『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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50(2099年)

 西方大陸戦争が勃発した時点で、彼女は政治家として敗北していた。

 

 世代が変わり、かつての戦争の惨禍を記憶する者が減り、国内の復興が節目を迎え、資本が新たな投資場所を模索し始めた時点で、両国の視線が西の大地に向けられるのは自然な流れであった。

 まずガイロス帝国にとっては、即位したての幼帝ルドルフの支配体制を盤石にするために、これは起こさざるを得なかった戦争である。後のプロイツェンの反乱により、この開戦が単純に摂政の野望から生み出されたものと解釈されがちだが、90個師団もの大部隊を編成し派遣できたのは、彼の思惑に同調する帝国内の軍閥の存在があったからこそである。

 ガイロス帝国建国以来、既得権力を保持し続けてきた支配層にとって、共和制思想ほど危険なものはない。惑星大異変以降の40年の空白期間には、少なからず共和国からの思想が帝国内にも流入していた。マルガリータ暖流の届かない雪と氷に鎖されていた北の暗黒の大地にも、大異変による温暖化した気候の変化に伴って、民衆の間にも思想の変化が訪れていた。その萌芽を早めに摘み取る為にも、戦争の開始は必要なものであったのだ。秘密警察組織としてのプロイツェンナイツの設立容認も、当初の任務は国内に燻る共和制思想家を取り締まるための小規模なものでしかなかった。国内の反動思想の趨勢を利用し、自らの権力強化を成し遂げたギュンターの政治力は、間違いなく巧妙であった。

 

 一方の共和国にとって、デルダロス海を挟んだ温暖な気候の西方大陸エウロペは、魅力的な資本の投下先として映っていた。惑星大異変は、両国に幾つかの対称的な事象を(もたら)していた。それらは(おおむ)ね、中央大陸に存在するヘリック共和国にとって不利な結果を伴っていた。具体的には以下のようなものである。

① 破砕した第三衛星Deと巨大彗星ソーンの破片の落下が赤道付近に集中したため、低緯度域に位置する中央大陸デルポイには大きな被害を及ぼした。

 一方高緯度域に位置する暗黒大陸ニクスには、プレートの破断による大陸分断や、アンダー海沿岸地域での津波被害などあったものの、隕石落下による直接被害は共和国軍に比べて少なかった。

② トライアングルダラスの磁気異常は増大し、中央大陸では大型ゾイドはおろか、中型でさえ作動もままならない状況が長く続いた。

 ところが北磁極に近い暗黒大陸では、トライアングルダラスの磁気をゾイド星の地磁気が抑えたため、中央大陸よりは影響が少なかった。但し、もともと人口の少ないガイロス帝国では、戦死による生産人口の減少と南方の低緯度地域での津波被害の影響は避けられず、異変直後は西方大陸への進出は困難であった。

③ 温暖で豊かな生産性を誇った中央大陸、特に旧共和国領の大陸の東側は、大異変の影響により荒廃し、隕石落下が終息して以降も成層圏に舞い上がった煤塵により日光が遮られ、農業生産も儘ならない状況が数年続いた。これが西方大陸移住の促進された理由である。

 一方暗黒大陸では、地軸の移動に伴い永久凍土層が融けて肥沃な腐葉土層が現れ、新たな穀倉地帯を生み出した。そして温暖化に伴う氷河の融解と、大陸の分断によって生まれた新たな水路が海上交通網を円滑化させ、予想外の豊かさを暗黒大陸に齎した。

 西方大陸戦争発生時点で、表面上ガイロス帝国とヘリック共和国の国力が拮抗して見えたのは、以上のように惑星大異変の影響が少なからず存在したことによる。しかし、その影響が完全終息し、共和国側の生産態勢が本格的に稼働し出すと、両国の勢力は逆転する。

 以上に挙げた自然条件の他に、政治的な背景も加える必要がある。

 仮にギュンターの野望が達成されずとも、帝国は必ず軍事行動を起こしたであろう事は、冒頭で述べた通りである。翻って共和国側では、軍備増強を避けていた、①~③以外の理由がある。

④ 国内に、旧ゼネバス帝国民を抱え込んでいたこと。

 共和制を標榜し、国内宥和を掲げる共和国政府にとって、軍備拡張よりも国政の安定を図る必要があった。隕石衝突という未曽有の天災が原因であっても、民衆の生活水準の維持ができなければ国政の安定は危うい。それが最近併合されたばかりの帝国住民であれば尚更のことだ。戦闘ゾイドの生産に振り分けられる資産があれば、旧共和国領の住民を差し置いてでも、旧帝国地域住民への援助の充実を迫られた。もしここで援助が滞り、食糧不足などの事態が発生すれば、一部に旧態依然とした勢力が根付く帝国領で、大規模な暴動が発生するとも限らない。

⑤ 彼女自身の出生に関する問題。

 エレナが夫の後を引き継いで、政治の舞台に昇り明らかになったその名から、大衆は彼女の出自を問題視した。彼女の立候補時には、対立候補や右傾の共和国急進勢力たちが挙ってその生まれを指摘批判した。正面切っての公表はその(たび)(ごと)に避けてきたものの、彼女の出自の秘密は暗に多くの国民の知るところとなり、一部では激しい反対意見も発生した。

