機体の構造がより野生体に近くなっているとのことでした。或いはライガーゼロやバーサークフューラーなどと同様の実験機とも思われます」
実験機が次々と戦場に投入されていることは彼も認識していた。彼自身、実験機であったバーサークフューラーの素体を操縦し、ニクシー基地撤退作戦を成功させている。同様の機構を、アイアンコングに組み込んでいることも予測された。納得できないのは、なぜ父ギュンターは機体スペックの詳細を自分にも告げず、そしてあの老兵にそんなものを与えたかである。装甲の塗装は、彼のバーサークフューラーにさえ施されていない、父とともに爆発したブラッディデスザウラーと同じ
「私専用の新型ゾイドの開発は進んでいるのか」
ヴォルフはライガーゼロの素体に、新たな装備を加えた機体の開発を命じていた。ズィグナーが少し口籠る。
「御提案されましたエナジーチャージャーの搭載を見送らせて頂ければ、直ぐにでも完成できるのですが」
「あれはゾイドに新しい力を吹き込むものだ。父があいつにあのアイアンコングを与えたように、新皇帝たる私にも新しいシステムを搭載した新しいゾイドが必要だ。開発の中止は許さない。技術局の全力を挙げて、エナジーライガーの完成を急がせろ」
彼は感情と行動とを切り離す能力に長けており、焦燥感に駆られることは少なかった。しかし幼い頃から仕えてきた補佐官にとって、彼のいつになく強硬な口調から、若き皇帝が何を考えているのか予想がついていた。
(陛下はあの共和国軍
補佐官として、この若き皇帝を守るためにも、ゾイドへの搭乗は避けて欲しかった。一方で、若く、そして孤独な若者には最早ゾイドとの繋がりにしか己の存在を認められなくなっていたのも判っていた。止むを得ない。
「御意のままに」
ヴォルフは補佐官に背を向けたまま頷いた。ズィグナーは知っていた。彼の顔には、少年が新しい玩具を与えられた時のような笑みが湛えられていることを。
ドラグーンネストは更に共和国首都に向けて進軍を続けていた。
そのゾイドの戦い方は、
新鋭ケーニッヒウルフがスナイパーライフルを構えているのを目視確認する。マズルフラッシュと同時に、マニューバスラスターを全噴射させ、炎が覆う空に赤い巨体を舞いあがらせた。飛び上がった跡には一秒の何分の一かの差で徹甲弾による穿孔が刻まれる。射撃した直後の無防備な状態のケーニッヒウルフの直上から舞い降りた。その白い狼型ゾイドの頸部をスナイパーライフルの砲身ごと圧し折る。悲痛な声を上げ、アイアンコングの足元に白い機体が横たわった。未だに電源の残る三連スナイパースコープが燐光を発していたが、コアの破壊と共に灯りを消して行った。
再配備されたガンブラスターが背部のローリングキャノンを回転させ始めた。黄金砲と呼ばれた嘗ての煌めきは無く、機体の印象は大きく異なっていたが、思い起せば彼にとって忌まわしい記憶の残る機体である。射撃の軸線さえ逸らせば何の脅威にもならない。超電磁シールドが作動を始める前に、コングは驚異的な跳躍で側面に回り込み殴りつけた。幾つもの砲身が吹き飛び、無様に横転する。
脆い。あの時のパイロットとは比べ物にならない。共和国軍にはまともな兵士が残っていないのか。
硝煙の立ち込める正面から、長大な砲身を背負った銀色の影が近づいて来る。次の瞬間、3本の鉤爪が繰り出された。咆哮する巨体、宿命の強敵であるガナー装備のゴジュラスである。搭乗するパイロットは、共和国軍でも誇り高きゴジュラスドライバーに違いない。コクピットの中、緊張と喜びが入り混じる。
もし貴様が引導を渡してくれるのであれば本望だ。だが、自分に止めを刺すだけの価値があるか、見定めさせてもらう。
スラスターを逆方向へ噴射、牽制として連装電磁砲をゴジュラスの足元に放つ。ゴジュラスは怯まない。電磁砲の砲撃を脚部に受けても進撃を止めず、前傾姿勢を取って突入してくる。
面白い。お前もまた古いゾイド乗りか。
乾いた唇を舐めると、4連装グレネードランチャーを斉射しながらコングを跳び退かせた。ゴジュラスは振り向きざまに尾を振り方向転換する。
いい動きだが、その装備が命取りだ。
背部のロングレンジバスターキャノンが、僅かに機体の動きを妨げた。長大な砲身も接近戦に持ち込んでしまえばデッドウェイトに過ぎない。赤いゾイドは迫りくるバイトファングをすり抜け、背後のフュエルタンクごと両腕のハンマーナックルで叩き付ける。
ゴジュラスが背中を弓なりに仰け反らせて倒れ込む。頭長高の高さが災いして、直ぐに起き上がれない。倒れたままの背中にキャノンもスタビライザーも無視して、鋼鉄の拳を無茶苦茶に打ち据える。腕を振り下ろす度に、甲高い音とともに重金属の塊が
ゴジュラスが悲鳴を上げた。剥き出しとなった頸部と胴体後部を両腕で掴み、力任せに引き裂く。
ブチッ、という筋繊維の千切れる音が連鎖的に起こる。同時に轟くゴジュラスの断末魔。
ブチッ、ブチッ、ブチッ!
