『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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5(2052年)

 キシワムビタ城の上空をレイノスが悠々と舞う。

 エレナの願いが叶い、数々の機体検証が行われたのち、共和国製のこの青いゾイドの1機が、彼女の元に送られてきたのだ。

 リミッターが付けられ、一定の高度以上は飛行できない。ブースターにも出力を抑制する装置が取り付けられている。操縦系のシステムはロックされ、そのままコクピットに座っても操縦はできないはずになっていた。

(ガイロスの技術者は、マイケル先生には及ばないわね)

 ゾイドのメカニズムに精通しているエレナにしてみれば、そんなシステムロックなど造作も無く解除できた。敢えてそれをしなかったのは、自分に戻る場所などなかったからだ。あれから少し語り合ったシュテルマーだが、彼も全てのゼネバス兵の立場も、同じような籠の鳥だった。だとしたら、同じ籠の鳥同士、ゾイドだけでも空を舞わせたい。レイノスの修理には、そんなエレナの気持ちも込められていた。

「あのゾイドで飛べば、デルポイに戻れるでしょうか」

 紅茶を運んで来たキャロラインに話しかける。

「お気持ちお察しします。けれどもあの機体の航続距離でギリギリ。トライアングルダラスを迂回したら、燃料はなくなるでしょう」

「そうですね」

 翼を取り戻し、空を舞う喜びに酔い痴れるように、レイノスは飛び続ける。

 エレナはレイノスを眺めつつ、白磁のティーカップを唇につけた。

「熱っ」

「だから、お気を付けください。火傷しますよ」

 窓の外には、北の大地の太陽が高く昇ろうとしている。

 三度目の夏だと、心の中で呟く。単調な生活の中、彼女は時折焦燥感に苛まれた。

 人生でも最も有意義な時期に、自分は籠の中に押し込められている。

 軍人としてのシュテルマーは、少なくとも自らの能力を生かしているのだから、ある意味自分より幸せではないだろうか。それに比べ、ただゼネバス兵動員の象徴として飼われている自分など、害は有っても役になど立っていない。ゼネバス帝国滅亡と同時に自分も滅びていればどれほど楽であったろうか。陰鬱な城での生活は、快活なエレナの感情にも暗い影を落としていた。

 あれから何度も兵の前に立ち、予め指示された事だけを言わされた。「ゼネバス帝国とガイロス帝国の共闘」「ヘリック共和国の脅威」「父ゼネバス皇帝のための復讐戦」。歯の浮くような綺麗事、偽善に満ちた正義感、矛盾に満ちた戦意高揚だ。型通りの棒読みで、精一杯「言わされています」という意思表示をするのが限界であった。

 一度「父はガイロスに殺されました」と叫んだことがもある。たちまち旧ゼネバス兵の中で動揺が起こり、水面に波紋が広がるように、怒りと悲しみと憎しみを伴った慟哭が湧き上がった。大規模な暴動に至る危険性を察知した暗黒軍の治安部隊は、まずは演台から丁重に彼女を退去させた。引き摺られるように連行された集会場奥の部屋に、無数の悲鳴と銃声が数時間響き亘って聞こえていた。

「エレナ姫、不規則な発言はあれほど控えるようにと念を押したではありませんか」

 ヴァーノン中佐という男は、憐みとも侮りともつかない笑みを浮かべて、エレナの眼前に顔を近づけた。

「この銃声が何か、聡明な王女様であれば察しが付くでしょう」

 銃声は、銃撃戦の様な間断のないものではなく、数分おきに定期的に発射されている。その度に短い悲鳴が重なって起こる。銃殺刑の執行だ。

「姫様の語られたことは、既に知っているのですよ、ゼネバス兵達はね」

 無言のまま睨んだ。

「憤りのお顔もまた美しいですね」

 ヴァーノンは嫌らしい笑みを湛えたままだった。

「ただ、これも彼らは知っているのですよ、自分たちの帰る場所が失われていることに。

 お判りでしょう。中央大陸は既にヘリック共和国の占領下です。以前あなたの父君がバレシア湾に再上陸し、たちまちの内に旧領土を回復してしまった事例を反省し、共和国は強力な治安部隊を帝国領に派遣して、統治しているのです。

