『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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45(2080年)

 多少なりとも物理学を学んでいる者がいれば、その輝きが何を示しているか理解できた。粒子が光の速度を超えて移動するとき発生する青白い光、チェレンコフ光と呼ばれる通常の可視光とは異なった光である。

 装置を中心とした空間が球体状の光芒に包まれ輝いている。その正面に、クリムゾンホーン一番機から脱出した偵察ポッドが不時着し、程なくエレナの乗ったモルガも到達した。脱出ポッドのキャノピーを蹴破り、中から赤い軍服を着た自動小銃らしき武器を携えた兵士が降り立つ。光の球体は次第に半径を広げている。不思議な事に、光が閉じ込められているかのように、光と影との境界が余りに明確だった。

 降り立った兵士はその球体を見つめ狂喜していた。

 モルガのコクピットから降り立ったエレナは、見覚えのある男の姿に、忌まわしい過去の記憶を呼び起こされた。

「これはこれはエレナ姫。久しく礼を欠いておりました。あの頃よりも一層お美しくなられましたな」

 慇懃無礼な態度は変わらない。浮かべた笑顔は相変わらず厭らしく思えた。

「ヴァーノン中佐でしたね。一体何が目的ですか」

 その男は、小銃を構えることなくエレナに対峙していた。

「御記憶に預かり光栄です。軍籍を解かれ落魄した身の上故、その階級で呼ばれるのも久しぶりで御座います。本当にお懐かしい」

 強ち皮肉とも思えなかった。その男は確かに彼女との再会を懐かしんでもいたのだ。

「思い起せば、お父上を巡幸させ、無為に戦死させたのも私の責任です。それに加え、あなたの御友人であるシュテルマー大尉をギルザウラーに導いたのもまた私の一存。誠に申し訳なく、心底よりお詫び申し上げます」

 贖罪のつもりなのだろうか。その男から語られる事実は、既に癒されていたと思った彼女の心の傷痕を記憶の奥底から呼び起こし、激しく掻き毟った。

「お怒りの気持ち、お察しします。ですが、私の話も聞いて欲しいのですよ」

 ふと、背後の球体を見上げる。光の半径は更に拡大している。エレナは堪えきれず叫んでいた。

「あなたの謝罪の言葉など、今は聞いている場合ではありません。その装置は何、いったい何をしようとしているの!」

「性急なところも、お父上譲りですな」

 ヴァーノンが笑った。誰でも判る程、厭らしく。

「お教えしましょう。これはエナジーチャージャー、共和国軍が我が国土を焦土と化した狂気のゾイド、キングゴジュラスの残骸からサルベージした未解析の技術の結晶でございます。技術局が小型化に成功したのですが、適合するゾイドの素体が見つからず、遺棄していた物を譲り受けました。ゾイドコアのポテンシャルにも匹敵する強力なエネルギーを生み出す可能性があるようですが、実用化には困難を伴い、ゾイドへの搭載は将来に持ち越されることでしょう。エキゾチック物質、なにやらタキオンとか申しておりましたが、情報畑の私などに理解できるものではありません。ただ判るのは、光の速度以下では運動できないもので、それが通常空間と触れ合うと激しい対消滅を起こし、半径数㎞に亘って全ての物質を破壊するとのことです。

 御心配には及びません。この装置は丁度このロブ基地を呑み込む程度の破壊力しかありませんので」

 薄笑いを浮かべながら語り続ける。

「装置を停止させなさい」

「どうぞ御自由に。出来るものならば」

 その男の口調が豹変し、球体は一層広がりを続けた。停止する方法など思いつかない。

「エナジーチャージャーが臨界に達した時点で、俺達は勝利するんだ」

「こんなことをして、何の価値があるの」

「価値はある。ここで俺が引き起こした偉業が歴史に刻まれる」

 言って僅かに俯いた後、再び正面を向いた顔には薄笑いが消え、憎悪に満ちた醜悪な形相となっていた。

「俺はテュルクの古都トローヤに起源を持つ暗黒大陸古来よりの純粋な古代ゾイド人だ。お前の外祖父ガイロスによって故郷を奪われ、仲間を殺され、技術を奪われた。一部は中央大陸に脱出したが、俺と俺の仲間が選んだのは、ガイロスへの絶対服従しかなかったのだ」

