『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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46(2080年~2096年)

 ヴァーノンは両方の足を足首から失い、車椅子に固定されたまま睨みつけていた。治療の途中、何度も自殺未遂を繰り返したため、両手は拘束具に繋がれた跡が残っている。予想された事ではあったが、その男に自ら犯した行為を償う意思など持ち合わせてはいなかった。意識が有る時は勿論のこと、鎮静剤を投与され、前後不覚の昏睡状態にある時でさえ叫んだ。「俺を殺せ」と。

 法廷に現れたその男の姿など、二度と見たくもなかった。父を殺し、旧友を陥れ、その上最愛の夫まで奪った。八つ裂きにしても飽き足らないほど憎い存在であった。

「エウロペ住人、ヴァーノン・ワンギュルに関する査問を開始する」

 状況は複雑であった。ガイロス帝国との講和条約は結ばれていない為、名目上共和国とは戦争状態である。しかし、リーバンテ島上陸作戦以降戦端は開かれず、事実上の休戦状態にある。加えて、退役軍人であるヴァーノンは一般人扱いとされ、行動を起こしたクリムゾンホーン部隊も在郷の盗賊と認定されていた。次期統一大統領候補として重要な地位にあったリチャードではあったが、微妙なバランスを必要とする国際関係と、失脚を望んでいた対立候補並びにその支持勢力により彼の死は事故死扱いとされ、公式にもその詳細は語られることはなかった。一方、ヴァーノンを含め捕えられた襲撃部隊の生き残りの兵士(便宜上は盗賊)に対する査問も行われた。

 ヴァーノンを除いた数人の生き残り兵全員は、事実上その男の謀略に乗せられたことは明白で、首謀者がヴァーノンであることもまた歴然としていた。首謀者である彼と、被害者である軍、そしてエレナが、度重なる査問の末、ついにその男との対面となったのだ。

「共和国とは気楽な国だな。俺みたいな人間を生かしておいて何が楽しい。食い物の無駄だ。さっさと殺せ」

 厳粛を重んじる法廷でも、彼の言動は変わることはなかった。自由の利かない車椅子の上、四方を警備兵に取り囲まれたまま、薄ら笑いと暴言を繰り返し吐き続けている。

 こんな男の為に、父や友人や夫は失われたのか。それだけではない。本人の語るところにより、エントランス湾への隕石落下、加えて亡命ゼネバス兵への多数の弾圧事件も繰り返していたことも告白している。

 法廷から出されるであろう判決は、既に予測済みであった。命を以てその罪を償うこと。誰もが予想する結果である。その最後の査問に対し、証人として呼ばれたのが、エレナであったのだ。

 彼女を証人席で見た時、その男はただせせら笑うだけだった。

 エレナの中で憎しみが込み上げる。今すぐ車椅子の隣に駆け寄って、思い切り殴りつけたかった。彼女の膝の上には、夫の形見となった義手の入ったケースが握られていた。

 査問は粛々と進み、ヴァーノンに対する罪状が述べられていく。どれ一つとっても、言い訳できないほどの罪であった。だが既に死を覚悟してしまった男には、何の感慨も起こさないらしく、無言のまま薄笑いを浮かべていた。

 無数の軍関係者の証言が進み、ようやくエレナのもとに発言が回ってきた。

「証人ルイーズ・キャムフォードさん。証言を願います」

 指名され、証言台に進む。掌には怒りの汗が滲み、事項をまとめた用紙も皺が寄っていた。相変わらずせせら笑うヴァーノンを横目に、エレナは深く息を吸った後、法廷に集まった傍聴人を前に語りだした。

「エウロペ住人、ヴァーノン・ワンギュルの処刑回避、及び救済を要求します」

 一瞬の緊張。続いてのどよめき。法廷内が低い声の喧騒に覆われた。静粛を要求するブザーが響く。再び静まり返った法廷の中、エレナは顔をあげて続ける。

「感情的には、私はこの男を許せません。殺しても殺し足りないほど、この男を憎んでいます。

 でも、ボイスレコーダーに遺された夫の言葉を聞きました。このまま私が感情に任せて処刑を願えば、この男の命を合法的に奪うことは可能でしょう。しかし、それで解決できたといえるのでしょうか。

 ここにお集まりの皆様に確認したい。この男は自らの死を願っています。処刑をしてしまえば、みすみすこの男の要求を通してしまいます。それでは罪の償いになどなりません。法廷は復讐の場ではなく更生の場です」

 一度言葉を切った彼女は、思わず下を向き唇を噛みしめた。

 

(リチャード、本当にこれでよかったの?)

