「この機体が、あなたの話していたゾイドなのですね」
凶暴な面構えだ。試作機を示す黄色のサーボモーターが、黒と銀色の装甲にやけに目立っている。
不思議だった。殺し合いの道具に過ぎないと思っていたはずなのに嫌悪感が全く湧いて来ない。無数の直線が重なり合う幾何学的なデザインと、生命体としての強靭な意匠が混在している。野生体の機能を色濃く残したゾイドであることが、人によって施された些細な改造などを超越してしまっているのかもしれない。
「今まで隠していて済まなかった。ただ、少し君を驚かしたかったんだ」
エレナは繋いだリチャードの手を思わず強く握り締め、そのまま自分の組んだ両手の中に包み込み、巨体を共に見上げていた。
共に歩む誓いを立て十数年の星霜が流れ、いつしか再会の日の思い出も記憶の彼方に霞んでいた。だが彼は、更なる夢の実現に向けて着実に努力を続けていたことに驚かされた。
エレナの唇から感嘆の溜息が漏れる。拙いこの一言しか思い浮かばない。
「カッコいい……」
呟きに過ぎなかったが、リチャードもまたその言葉を聞くと深い安堵の溜息をついていた。
「認めてもらえて安心した。君の平和を望む気持ちは痛いほど判っている。でも、どうしても成し遂げたいことだったんだ。
あのゾイドを、より洗練された形で完成させること。一頭でいい。このゾイドのコクピットに座り、共に大地を踏み締め駆け回りたい。
そしてやっと十数年来の夢が叶ったよ。
軍はゴジュラスに代わる新鋭機として協力してくれたようだが、自分にとってそんなことはどうでもいいことだ。操縦するんじゃない。繋がりあうための手段だ。ただ、名前だけは受け継ごうと思う。
“ゴジュラスギガ”。このゾイドの名だ」
古い友人との邂逅を懐かしむリチャードの姿がそこにあった。
二人でのエウロペへの旅を切り出されたのは、州国に分離していたヘリック共和国が、連邦制から再び統一国家へ復帰することを連邦会議で議決された直後であった。セシリア州国知事として多忙を極めてきたリチャードと、妻として母として、そして知事就任以来息をつく暇もなく最高の補佐役として支え続けて来たエレナには、旅の提案は余りに唐突であった。
大異変以降、分割自治されてきた中央大陸各州国が再統一され大統領制が再開すれば、近年圧力を増してきたガイロス帝国にも容易に対抗できる。また権力が集中すれば各州国知事の職務も軽減される。
しかしなぜ、新大統領候補として呼び声も高い彼が、この時期地方遊説など選挙運動を
政界への挑戦は、この星を活気に溢れた平和な世界にしようと誓って始めたことであり、あの日砂漠の月の下、ヘリックに問いかけられた時から道が定まっていたのだ。
セシリア市で多大な支持を受け、周囲の州国、そして大陸東側の旧ヘリック共和国地域でも彼を推す人々は多い。エレナは人生を共に歩んで来た血の繋がらない最も身近な家族が、父や伯父と同じ道を進んで行くことに、偶然からの必然、出自を隠しても
だが彼は直前になって回り道を言ったのだ。「旅に出よう」と。
リチャードは二人きりの旅に拘った。幸い、ハーマン夫妻が快く息子ロブの世話を受け入れてくれたので、数日の間留守にすることに問題はない。
彼が決して無責任な行動をしないことは知っている。それでもなぜこの時期に、わざわざエウロペまでいかなければならないのか、という感情は、エレナの中で繰り返し湧き上がった。
就航し始めたばかりのタートルシップ定期便で移動する中、彼は終始無言のまま西の彼方を見つめていた。
その理由がいま、彼女の目の前に現れたのだ。
後に、エレナの失踪後制式化される機体に対し便宜上“プロトゴジュラスギガ”と呼ばれる試作機は軍とリチャードの元、西方大陸ロブ基地に於いて完成していた。試作から配備まで20年ものブランクがあるのは、
最後の理由として、試作機が充分な稼働実験を行えずに失われてしまったからだった。
「操縦できるのですか」
エレナはリチャードの手を握ったまま、ギガを見上げて問いかける。
「稼働実験は明日開始する。野生の本能も強く、多少危険は伴うからロブを連れてくることを避けたんだ。
