海岸線には、打ち寄せられた残骸が延々と続いていた。
所々に雪を被り、破壊された切断面から石化した機体の内部が覗き、時折打ち寄せる波が錆を洗うのか、波が引くたびにどす黒く変色した血のような海水が流れ出ている。
正午近くになって漸く昇った太陽も、あと僅か数時間でまた水平線に没する。その僅かな時間に、エレナの視察は行われていた。
数日前のことである。
「戦場視察ですか」
「お受け願います」
ヴァーノン中佐というガイロス広報担当官は、前触れもなくキシワムビタ城にやってきた。エレナの戦場視察の日程から巡幸のコース、護衛の人員など全てを決定しており、最初から拒否をする選択肢は与えられていない。エレナの存在価値はそれだけの為と認識していたからだ。
共和国の第一次上陸部隊を撃退したとはいえ、暗黒軍も無傷ではない。そして未だ戦闘に慣れていない暗黒軍兵士に代わって、多くのゼネバス兵が作戦に参加し死傷している。共和国の脅威に備え暗黒大陸南西沿岸のブラッディゲートからカオスケイブにかけて警戒を続けている兵に向け、本人の知らないところでエレナによる慰問と視察を兼ねた巡幸を実施することが決定されていたのだった。
不満はあるが、納得しなければならないことだ。エレナが視察を了解すると、ヴァーノン中佐は慇懃無礼な態度で戻って行った。その不遜さに激しい不満を漏らすキャロラインを見ながら、エレナはしかし、漸くこの鳥籠のような城から出られることに、少しだけ心躍った。
かつてのゼネバスの兵に出会えるのが嬉しかった。
あのドレスを着て行こう。ゼネバスの紋章は、見つからないように付けて行こう。少しでも勇気づけられればそれでいい。今、私に出来ることを精いっぱいやろう。数か月ぶりの外出に胸を膨らます姿は、普通の少女そのものであった。
彼女の期待は完膚なきまでに打ち破られた。
人の死体こそ無かったものの、撤去のされないゾイドの残骸は、凄惨な戦闘の痕を如実に物語っている。暗黒軍は、それを敢えて撤去をしないことで、共和国の再上陸が行われる際の障害物として利用しているのだ。
渚に横たわる巨大な機体はマッドサンダー(厳密にはシーマッド)、青い残骸はカノンフォートとレイノスと言ったはず。横たわる機体の装甲に無数の銃創が刻まれ、砲身や脚部が無造作に散乱している。
共和国の新鋭レイノスの残骸はひときわ多かった。
(何か聞こえる……)
エレナは、スクラップ置き場のように青い翼が無造作に集められた残骸の中に、微かに動く機体を見つけた。積み上げられた他の機体に挟まれ、右の翼がようやく動く程度だが、それでも出来る限り首を伸ばし、水平線の彼方のデルポイを見つめている。
「姫様、どこへ行かれるのですか」
「あのゾイド、まだ生きてる。助けなきゃ」
「システムはロックされているはずです。お止めください」
キャロラインの言葉を振り切り、彼女はするするとレイノスのコクピット近くまで残骸の山を登った。
本来であれば、特定のコードナンバーを認識させなければキャノピーが開くことはないが、そのレイノスのキャノピーは損傷し、痩身の彼女であれば充分操縦席に滑り込めるほどの亀裂が入っていた。ドレスとショールの裾を気にしながらシートに座る。新型ではあるが、よく使いこまれた機体の様だ。コンソールを操作してみる。システムは作動しない。
あたりまえよ。でも、ここの配線をバイパスすれば……
エレナの器用さは職人気質の祖父と母譲りであり、加えて恩師マイケル博士の指導の賜物である。携帯している小さなナイフを使って配線を接続し直し、スタータボタンと思しきスイッチを入れてみた。
“If lucky, she is waiting for you.”