 ここにいるのは優秀なゼネバス兵のみです。彼らがのこのこ中央大陸に戻れば、帝国の勇者であればこそ、復讐心に染まった共和国国民が見逃すと思いますか」

 聞こえるように、深い溜息をついた。

「もう、このニクスにしか、彼らの居場所はないのです。形ばかりのガイロス帝国への忠誠を誓っていることぐらい、我々だってわかっています。

 ただ、せめて玉容と言われた王女の姿を見せてやるのは我々ガイロス軍の務めと思い、こうして機会を与えてやっているのに、今回姫様は台無しにしてしまった。

 処刑されるのは数十人で済めばいいのですが」

 言葉を区切りながら、執拗に念を押す話し方だった。

 エレナは自分への屈辱は耐えられたが、数分おきの銃声は耐えられなかった。両耳を塞ぎたかったが、押さえつけられた両手では、それもできなかった。

「姫様、不要な発言は今後控えることをお勧めしますよ」

 ヴァーノンは背中を向けると、立ち去って行った。その時、少し背中を丸めた。嗤ったのだ、ゼネバス兵の暴動を。

 悔しかった。死にたいくらいに悔しかった。しかし、仮に自分が死んでゼネバス兵が拠り所を失い暴動を起こせば、今以上の大虐殺が起こらないとも限らない。

 生きなければならない。生きてここから自分が去ったことを示さなければ意味がない。彼女には自分の命さえ、自由にならなくなっていたのだ。

 

 レイノスの舞う姿を見ながら、エレナは現実を逃避し夢想の世界に浸った。夢見がちな少女の幻想にしては、あまりに悲しい夢であった。

(お母様が話してくれた昔話。青い鳥は幸せを運んでくる、そして囚われの姫は、いつか白馬に乗った勇者が助けに来てくれると。でも、青い飛行ゾイドは来ても所詮私と同じ籠の鳥。白馬がやってくることもないのでしょうか)

 

 突然、目の前を青い翼が蔽った。

 レイノスが飛び方を急に変え、着陸態勢に移っている。飛びながら頭部を巡らし、何かに聞き耳をたてるようにしている。限られた飛行範囲内の一画、最も南東の、中央大陸に近い端に着地すると、頻りに羽を地上で羽ばたかせていた。

 背中の3D電子式レーダーが作動している。レイノスは、盛んに打ち出される共和国特有のサイクルの電波を、微弱ながらも受け取っていた。嘗ての味方の電波に反応したのだ。

 エレナとキャロラインは顔を見合わせた。

「共和国がまたやってくる。この暗黒大陸に」

 レイノスが、故郷を懐かしむような声で鳴き続けていた。

 

 暗黒大陸に夏を告げる白夜が訪れる頃、ヘリック共和国軍による第二次上陸作戦が敢行された。

 共和国軍の攻勢は一方的だった。

 新型ゾイド、ガンブラスターの威力や、タートルシップの輸送力にも要因はあるが、攻勢の最大の原因は、暗黒軍の油断にあった。

 当初暗黒軍側では、前回の上陸地点であるニフル湿原の西側、首都ダークネスに近いカオスケイブ付近を再上陸地点として予測、首都からも近く兵力の多くをそこに配置していた。これに対し共和国軍は、第一次上陸部隊が苦戦した理由に、ブラッディゲート付近の断崖とカオスケイブの迷路のような構造が機動力を生かせずに壊滅した原因と判断し、ダークネスからは距離のあるニフル湿原東側の、より平坦な海岸線に兵力を集中させたのだった。

 前回はシーマッドやウルトラザウルス、フロートを装着させたグスタフなどによる限定兵力しか派兵できなかったが、今回は巨大輸送艇タートルシップのペイロードにより兵力は拡充され、万全の攻撃態勢を整えた上での作戦行動だった。

 第一次上陸作戦の敗北から約半年。共和国の生産性は、間違いなく暗黒軍を凌駕していた。

 

 間断ない砲撃に指示が掻き消され、味方部隊との連絡がつかない。

 眼前には、二重、三重の螺旋状の曳光が渦を巻き、警戒を怠って直立していたデッドボーダーを2機纏めて撃ちぬいていく。

 共和国の新型ゾイド、ガンブラスターのローリングキャノン、別名黄金砲の攻撃だった。

 前線で防御するシュテルマーは、歯噛みをする思いで部隊の統率を行っていた。

(ハルダウン{※稜線の影に隠れて砲撃すること}は常識だろう。相変わらず重力砲の使い方が出来ていない)

「ヘルディガンナー部隊を回せ。砲撃を敵の前面に集中。デッドボーダー部隊は後退だ」

 姿勢の低いヘルディガンナーなら、あの金色の奴からも一時は弾道を避けられる。

「側面から我々ダークホーン部隊が突き崩す」

 硝煙の中、地響きをたて黒い巨体が群れを成し、一つの塊となって突進していく。シュテルマーの率いた軍団は拠点ごとに進撃する共和国軍を撃破した。出力の上がったダークホーンなら、宿敵ゴジュラスMk-2でさえも互角に戦えた。直線的にしか動けない高速ゾイドのシールドライガーは、装甲が薄い分破壊しやすい。マッドサンダーさえ、マグネーザーからの間合いを見切れば戦えないこともなかった。

 だが、他の部隊は。

 連携がとれていない。弾道の真正面に立ち上がって的になっている。無線機の多用で回線が混乱し指示が伝わらない。なにより、ガイロス兵と旧ゼネバス兵との戦歴の差が如実に現れている。

