『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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(2101―2111)(最終章)
55(2101年)


 8秒間鳴って2秒間休止の繰り返し。

 敵襲を告げる警報が、湖畔の町ウィルソンに不穏な輪唱を奏でて響き渡る。48年前のギルベイダー空襲を契機に、共和国各都市では定期的に防空避難訓練を実施してきた。しかし、それはどこか空々しいイベントで、開戦初頭の戦場が遠い西方大陸、或いは転戦した後の暗黒大陸ニクスということもあり、新たな世代を迎えた共和国民衆にとって嘗ての黒い翼が再び故郷の地に乱舞することなど予想だにしなかったからだ。

 事実、ギルベイダーが蘇ることは無かった。

 敵は空からではなく、地上を這ってやってきたのだ。住民は、それが決して訓練ではない現実に戦慄していた。

 

 大統領の緊急招集を受け飛来した防空戦闘隊第27飛行大隊所属、マミ・ブリジット少尉は、愛機ストームソーダーをその上空で旋回させながら茫然自失の一言を告げた。

「航空部隊に、何ができるの」

 眼下には、全長136mの巨大ザリガニが数体、棚引く爆炎を纏いながら、長々とその巨体を横たえていた。

 旗艦『ネアンデル』を中心にX字の陣形を組んだアイゼンドラグーン5隻から編成される鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)北部方面軍は、クック湾陥落の後ウィルソン川沿いに南下、ウィルソン市攻略に及んだ。

 先行する『フェルトフォーファー』と『トイフェルスカマー』は、突撃揚陸艇ネプチューンとポセイドンを盾として共和国残存部隊を文字通り踏み潰しながら突進する。巨体を支えるマグネッサーシステムは、時速50㎞以下に速度を落とすことなく進撃。ゴルドスの105㎜高速レールガンも、ゴジュラスガナーのロングレンジバスターキャノンもそれを押し留めるには至らなかった。ドラグーンネストは、その巨体が最大の武器であった。蟻と象との戦い、いや、それ以上の体格差では、到底対抗することは不可能である。避弾経始に優れ、深海の大水圧にも耐えられる曲面重装甲に覆われた全高40mの巨大標的に向け、迎え撃つ共和国軍地上部隊がどれ程砲撃を加えても、目に見えた効果を与えることが出来ない。

 同時刻、戦略爆撃隊所属のサラマンダー1機、及びレイノス4機が飛来し、空中からドラグーンネストへの攻撃を敢行する。爆装は可能であったが、爆撃を行うには市街地に近すぎた。サラマンダーは地上すれすれまで降下し、AZ高熱火炎放射器、及びバルカンファランクスによるピンポイントでのドラグーンネストの関節部分への直接攻撃を繰り返す。狙い澄ました重機関銃の砲弾が炸裂する度に、標的は内部から黄色い粘着性の物質を撒き散らす。歩脚が軋みを上げて動きを止めるが、残りの歩脚を使って直ぐまた移動を再開する。それでもサラマンダーは歩脚の付け根にあたる蛇腹状の関節部にバルカンの攻撃を集中し、遂には1本を切断することに成功した。大木の如き歩脚が本体から脱落し、見守る共和国軍地上部隊からの歓声を聞く前に、サラマンダーは一条の光芒によって撃墜された。見れば、背甲部分のカタパルトから出現したシュトゥルムフューラーが、集束荷電粒子砲の一撃で鋼鉄の翼を貫いたのだ。炎に包まれ落下するサラマンダーを、残った歩脚がめちゃくちゃに踏み潰し、ドラグーンネスト『フェルトフォーファー・キルフェ』は何事もなかったように進撃を続けた。