コクピットにアップテンポのロックの歌声が響きわたった。パイロットの趣味だろうか。命を擦り減らす戦闘中であっても、常に歌声を忘れなかったらしい。その曲は、どこまでも広がって行く自由さと、青空を想像させた。
「ねえ、このゾイド、動かせないかしら」
残骸の山の麓で様子をうかがっていたキャロラインが、当惑の表情を浮かべる。
「無理ですよ、こんなスクラップ。きっと置いて行かれたのです。とにかく早くお戻りください。いつこの山が崩れるともかぎりません」
もちろんそんな忠告を聞くエレナではない。システムの立ち上げに成功すると、今度は機体操作を試みていた。翼が僅かに動く。他のレイノスの残骸を振るい退けた。脚部に動力を回す。飛行ゾイドの細い脚がギシギシと音をたてて伸びあがって行く。
もう少し持ち上がれば残骸から脱出できるかもしれない。
壊れたキャノピーから雪が吹き込む。外が見えてきた。もう少し、もう少し。
突然、スクラップの山が音を立てて崩れ出した。微妙なバランスを取りながら積まれていた残骸が、エレナの起動で崩されたのだ。彼女を乗せたまま、レイノスは残骸の山から滑り落ちる。その先には冷たい初冬の海が広がる。死ぬことはないだろうが、水を被ることは免れない。コートの下にはいつもの薄手のドレスだけだ。
気に入っていたのに、今日は着替えなければならないかな。
直前に衣服のことが気になっていた。
金属の擦れる音が響き、シートは激しく上下する。レイノスが滑り落ちる音とは別の、低い振動が聞こえてくる。
何かが突進しながら近づいてくる。
視界に緑色の燐光が入った。
あれはディオハリコン。暗黒ゾイド?
もう少しで水面だ。冷たそう。
彼女は思わず目を瞑っていた。
波打ち際まで滑り落ちると、急に背中のシートに引っ張られる反動を感じた。共和国製の衝撃吸収性ヘッドレストが柔らかく彼女の頭部を受け止めると、嘴まで海水に浸かりながらも直前でレイノスの機体は動きを止めていた。滑り落ちる加速がついていなかったのでコンソールに頭をぶつけることは避けられたが、折角束ねたブロンドの前髪に幾つかのほつれ毛を産んだ。
またキャロルのお小言を聞かなければならないかな、あの人長いのよね。
それにしても、よく水際で止まったなあ。タイミング良すぎ。
軽い眩暈を伴って、改めて周囲を見回す。背後に黒い影、そして緑色の燐光。
「ダークホーン……」
割れたキャノピー越しに見えたのは、エレナの乗ったレイノスの尾部を咥え、水際の僅か手前で水中に没するのを押さえているダークホーンの姿だった。
ゼネバスが初期に開発したレッドホーンが改造され、より強力なゾイドに生まれ変わっていたことは知っていた。ディオハリコンによって出力が大幅に増強され、共和国の新型ゾイドにも充分対抗しうる能力を授けられていたことも。新たに装備された武骨なハイブリットバルカンが、以前の機体との破壊力の違いを顕示している。
レイノスが情けない叫び声をあげていた。無理もない。突然見知らぬ人間に機体の起動をされて、残骸の山から滑り落ち、そのうえ尻尾を引っ張られ宙吊りの姿勢をとらされているのだから。
ダークホーンの隣では、腰を抜かしたようにへたり込むキャロラインの姿がみえる。
どうやらこのダークホーンに助けられたようね。癪に障るけれど一応お礼を言わなければ。
動力が回復したため、キャノピーは自動でせり上がった。エレナはパープルのブーツが海水に浸るのも構わず、レイノスのコクピットから降り立つ。巨大なクラッシャーホーンが屹立する前に立った。
「助けて頂いたこと、感謝します。私はゼネバス帝国……」
「存じ上げております」