 

 法廷が再びざわつき始め、喧騒がピークを迎える前に、彼女は話を継いだ。

「被害者として要求します。この男の極刑を回避し、生きてその罪を償わせることを。まずは失われた両足を回復させ、その後然るべき更生施設に収容してもらいます。提案ですが、人は愛されることによってのみ愛することを学びます。収容先はガニメデ郊外のキリンディニ宮を希望します」

 ヴァーノンの表情に変化はない。そこにミスタージェンチェンがいることも知らないのだろう。また、多くの傍聴人たちも、キリンディニ宮が何を示すかも知らないため、査問は自然と冷めていく。

「ルイーズさん、証言は以上ですか」

 彼女は再び顔を上げる。

「詳細は提出書類に記載しました。私がここで述べたいのは以上です」

 そこまで言うと、エレナは証言台を後にした。背後にヴァーノンの視線を感じる。が、振り返る気にはならない。未だに悔しかった。本当に自分の決断が正しかったなど、到底思えなかった。ただ、絶対になりたくなかった。例え法に則っていたとしても、その男と同じ行為、憎しみに駆られ命を奪う行為を。

 結果として、ヴァーノンは処刑を免れたことだけが後にエレナに伝えられた。彼女の証言以外にも、処刑回避の理由は幾つか挙げられた。まず被告が正規の軍人であったなら、軍事法廷による死刑判決はゆるぎようのないものであったが、軍籍を抹消されていたその男には適用外であった。そして生前州知事としてリチャードが謳っていた一般法廷における死刑の見直し政策も、彼本人を殺害した犯人に適用された。

 彼女の主張は認められたが、それはただ虚しさをかき立てるだけだった。彼女の心と生活に空いた大きな空隙は暫く彼女を苦しめ続けた。

 リビングの隣、彼の部屋にはまだ多くの物が残されている。彼のお気に入りの椅子、彼の愛読書、彼の執務机、彼のコート、彼の……。もう一度ドアを開けば、いつもの笑顔を見せてくれるのではないか。少しだけ部屋を出て行っただけではないか。まるでそこに彼がいるかのように、部屋には暖かい陽射しが射し込んでいる。こんなに物は揃っているのに、その中心にあるべき人がいない。いないのだ。

 その後のその男の処遇も詳細に記されていたが、目を通す気分になれず、彼女が知ることは無かった。

 

 リチャードが心血を注いで推進してきたギガノトサウルスの機獣化プロジェクトは、彼の死とプロトゴジュラスギガの喪失により後退を余儀なくされた。その後マイケル・ハーマンによって素体となるゾイドが解析された結果、封印武装32門ゾイドコア砲を発射した場合、エネルギーの一部がコクピットに逆流し、パイロットの生命を脅かす危険性が指摘された。リチャードの直接の死因は銃撃による貫通銃創での失血死であったが、何れにしても32門ゾイドコア砲を発射した時点で助かる可能性は低かったのだ。彼の尊い犠牲のもとに、装甲板を含め機体の改良案が提示され、最終的に古代ゾイドチタニウムの採用が提案される。

 しかし、プロジェクトでは肝心のギガノトサウルス野生体の捕獲が停止していた。技術的な解析は進んでいても、野生体の棲息領域に関する資料をリチャードが充分に残しておかなかったのだ。南エウロペに関する地理データの不足と、ギガノトサウルスの生態研究の不備も原因だが、彼ほどの人物が資料を残さなかった杜撰さには疑問符が付けられた。

 これは憶測だが、リチャードは、大量のギガノトサウルスが、戦闘ゾイドに改造されることを望まなかったのではないだろうか。自分と繋がることの出来る一匹のプロトゴジュラスギガを育てた時点で、彼の望みは達成されてしまっていたのではないか。遺品となったギガのデータはエレナに渡され、彼女の気持ちの整理が着かないままその手元で長く眠りにつくこととなるが、20年近くもこの強力なゾイドをエレナが公表しなかった理由は、夫の遺志を汲み取った彼女の配慮ではなかったかとも推測される。

 ギガノトサウルスプロジェクトの無期限延期。結果的にゴジュラスギガの配備は、2104年まで持ち越されることとなる。

 

 先の年表に引き続き、リチャードの“事故死”以降の経過を纏める。

2080年 リチャード急逝。同年、共和国再統一を目前にして連邦議会が紛糾。再統一を辞退する州国が多数出たため実現できず10年後に持ち越しとなる。

2084年 ルイーズ・キャムフォード、夫の後を受けセシリア市州国四代目知事就任。

2086年 連邦議会、2年後のヘリック共和国連邦再統一を再議決。

2088年 ヘリック共和国再統一。ルイーズ・キャムフォード大統領当選。

2092年 ルイーズ大統領再選(二期)。

2096年 ルイーズ大統領再選(三期)。多選を避けるため、就任演説で任期後の勇退を示唆。 

 

 リチャードの死は、共和国内にも様々な波紋を生んだ。統一間近と思われた共和国連邦は、エナジーチャージャーをはじめとするガイロス帝国側の不穏な動きに対し連邦議会が紛糾。参加を辞退する州国が多数出たため実現できず、再統一は10年後に持ち越し(実際は8年)となった。一見矛盾した反応ではあるが、分裂していた各州国は一時的であっても自治権を手放すことを過剰に恐れてしまったためである。