頭部に繋がった脊髄のような太い神経索がずるりと引き出され、無数のケーブルを纏ったまま高々と掲げられた。
黒い潤滑油らしき液体を撒き散らし、巨体が三つに崩壊した。首を抜かれたにも関わらず、横たわった長さは元の二倍弱になっている。コングは手にした首を大地に叩き付けると、開ききったバイトファングの口腔目掛けて踏み付けた。下顎を欠いたゴジュラスの首が墓標となって、虚しく空を見上げていた。
嘗て〝戦場の赤い悪魔〟と呼ばれた機体があったが、銀色の宿敵の屍を片足で踏み付け、炎の中でドラミングをする姿はまさに赤い悪魔の再来であった。
ふと、アイアンコングの頭部が瓦礫と化した共和国軍基地の建造物の上で背鰭を蠢かせるゾイドに向けられた。
ダークスパイナー、忌々しい奴。
ジャミングウェーブという最強の武器を持つそのゾイドを、アイアンコングは苛立たしげに見据えていた。
全知全能の神とやらが存在するのであれば、なぜ未だに人を苦しめる。神への帰依が安息を齎すというのならば、
シュテルマーは、戦闘を終えたコクピットの中で一人苦痛に悶え苦しんでいた。左腕の古傷が更に化膿し、老体故に健常とは言い難い肉体も蝕み続けていたからだ。古傷周辺の体組織の壊死により腐敗した肉体が異臭を放ち始めたため、止むを得ず強い香りの香水を振り掛けていた。本来アイアンコングは並列複座式であるが、E型と呼ばれるこの機体は幸いにして一人でも操縦は可能であった。コ・パイロットの搭乗を固辞し、極力人との接触を避け、ゾイドとの精神的な繋がりを持つとの名目で、一人このコクピットに座り続けた。ここであれば、間断なく続く左腕の激痛に耐えかね呻いても気付かれることはない。操縦に関しては、サブシステムが音声認識によって代行するので、彼の絞り出すような嗄声でも操縦に支障はない。シュテルマーにとって、傷の悪化が露見し、戦線から離脱させられることだけは避けたかったのだ。
若き皇帝の軍は着実に進撃速度を上げている。戦略戦術共に見事であったが、そのあまりの速さに疑念を抱いた。潮が引く様に共和国軍は前線から離脱していく。それは2044年に共和国軍が首都を陥落させられた時にも似ている。彼の立場からは、ここで若き皇帝に忠告をすべきと感じる一方で、この虚しい自分の人生の最後に首都で立て篭もる人物との邂逅を思い描いていた為に戦場を離れることは出来ず、進撃の速度を下げることも望まなかった。左腕の状態からも、自分に残された時間は僅かなのだと知っていた。
彼は、自分を見出し、長きに亘り仕えてきた摂政ギュンター・プロイツェンが爆死したことも知っていた。予兆はあったが彼の予測していた時期より遙かに早かった。死に赴く者を何人も見送ってきたシュテルマーであっても、ギュンターの死は予想外という印象は否めなかった。
――姉の最期を見届けて欲しいのだ――
あの日、ギュンターが告げた言葉だ。彼にとっても叶えたい希望であった。
また取り残された。
若き日の焦燥感や寂寥感を抱くことはなかった。自分もすぐに後を追うに違いない。その時にこそ、先に逝ったギュンター、ゼネバス、父ガンビーノ、そして無数の戦友達と語り合えるだろう。
「待っていてくれ」
彼の呟きを聞いたのは、彼の座したゾイド、アイアンコング〝E〟のみだった。
※
ヴォルフ・ムーロア皇帝率いる
戦略の基本中の基本として、二方面同時攻撃の愚は誰もが知るところであり、一気呵成に攻め上げる勇壮さとは裏腹に失敗した事例は数多く、成功例は殆どない。だが、圧倒的に兵力に余裕の無いネオゼネバス帝国軍にとって、兵力増強と中央大陸の制圧は急務であり、作戦の失敗は即ち全滅を示していたからこそ、三方同時攻撃という奇策を採ったのだった。
