『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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47(2088年)

 シュテルマーは、左腕の激痛に顔を歪めた。手にしていた工具が床に落ちて甲高い音をたてると、格納庫に冷たく乾いた反響が広がって行った。上腕部を右手で押さえてみたものの、痛みは一向に治まる気配も無い。古傷はこの時期必ず疼き、恰も死という贖罪を忌避する彼を責めたてるかのように年々酷くなっている。

 古傷の疼きによる苦悩以外に、彼の心に(つか)えているものがあった。海の向こう、華やかな輝きに包まれた再生と繁栄の極みの中にある国、ヘリック共和国の動向である。

 その人の名を耳にしたのは数か月前。共和国の大統領候補に、初めて女性の名前が挙がった。ルイーズ・キャムフォードという、ありふれた名前の政治家で、地道な慈善活動と民衆からの支持を受け、次第に共和国内部で確固たる地位を築き始めていると知った。

 惑星大異変による済崩(なしくず)しの休戦から約40年が経過した。戦いの中に身を委ねてきた彼にとっては、戦火の途絶えた瞬間から、自らの価値を確認する方法も断たれたように、無為に時間を消耗するが如く生きるようになっていた。

 ただ、それは彼が軍人以外の生き方の出来ない不器用な人間ということではない。シュテルマーは、冷徹であると同時に賢明でもあり、決して安易な逃避をしたわけではない。だが、大異変の最中(さなか)、旧帝都ダークネスで発生した動乱に巻き込まれた現実が、彼の人生を狂わせ、意欲を全て奪い去ってしまっていたのだ。

 過ぎてしまった過去を責めてみたところで何も変わらぬことは判っている。判っているが、拭い去る事の出来ない記憶が、その後の彼の行動全てに付き纏い心を傷つけた。

 意に反してガイロス皇帝救出の功績を評価された彼は、第一線から退いた後は、後人を育成するための軍人養成機関の教官に収まり、日々の暮らしに事欠かず生きることだけは叶っていた。その過程で、一時「家族」と呼ばれるものを有したこともある。しかし、心の中の大きく欠落した空間は、「家族」と呼ばれた女性に大きな苦悩を与えてしまった。

「あなたは立派な方です。でも、あなたには私への心がありません。あるのは未だにこびり付いている血の匂いと、別の(ひと)の面影です」

 律義で慎ましく人格的にも優れた人物であった。その聡明さ故に、女性として、「妻」として認めてもらえなかった彼女には、シュテルマーとの生活は耐えがたい拷問の様な日々であったのだろう。彼女は彼の心の中に見え隠れする別の女性の存在を、同じ女性としての感覚で捉えてしまっていたのだ。

 もし彼女が、自分の保身のみを考えるもっと我儘な女性であれば、あるいは契約に基づいた形式的な共同生活も送れていたかもしれない。悲劇は、彼女が彼を本気で愛していたことと、彼が心の中で、二つのこと――戦争と想い人――を捨て去ることができなかったからである。

 間接的とはいえ、その想い人が突然彼の前に現れたのだった。

 

『ルイーズ・キャムフォードは、ゼネバスの娘だった!』

 誌面に扇動的な見出しが踊っていた。不鮮明なモノクロ写真に吸い寄せられた。面影があの日の少女に重なる。年齢を重ねる事によって、少女の頃よりも更に美しくなったと思えた。

 密かに想い焦がれ、降り注ぐ隕石の中で悲劇的な決別をした可憐で儚げな硝子細工のような少女は、彼の知らぬ間に着実に進むべき道を見つけ、その目標に突き進んでいた。同時に、彼女が生涯を共に歩んできた男性の存在も知ったのだ。

 故リチャード・ジー・キャムフォード。ヘリック共和国連邦セシリア州知事であり、ヘリックⅡ世亡き後に長く空席となっていた統一共和国大統領として立候補していた人物だった。

 

 ヘリック共和国は、惑星大異変後の政治的混乱を収拾するため、一時中央大陸の広大な領土を分割し、各都市に自治権を与える連邦共和政をとっていた。大異変による磁気嵐の発生と、被害状況の地域格差、なにより編入されたばかりの旧帝国領の各都市は共和国首都からあまりに遠く、通信網も交通網も寸断された状況下では、各都市の自治に任せるしか手段はなかったのだ。もし、ガイロス帝国との戦乱が継続していたならば、これは本土に侵略を受ける危険性の高い統治形態であったが、共和国同様に大異変により多大な被害を受けたガイロス帝国にも戦争継続の余力は無く、半ば分裂状態とも言える連邦制であっても、共和政の維持は可能であったのだ。

