『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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40(2064年)

 誌面に目を落としながらリチャードが告げた。

「またゼネバス皇帝の御落胤(ごらくいん)が名乗り出たよ。今度も息子のようだ」

 サーバにお湯を注いでいたエレナは、露骨に眉を顰めて呟く。

「お父様を何だと思っているのかしら。そんなに節操なく継嗣を設けるはずないのに」

 不機嫌そうにカップを手に取ると、サーバに手を伸ばした。

「ちょっと待った。君は座っていて」

 リチャードが手際よく受け皿を並べ、琥珀色の液体をカップに注ぐ。紅茶の香りが、幾分ささくれ立った彼女の気持ちを和ませた。

「それにしてもあれからもう7人目よ。いい加減にして欲しい」

「まあ、それだけ君の父上が敬愛されていたと考えるべきだろう。これほど急激に社会構造が変化すると、人が過去に囚われ易くなるのも仕方ないよ。それだけ平和になったということさ」

 口元でカップの香りを楽しむと、リチャードは窓の外、朝日に映える澄み切った青空を見ながらもう一度呟いた。

「そう、平和になったのさ」

 白亜に彩られたセシリア市の知事公舎のリビングで、朝食を終え暫しの寛ぎを味わっていた。2人の目の前の芝生を、古びたサラマンダーの玩具を持った少年が駆け抜ける。

「ロブ、しっかり前を見るのよ」

 嘗てエレナが戯れた祖父との思い出の品が、今は息子のお気に入りであった。

 世代を超えて受け継がれた小さな鋼鉄の翼が、少年の手の中で青空に溶け込む。

 朝の陽射しが眩しかった。

 

                   ※

 

 リチャードの政界進出、及びエレナの共和国大統領に就任までの経過を簡単に確認しておく。猶、冗長な記述を避けるためここでは旧ゼネバス帝国領出身者のことを帝国出身者、統合前の旧ヘリック共和国領に所属していた者を共和国出身者と称することとする。

 

2059年 リーバンテ島上陸作戦の直後、ヘリックⅡ世逝去。

2060年 中央大陸ヘリック共和国は分割統治体制に移行。各州国による連邦共和制開始。

    同年リチャード・キャムフォード、セシリア州国知事選立候補。次点候補に追い縋るも、三位で落選。

2063年 旧ゼネバス領での民主化を求める騒擾が多発。ウラニスク市での被害が最も大きく、死者3名を含む重症者20名が被害に。

2067年 セシリア州国現職知事死去に伴い補選が行われ、二代目知事としてリチャード選出、就任。

2070年 この頃より磁気嵐の影響力低下に伴い、各州国のエウロペ進出が本格化(開始は2030年頃より)。移民には特に旧ゼネバス系住民が多数を占める。

2071年 セシリア市州国に於いて、最も早くゼネバス系住民への市民権授与を承認。

2072年 ヘリックシティーでのゼネバス系住民への市民権承認。以降76年までに各州国での同様の決議が成される(最後に承認したのはグレイ市州国)。

2077年 南エウロペに州都ニューヘリックシティー建設。入植の中心地となる。

2078年 ヘリック共和国連邦、連邦議会により2年後に再統一を議決。

2079年 ガイロス帝国、共和国に対抗するために南エウロペに南帝都ガイガロス建設。

 

 リチャードもエレナも順当に政界進出できたわけではない。日常生活に不自由しない程度の経済的援助は伯父ヘリックを介して受けられたが、肝心の集票に関しては、リチャードの立候補直前にヘリックが他界したため充分な応援を受けることは出来なかった。

 端的に評価した場合、リチャードは清濁併せ呑まなければならない為政者の職責を負うことを望んでいたとは言い難い。清廉な彼の性格は、心の中で常に軋轢を抱え込んでいたに違いない。しかし、エレナを初め周囲に集まった多くの人々が彼を支え、彼もまたそれに応えた。彼は彼自身が思う以上に、時代に要求された人物であったのだ。

 彼が最初に直面した問題は、依然共和国領内に残る帝国出身者に対する差別である。共和国領、つまり旧ゼネバス帝国領を含んだ中央大陸デルポイでは、2050年代以降は種族の混合も進み純系の地底族や風族など種族の区分けも曖昧となっていた。生活様式も多様化し以前ほど種族と職能も判別できなくなっており、特に惑星大異変を挟んで殆ど意味を成さなくなっていた。

 時として古い因習が唐突に復活する場合がある。大異変の復興が本格的に始まった2060年代後半、充分に共和国国民として受け入れられていたと思われた帝国出身者は、ただ移民というだけで理不尽な差別を受ける場面が多々見受けられるようになった。これは旧ヘリック共和国領の地方に於いて顕著で、セシリア州でも地方都市で住宅の提供や職業選択などで差別が見受けられた。