共和国首都の制圧は、もちろんヘリック共和国の中枢を牛耳るためのものである。但し、そこで仮にエレナ=ルイーズ大統領を掌握、若しくは殺害できたとしても、万が一の事態に備え副大統領はヘリックシティーに存在せず、エレナの旧選出区であるセシリア市に待機していた。ヴォルフの北部方面軍は、部隊を更に3分し首都攻撃に当たったため、大陸東側のセシリア山やクーパー湾方面にまで襲撃部隊を割くことは出来ず、首都を陥落させただけでは、ヘリック共和国を崩壊させることは不可能であった。
西部方面軍が襲ったウラニスク工業地帯は、親ゼネバス派が多数存在する地域で、予め多くの工作員によって情報操作が行われ、水面下でのネオゼネバス帝国受け入れ準備を整えていた。ドラグーンネストの上陸により手薄な共和国守備隊を排除すると、休眠状態であった旧ゼネバス帝国ゾイドの生産ラインを再稼働させ、一斉に帝国ゾイドの生産を軌道に乗せた。また、周辺地域住民からのネオゼネバス帝国軍義勇兵を募集し兵力増強を図り、急造ながらも軍の再編を行った。
実際問題として、長年ヘリック共和国の管理下にあり兵役からも遠ざかっていた旧ゼネバス帝国領住民に戦闘行動は荷が重すぎた。制圧後の戒厳令下の街中には、似合わぬ軍服を纏い、重々しく小火器を引き摺る兵士が溢れ返った。暗黒大陸ニクスで戦い抜いた歴戦の共和国兵が反転してくれば、到底太刀打ちできるような軍隊ではないことは誰の目にも明白である。従って急務とされたのが、本来のゾイドと並行して、キメラ型と呼ばれるブロックスゾイドの生産であった。自己学習型で独立して駆動するキメラ型無人ゾイドであれば、俄か作りの軍隊でも辛うじて戦闘が行える。そしてブロックス対応型の大型ゾイドとしての、後の主力となるセイスモサウルスの生産を、ウラニスクにて開発を始めさせたのだった。
一方の南部方面軍は、山岳部に位置する旧ゼネバス帝国首都を攻略する為に改ホエールキング級『モビーディック』が使用された。モビーディック型の戦線初投入は、西方大陸戦争終結後の陥落したニクシー基地急襲であったが、ギュンターがこの機体を開発させた本来の目的こそ、この帝都奪還作戦であった。『モビーディック』7番艦にあたるこの改造ホエールキングは、やはり手薄な共和国守備隊を自動操縦のザバットとグレイヴクアマの攻撃により制圧。ゼネバス帝国の象徴であった王城を奪還し、形式的な首都(実質的にはヴォルフのいるマウントアーサーが中心である)の再建を宣言し、ネオゼネバス帝国の正式な建国を中央大陸に知らしめた。各方面軍はそれぞれの制圧地域を着実に広げ、ネオゼネバス帝国の建国の既成事実を打ち建てた。彼らには一刻も早く大陸を安定化させる必要があったのだ。
冷静に考えれば感情的にも数学的(=絶対的)にも、直近のガイロス帝国脅威論は杞憂に過ぎない。ヴァルハラで兵力の大部分を削ぎ落され、ネオゼネバス帝国成立により残存部隊の多くが脱落し、皇帝ルドルフを欠き、摂政ギュンターが爆死したのだ。どの部隊を率いて、中央大陸の軍と復讐戦に望めるというのだろうか。
後見人となったカール・リヒテン・シュバルツ准将(昇進後)が親共和国派に属していたことは有名だが、彼によって救出された若きガイロス皇帝ルドルフもまたゾイド好きの少年であった。救出後、中央大陸に進路を向けるロブ・ハーマン中佐(当時)が搭乗したウルトラザウルス・ザ・キャリアーに憧れの視線を向ける天真爛漫な瞳に、もはや戦乱を望む野望は存在しない。
皮肉なことに、ギュンターの望んだ新たな世代は着実に育まれていたのだ。ヴォルフと、ルドルフと、そしてロブ・ハーマン。この星の戦乱は、着実に終息に向けて歩み出していた。それはかつてヘリックが願い、ゼネバスが望み、リチャードが、そしてエレナが思い描いた未来でもあったのだ。
人間の可能性に期待するという、深山幽谷の人物の唱えた未来は近づいていた。