 次に飛来した緑色のレイノスが、3連装ビーム砲と72㎜バルカン砲を乱射しながら急降下、迫り出したブリッジ目掛け、脚部スパイククローでの肉弾戦を試みる。だがその直前、機体が突然硬直した。凍り付いたように羽を固定したまま、ドラグーンネストの右舷後方に墜落、地表に小爆発の硝煙を残して消えていった。巨体の中央ハッチの隙間から、ジャミングウェーブを発生させるグランチャーのレーザーソードが垣間見えていた。

 パンツァーユニットに換装したライガーゼロ部隊が、サラマンダーの決死の攻撃によって歩脚が切断された左舷に集中し、ハイブリッドキャノンの連射に加え、グレネードランチャー、マイクロホーミングミサイル等無数の実体弾を発射する。左舷が炎に包まれ、金属片と黄色い有機体を撒き散らし、遂には『フェルトフォーファー・キルフェ』の巨体が鎮座した。だがそこまでであった。

 共和国軍ゾイドの操縦者達は、自分の機体が動かないことに気が付いた。硝煙に包まれる中、目の前に黒々とした巨大な壁が迫って来るのを知ると同時、全ての機体が踏み潰された。ジャミングウェーブによって行動不能にした上で、ネプチューンをザリガニのハサミ同様に使って地上部隊を薙ぎ払ったのである。

 ウィルソン市に、鋼材を解体するスクラップ工場と同じ音が響き渡る。バリバリという金属が捻じ曲げられる騒音に紛れ、無数のゾイドの悲鳴が含まれていた。シールドライガーのものと思われる、最強の硬度を誇るレーザーサーベルが数本、巨大ザリガニの去った轍に残されていた。

 累々と散乱する残骸を尻目に、ドラグーンネストは地上の大艦隊として首都ヘリックシティーに迫っていた。

 

                   ※

 

 開かれた濃紺のケースには、黄金の輝きを保つゼネバスの紋章と、どれ程磨いても黒く焼け焦げた跡を拭い去ることの出来なかった同じ物が並んで収められている。父との思い出と、少女の頃の記憶が過ぎる。共和国大統領に就任して以来、公私に亘って身に着ける機会は無かった。追憶にのみ存在すると思えた同じ紋章を掲げた軍団が、いま彼女に向かって迫って来る。

「お父さん、誰の言葉でしたか。『歴史は繰り返さないが韻を踏む』とは」

 2つの紋章を見比べながら、エレナは呟いていた。

 

 伯父ヘリックがあの日を回顧していた時に耳にしたことがある。

「私の聞き違いだったのかも知れないが……」

 惑星大異変(グランドカタストロフ)の最中の、キングゴジュラスを前にした父ゼネバスの言葉だ。

――娘を守ってやってくれ。私はもう一人、守らねばならぬ者のために行く――。

「もう一人」とは誰の事だったのか。長年エレナは、その人物が、自分の母とは別の妻にあたるマリー・プロイツェンだと思い込もうとしていた。ヴァーノンが査問の場に於いて、元皇帝の巡幸を誘引する条件としてその女性と引き合わせたことを告げていたからだ。

 しかし、娘であるエレナと同列に語られた「もう一人」の人物が、元の正妻であると解釈するには違和感があった。真相を語らぬまま父はこの世を去り、エレナはその「もう一人」がマリーであると納得させていたのだ。

 ネオゼネバス帝国の建国宣言は、奇しくも彼女の中で燻り続けていた疑念を吹き掃った。

 マリー・プロイツェンの実子であり、ガイロス帝国摂政職にあったギュンター・プロイツェン・ムーロアが、ゼネバス・ムーロアの正式な後継者を名乗ったからだ。

 散逸していた事実が雪崩を打って繋がり、彼女の眼前に迫ってきた。ムーロア一族の血の呪いはいつまで韻を踏むのか。彼女の戦ってきた敵は、父の遺した「もう一人」の真相であり、遂に(まみ)えることの無かった異母弟であった。