 原因として考えられるのが、大異変後の中央大陸東側、旧ヘリック共和国領での慢性的な不況と天候不順である。旧ゼネバス領から流入した移民は低賃金での労働を受け入れたため、共和国出身者達の職業を奪うこととなる。また、大異変による影響により農業生産は著しく低下し、食料品価格の高騰に悩むこととなった。温暖化によって食料生産が飛躍的に上昇したガイロス帝国や、マザーブリーザー、グランドフリーザーと称される偏西風によって、大気中に漂う隕石衝突により舞い上がった雨滴の凝集核エアロゾルを一掃し、オベリア平原を中心に農業生産を充実させた旧帝国領と対照的な現象となった。蛇足だが、約40年に亘ってガイロス帝国が南方地域への進出を停止していたのは、偏に国内の食糧生産が安定し他国や他の地域への侵略の意義が薄れていたからである。

 打ち続く経済上の混沌の中、共和国出身者の不満の捌け口は次第に帝国出身者に向けられていく。時には激しい暴力を伴って帝国出身者に対し牙をむく事件も発生した。表面上は双方の融和を唱えている各州国知事も、未だ市民権を得ていない帝国出身者に対しての保護政策は選挙権を持つ共和国出身者の支持を失うのを恐れ、声高に主張することはしなかった。

 リチャードはそのジーのミドルネームが示すように海族出身である(但し、海族も北方系と南方系に分類され、彼がそのどちらの系統に所属していたかまでは不明。彼の漂泊癖は、海族が古代から近世にかけて広大な海洋を駆け巡った頃の名残かもしれない)。従って第三者的立場でこの問題を黙殺することもできた。エレナにしても、父ゼネバスが風族と地底族の混血、更に母エーヴが虫族であり、地底族特有のオレンジ色の髪を有せず、殊更騒ぎ立てる必要もなかったはずである。それでも彼は、正面からこの問題に立ち向かっていった。

 リチャードは、差別は自由な社会の発展を阻害し更には産業を含めた経済発展をも束縛すると主張した。帝国出身者の中には共和国出身者以上の高い技術力を持つ者もいる。労働力の提供に関しても、不当に低い賃金で就労させる雇用主があるからこそ雇用不安が発生すると批判した。怨恨を源とする差別は新たな怨恨を産むだけで経済成長にとっても何の価値もない事を強調し、中央大陸住民の融和と協力を訴えた。

 具体的な政策として、

① 労働者への最低賃金の保証と引き上げ、宿泊施設の開設、雇用者の採用時に於ける出身地や種族確認の廃止。理由は前述した通りである。

② 死刑制度の廃止。帝国出身の犯罪者に対する弾圧は厳しく、充分な抗告もできないまま不当な審議によって処刑される判例が報告されていた。住民の融和を唱える以上、安易に命を奪うことは統一の妨げになるとして戦時態勢からの脱却を図っていった。

③ 食料品不足に関しては、エウロペとの交易を活性化させ技術供与によって生産を拡大し、大規模な輸入を行い不足解消をする。

④ ③の政策に伴い、海上交通網の整備と護衛の充実を図る。戦闘が終了し縮小された軍人達を護衛任務に就かせることにより、一種の失業対策を図った。

⑤ 更には、エウロペへの積極的な移住政策の促進である。エウロペにも定住していた先住民も存在していたが、赤道付近に位置する北、西エウロペ地域での大異変の被害は大きく、人口も大量に減少し、未開地以外にも開発済みの耕作地さえ放棄されていた。エウロペ事情に詳しいリチャードにとって、地勢を読み取り適宜移住地を考えるのは有利であった。

⑥ 加えてここにも軍の派遣を要請する。理由は野生ゾイド対策である。アタックゾイドやガイサックなどの小型ゾイドの駆除を行い、状況次第では捕獲し利用した。

 これらは大異変後の激変期だからこそ主張できた政策であった。労働者層からの支持と、新たな市場開拓の場を得た資本家、そして軍の支持を受け、彼は見事にセシリア州国第二代知事に選出されることとなる。この惑星の政治史上で幸いだったのは、地球の歴史でコミュニストと呼ばれる過激な共産主義者やアナーキストなどの思想が成立していなかったことだろう。彼の政策は、罷り間違えば上記二つの危険な思想に振り切られる可能性もあった。ゾイドと共に歩み、素朴な自然環境と共存し、極度に合理化された資本主義に至っていなかった社会は彼の政策を受け入れ、結果的にセシリア州国をいち早く再生させる。

 これとは別の政策として、戦争が終結したことにより相対的に地位の向上した女性層へも、大異変によって減少した人口を増加させるための出産費用援助などを提案した。そして更に踏み込んだ形で、帝国出身者への市民権の授与と女性への参政権の充実を訴えている。この中には、一見彼の平和政策からは矛盾する女性兵士の増強も含まれていた。第一次大陸間戦争と第二次大陸間戦争との大きな変化の一つは、女性兵士の増加である。特にゾイド乗りの養成に於いてこの傾向は顕著で、第二次大陸間戦争では数多くの女性パイロットが活躍している。

