『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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(2080―2096)
42(2080年)


 くすんだ壁には蔦が這い、月日の経過を物語る。

 あの日この場所を後にして、今日まで訪れることができなかった。開けた平地にぽつんと建っていたはずが、いつしか周囲には取り囲むように兵舎が並んでいる。なだらかなスロープを登りエントランスホールに入れば、途端に消毒液の香りが漂ってきた。

 診察を待つ患者の中を気忙しく看護師達が行き交っていく。

 薄く青みがかった白衣が懐かしい。いるはずもない自分の姿をその中に探していた。

 僅か数ヶ月、そこに所属していたに過ぎない。しかしその数ヶ月が彼女の人生にとって大きな出会いをもたらしたからこそ、止めどなく想いが込み上げてくるのだろう。

 白衣の袖を半分まで捲り、前のボタンを上から二つ外したままの医師が通りかかる。二人は互いに目を合わせ、そしてすぐ正面を向き、並んで医師に会釈をした。気付いた医師が視線をゆっくりと向け、次に二人の顔をまじまじと見つめる。気難しそうに閉じていた唇が開き、大きく息を吸い込んだ。

「御無沙汰しておりました、セーラブさん。お元気そうで何よりです」

 最初に声をかけたのはエレナだった。

「いつエウロペへ来たんだ。何の連絡も無しに」

 吸い込んだ息を吐き出し感嘆の声を上げつつ、医師は強くリチャードの肩を叩く。

「昨晩到着しました。雑務が多かったので、ついつい連絡をし損ねました。それにお仕事を邪魔しても申し訳ないと思ったので」

「相変わらず人を驚かせるのが好きな奴だな。ここにはいつまで居られるんだ」

 繰り返し肩を叩き続けているため、リチャードの右肩が次第に傾いていく。叩かれながらも溢れるような笑顔を浮かべている。

「一、週、間、ほど、滞、在、する、予定、です」

 リチャードの声は、セーラブに叩かれている為波打つようだった。エレナはその医師が以前と変わらず、いや、以前よりも意欲を増して活躍している姿を垣間見た。

「ルイーズ! リチャード!」

 白衣を着た看護師がカルテを手にしたまま駆け寄る。彼女がセーラブの意欲の源であることは知っていた。短くまとめた髪に黄色いシュシュがある。身体の線が丸みを帯び、一見して胎内に新たな命を宿していることが判った。

「ブローニャ、久しぶり。やっとここに来ることができました」

 まるで再会したあの日のように、エレナの両手をとって微笑む。輝く笑顔が零れる。

「あの事件からデルポイに渡ることとなり、それからは息つく暇もなく日々の政務に追われてしまいました。伯父さまったら、リチャードが気に入ったのはいいのだけれど、沢山の宿題を残していくんですもの……」

「ルイーズ、お二人はお仕事中だよ。積もる話は後にしよう」

 漸くセーラブの肩叩きから逃れられたリチャードが、そっとエレナの手を取った。

「そうですね。夜勤は入っていますか」

 セーラブがブローニャを見る。「予定はどうなっている」と尋ねているのだ。

「残念ですが、このひとは今晩当直で。でも、忙しくなければ是非来てください」

「シフトは明日じゃなかったか」

「あなたはすぐに忘れるんだから。今晩ですよ、しっかりしてください。それと診察は大丈夫ですか」

 時計を見て、仕事を思い出した様子だ。

「まだここにいるのだろう。明日でも明後日でもまた来るんだぞ」

 慌ただしく廊下を早足で去って行くその後ろ姿を3人で見送った。

「ブローニャ、幸せそうですね」

「もちろん、あなた達と同じくらいにね」

 そう言ってまた微笑む。言葉に偽りはない。

「お子さんは?」

 仄かに頬を赤らめる。

「あと2か月。もう女の子って判ってしまいました」

 言葉とは裏腹に嬉しそうだ。

「名前、もう決めてあります。デキツェリン、素敵でしょ」

 記憶の彼方に残っていた名前だ。それは父ゼネバスの母、地底族の覇王ガイロスの娘『デキツェリ』の名に倣ったものだった。

「あなたのおばあさまのお名前を頂くのは畏れ多いけれど、娘の名前に思いを込めて残しておきたかったの。私たちはゼネバス帝国で生まれ育ったことを。許してくれますか」

 ブローニャの思いは痛いほどにエレナに伝わった。自分でさえ記憶の底に埋もれていた祖母の名を、友人が覚えていてくれた。改めて父の偉大さを噛み締めていた。

「おめでとう、ブローニャ」

「ありがとう、ルイーズ」

 二人は固く手を握り、互いを見つめ合っていた。リチャードは少し離れて二人を温かい瞳で見守っていた。

 

 

 仮設の無料宿泊施設が立ち並んでいた平地は既にない。コンクリートに覆われた台地が広がり、奥にあった森林も切り開かれ、面影は消えていた。

「あの辺りですね、デスピオンに襲われたのは」

「もう野良ゾイドの襲撃も無くなったそうだ。軍がしっかりと管理しているし、自然に寿命を迎えた機体も多いのだろう」

 視線の先には、共和国エウロペ派遣軍最大のロブ基地が広がっていた。磁気嵐の終息とともに、稼働可能なゾイドの数も増加している。軍備の増強に伴い、基地施設の拡張工事も断続的に行われ、無数の建築機材が作動していた。