 そして新たに明らかになった事実がある。ニクシー基地撤退での帝国軍エレファンダー部隊兵士が叫んだ人物のことだ。天文台がヴァルハラの異変を観測して以降消息を絶ったギュンターに代わり、即座に第二代皇帝を宣言したヴォルフ・プロイツェン・ムーロアは、彼女の甥であった。

 見事な戦略だった。シート海、アクア海、そしてレッドリバー方面から同時に侵攻を開始したとの報告を受けていた。残存部隊とはいえ決して少なくはない予備兵力を有する共和国軍に対し、巨大要塞型ゾイドを以て直接本土に上陸し、忽ちの内に圧倒、こうしている今も首都に向けて包囲網を狭めている。戦況は悪化の一途を辿り、防衛線が次々と突破されていく。

 彼女は気付いていた。支えきれない事を。

 諦めるのか。

 戦いが長引けば、それだけ民衆は苦しみ、死傷者も増える。国家の責任者として、国民の生命を守るのは当然だ。無駄な戦闘を避け、いち早く降伏すれば被害は最小限で抑えられる。勝利に拘り、多くの血を流すことは望まない。恩讐を捨て、自らの血に繋がる指導者に身を寄せれば平和裏に運ぶのではないか。

 警報が鳴り響く司令部内、彼女の中では降伏か徹底抗戦かの選択が激しく鬩ぎ合っていた。降伏に傾く彼女の心の中で、絶えず相反する彼女自身の心の声が響いていた。「それでいいのか」と。

 この国は、伯父ヘリックが築き上げ、その指導者の地位を彼女が受け継いだ。だが、それは世襲によって渡されたものではない。敢えて出自に触れず、彼女がゼネバスの娘である事を公言しなかった理由は、国民の選択に先入観を抱かせたくなかったから、この国の民衆の賢明さを信じたからだ。そして彼女は選ばれた。だからこの国は彼女の所有物ではない。この国の民衆のものだ。この国が繁栄できたのも、共和制という個人の責任に基づき、個人が成長しようとする意識を定着させ、積み重ねられて来た努力と、尊い犠牲によって築き上げられてきたからこそなのだ。

 厳しい環境にあるから、強力なゾイド野生体が育まれるのと同様に、保護されるだけでは国家も国民も成長できない。皇帝というある特定の個人にのみ政治の責任を担わせ、それに全面的に従うことは、表面上どれ程善政を布こうとも国民個人の成長を促さない以上、国家の成長も望めない。

 時代の針は逆行できない。温かな母の胎盤をどれ程思い描いても、生まれ出た以上最早(もはや)懐かしい胎内に戻る事は許されない。目先の平和を求め譲歩してみても、何れは必ず自由を求める争いが起こる。ここで自分が妥協をしたら、将来にはいまの戦乱以上の犠牲者を生む。

 

 既に自分の手は血塗られている。ならば最期まで甘んじて汚名を受けよう。彼女は決断した。

 

「戦争は勝たなければなりません。理由などありません。それが戦争です」

 エレナの透き通った声が、司令部内に凛として響き渡る。

「よって、勝てない戦いならば負けないように戦うべきです」

 相克する訓示に、司令部内の幕僚達は当惑した表情を浮かべ俯いた。「大統領まで絶望してしまったのか」、彼らの瞳は挫折感に打ちひしがれ、輝きを失いかけている。エレナは周囲を見回し、穏やかな口調で語り出した。

「ネオゼネバス帝国を名乗る集団は、ヴァルハラでの出来事を含め、本日この侵攻を何年も前から準備してきたに違いありません。主力を欠いた我が軍の残存兵力で対抗できないことも見据えて襲撃してきたのであれば、正面から決戦を挑んでも勝算はありません」