 その話には聞き覚えがあった。先ほどから響き続けている詩のことに加え、彼女にとって確認せずにはいられないことがあった。

「まさか、あなたはミスタージェンチェンと……」

「ジェンチェン・パルサンポは俺と同族だ。奴は暴力を否定し、争いを捨てたが、俺は納得できなかった。敵を愛するだと……反吐が出る。

 仮面を被った皇帝の恩為にと、奸智術策を巡らし俺は必死で働いた。だがどうだ。粛清は留まる事を知らず、古くからの盟友も全て殺された。そこで学んだんだよ、これこそが人間の本性だとね」

 挑発している。わざと彼女を怒らせようとしているのも判ったが、恩師ともいえるミスターへの暴言だけは、許すことが出来なかった。

「あなた、それでも人間ですか!」

「勿論ですとも。切れば血も出る紛うことなき人間だ。貴様は人間の価値観を定めることの出来るほど崇高な存在なのかね。自惚れるな。自ら神にでもなったつもりか。

 俺みたいな者も人間なんだよ。俺以下の奴らも人間なんだよ。常識ぶって、人間の定義などするな。お前のようにニクス、デルポイ、そしてエウロペと渡り歩き、苦労も無く生きて来た奴には、仲間も無く、保身のみに生きるしかなかった人間の悲しさ、地の底を這いずり回ってきた者の気持ちなどわかるまいがな。

 俺は死ぬ。死を覚悟した人間の恐ろしさ、篤と味あわせてやる。

 ゼネバスの娘よ、最後に礼を言う。臨界までの俺の時間稼ぎにつき合ってくれたことを」

 エナジーチャージャーの輝きが増し、球体が更に巨大化した。その男の挑発の理由を知った時、臨界への秒読みが始まっていた。

 

                   ※

 

 脚部補助アンカーが地表に打ち込まれ、突進するクリムゾンホーンを前にギガが構える。ロケットブースター加速式クラッシャーテールが唸りをあげ、衝突寸前のクリムゾンホーン本体に叩き込まれた。重量100tを越える巨体が宙を舞う。落下の衝撃で、残されていた加速荷電粒子偏向砲全てがフリルから脱落した。もう1機のクリムゾンホーンも、デッドクラッシャーホーンを折られ背部の武装も破壊され、攻撃手段を失った。

 

 テ・テシンテ、チタル・キューキー・テンパ・シントゥ・シェーラプキ・パーロルトゥチンパ・サポモーラ、チェーパルチャテ、デシンシェーパ・ナムキャン・ジェース・イランゴー……。

 

 機体から響く声は、クリムゾンホーンのシステムフリーズ状態に並行し、その囁きを次第に潜めていった。

 リチャードはギガの動きを止めた。勝負はついている。彼の操縦を受け入れたギガのパワーは圧倒的だった。無駄に命を奪いたくは無かった。それが人でも、ゾイドであっても。

「『真理を神も祝福している』か。命を失ってまで得る真理などあるはずがないだろう」

 

 お前なぜ止めを刺さない。敵は殺すものだ。

 

「違うんだ」

 ギガの意識がリチャードの中にも流れ込んでいた。いつしか二人の間には意識の共有が成立していたのだ。

「お前たちは無駄に狩りをしなかったはずだ。生きるため、生き残るために戦い、成長してきた。弱肉強食は自然の摂理だ。無為な殺戮も、生命が進化する為には必要な行為だと思う。

 でも、今お前達ゾイドは絶滅に瀕している。隕石――お前の言う空から降ってきた燃える石だ――その為に多くのゾイドが死滅した。あのゾイドはこの激しい磁気嵐の中でも生きている。貴重じゃないか、あの大異変を生き残った仲間だろう。お前には別に食糧をやる、心配するな」

 

 自分にはよく判らない。だが、判った。お前の言うことに従おう。

 

 ギガとの会話を楽しむ。これ程嬉しい事はない。満ち足りた高揚感の最中、彼は基地の中心で湧き上がる、巨大な光の球体の姿を目にした。戦闘に夢中だった。もう一つの脅威が残されていたのだ。

「ギガ、もう少し頼むぞ」

 追撃モードに変化したギガが、光の球体のもとに疾駆していった。

 

                   ※

 

 チャンチュップセンパー・センパーチェンポ、パクパ・チェンレーシク・ワンチュクタン、タムチェー・タンデンペー、コルテータータン、ラ・タン、ラマイン・タン、ディサルチェーペー、ジクテン・イーランテー、チョムデンデーキー・スンパーラ、ゴンパル・トゥードー。