「再会の場所に因んで、私たちはあの子にこの平原の名前を付けました。皮肉なものですね」

 軍への興味を着実に増している息子ロブの事を、エレナは思わず考えていた。

「まだ時間はあるさ。無理に抑えつけてもかえって反発するだけだよ。いまは見守ってやってくれ。男の子なんてそんなものさ」

「あなたもそうだったのですか」

「さあね」

“身に覚えがあります”と言わんばかりに、リチャードは頭を掻いていた。相変わらず駆け引きが下手なことに、エレナは少し首を傾げて見上げていた。ふと、彼の再会の言葉を思い出した。

「そういえば、誰だったのですか“ルーシー”って」

「何のことだい?」

 覚えていないのか、それとも恍けているのか。リチャードは怪訝そうな顔で問い返した。

「あの日、私に最初に言った言葉です。“御無事でしたか、ルーシーさん”って。もしかして、エウロペでお付き合いしていた女性ですか」

 どうやら思い出したようだ。彼は子供の様に大袈裟に首を横に振る。

「誤解だよ。ただ、君の名前が思い出せなかっただけさ」

「別に怒ったりしませんよ。昔の話だし、あれだけ長い間冒険していれば、女性とお付き合いすることもあったでしょう。隠さなくてもいいのですよ」

 気恥ずかしいのか怒っているのか、彼の顔が紅潮する。恐らく前者だろう。本当に判り易い。言葉とは裏腹に、エレナはわざと拗ねた様に横を向く。彼はますます狼狽する。彼女の悪戯心は未だ健在であった。

「本当に間違っただけさ。それに君の名前は原始人の……」

 言葉の途中、緑色の光芒が唸りを上げて飛来し、続けて砲弾らしきものが放物線を描き基地に殺到する。遅れて耳を劈く爆発音がロブ基地に轟いた。警報が輪唱を奏でる。基地では真っ赤な炎が立ち上がり、黒煙を上げて燃え盛る。

 エレナは思わず彼の胸に身を寄せ炎を見上げた。リチャードも身動ぎせずにロブ基地の方向を見つめる。

 基地が爆発している。連鎖的に燃え上がる炎の壁が伸びていく。

 事故だろうか。

 帝国との戦闘も絶えて久しい。すぐには敵の襲撃を想起し難かった。しかし、炎の壁の向こう側、建物の影に隠れて見えないが、敵意を持った何かが紛れもなく攻撃をしているのだ。

 その時、彼の表情が動揺に歪んだ。

「あの場所にはゴジュラスギガのハンガーがある。このままでは焼け死んでしまう」

「行ってください」

 咄嗟に答えていた。彼がエレナの顔を見つめた瞬間、何を考えているかすぐにわかった。

 ここに妻を残して駆け出していくわけにはいかない。一方で、ゴジュラスギガも救いたい。満足なデータさえ収集していない稼働実験直前の貴重なゾイドだ。機体だけでも避難させたいに違いない。

「ギガは、まだ他の人間には動かせないんだ」

 全身を真っ赤な炎に照らされながら、リチャードはエレナを見つめる。

「あなたの追い求めてきた夢です。あのゾイドを助けてあげてください」

 彼の夢はエレナの夢でもある。リチャードは大きく頷き、近くの通話が可能な有線電話のある基地施設に向かって駆け出した。エレナはその背中を身じろぎもせずに見つめていた。彼の夢が失われる事の無いようにと、願いを込めて。

 突然、背後から男性が低く呻吟(しんぎん)する声が聞こえてきた。

 

 マサム・ジョーメー・シェーラブ・パーロルチン。

 マケー・マガー・ナムケー・ゴウォニー。

 ソソル・ランリク・イシー・チョーユルラ。

 ギャルウェー・ユムラ・チャーツェルロー。

 

 遠い昔に聞いた響き。あの深山幽谷で響いていた(うた)だ。

(古代ゾイド語?)

 くぐもった口調と軍の建物に反響し、明瞭な聞き取りは出来ないはずなのに、シュウの書架にあった古代ゾイド文明の言語を一通り理解していたエレナにとって、その言語の把握は可能であった。

(虚無への礼拝を謳っている。でもなぜいまここでこの詩が)

 

 パクパ・クンチョクースンラ・チェーツァルロ。

 

 声は、着実に近づいて来る。

 

 ディケー・ダーギー・トゥーパ・ドゥーチクナ。

 チョンデンデー・ゲルペーカブ・チャゴープンポリラ・ゲロンギ・ゲンデゥンチェンポタン・チャムセムペー・ゲンドゥンチェンポタン・タプチクトゥシューテ。

 

 基地建造物の切れ目の地平に、砂煙をあげて突進するゾイド群が見えた。

 接近するに連れ、そのくすんだ赤色の大型ゾイドが音源であることを知った。

 


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