機体の外に装備されたスピーカーからではない。ダークホーンのコクピットが開き、中から直接答えたのだ。聞き覚えのある声、それも昔からの。
クラッシャーホーンの影から、コクピットのシートより立ち上がる姿がある。剃刀のような鋭い視線を湛えている。
「シュテルマー!」
「相変わらずのお転婆ですね、姫様。お元気そうで何よりです。
キャロライン殿も変わりないか」
代わる代わる二人の姿を見つめると、改めて敬礼をする。
「ブラッディゲート方面駐屯部隊所属、シュテルマーです。エレナ姫様の護衛の為に参りました」
暗黒軍制式の赤いパイロットスーツに身を包んだ姿は、幼い頃より王宮で顔を会わせてきたひとであった。
彼はゼネバス帝国の英雄ガンビーノ将軍の遺児で、父の死後ゼネバス皇帝によって保護され、男子のいない皇帝によって息子のように育てられてきた。エレナより一つ年上の彼は、年齢も近いことからキャロラインとともにエレナと学んだ友人であった。
ある事件により将来を絶望視されたものの、彼自身の持つ優秀な判断力と父譲りの勇敢さから、帝国内で若くして皇帝からの信頼をえて、将来を嘱望されていた士官であった。
ニカイドス島での尋問の傷も癒えた後は、暗黒軍の皇帝武官付親衛隊中尉の地位を与えられた。「二君に仕えず」が父からの戒めであったが、彼には戒めを破ってでも、守らなければならないものがあった。他ならぬ、ゼネバス皇帝の忘れ形見、エレナのことである。
彼は既に制式に量産体制の整ったダークホーンに乗り換えていた。緒戦で搭乗したデスエイリアンは、すぐにコアの限界を迎え作動を停止した。
ゼネバス帝国の物は使い捨てにされることを知った。目の前にいる、再会に少し瞳を潤わせた可憐な少女も、同様の扱いを受けることを思うと居た堪れなかった。
「本日の巡幸の護衛を仰せつかりました。警護の部隊が参りますので、暫くお待ちください」
コクピットから降り立ち、エレナの目の前で跪いた。
彼の形式に囚われた姿に、母国の滅亡の悲哀をまざまざと見せつけられる思いであった。
エレナもまた、彼が人質である自分の為に軍務に就いていることを知っている。一つ年上でしかないのに、シュテルマーは身長以上に離れて大人びていた。父を亡くしたことが、彼の成長を否応なしに促進させていたのかもしれない。それだけに、頼りになる兄のように、そして少女特有の淡い想いを抱きながら、遠いあの日に王宮の庭を幾度となく一緒に歩いた。ガイロス帝国軍人と化した彼を目の前にし、もはやあの頃には戻れないことを思い知らされた。
ヘルディガンナーが2機近づいてくる。式典がはじまるのだ。ふと、彼女は彼に話しかけた。
「シュテルマー、このゾイドを、私にもらえませんか」
飛行型のゾイドを所有することが、彼女の脱出を援助することになるのは判っている。それを敢えて願う彼女の言葉に、彼は少し思案した。
「このコアは生きています。共和国の技術を研究する必要もあるでしょう。幸いデッドストックになるパーツは散乱しているのだし、1機再生してキシワムビタ城で飼育することはできないでしょうか。乗って逃げたりはしません。だって、そんなことをしたら忽ちヘルディガンナーの対空砲の標的になってしまうことぐらいわかります。
お願いします。籠の中に、故郷の香りのする鳥を飼ってみたいのです」
その比喩が、何を意味するのか痛いほどに理解できた。
「善処します」
表情を変えずに、シュテルマーは答えた。
感情を交えず、冷たい口調であったが、エレナはいっぱいの笑顔を浮かべていた。彼のそんな態度は、必ず望みを叶えてくれる証拠だと知っていたからだ。
巡幸の準備を整えたヘルディガンナー部隊に向かいながら、エレナに見えぬように苦笑を浮かべていた。