 

 クリムゾンホーンの呻吟が響く。残されていたもう一台のグスタフが、擱座した三番機と一番機を荷台に回収し、モルガに攻撃を開始した。脚部は破損していても強力な火器は健在で、忽ち周囲は炎に包まれた。一瞬の隙をついて、ヴァーノンが三番機の偵察ポッドに搭乗した。前肢を失い前のめりに背中を持ち上げるクリムゾンホーンは、あたかも背部の偵察ポッドを頭部にした全く別機体の容貌に変化していた。突き出た2本の対ゾイド三連リニアキャノンアームが両腕の様に見える。正面に向け、これ見よがしに突き出されたその可動肢には、それぞれに引き千切られだらしなく垂れ下がった蛇型ゾイドの頭部が掲げられていた。

「ステルスバイパー!」

 自分を守るために、又犠牲が出てしまった。エレナは目まぐるしく変化する戦況に、完全に混乱していた。

 突然、頭の中に声が響いてきた。素朴で、武骨な響きだ。

 

〝あれが、お前の仲間か〟

〝ああ、私にとってこの惑星で最も大切なひとだ〟

 続いて響いた声は、紛れもなくリチャードの声と判る。不思議な共鳴現象が、ギガの意識を通じエレナの元に届いた。見上げる先に、プロトゴジュラスギガの雄姿が聳え立つ。

 ギガの赤い瞳と視線が交叉した気がする。次の瞬間、長大なクラッシャーテールを撓らせ、ステルスバイパーの頭部を得意げに掲げていたクリムゾンホーン三番機に叩き込んだ。ロケットブースターによって加速されたテールスタビライザーが突き刺さり、一番機諸共グスタフの荷台から転がり落ち横転する。途中右後肢が欠落し、一番機は下顎をだらしなく開いたまま停止した。三番機はそれ自体が重量物となって吹き飛ばされ、基地施設の一画に衝突し漸くその動きを止めた。左のリニアキャノンアームには、なぜかまだステルスバイパーの頭部を掴んだままに。

「無事だったのですね」

 彼女の呼びかけに、今度は心の声が響くことはなかった。偶然であったのかもしれない。それでも彼の想いに違いはないはずだ。ギガは頭部コクピットを精一杯下げてキャノピーを開いた。中で手を振るのが、紛れもなく最愛の夫であることに安堵した。

 ギガの赤い眼が輝く。声の主はこのゾイドだったに違いない。エレナも手を振った。

「叶ったのですね、あなたの夢が」

 地上から呟いたところで、コクピットに聞こえるはずもない。それでも満ち足りて手を振る夫の姿に、エレナも喜びを共有していた。二人の憩いが、次なる悲劇を導くとも知らずに。

 大破したクリムゾンホーン三番機の背部、破壊を免れていた偵察ポッドが、戦闘で起きた火災の破裂音に紛れ密かに離脱し飛行する。二人が気付いた時には、緑と赤の物体は既にギガの目前まで迫っていた。そのままギガのコクピットに衝突すると、開いたままのキャノピーに機体を喰い込ませる。飛来した物体の奥、リチャードは目の前に自動小銃を構えたガイロス軍人の姿を見た。

「死ね」

 表情の無い男だった。銃弾が、リチャードの胸を貫いた。

 

 どうした、仲間よ。お前の意識が痛みを感じている。

 

 ギガの本能が突き刺さった偵察ポッドを振り払い、男はポッドごと地表に落下していく。リチャードの胸からは大量の血が噴水の様に噴き出していた。咄嗟の事で身を躱すこともできなかった。酷い圧迫感。失血による意識障害で痛みすら感じない。彼は自分の命が助からないことを悟った。落下した偵察ポッドを共和国軍兵士が一斉に取り囲み、銃口を突きつける。蜘蛛の巣状にひび割れた緑色のキャノピーの向こうには、落下した際に拉げたコンソールに両足を挟まれた男が意識を失って横たわっていた。

「リチャード、リチャード!」

 エレナは叫ばずにはいられなかった。すると、ギガが頭部を持ち上げた。キャノピーが閉じられていく。

 無事だったのだろうか。それにしては一連の動作が不自然だった。

 リチャードは、ギガが試作機故にボイスレコーダー機能が保証されていることを知っていた。コクピットでの会話は必ず遺される。自分の最期の言葉は最愛の妻に伝わるはずだ。

 コクピットの中、リチャードは思いを込めた独白を語り始めた。

「聡明な君の事だ。もう気が付いていることだろう。もっともっと、君と人生を共に歩みたかった。もっともっと一緒にいたかった。約束を守れない私を許してくれるだろうか。ついでに、我が儘な私の最期の頼みを聞いてくれ。