 2060年以来、連邦制に移行して、各州国は地域の現状に合わせて内政の充実と武装の強化を図ってきた。地域によってガイロス帝国の脅威は異なる。仮に再統一によって各州軍も統合された場合、それまで各州国の重要拠点防衛にあたってきた貴重な戦闘ゾイドを首都防衛などの名目で引き抜かれ、弱体化することを危惧した結果であった。

 

 セシリア州国では、知事であるリチャードの急逝を受けて副知事が代行となり第三代知事に就任していた。副知事であったその人物は、決して凡庸な人物ではなかったが、徐々に圧力を増すガイロス帝国の脅威と、偉大であるがゆえに越え難い前知事のカリスマ性に及ぶ所ではなく、セシリア州国の政治は滞って行った。

 民衆の要求は、次第に亡き前知事の補佐役、そして明眸皓歯で聡明な知事夫人であるエレナへの立候補へと傾いていく。彼女にとって、世襲染みた弔い選挙などに立候補するのは躊躇われたが、夫の成し得なかった夢、父の抱いた理想を叶えるため、そして最大の理由は夫を失った寂しさを少しでも紛らわせるために、次期州知事選に臨むこととなる。

 結果は、エレナが副知事であった現職の候補者に大差をつけて当選。セシリア州国第四代知事として就任する。前章で述べた如く、彼女は経済復興と磁気嵐の安定化に伴うゾイドを利用した政策を実践し、セシリア州国のみならず周囲の州国にも支持層を増やしていく。

 ところで、ヘリックが逝去した60年代から80年代にかけて、中央大陸各地では相変わらずムーロア一族の落胤を名乗る偽貴族が現れ続け、その度毎に消えていった。その経過の中でエレナ=ルイーズがゼネバス・ムーロアの娘であり、帝国出身者であることも何度となく語られた。幸いといえたのが、大衆が何度となく繰り返されるゼネバスの忘れ形見に関する情報に興味を失っていたことである。彼女はその出自をしつこく追及されることもなく、知事職を意欲的に遂行していった。果たしてゼネバスの後胤の噂が大衆から出された自然な風評であったのか、それとも意図して彼女の出生を隠蔽するために出された風評だったのかは不明である。

 

 さて、先に示した年表の如く、共和国統一の論議が再燃した頃、彼女は夫と伯父ヘリックと、そして父ゼネバスの成し得なかった中央大陸の共生を目差し、大統領職への立候補をした。

 彼女の真意を知る者は少ないが、関係者からの証言を纏めると、彼女はゼネバス帝国、ヘリック共和国、ガイロス帝国、及び都市国家群が乱立したエウロペ大陸や、滅びてしまった古代ゾイド人の国テュルクなどの各地域状況を理解し、尚且つゾイドとの共存策を模索出来る境遇に在る者は自分以外に無い事を鑑み、立候補に至ったと分析している。

 多くの候補が乱立する中、帝国領住民と女性票からの幅広い支持を受けたルイーズ・キャムフォードが新大統領として当選、共和国領再統一と同時に更なる国内復興に向けて動き出したのだった。

 悲しい事実、いや、彼女にとっては喜ばしいといえるのだが、多くの一般大衆にとって為政者の職責を全うできる者は僅かである。ヘリック、ゼネバス、そしてリチャードの如く、生来備え持つ適性、いわゆるカリスマが、やはり彼女には受け継がれていた。年齢を重ねる毎に輝きを増す美しさも、彼女の政策を助けたのもまた事実である。無論、寸暇を惜しんで政務に励み、僅かな時間を見つけては民衆の間に入って彼らが何を要求しているのかを機敏に察知し、短期的視野と長期的視点を使い分け、時宜に合わせた有効な施策を行った。同時に暗殺の危険を回避するため、周囲には念入りに大統領親衛隊を配置し、身を守った。どこまで危険を冒し、どこまでで身を引くのか、それはキシワムビタ城を脱出し、ギルベイダーに対峙し、惑星大異変を生き抜いた経験のある彼女にとって知らず知らずのうちに身に付いた処世術と言えよう。

 なお、彼女が初の女性大統領となる統一大統領選挙の開票結果が届けられたのは、2087年末のことである。エレナはそのとき頂点に達した。中央大陸デルポイの元首、父ゼネバス、そして伯父ヘリックも志半ばで終わった国家の成立を成し遂げた。ルイーズ・エレナ・キャムフォード大統領の名が、惑星Zi、ヘリック共和国の歴史に燦然と刻まれたのだ。

 

「お父さん、リチャード、これからが本当の始まりです」

 

 第一期の大統領就任演説を終えた後、彼女はウルトラザウルスのデッキで青空を見上げていた。

 静かに雲が流れ、風が吹いていた。

 


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