『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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39(2057年)

 殺到するヘルディガンナーとヴァルガの群れを前にして、コンテナに取り残されたブローニャはリチャードの背中に震えながらしがみ付く他なかった。

 一瞬の戸惑いが二人を窮地に追い込んでしまったことを激しく後悔した。

「ごめんなさい。あの時、私がルイーズの手を握っていれば……」

 謝ってみたところで事態が好転しないのは知っている。それでも彼女の心には贖罪の言葉しか浮かばない。巻き添えにされるリチャードと彼を想うルイーズの、悲しい、そして自分に対する憎しみの表情が脳裏を駆け巡る。

 全ては自分の所為だ。

 この旅について来なければよかった。

 彼を最初から諦めていればよかった。

 あの時エレナと再会をしなければよかった。

 自分さえ、大異変で生き残らなければよかった。

(あの時、死んでいればよかったんだ!)

 彼女の心は罪悪感で押し潰される寸前だった。

 

「諦めるには早すぎます。今は冷静になりましょう」

 リチャードは、しがみ付いているブローニャの右手を強く握り、右肩越しに彼女の顔を見つめる。その時彼女の両の目からは、恐怖と後悔と罪の意識に苛まれ、大粒の涙が止め処なく流れ続けていた。

「大丈夫。きっと生き残ってみます。信じてください」

 涙でぐしゃぐしゃになり、焦点の定まらない視線の中でも、リチャードの笑顔が見えた。

 なぜ笑っていられるの。二人とも死ぬかもしれないのに。

「まずは中に入りましょう、こっちです」

 手を引かれ、薄暗いコンテナの中に入り込む。隔壁の段差に躓いて倒れそうになった時、彼はさり気なく支えて抱き寄せた。その力強さが「生き残って見せる」という彼の言葉を証明している。それだけで今までの不安が消えていった。

 分厚いコンテナの通用扉の奥に、幾つもの武器が圧縮され整然と並んでいる。そして中央に8本の歩脚と頭部の付属肢を精一杯折り畳んだエクスグランチュラが格納されていた。コクピットとハイパーレーザーファングの間に搭乗用の仮設足場が組まれている。リチャードに手招きされるまま、ブローニャは仮設足場に辿りついた。彼は特徴的な装甲キャノピーを開き起動操作をする。ディスプレイに灯りが点った。

「これで脱出します。乗ってください」

「でも、どこに……」

 操縦席には人一人座るのがやっとで、とても彼女の入り込む隙間はない。少し迷ったあと、彼は彼女の身体を引き寄せた。

「許してください。今はこれしかありません」

 膝の上にブローニャを乗せ、直後に装甲キャノピーを閉じる。

 狭い空間の中、互いの呼吸音まで聞こえる距離に身を置くのは、言い訳ができないほど刺激的だった。抱き着くことも躊躇われたので、キャノピー裏側についているフックに捉まり、何とか正面を向く。不謹慎とは思いつつも、再び彼の胸に抱かれる恍惚に浸ってしまっていた。

 射撃統制システムを立ち上げ、浮かび上がるディスプレイの照準中央に、コンテナ解放用の緊急パージスイッチに狙いを定めた。

「いきます」

 小口径ガトリング砲が火を吹く。爆煙の中にスイッチのパイロットランプが消え、次の瞬間コンテナの隔壁が四方に弾け飛んだ。薄暗い空間が一転し、砂漠の太陽が照りつける暑い戦場へとエクスグランチュラを解放した。

 8本の歩脚を一斉に稼働させ、残った台座部分から機体ごと滑り落ちる。武器を満載した状態での移動は重々しく、機動性は著しく低下している。モニターを一瞥すると、敵の先陣はエレナ達の乗ったグスタフを追撃していた。後続部隊までまだ充分な距離がある。

 機体側面に装備された箱から、ミサイルらしきものが炎を噴いて発射されるのを見た。その直後、弾丸を発射し終えた箱は機体から切り離され、砂漠の大地に砂塵を舞上げ落下する。前方のヘルディガンナーが、放たれた弾丸に貫かれたのか、黒い機体を横転させ弾き飛んだ。

 置き去りにされたコンテナから唐突に出現した重武装のゾイドは、敵の隊列を乱すには充分であった。先陣を切ってグスタフを追撃していたヘルディガンナーは、背後からの五連装ミサイルポッドの攻撃によって全機が追撃不可能となった。丁度コンテナの脇を擦り抜けようとしていた機体も、三連装衝撃砲の直撃を受け、脚部に損傷を負い擱座する。後方から殺到する敵に対し、リチャードは機体尾部のニードルアンカーを地表に突き刺し、歩脚を一斉に横滑りさせ方向を反転させる。背部に装備されたハイブリッドガトリング砲、小口径高速キャノン砲、小口径パルスレーザーガン、マクサー20㎜ビーム砲を一斉に発射した。