 前章で述べたが、共和国内でも戦争による男性人口の減少は、帝国ほどではないものの深刻な事態には相違なかった。当然女性への依存度が高まるのは理解出来るが、なぜ彼が敢えて緊張状態の途絶えた時期に兵役を増強したのだろうか。

 考えられるのが、

(1)女性の地位向上と、

(2)女性による戦争理解の促進。

(3)そして戦争再開への歯止めである。

(1)についてはフェミニズムの1つとして女性兵士を多く登用すべきという主張から。女性的な視点から戦術戦略を俯瞰した時、往々にして過去の体験に縛られた古参の指揮官以上に的確な判断を下せる事例が報告されていた。それまで「戦いは男の仕事、女が口出しするな」の一言で幾つもの主張が圧殺されてきたが、最早その理屈は通じなくなる。硬直した価値観を打破するには、斬新な改革であったと言えよう。

(2)についてであるが、夫や息子との距離を裂かれた女性達は、戦場を知らないが故に時に妻として母としてヒステリックな熱狂を伴い積極的に戦争協力をすることがあった。例えてみれば過剰なコミュニティー結束を主張し、スローガンや空文を掲げ、個々の意見を抑圧し、残された者達への思想弾圧をした事例がある。戦場の現実が見えないから見えない分だけ不安となり、前述の一連の行動へと繋がるのだ。リチャードは、大異変直後の長期間戦端が開かれることの無い時期に女性を軍に参加させることにより、今まで戦場を知らないまま戦果に沸き立っていた国内女性(婦人)に対し、戦争の現実を広く認知させ、回避への努力を促す手段としたとも考えられる。

 最後に(3)だが、軍事的にみると女性兵士というのは軍隊を弱める存在でしかない。身体的に女性は男性より兵士として劣る。軍というのは一番弱い兵士を基準に考えなければならず、更に女性は男性より衣食住のコストがかかり、尚且つ未だ戦闘訓練が充分に修了していない女性兵士では戦争の再開は望むべくもない。

 視点を変え、国家という枠組みで見た場合、女性は子供を産んでもらう必要があり、それが兵士になって戦死されると国家としての生産基盤と経済消費力が低下してしまう。にもかかわらず女性兵士を多く登用したのは、女性たちにも戦争の本質を理解してもらい、侵略戦争を否定する機運を盛り上げ、さらには女性の地位を上昇させるのが目的であったと考えられる。

 彼の政策をもう一つ付け加えるならば、経済基盤が不安定化し、予算から交付金の捻出が出来ない状況に対し、利他心に基づいた相互扶助の考え方を繰り返し主張したことである。貨幣とは作られた価値であり、非常に便利なものであるがそれは所詮共同幻想に過ぎない。最終的にそれがどの様な価値となって人々に還元されるかを唱え、貨幣とは別の価値を見出すことに全力を尽くした。それまで経済不況に陥っていたと思われていた共和国だが、実際は余剰分を分配すれば充分国内人口を賄えるだけの生産力は残っていた。皮肉なことに、大異変で減った人口も食糧充足に貢献していたからだ。

 自分だけが幸せになるのではなく、自分も周囲も巻き込んで幸せになる事を周辺の州国まで拡大する。地球の経済学で〝比較優位〟と呼ばれるデヴィッド・リカードの提唱した自由貿易体制を知らずに実践していたのだ。

 これらの政策は後に大統領となるエレナにも受け継がれることとなる。

 リチャードの軍人時代の友人知人、ヘリックの人脈、そして密かに展開されたシュウによる支援がじわじわと功を奏し、やがて彼はセシリア市州国を越えて周囲の州国にも支持層を広げ、同時期ガイロス帝国の南進に対抗するために持ち上がっていた共和国再統一後の新大統領の有力候補に挙げられるようになっていた。

 当然であるが、彗星の如く現れた青年政治家を快く思わない勢力は存在するものである。彼の知事在職期間中、いわゆるテロ活動によって命を狙われたことは数回あり、未遂に終わった事件を含めると十数回に上る。

 象徴的なのは、選挙演説中に彼に向けて放たれた銃弾が命中し、身体ごと演台から弾き飛ばされた事件である。

 弾道から狙撃犯は直ぐに判明し即座に捕縛された。

 騒然とする会場の中、捕縛された犯人は倒れたリチャードが何事も無かったかのように立ち上がる姿を目にした。

 弾丸は金属製の義手に当たって弾かれていたのだ。

 通常であれば中止となるものを、エントランス湾の惨状を記憶に残している彼はその後も演壇に立ち演説を続け、その豪胆さに聴衆は更に魅了されたと伝えられる。

 


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