 危険な賭けだ。言葉を選ばなければ、司令部に混乱を起こしかねない。彼女は深く息をつく。

「勝算が無ければ、戦って死ぬか捕らえられるかです。私は、貴重な兵と乗り慣れたゾイドが失われることを望みません。

 思い出してください。なぜヘリックⅡ世前大統領は、約束された王の地位を捨て、共和制を布いたのかを。

 命あるものは、生まれ出た瞬間から死に向かって突き進む運命を背負っています。唯生きるだけであれば、支配者に従い、自分の思想なども捨て去り、惰眠を貪って生きることは可能でしょう。

 しかし、私たち人間は、生まれて子孫を残し死ぬだけの生命ではありません。生存本能とは別に、限られた時間の中で『生きる意志』を持つ唯一の存在です。ゾイドは次の世代にコアを残し、私たちは知識を残します。いま共和国が滅んだら、これまで多くの尊い犠牲の上に積み重ねてきたものが崩れてしまう。それはヘリック共和国の敗北ではなく、人間としての敗北です。そんなこと、私は絶対に許せません。例え屍を踏み越えてでも、この国を、いえ、この星の歴史を守り抜くのが私たちの義務であり権利であることを心に刻み込んでください。

 現在交戦中の全部隊に通達してください。『絶対に死んではいけない。目先の勝利に拘るのではなく、生き残って再起を図るのだ』と」

 固唾を呑んで彼女の訓示に集中していた幕僚達が、次々と視線を上げていく。いつしか握り締めた拳に力が漲っていく。

「かつて我が国は首都を奪われ、崩壊寸前まで追い込まれたことがあります。しかし、結果は我が国の勝利で終わりました。どれほど負け続けようと、最後の一戦に勝った者が勝者と呼ばれるのです。蛮勇を諫め、次の戦いに備えるために、敢えて屈辱を選ぶのも勝利の手段であることを厳命し、退却を含めた作戦行動を再考せよと伝えてください。以上です」

 幕僚達が一斉に敬礼をする。将官達には、彼らの中心で微笑むエレナが、未だ現実世界で出会ったことの無い勝利の女神の姿と重なっていた。

 

 鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の破竹の進撃の理由を再確認する。

(1) ダークスパイナーのジャミングウェーブによる攻撃。

→動けなくなった相手を一方的に嬲りものにして蹂躙、若しくは鹵獲する。その脅威は今まで何度も論じられてきたため略するが、共和国にとって致命的だったのは、鹵獲された共和国軍ライガーゼロは全てイクスアーマーに換装され戦線に投入されたことであった。

(2) ライガーゼロイクスによる奇襲。

→ダークスパイナーの脅威を察知した共和国軍は、徐々にその電子戦ゾイドへの攻撃を集中するようになる。容易に敵陣へ進出できなくなったダークスパイナーに代わり、鹵獲により機体数を増やしたライガーゼロイクスが光学迷彩によって姿を消し、先陣を切って突入、基地の奥底まで侵入し、中枢施設を破壊した。

(3) シュトゥルムフューラーの集束荷電粒子砲による長距離攻撃。

→長距離の火器を欠くネオゼネバス帝国軍にとって、荷電粒子砲を装備するバーサークフューラーは制圧兵器としても貴重な存在である。基本装備のバスタークローの格闘性は高いが、敢えてこのゾイドを格闘戦に使用せず、シュトゥルムアーマーに換装した上で中~長距離での荷電粒子砲攻撃によって共和国基地の主要施設やゾイド群を破壊し制圧するための高速移動する自走砲として運用した。

 補足として、荷電粒子ビームはその名の如く粒子に電荷を持ち、地磁気の影響により曲射が可能である。この点が同じ光学兵器である中性粒子ビームとの違いであり、後者は直進性に優れているが「見えている物しか撃てない」という弱点がある。地磁気と惑星の地表曲面率を概算したうえで発射した場合、精密射撃こそ難しいものの、荷電粒子砲は遠距離射撃も可能であった。この運用法が、後のセイスモサウルスに受け継がれることとなる。