 しかし、彼女が立候補した時期は、大異変から30年が経過し、旧帝国民にも平等な選挙権が与えられていた。共和国国民としての制度に取り込まれていく反面、未だ彼らの中には、(かつ)ての皇帝の面影をその娘に投影していた。皮肉なことに、彼女が憎んだ血の縛りへの旧帝国地域住民の支持と、そして冷静に彼女の政治力を評価する知識層の支持により、彼女は夫の成し得なかった大統領職への就任を果たしたのだ。

 だがそれは、血塗られた一族に連なる行為を抑えることを彼女に意識させた。

 仮に軍事力を増強すれば、後ろ指を指され「やはりあの父の娘だ」と言われることが、彼女にとって、そして彼女の父に対する思いにとっても、到底認められることではなかったのだ。関連して、最後に以下の理由が挙げられる。

⑥ 軍産複合体(MIC)の政治活動の読み違い。

 立候補の初期の時点から、軍事行為の不拡大(※縮小ではない)方針を表明していた彼女に対し、軍事関連企業では、早々に組織挙げての不支持宣言を出していた。この様なMICの動きに、当時の世論は一斉に企業側への批判に移り、民衆は関連企業への激しい不買運動などを展開した。惑星大異変の記憶と共に、かつての中央大陸戦争・第一次大陸間戦争の記憶が厳然として人々の心の中に残っていたため、企業内部でも離反が起こるなど、時期を読み違えたMIC側は国民の多くを敵に回してしまったのだ。

 共和国首都陥落時の失踪により、平和を愛した悲劇の女性大統領という印象が強いが、彼女は決して非戦論者ではなかった。必要悪としての国家権力の暴力装置の存在は少なからず認めており、ウルトラザウルス・ザ・デストロイヤーの建造、派遣などを取ってみても、平和主義者とは到底認められないことは自明である。

 大統領に就任した後に顕在化したガイロス帝国の軍事力増強への対抗として、段階的な軍事力強化とゾイドの再生産も考えた。だが支持を受けた反戦派の手前、それを行うことが躊躇われたのだ。国民の多くには、当面だって暗黒軍の脅威が目に見えない以上、政策変更への理解を得られるには困難が伴う。MIC側との関係も、決して良好とは言えない事情も重なり、結果開戦への準備が遅れることとなったのだ。

 MIC側が早めに彼女の政策方針を理解し、協力体制をとっていれば、或いは西方大陸戦争緒戦における共和国側の大敗は防ぐことができたかもしれない。それは彼女の出自に拘った故、共通理解を得ようとしなかったMIC側の失策である。

 

 以上の様に、大異変以前にもまして人口も産業も拡大し、西方大陸を含め組織も領域も増大した共和国は、容易に回頭の出来ない巨艦の如く、その時宜に合わせた政策の変更を機敏に行えないほどに行政組織が肥大化していた。

 また、ヘリック共和国元首である大統領に、政治的な権力と軍事的な統帥権を同時に掌握させ続けたことは、外交など対外的に重要な大統領の活躍の場を狭めてしまった。

 地球人類は数世紀をかけて大衆政治・衆偶政治に容易に転化しうる民主制というものを、多くの試行錯誤を繰り返しながら扱ってきた(※注;現在も繰り返している国家は多い。この物語が遠い未来の出来事であることを忘れてはならない)。そして世襲制から漸く脱却したばかりの中央大陸住民たちには、未だ民主制の孕む危険性を理解しきることはできなかった。

 封建的な中央集権国家であるガイロス帝国がいち早く復興したのも、このような共和国の状況に鑑みても理解できる。

 それでもエレナは政治の表舞台に立って、共和国国民の繁栄と安全を守る義務を負った。政治家は政治を円滑に行って当然であり、失政は忽ちの内に激しい批判の矢面に立たされる。だから大統領就任以来、一度として気の休まることはなかった。

 任期中、彼女は全力をあげて走り抜けてきた。それでも戦争を食い止めることはできなかったのだ。そして西方大陸戦争、第一次全面会戦は、三倍の兵力を擁する帝国軍の前に敗退した。

 

 深夜の大統領官邸の執務室は、静寂に包まれていた。古ぼけた大時計の、時を刻む音だけが響いている。

 窓の外には、霞みがかった月が執務机の上に置かれた紙片を照らしている。そこに記された報せに、彼女は記憶の中の忌まわしい過去を蘇らせた。

 

『オリンポス山は、デスザウラーのコア暴走により完全消滅』

 

 少女の頃に見た大口径荷電粒子砲の奔流を思い浮かべる。しかし爆発の規模からも、それがかつてのものと同種の機体ではなく、遥かに強力で、破壊能力に特化されたものであることが容易に推測された。

 

「大統領、お疲れのようですが」

 ふと気づくと、傍らには大統領秘書官のデキツェリンが青磁のティーカップを携えて立っていた。

 