 決して復讐をしてはいけない。憎しみの感情からは何も生まれない以上、人間を恨むことはしないで欲しい。この意味が理解できるようになってから、あの子に伝えてくれ」

 

 お前は何を守ろうとしている。あの仲間か。お前は痛くないのか。死にそうだ。

 

「多分だめだろう。ギガよ、君は生き残って別のパイロットに操縦してもらえ」

 既にコクピットは血の海だった。胸の圧迫感だけで、痛みを伴わない事だけが救いだった。致命傷に違いないのに、思いのほか自然に喋れるのが自分でも不思議だ。胸を貫いた銃創を伝わり、噴出した血液が肺に達している。咳き込む力も無く、次第に呼吸が途絶えていく。消えゆく命の炎の中、彼は必死で願っていた。「ルイーズを救いたい」と。

 

 あの光を止めたいのか。

 

「わかるのか。あの光の暴走はこの星に多くの死をもたらす。なんとか爆発を阻止したい」

 

 自分はその方法を知っている。あれを止めるには、同じ光をぶつければいい。

 

「本当か。同じ光とは何だ」

 

 自分のコアの光を全て注ぎ込む。そうすれば消える。

 

「32門ゾイドコア砲のことか。ギガ、お前も死ぬぞ」

 

 仲間を守りたい。あの牝、ルイーズというのだな。お前の気持ちが判る。お前はあの牝を守るためなら、なんでもするつもりだ。こんなに強い気持ちは知らない。自分もお前と同じ気持ちになった。

 今この光を止めなければ、お前の仲間も自分の仲間も幾つも死んでしまう。止められるのは自分しかいない。仲間を救うため、自分はお前と一緒になろう。

 

「そうか、わかってしまったのか。さすが私の見込んだゾイドだけある」

 リチャードが、苦痛を堪えて笑った。

 

 ゾイドと人は仲間だ。この星に棲む仲間だ。それを救うため自分は力になろう。

 仲間よ、小さいものよ。僅かな時間であったが、繋がることのできたこと、嬉しかった。

 

「私もだよギガ。ありがとう」

 彼は無言で封印を解く。最早発声する事も困難となっていた。

 周囲が静寂に包まれる。聴覚まで失血によって失われた。

 追撃モードに移行、クラッシャーテール用脚部補助アンカー固定。32門のゾイドコア砲の発射態勢をとなったギガが、最期の雄叫びを上げた。

 背鰭が、球体の光を圧倒して眩しく輝く。プロトゴジュラスギガの命の炎、そしてリチャード・ジー・キャムフォードの命の炎を宿して。

 

「さようなら、ルイーズ。愛しているよ」

 

 プロトゴジュラスギガの全身が神々しい輝きに包まれた。背鰭から放たれた光の矢が球体に突き刺さる。ゾイドコアの発する膨大なエネルギーが一斉に解放され、ギガの背鰭を通して打ち込まれたのだ。エナジーチャージャーの周囲を覆っていた燐光が消し飛んだ。中心で稼働していた装置が露出し、激しい爆発を起こしたが、爆炎は中心に向かって収縮し、やがて黒い点となって消滅した。特異点を中心とした爆縮、一種の重力崩壊が発生し、ロブ基地は何事も無かったかのように静寂に包まれた。残されたのは、破壊された基地と擱座したクリムゾンホーンの残骸、そして迫撃モードに変形したまま停止した、プロトゴジュラスギガの機体だった。

「リチャード、答えて、リチャード! リチャード!」

 無線に応答はない。エレナは息を呑んだ。ギガが石化していく。やがて脚部が崩れ落ち、頭部コクピットごと地表に落下した。

 我を忘れて駆け寄る。コクピットは血の海だった。

「リチャード、リチャード!」

 揺り動かしても、叫んでも、彼が微笑むことは無かった。

 既に鼓動は事切れ、左腕義手のコアの振動が僅かな作動音を奏でるだけだった。

 

 悲しくて、苦しくて、寂しくて、悔しくて。

 

 エレナは涙を流すこともできなかった。

 


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