『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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53(2101年)

 トリム高地、ビフロスト平原、ウルド湖戦線、ウィグリド平原。

 相次いで伝えられる戦況報告に、エレナは焦燥感を募らせていた。

 最前線で戦う息子から、敵の精鋭第一装甲師団長との秘密会談の実施を告げられた。その内容次第では、作戦の根本的な見直しを強いられることにもなりかねない。

 戦況は各方面軍で重大な局面を迎えている。上辺で干戈を交えつつ、水面下では和平交渉を行う矛盾に心が痛む。一方、戦争が綺麗ごとでは終えられないことも事実だ。

 閃光師団(レイフォース)が大陸の西端ユーミルで接触したという鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)と名乗る謎の軍団の動向が全く掴めない。共和国諜報機関の総力を挙げて調査しているガイロス帝国の実質的指導者である摂政プロイツェンの思惑は、恰もブラックホールの中心に居座るが如く、謎に包まれたままだった。

「閣下、御承認をお願いします」

 エウロペからニクスに変更された兵力配置図が戦況表示板に浮かび上がる司令部の中、共和国軍総司令官を兼任し多忙を極めるエレナの眼前に、古色蒼然とした書類が届けられた。書面を一瞥すると、隣の補佐官に命じる。

「司令部全員に確認します。声に出して読んでください」

 素早く敬礼を済ませ、エレナから手渡された書類を胸の高さまで持ち上げると、司令部全員に聞こえる低い男性の声が朗々と響いた。

「ヘリック共和国暗黒大陸派遣軍所属、機動陸軍機甲師団強襲戦闘隊へのマッドサンダー50機編入を承認する。同部隊は、ヴァーヌ平野東方よりゲフィオン山脈東端を迂回し、西方からのウィグリド平原方面軍と共にヴァルハラへの進軍、敵首都挟撃を目的とする。以上」

「作戦への異議のある方は今すぐこの場で発言してください」

 エレナの問い掛けと一人の将官の挙手と、彼女の視線に応じての発言まで僅か数秒の間だった。

「貴重なマッドサンダー部隊の集中投入は回避すべきです。ビフロスト平原やウルド湖などの西側へも部分投入すれば、膠着した戦線を突破できます」

 数人の将官が同意を示し頷く。視線がエレナに注がれる。

「ウッドワード少将の意見はこの場にいる多くの方が懸念されている事で、戦況が許せばマッドサンダーの分散投入の方が効果的なのは認めます。ですが……ご覧ください。諜報部によると、帝国軍強襲部隊は、帝都東部方面に大量のデスザウラーを受領したとの確実な報告を受けました」

 司令部の中が一瞬にして凍り付く。

「ゲフィオン山脈東端のセシリムリル市から迂回したデスザウラー部隊は、恐らくヴァーヌ平野を突き抜けて西に進み、最終的にはエントランス湾を狙うはずです。もしここに唯一対抗可能なマッドサンダーを配置しなければ、暗黒大陸派遣軍は補給線を絶たれて全軍孤立します。

 兵力の漸次投入の愚はどなたも御承知でしょう。その上で何か補足があれば、意見はお伺いします」

「諜報部の情報は確実ですか。〝血塗れの悪魔(ブラッディデーモン)〟とは名ばかりの、粗悪な改造ゾイドである可能性もあります」

「粗悪品は量産しません。我が軍の諜報機関の優秀さもまた御存知でしょう。帝国も我が軍と同様に、デスザウラーの集中投入により一気に戦況を挽回しようとしています。苦しいのは共和国だけではありません」

 エレナは周囲の将官を見回した。

「これは決定事項です。軍総司令官として命令します。全マッドサンダーをヴァーヌ平原へ投入してください」

 彼女を中心に、全員が一斉に敬礼する。伝令兵は、彼女の署名した書類を恭しく受けとり、隔壁を兼ねた扉の向こうに去って行った。

 目まぐるしく明滅する兵力配置図の光の中、彼女の脳裏に一人の名前が同じように明滅している。ニクシー基地撤退戦で最後まで抵抗していたエレファンダー部隊の搭乗員が叫んだ言葉だ。

(ヴォルフとは、一体何者なのだろう)

 彼女は無言のまま、輸送部隊を示す光点が海上を移動する様子を見つめていた。

 

 帝国軍が、切り札のデスザウラーを全機セシリムリル市街戦に投入した背景には幾つかの理由がある。

 本来であれば、50機を分散して各戦線に配置し、強化された大口径荷電粒子砲で共和国軍を蹂躙することが目的であった。だが、サラマンダー、ストームソーダー、レイノスなどの飛行ゾイドによって制空権を奪われている以上、鈍重なホエールキングで限られた機数のデスザウラーを輸送することはリスクが多すぎた。また、デスザウラーは山岳戦に対応していないため、ヴァルハラ南方のゲフィオン山脈を越えることが出来なかった。