 共和国首都に近いセシリア州国で執り行われたリチャードの葬儀には、多くの市民が弔問に参列し、彼が形だけの偽善的な政治家でなかったことを証明した。

 選挙公示直前での急逝であったため、夫の死去に伴い、それまで妻として支え、その遺志を継いで立候補をした女性がルイーズ・キャムフォードであった。

 安易に身内の者を代替者として立候補させることには、共和政を標榜する識者の間では批判もあった。感情に流された集票を期待するのは、政治家としての手腕とは別物であるからだ。

 事実上、為政者としての実力は、夫であるリチャードよりもエレナが上回っていた。それまで決して政治の表舞台には立たず、夫の影となり、寄り添うように支えてきた彼女は、夫の州知事としての評価を着実に上げていた。夫の死去を契機に、一転して政治の表舞台に立つことになった彼女は、説得力のある具体的な政策を掲げ、その演説を聴いた人々を納得させると同時に魅了していった。迫力ある口調と気品ある容姿。伯父と父譲りの理性と感情に訴えるカリスマ性が発現していったのである。

 彼女の基本政策は『普遍的責任の遂行』であった。彼女の講演記録に、以下のような言葉が残されている。

「善意だけでは不十分です。自らにも責任を課さなくてはなりません。もしあなたが自分は役に立たないなどと思えば、あなたの隣にいる人もやる気を無くし、大きなチャンスを失ってしまうでしょう」

 種族・信条・性別を問わず、あらゆる相手に対して深く関わること。つまり共和国を形成する国民個人が自らの価値を認め、行動するということである。

 形式的なものではなく実践を伴うもの。彼女は、政治とは与えられるものではなく与えるものということを市民に訴え、荒廃した中央大陸の大地に復興の息吹を呼び起こした。

 そしてゾイドを、復興の為に最大限に利用した。ある時は緊急電源としてゾイドコアを利用し、未整備の通信網には移動中継基地としてゴルドスを使い、磁気嵐の中でも比較的影響の少ない低空での飛行するダブルソーダーを使って空路を確保、そして退役したグランチュラなどの小型ゾイドを建設作業に投入し、インフラストラクチャー等の整備に当てさせた。

 長い間、戦うことにゾイドの最大の価値を求めてきた人々にとって、これは大きな発想の転換であった。

 トライアングルダラスを起源とする激しい磁気嵐は、多くの戦闘ゾイドを無力化した。発生時期や継続時間の読めない磁気嵐の状況下では、到底戦闘などできない。

 しかし、出力を抑え、突然の磁気嵐発生にもあまり影響を受けない土木作業などへのゾイドの使用は可能であった。

「ゾイドが動かなくなったら休ませればいいのです。焦ってはいけません。ゆっくり、ゆっくりとね」

 復興作業協力時の彼女の言葉である。少女時代、ゾイドの構造に精通していた彼女だからこそ発想に至った政策だろう。使用法は限定されたが、これほど便利な機械、いや、生き物はいない。自らが作業用ゾイドを操縦し、それが磁気嵐の為に停止しても、その都度にこやかに笑って磁気嵐の収まるのを待った。そしてその間、人々と復興後の将来について語り合った。彼女は進んで民衆の中に飛び込んでいったのだ。

 人々はゾイドと共に復興への歩みを着実に続け、それがまた彼女への支持に繋がって行った。

 どの様な場合でも難点を探し出し、批判を加えることのみに執着する輩は存在する。そんな輩が暴き出した衝撃的な事実が、前述の項目であったのだ。

 記事のリードには彼女のミドルネームが〝エレナ〟であり、旧ゼネバス領に残されていた様々な資料からも、紛れもなく〝ムーロア〟の血を引く女性であることを、センセーショナルに書き立てていた。それでも批判できたのは彼女の持つ血の縛りのみで、政策自体への核心を突いた反論は伴っていない。所詮書きたい記事を書いただけで、その背景には彼女への政治上の対抗勢力の影が見え隠れしていた。

 彼女の失脚を画策した上で、この記事を掲載させたのが対抗勢力の意図であったとするならば、謀略は大失敗となった。

 大異変以降、旧共和国領内に自由な経済活動を求めて移住した人々や、大陸西部地域特産の物品を扱う旧帝国系の法人企業も進出し、セシリア市を含めて中央大陸内各地には旧帝国系住民が混在していた。

 特に、帝国では戦闘で多くの男性兵士を失っていたため、女性との人口比の不均衡が発生し、適齢期の女性が経済的に豊かな共和国領の男性との出会いを求めて数多く移住していた。

 共和国の女性は、よく言えば独立自尊、悪く言えば我が強く、結婚に至るまでの様々な条件を満たすことが男性側に求められる。一方、帝国側の女性は保守的な国家体制下に育ったため、良妻賢母を旨としたある意味男性の理想的な女性像になっていた。