(4) SSゾイドによる機動力を生かした急襲。

→(1)~(3)の攻撃を受け、弱体化した共和国軍の掃討をSSゾイドが機動力を生かして行う。小回りの利くSSゾイドは、共和国軍ゾイドのコクピットや関節部分など、正面から戦って破壊するのではなく、急所を突いて作動不能にすることが目的である。

 鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)=ネオゼネバス帝国軍の戦術は、それまでの格闘に重点を置いたゾイド戦と一線を隔していた。敵が対抗できない状況に追い込んでから止めを刺すのである。

 ところで、いくら共和国軍が主力を欠いていたとはいえ、ギュンター(若しくはヴォルフ)の私兵に過ぎない規模の鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)が、なぜ広大な中央大陸を短期間で制圧できたかが疑問である。

 例えば(1)のジャミングウェーブによる攻撃は対ゾイド戦闘には圧倒的に有効だが、共和国軍の武力はゾイドだけではない。歩兵、つまり一人一人の兵士が持つ武器に効果は無く、ゲリラ戦などの根強い抵抗は可能であった。

 対人戦闘に最も有効と思われるデスピオン等の24ゾイドを鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)が装備していたという記録は無い。同部隊はSSゾイドの生産に力点を置いており、アイゼンドラグーンの搭載量以外にも操縦者の絶対的不足の問題が残る。一方の共和国軍は、市街戦に持ち込んで戦闘を長期化させることもできたはずだ。

 目の前で味方のゾイドが次々と撃破される姿を見て、共和国国民が絶望的な感情に陥り、敵の統治を受け入れたという推察は余りに杜撰としか言えない。人々の感情が、単純な暴力による支配を受け入れる時代は既に終わっている。この惑星に於いて未だ完成されていないとはいえ、民主制という自らの主権を行使し政治を行う国家形態を成立させた時点で、封建主義的な暴力による支配体制など成立しえない。

 何より、ネオゼネバス帝国側の絶対的な人員不足が説明できない。西方大陸戦争開戦時に於いて、ガイロス帝国軍は90個師団、総員約180万人の派兵を行った。正式な規模は確認できないが、仮にPK師団や鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の兵力をその10%強と見積もって、最大10個師団、人員20万人としても(※もしこれ以上の兵力を所有していたとすれば、それは最早隠蔽不可能である)、中央大陸に派兵し、戦闘以外に占領地域を統治できる能力を有する兵士=官僚はどれ程存在するのだろうか。

 比較として、2053年にヘリック共和国がゼネバス帝国を破り併呑した時、兵力は共和国が圧倒し、大統領府を中心とした政治機構も健在であった。軍と政治が分離され、支配する為の官僚も存在していた。それでも尚且つ、各地での支配体制、特に旧ゼネバス帝国領での不満は残り、完全支配には程遠く、結果ヘリックの死後連邦共和制という緩やかな結合に移行せざるを得なかった。但し、旧帝国領からの不満が取り上げられているということは、それだけ主権を各州国に与えていた証拠でもあり、自由な言動も保障されていた証明ともなる。

 翻って鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の占領政策はどの様に展開されたのか。兵士は官僚ではない。増して旧ゼネバス兵という限られた枠の中、それも壮年を過ぎた熟達した老兵をヴァルハラに残してきた鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)に、支配政策に長けた者が数多く存在していたとは考え難い。

 旧ゼネバス帝国領では、確かにネオゼネバス帝国の支配を望んだ地域もある。かつて州国として分裂していた期間の名残として、容易に分離し支配を受け入れる素地はあった。しかし一度共和制、そして自由経済を受け入れ、繁栄を味わってしまった大衆に、軍事優先の統制経済を行うネオゼネバス帝国の支配を快く思う者は少ない。ヴォルフの行った皇帝権力を背景とした弱者救済の封建的社会保障政策も、所詮理想主義に過ぎなかった。肥大化したビューロクラシーの前では、旧態依然とした皇帝権力の維持など不可能である。繰り返すが、時代は逆行できないのだ。