もしこれを見たら、真っ先にコクピットに座りたがるに違いないからね」
この惑星の住人は概してゾイドを愛しているが、少年に於いてはその傾向が顕著である。戦いや破壊に憧れるのではなく、ただ単に強いものへの憧憬だ。息子ロブも、ことゾイドとなると目の色が変わる。彼女も嘗て伯父ヘリックが語ったように、自分の息子を軍人の道に進ませることには反対していて、手を変え品を変えて進路選択を軍とは無関係の高等教育機関、或いは企業に所属させようと考えていた。
だが、思春期を迎えようとする少年は反って母親の選択に抵抗した。エレナも同じ年齢の頃、理由の無い反抗心を父ゼネバスに抱いた如く、今息子が同様の感情を抱いていることに過去の自分を振り返るようで懐かしくもあり歯痒くもあった。
このゾイドを見せたら間違いなく息子は軍人の道に進んでしまう。エレナは夫の選択の正しさを納得し、心の中でそっと胸を撫で下ろしていた。
「最初にコアの火入れ(動力の始動)を行い、手足や尾の関節部分の干渉を確認する。二日目以降に火器の発射実験をするんだ」
「火器ですか。でもこの機体には見当たりませんが」
リチャードは楽しそうに微笑む。
「それもその日のお楽しみだよ。それより行ってみないか。君と再会したあの場所と、診療所に」
ずっと胸の高さで握っていた右手越しに、彼の笑顔を見つめた。
政務に追われ、久しく陽の光の下で見ることの出来なかった優しい笑顔だ。胸の高まりが数年ぶりに湧き上がる。一瞬出会った頃を思い出し、改めて隣に佇む男性と一緒の人生を歩むことの出来た幸運を噛みしめた。
「そうですね。あれからここに来ることもできませんでしたから。セーラブさん達は元気でしょうか」
胸の高さに繋いだ両手を降ろして、ギガの格納庫に開いた僅かな天窓の空を見上げる。四角く切り抜かれた空が青い。明日は懐かしい場所を二人で訪れてみよう。きっと楽しいはずだ。息子には悪いが、青春時代の思い出に暫し浸らせてもらおう。
エレナはこの旅行が、二人にとってのまた新たな出発点になることを素直に期待し、明日を心待ちにしていたのだった。
「準備できるのはこれだけか」
暗く燻んだ赤い装甲板には、所々錆が浮いている。生命体であるゾイドの代謝が通常通り行われていない証拠だ。可動肢から軋んだ関節の擦れ合う悲鳴が響き、重々しい機体を更に鈍重にしている。頭部の襟の部分に備えられた六連加速荷電粒子偏向砲も一門から二門欠落している機体が多い。
嘗てはガイロス帝国全軍の情報を管理し越権行為も厭わなかった男にとって、6機のクリムゾンホーン部隊は余りに貧弱だった。
「廃棄寸前の機体を漸く稼働できるまでにしたのです。整備の連中の苦労も察してやってください」
訴える整備士も正規兵ではない。文字通り寄せ集めの部隊で、制服も種族も統一性はない。
「エレナ姫がロブ基地に渡ったという情報は確かなのですか。大規模な護衛部隊が着いたという話も聞かない。我々の虎の子であるクリムゾンホーン全機を投入してまで、実行するほどの作戦とは思えませんが」
その男は嗜虐的な薄笑いを浮かべる。
「情報は何処からでも手に入るものだ。“敵の敵は味方”なのさ。政敵を蹴落とす為に我々を利用したい共和国の輩もいる」
吐き捨てるように言い放った。
「それにあの女はそんな奴なんだよ。民衆の中に入ってみるといっても、所詮お姫様の
視線を逸らしたまま、その男はクリムゾンホーンの並ぶ倉庫の上の空間を睨みつける。
「皇帝の
ゼネバスの娘、無事にエウロペの地から出られると思うな」
誰もその男の話を聞いてはいないが、男は空中に向かって未だに語りかけている。男を動かしているのは、恨みと憎しみの虚しい感情だけであった。
「磁気嵐が近づいてきている。好都合だ。ロブ基地もろとも破壊して、再びニクスの地に戻って見せる。皇帝陛下へ、私の忠誠心の証しを示すのだ」
ヴァーノンは、一人背を丸めながら嗤いを堪えていた。
※申し訳ありません。40話を二回UPしてしまいました。
只今41話に差し替えました。
アクセスして頂いた方々を混乱させてしまったことをお許しください。