 山脈西方のウィグリド平原では、既に共和国軍のヴァルハラへの挟撃戦が開始されている。デスザウラー部隊の分散配置が適わない以上、集中投入によって乾坤一擲の打撃を共和国軍に与えるしかない。結果、未だ共和国軍の兵力の薄い山脈東方を迂回し、ヴァーヌ平野を打通、一気にエントランス湾を攻略する戦略へと結びついたのである。

 これは帝国軍にとっても大きな賭けであった。その理由は、帝国軍武器開発局のオーガノイドシステムを応用したデスザウラー復活第二計画が頓挫していたからだ(※『消された死竜』参照)。当初、ニクスの各生産拠点で建造されたデスザウラーが数百機単位で戦線に投入される予定であった。漸く幼体培養によってマッドサンダーの生産数を整えた共和国軍と異なり、帝国軍は地の利を生かした一大反攻の可能性もあった。もしデスザウラーの建造が続いていれば、ガイロス帝国軍、そしてネオゼネバス帝国軍のその後の動向にも大きな影響を与えていたかもしれない。

 結局この戦闘に投入させたデスザウラーは、全機がマッドサンダーとの激戦の末相討ちとなり破壊され、これ以降セイスモサウルスの開発により、再び部隊を編成されることはなかった。

 

 帝国、共和国の血みどろの戦いを尻目に、ネオゼネバス帝国復興を目差す鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)は着実に作戦を進行させていた。

 ギュンターが摂政就任を果した段階から、旧ゼネバス帝国領にあたる中央大陸西側の地域に、数人から十数人単位での秘密工作員の上陸が敢行され続けていた。延べ人数にして数百人に達した彼らの使命は、物質的な破壊工作ではなく思想的な破壊工作である。旧ゼネバス帝国臣民の中に紛れ込み、来るべきその日に向けて潜伏すること。旧ゼネバス帝国領コミュニティー内での何気ない会話の中に、ヘリック共和国統治への不満、大統領制度の欺瞞、軍への不信感、そしてゼネバス帝国統治時代の素晴らしさを説き、時代の逆行を謀っていた。

 しかし所詮過去は過去でしかない。いつまでも少年時代に見た夕日の美しさを黙したまま思い描いていたのでは、いま目の前に昇る現実の朝日の美しさを見ることはできない。為政者への不満を唱えるだけでは何も生み出さない。長い間の平和と繁栄に浮かれ、批判のための批判を繰り返し、大衆一人一人がエレナの唱えた普遍的責任を忘れ去ったとき、民主制は容易に衆遇政治へと転化する。急激な経済復興と突然の西方大陸戦争の勃発により、旧ゼネバス帝国臣民達は所謂アノミー状況にあり、それがギュンターの放った思想的な刺客の最高の標的となったのだった。

 

 トライアングルダラス海域に近い海底に、黒い巨大な塊が着底していた。海底の岩礁にも見えるそれは、しかし人為的に建造された輪郭を有している。ザリガニの形をしているが、全体を隙間無く覆う海草類が、その本体を隠していた。

 頭部と思われる中央に、幽かな灯りが漏れており、それが巨大なゾイドであることが判る。灯りの奥、海底の水圧と静寂に囲まれたブリッジに、一人の士官を従えた若い軍人が大型モニターを凝視していた。画面には現在も死闘の続くガイロス帝国領ニクスが投影され、その大陸南東に、デスザウラー部隊投入を示す光点が明滅している。彼は画面から視線を逸らさないまま呟く。

「いよいよだね、ズィグナー」

 傍らに控える士官が無言で頷いた。何が始まるのかは、両者ともに理解していた。

 ヴォルフ・プロイツェン。語るべくもなく、帝国最高権力者ギュンターの息子である。若くして軍務に就いた摂政の息子ヴォルフは、忽ちの内に大佐の地位を得ていた。

 ガイロス帝国には、重力砲に代表される共和国をも凌ぐ驚異的な技術力を有する一方で、旧態依然とした世襲制を墨守する保守的な制度も現存していた。地球の古代律令制時代に存在した蔭子制を思わせる、有力者の子息には優先的に高い位を授けるという制度である。貴族であれば士官学校に優先的に進学が許され、卒業後には中尉以上の任官が約束された。数箇月間戦場に身を置けばすぐに昇進し、安全な後方での指揮が可能となる。戦場を知らない将官の指揮の元、戦場で闘うのは主に旧ゼネバス兵という構図が出来上がっていた。

 また、有力な貴族や軍閥は、自分の後継者や親族をガイロス皇帝官邸警護大隊に配属されることで、徴兵期間の消化を行った。それは、決して最前線などに送られることの無い、煌びやかなお飾りの軍隊である。ギュンターの軍備拡張政策に伴い、期せずして大量の資金を手にした有力者達は、その資金を自分たちの子息を警護隊に編入させることを目的に、摂政への様々な贈与――端的に言えば賄賂――を行った。ギュンターは受け取りを拒むこと無く、次々と宮廷警護隊に軟弱な貴族や軍閥の子息を送り込んだ。結果、警護隊は弱体化し、摂政の元には莫大な裏資金が蓄積されることとなる。PK師団をはじめ、鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)設立の為の資金捻出を行えたのも、この裏資金によるものが大きい。