 彼女が入ってくるのに気が付かないなんて。確かに今の私は疲れているのかもしれない。

 

 軽く礼を言うと、カップを手にした。温められた琥珀色の液体を見つめつつ、香りを楽しむ。

 あの頃のことをふと思い出す。よく火傷しなかったものだ。それだけ若かったのだろう。今はデスザウラー復活の脅威に直面していても、知らぬ間にこうして紅茶の香りを楽しむ余裕がある。白髪の混じった彼女の後ろ髪には、既に髪飾り(バレッタ)は消えていた。

「この香りはセルンティーですね」

 書類を机から動かし、カップの受け皿を置くスペースを確保する。

「御明察です。エウロペ西方のセルン村で収穫された貴重品です。閣下は紅茶バリスタ並みですね」

「紅茶を昔から飲み慣れているだけですよ。それにデルポイ産のものより香りの深みがあるからすぐにわかります」

 戦争さえ起きなければこの香りをいくらでも楽しめたのに、という言葉が脳裏を過ぎる。

 しかしそれは些細なことだ。一時の寛ぎに浸ると、彼女は迷いを断ち切るように毅然として立ち上がった。

「戦況を確認します。軍の責任者を総司令部に招集してください」

 

 灯りが落とされた司令部の中、共和国軍の配置図が示される。北エウロペ地域は、東端のロブ基地を除いて帝国軍を表す赤い表示で一杯だった。

「敵は現在ブロント平原のニクシー基地を拠点に北エウロペを東進、ヘリペデス湖を制圧後、東端のロブ基地に猛進中です」

「増援部隊の編成と現地到着予定はどうなっていますか」

「編成表と日程について、これより画面にて説明します」

 退却した味方部隊の中、彼女は意識するともなく『独立第11機甲大隊』の文字を探していた。

 画面が大きくスクロールして、北エウロペ地区から南エウロペ地区へと移動し、更にその最南部付近に、目標を示す光点が点滅する。共和国の敷いた防衛陣と、古代遺跡を示す記号が示される。主戦場から遠く離れた、その名を知る人も少ない遺跡である。

「分離した敵の小規模な部隊が、南エウロペのエルガイル海岸を目指して進んでいます。帝国の次の目標は、ガリル遺跡と推測されます」

「古代ゾイド文明のラビリンスですね。昔の友人に聞いた歴史遺跡と、こんなところで再会するとは思ってもみませんでした」

「御存知でしたか。一応補足説明をさせていただきます」

 よろしく、と相槌を打ち説明を聞きながら、またも彼女は過去の記憶に引き戻されていた。

 

 あの人も話し好きでしたね。興味がある事を見つけると、聞きもしないのにいつまでもその話をしていた。

 不謹慎だが、不意に思い出し俯いていた。

「閣下、御気分が優れないのですか」

「いいえ、大丈夫。気にしないで続けてください」

 集中が途切れている。やはり疲れが蓄積しているのかもしれない。ただ、今のは決して不快な記憶ではなかった。

「限定的にオーガノイドシステムを組み込んだゾイドを先行させています」

 聞きなれない用語に、彼女は僅かに首を傾げた。

 オーガノイドシステム。古代ゾイド文明の遺跡から発掘された未解析の技術である。

 元来、戦闘ゾイドの開発は、地球人類の移民船飛来から飛躍的に強化されてきた。武器の技術的な面では、飛来した地球人に敵うものではない。

 ところが、失われた古代ゾイド文明とは、ゾイド自身の持つ能力を限界まで高めて利用するという、より生命の根源に踏み込む形での強化を行うものだった。外的な改造ではなく内的なもの。だが、その有り余るエネルギー利用法を持ちながら、古代ゾイド文明は滅び去ってしまった。

 彼女は、この失われていたテクノロジーに触れることが、かつて大口径荷電粒子砲に恐怖した如く、新たに現れた二つ目のパンドラの箱であるように思えてならなかった。

 それでも既に共和国側で実戦投入がなされ、その他にゾイド増産の為にも利用されている。

「先のオリンポス山の事例を含め、敵の狙いはオーガノイドシステムの完成を目指していることと推察されます」

 現在のゾイド開発の先端技術までは理解できないが、かつてゾイドを扱った経験がエレナとしては、この未知の古代技術に頼る事には不安があった。

「諜報部の入手した情報によると、敵も同システムを利用した新型ゾイドを戦線に投入しています。今後技術局との連携を図り、ゴジュラス等への応用も考えております」

 危険性はないのだろうか。

 むしろ別の形での、古代ゾイド文明の遺物を応用できないか。例えば装甲材などだ。無機物の有機的結合。例えばゴジュラスであれば、その金属生命体の根源を生かし、それまでにない斬新なゾイドを開発できないかと。

 

 後に、オーガノイド戦争とも称される第二次大陸間戦争前期の古代ゾイド文明の遺物を巡る争奪戦の渦中に、彼女は巻き込まれていた。

 ヘリック共和国大統領ルイーズ・エレナ・キャムフォードは、その大統領職最後の任期末に、ガイロス帝国との開戦という最大の難題を突き付けられていた。

 


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