 ギュンターの遺志は、虐げられている旧ゼネバスの民の大地を奪還することであったと以前考察した。その仮定の上に考察を重ねると、ギュンターの遺志が果たして正しくヴォルフに伝わっていたのかが疑われる。或いはギュンターが意図的にそれを伝えなかったのではないかとまで思われる節がある。

 ギュンターは凡庸な為政者ではない。彼が敢えて戦乱を起し、自分と、ガイロス皇帝ルドルフと、そしてエレナを葬る事により、全ての遺恨を断ち切って新たな時代を築き上げるための強引な措置を選択したと仮定した。ギュンターが若いヴォルフに帝国成立の責任全てを任せ、中央大陸に向かわせたという事実は、ギュンターの中でアンヴィバレントな感情が鬩ぎ合っていたのではないだろうか。

 不条理ではあるが、ギュンターは期待していたのかもしれない。彼が描いた未来と、息子ヴォルフが築く未来が異なる事を。シュテルマーを息子の補佐役に付け、そしてシュテルマーに特別な仕様のアイアンコングを託したことも、その証左と考えられる。

 

 ヴォルフは勝ち過ぎた。いや、勝たされたとも言える。共和国軍首都防衛の要、マウントアーサーを陥落させた後、破竹の勢いで中央大陸各地を制圧したが、数年後の共和国軍の反攻を見れば主力が温存されていたことは明白である。次々と打ち破られる共和国軍防衛線からも、実質的な部隊や人員は既に洋上、若しくは中央山脈に脱出していた。暗黒大陸ニクスから転進してきた派遣軍と、中央山脈及びグランドバロス山脈に立て篭もった部隊、そして凱龍輝の開発に見られるガイロス帝国と東方大陸の支援を受けた脱出部隊。それらはエレナの『絶対に死んではいけない』という宣言に忠実に従い、彼女の願いに応えたといえる。つまり勝てない戦いを避けて退却も恐れず行動し、再起を図ったのだ。

 ギュンターの優秀な後継者、第二代皇帝ヴォルフ・ムーロアの最大の弱点は、彼自身にもどうしようもないこと、つまり彼の若さだった。彼がゼネバス派とへリック派の隔てなく全ての民衆に愛を注ぎ、長い戦争に苦しむ民衆の暮らしを思ってブロックス導入による軍事費の大幅削減という善政を布いたとしても、それは画餅に過ぎなかった。彼の要求した共和国への「議会の解散」「軍の解体」という占領政策は最大限譲歩したつもりであったろう。だが、共和制の根本となる議会を封印され、それまで長きに渡って戦ってきた軍組織を一気に解体することは、共和国の体制を完全に否定する措置である。

 かつてヘリックは『世界を知らぬ者は、自分の国をも知らない』と語ったが、リチャードとエレナが軍組織の暫時削減を訴えたのとは対照的である。ガイロス帝国で生まれ育ち、外部の風に吹かれたことの無い若者にとって、共和国残存兵力の根強い抵抗は理解できなかったのだ。

 エレナとヴォルフとの決定的な違いは、それを支える人材である。ヴォルフにズィグナー・フォイアー大尉という補佐官がいたとはいえ、その関係はエレナとキャロライン同様に一方的である。エレナにとってのシュウ、マイケル、ヘリック、そしてリチャードの立ち位置にある人材は、若い彼にはいなかった。政治的に、そして精神的に支える人材を根本的に欠いていた。

 従って、後ろ盾となるべき父ギュンターの自爆死はますます不可解となる。彼がなぜ死を選んだのか、本当の理由は未だに不明である。

 ヴォルフは孤独であった。孤独であるが故に、幼い頃からの友人であった亡き女性を想い、戦場で出会った共和国軍レオマスターとの邂逅を望み、戦場を駆け抜けたに違いない。彼もまた、時代の激流に巻き込まれた一人であった。

 


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