 戦闘は理屈の無い殺し合いだ。小さくまとまっていた部族間の諍いなど比較にならない。どれ程強力な武器を持っていても、使えなければ意味もない。

 シュテルマーがどれ程焦燥感に駆られても、暗黒軍の劣勢は挽回できなかった。態勢を整えるための後退を何度も進言したが、旧ゼネバス兵である彼の意見は受け入れられず、結果暗黒軍は大量の損害を受けて海岸線から敗走した。

 暗黒軍にとっては後々まで屈辱的となる〝エントランス湾〟という名称を付けて共和国軍は橋頭堡を築いた。暗黒大陸上陸作戦の緒戦は、完全に共和国軍の圧勝であった。

 

「敵上陸部隊がビフロスト平原を突破、前線が維持できません」

 部隊の通信兵が悲痛な叫び声をあげている。

 海岸沿いに立ち昇る黒煙を見ながら、シュテルマーは繰り返し舌打ちをした。

 共和国を侮りすぎだ。奴らは恐ろしく合理的だ。一刻も早く乾坤一擲の打撃を与えない限りは進撃を止めさせることはできない。

 ふと、彼は共和国軍の進軍方向にある場所に気が付いた。ダークホーンのコクピットにある兵力配置図と、崩壊した暗黒軍の退却方向と共和国軍の進出方向を重ね合せる。通信網も崩壊状態の為、退却中の仮設司令部からの情報は得られないが、ある不穏な予兆が脳裏を横切っていた。

 海岸線に沿ってカオスケイブを避けるように進撃する共和国部隊の目指す先は、当面は首都ダークネスだろう。補給線の確保と橋頭堡を構築するため進撃速度は遅れる可能性もあるが、それが完了してしまえば間違いなく海岸線上の軍事施設を破壊して行く。手にした配置図上に、共和国軍を示す青い矢印を書き込むと、矢印の先に小さな城が記されていた。

 シュテルマーは、自分の抱いた不安を確かめるように、手にした配置図の上に共和国軍の現在地と進行ルートを示す矢印を書き込んだ。矢印の先には、自分が生涯をかけて守ると誓ったひとの居城がある。

 通信兵のレシーバーをもぎ取ると、簡易暗号コードに変換した電文をグスタフで移動中の仮設司令部に送信する。

〝キシワムビタ城防衛の為、前線の2時間維持は可能か〟

〝不可なり〟

 即答であった。

 戦う気があるのか!

 シュテルマーはレシーバーを叩きつけた。

 支えきれない。このままでは、キシワムビタ城が呑み込まれる。彼はダークホーンを恨めしげに見上げた。

 こいつは空を飛ぶことが出来ず、単機では作戦行動も不可能だ。もっと優秀で強力なゾイドでなければ、共和国とは渡り合えない。そして、密かに心に想い続けるひとを守る事さえできないのだと。

「強力なゾイドが欲しい。例えそれが悪魔の翼となろうとも、俺は力が欲しいのだ」

 次々と巻き起こる爆音の中、彼の慟哭は掻き消されていった。

 

 キシワムビタ城の鐘楼からも、ブラッディゲート方面での攻防は推察された。海岸線に沿って黒煙が次第に近づいてくる。嫌らしいまでに纏わりついていたヘルディガンナー部隊も、今は増援に投入されて城を守るゾイドはいない。代わりに、ディバイソンの突撃でも容易には突き崩せない城門は固く閉ざされた。

 城壁の内側の中庭に、頻りに首を動かして戦火の方向を見つめるレイノスがいる。共和国の発する通信サイクルを感じ取っているのだ。今はレイノスを撃ち落とすヘルディガンナーはいない。

「レイノス、行きなさい」

 エレナは思いきり大きな声で叫んだ。

「誰もお前を留めることはできない。今なら飛べる。籠の中から飛び出して、自由な空に戻っていきなさい」

 レイノスが少しだけ頭をエレナに向けた。彼女の気持ちが伝わったのだ。しかし、彼女によって命を救われたこのゾイドは、彼女の行く末を気遣う様に、なかなか空へと舞い上がろうとはしなかった。それどころか、ロックされているはずのコクピットのキャノピーを開いたのだ。

「いいのよ、あなたはあなたの主人の元に戻りなさい。きっと待っていてくれる。あなたのことを待っていてくれる。あなたのコクピットに響いた、あの歌声のように」

 レイノスのキャノピーが閉じられた。少しだけ振り向くと、喜びの声をあげて、鉛色の空をブラッディゲートの方向へと飛び立っていった。

 背後でキャロラインが無言で見つめていた。エレナが何を思い、何を覚悟しているかを知っていたからだ。兵火は次第に接近してくる。赤々と点る標識灯が、今は恨めしいように輝いていた。

 


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