 争いの火種となりやすい旧帝国民との軋轢は、共和国男性陣の擁護によって雲散霧消し、両国(両地域)相互理解の懸け橋となった。大統領夫人ローザは、一連の経過を〝男の偉大なる愚かさ〟と称したといわれる。

 ゼネバスの娘という情報は、それら旧帝国系住民からのエレナへの絶大な支持を集めることとなった。また、旧共和国の傷痍軍人であった故リチャードとの、野戦病院で出会い結ばれたロマンスは、特に女性票の支持をも集めていった。

 そしてルイーズ・キャムフォード候補は、敢えて自分の口から真相を語らず、そのミステリアスな出生の謎が更に関心を呼んだ。保守とも革新とも解釈できる新たな立候補者の登場は、普段の選挙でも投票所に足を運ばない無党派層大衆の支持さえも取り付けてしまった。

 彼女の政治力と悪意を好転させる境遇。ルイーズ・エレナ・キャムフォードを取り巻く全てが、彼女を為政者としての道へ導いていったのだった。

 この件は前章から引き継いだ考察課題であるが、長い目で見た場合、彼女の選択が正しかったどうかは批判の分かれるところである。

 もし、正式にゼネバスの娘であると表明すれば、ガイロス帝国は第二次大陸間戦争に旧ゼネバス兵を動員して戦うことが困難となり、戦局は大きく変わったに違いない。

 但し、共和国政治家としての彼女が、共和国国民の前でゼネバスの娘であることを公表した場合、果たして国民は彼女を大統領として認め従ったであろうか。彼女の初めての立候補当時も、依然集票力に根強く影響を持つ退役軍人の圧力団体の一部が、彼女の当選を阻止しようと活動した経緯がある。公然の秘密である彼女の出生の謎が、そのまま周知の事実になった時、共和国の人々はどのように考えたかは、今となっては判断できない。彼女がゼネバスの娘であるのを誇りとしていたことは確かであるが、夫リチャードの為し得なかった業績を引き継ぐために、それを認める危険を避けたのかもしれない。これもまた、歴史の可能性である。

 

 ガイロス帝国領内で、可能な限り集めることの出来た資料を前にして、シュテルマーは胸を打たれていた。

 エレナ姫は、これから共和国の姫様になられるのでしょうか、と。

 所詮、自分の様な者の器に収まりきるような女性ではなかったのだと思った。ガイロス帝国に身をやつし、日々無為に人生を擦り減らすだけの事実上の敗残兵に、何が残されているというのだろう。死んでいった仲間たちへの手前、自らの命を絶つことは、それを弔う義務を負っている以上出来はしない。左腕の痛みと、無数に刻まれた手の皺に、既に自分が忘れ去られた存在であることをまざまざと自覚していたのだった。

 その後もシュテルマーは、共和国側から配信される彼女に関する情報を収集しようとしたのだが、突如としてそれに関する情報が封鎖されてしまった。これは、旧ゼネバス兵動員に障害となる彼女の情報が、帝国領内に流布することを遮るため行われた、ギュンター主導による情報操作の結果である。以降、帝国内で彼女に関する情報は、殆どが封鎖されてしまう。また、帝国内でルイーズの素性を突き止めようと不穏な動きをする旧ゼネバス系の勢力には、病床とは言え存命中のガイロス皇帝の威光を背景に、ギュンターは摂政の地位を利用して粛清を行った。但し、闇雲に処刑したのではない。その粛清対象となった人物が、信頼に値するゼネバスの同志であれば、軍籍・戸籍を抹消の後、影の兵団編成の礎としていった。そんなギュンターが着目した人物がシュテルマーであったのだ。

 

 ルイーズ・キャムフォードのヘリック統一共和国大統領就任が決定したという情報が帝国に伝わった翌日、その人物は唐突に彼の前に現れた。格納庫で一人、訓練用ゾイドを整備している時、軍帽を目深に被った男が訪れてきたのだ。

「シュテルマーとは、貴君のことか」

 軍帽からは、長い銀色の髪が伸びていた。シュテルマーは、軍帽の下に覗く緋色の瞳に(まみ)えながら、目の前の人物が只ならぬ威圧感を備えていることにも気付いていた。

 警戒しながら無言で頷くと、彼は軍帽を脱ぎ、その顔を露わにした。

 顔の輪郭に、遥か昔に出会った人物との既視感が蘇った。色白だが、威圧的な風貌。かつて皇帝と呼ばれた人物の面影だ。

「ギュンター・プロイツェンと申し上げる。貴君に我が直属の臣下として従うことを願いたい。これは命令ではない、貴君の意志に委ねられるべきことである」

 

 離れていた時代が交叉した瞬間であった。

 


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