 これらが全てギュンターの反乱の為の基礎固めと気付いていた者は当時殆どいなかった。唯一、第一装甲師団長カール・リヒテン・シュバルツは、弱体化する警護隊の現状を指摘したと言われるが、彼自身も摂政の反乱までは予想がつかず、自らの継嗣を送り込んでいた他の軍閥達によって、この指摘は不問にされてしまっていた。

 ガイロス帝国軍人の戦意は次第に失われ、虐げられた旧ゼネバス兵達はますます精強になっていく。権力者という地位からも、謀略者という存在からも、ギュンターはガイロス帝国を手中に収めていたとも言える。

 ヴォルフは初めての出撃に3個師団もの兵力を満載したホエールキング10隻を率いてエウロペに進出した。これに異議を唱える者は無く、むしろ凶悪なヘリック共和国軍と戦う若き戦士として帝国内で大々的に喧伝された。

 結果としてウルトラザウルス・ザ・デストロイヤーを旗艦とするデストロイヤー兵団の活躍によってニクシー基地が陥落し、ガイロス帝国エウロペ派遣軍は敗走する。この時同時に敗走した指揮官ヴォルフ大佐を、栄光に満ちた出撃時の称賛の反動により、帝国内で密かに、張り子の虎ならぬ“張り子の狼”と蔑称した者は多い。彼は親の威光を笠に着た無能な指揮官として失意の末に隠遁し、再びガイロス帝国領でその姿を現すことはなかった。

 だが、ヴォルフの行動を嘲笑った人々は、既にその時点でギュンターの策略に嵌っていた。彼のエウロペに渡った本来の目的は戦闘に参加する事ではなく、豊富な兵力を背景にして、未開の大地に眠る古代文明オーガノイドシステムのインターフェイスを探り当てることであった。つまり3個師団の兵力全てが擬装でもあったのだ。周囲を油断させ、欠けたピースであるオーガノイドそのものを発掘した。量産型デススティンガーKFDを生産した後には、彼は密かに鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)に合流する。隠遁と称して姿を消した後は、再びエウロペに渡りトライアングルダラスの秘密回廊へと共和国軍を導き、エントランス湾での共和国軍上陸の為の露払いを行う。更にはユーミルで共和国軍の閃光師団(レイフォース)と戦闘を行い、そこで彼は、戦士としても、後にネオゼネバス帝国第二代皇帝に即位する為の指導者としても最高の経験を得ていた。

 再確認をしておくと、ヴォルフは非常に優秀な人物である。その性来の才能に加え、父ギュンターから厳然とした軍人と為政者としての心得を伝授された。ギュンターは彼にとって優秀な教育者であった。肉親としての感情を交えることなく、淡々と知識と実践能力を彼に伝えた。ヴォルフもまた、優秀な教え子であった。父の教唆を理解し、実践し、体得した。だが彼は、父の教えを体得する程、日を追って表情の乏しい、感情を外に表さない陰鬱な少年へと変化していった。優秀であるが故に、彼の前に横たわる冷厳な未来を垣間見てしまったからだ。父の願いに応えるのが、膨大な犠牲を伴うことに。敵である共和国軍を始め、生まれ育ったニクスの地に住むガイロスの民、そして同胞であるという旧ゼネバス兵たち。“一将功成りて万骨枯る”。それが例え肉親でも、友人でも、恋人でも。感情を残していたのでは張り裂けてしまう。いつしか彼は、感情を切り離す術を身に着けていった。

 戦いの大義は理解できる。できるが、所詮は殺し合いである。彼もまた、ゾイドが大好きな少年であり、子どもの頃からこの金属生命体を操っていた。戦いは人の命だけではなく、ゾイドの命も擦り減らす。それら全てを押し潰しても、叶えなければならない未来とは何なのか。もし彼に祖父ゼネバス・ムーロアの激情が僅かでも受け継がれていれば、つまりもっと我儘であれば、悲劇は防げたのかもしれない。だが彼は我儘になり切れなかった。彼は優し過ぎたのだ。

 

「あの人は何をしている」

 姿勢を変えず、ヴォルフはモニターを見つめる。

「例のアイアンコングのコクピットにて待機しております」

「機体との信頼を深める為か。古風だね」

 皮肉ではなかった。父が補佐役として派遣したその元ゼネバス親衛隊の古参兵の行為が、純粋に羨ましかったのだ。

 ゾイドに信頼を寄せて一体となる。ゾイド乗りとしては憧れだ。自分も同様に、ニクシー基地以来戦ってきた愛機バーサークフューラーと共に過ごす時間が欲しかった。野生の本能を剥き出しにして戦ったあの時の如く、一度は理解し合えた機体だったのだから。

 だが、為政者として運命付けられている彼には、それが許される時間も手段も残されていない。

「数少ない中央大陸戦争を知る者です。共和国首都攻略戦では、必ず役に立つ人材で御座います」

「そうか」

 ヴォルフは、左の腕に古傷を持つ、自分以上に無表情な老兵の姿を思い返していた。

 

 


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