 機体が反動で震える。装甲キャノピーの向こう側で、重火器が唸りを上げて火を噴いているのがわかった。彼女の下で、彼は弾丸を打ち尽くした武装を次々と切り離していた。少しでも機体を軽くして、脱出への準備をしているのだ。

「見てください、味方です」

 ディスプレイには共和国軍を示す識別コードを発した機体が接近するのが表示されていた。護衛部隊の別のエクスグランチュラとドスゴドスだろう。盛んに弾幕を張りヘルディガンナーを牽制する。敵の奇襲は既に奇襲の体を成していなかった。杜撰な攻撃は、所詮杜撰な結果しか残せないのは自明であった。

 少しだけ安堵の溜息を洩らす。彼の横顔を見つめる。

 想いを告げる絶好のチャンスだ。「大好きです」と言って強く抱き着こうとした時だった。

「どこも怪我はありませんか」

 横を向いた彼と、視線が重なった。

「はい、大丈夫、だと思います」

 突然見つめ合う形となり、告白するタイミングを失う。彼も深い溜息の後、視線を前方に戻し、独り言のように語り出した。

「ルイーズさんと出会ったのも、地獄のような戦場でした」

 一瞬にして、彼女の勇気が委縮する。

(なぜ今それを言うの?)

「出会いとは不思議なものです。見ず知らずの他人なのに、初めて会った気がしない。生まれ変わりなどあるわけがないのに、まるで肉親のように遠い昔に出会っていた気がしたのです」

 一体何を言っているのだろう。それ以上、彼の話を聞きたくはなかった。両耳を塞ぎたかったが、両手は手摺を握っていた。

「あなたはあのひとの親友だからお話ししておきます。まだ打ち明けていないのですが、覚えているのです。左手を失った瞬間も、トリアージで死亡群に判定されていたことも。

 常に冷静な振りをしているのも、感情に素直になった途端、引き千切られた腕の痛みと、軍医に見捨てられた悲しみを思い出してしまうからなのです」

 左腕を少しだけ持ち上げる。

「失ったものが多すぎる。多くの戦友を失い、一時期は心までも失った。

 可笑しなもので、今でも左手が時々痒くなるのです。もう生身の腕はそこに無いのに。

 これ以上こんな気持ちを味わいたくはない。あなたはあのひとにとっての大切な友人だ。だから私にとっても大切な友人なのです。絶対に守ります」

 彼女は彼の告げた単語を、心の中で繰り返した。

(……友人(トモダチ)?)

 その時二人の機体の目の前に、突如地底からヴァルガが出現した。後続部隊の撃ち漏らした機体らしい。球体状に変形したゾイドはそのままエクスグランチュラに体当たり攻撃を仕掛ける。大きさに見合わない重量攻撃にニードルアンカーも破損し、最大の武器である小口径高速キャノンの左の砲座も吹き飛んだ。グラビティーアタックと呼称されるヴァルガの攻撃には、ガトリング砲やパルスレーザーでは到底太刀打ちできない。唯一対抗可能なのがドスゴドスのターボアクセレイションキックだが、白兵戦での武器に過ぎず、同様の攻撃法を持たないエクスグランチュラには分が悪い。逃げ回るにもヴァルガの機動性は予想以上で、追跡を逃れるのは至難のことであった。

 リチャードは精一杯機体を操縦しながら脱出と攻撃両方を試みたが、最初にヘルディガンナー部隊を撃破したことが、後陣の追撃部隊の逆鱗に触れてしまっていたらしい。執拗に攻撃を繰り返すヴァルガに次第に追い詰められていく。味方の護衛部隊との距離はまだある。二連装、三連装衝撃砲を撃ち尽くし、武装を排除した後には、近接戦闘用の武器の選択肢が無くなっていた。

 ヴァルガのグラビティーアタックを受けた瞬間、思わずブローニャは彼の首筋に抱きついていた。筋肉質だが意外に細身の胸板の温もりを感じた。胃液が逆流するような不快な振動の中、それでも彼女は訪れた至福に満足していた。

(もう、死んでもいい……)

「絶対に生き残ってやる」

 彼女の想いに抗するかの如く、彼は囁いた。顔のすぐ横、機敏に周囲を見回す彼の表情は、未だ一点の曇りも迷いも無い。戦場の緊張の中、彼女は気付いた。彼の視線の先にあるものは、単なる生への執着ではない。互いに生き残る事、ブローニャを含め、彼自身が生きる意義を認め、安易な死を否定していることを。そしてまた、その視線の先にあるひとが、自分でないことも。

 私には、無理だ。

 ブローニャは、自分が彼にとって釣り合わないことを悟った。と同時に、彼女の思考の歯車が的確に動き出した。

 彼は元ゴジュラスドライバーだ。グランチュラのような多脚式ゾイドには慣れていない。今、ヴァルガとの近接戦闘に苦戦しているが、エクスグランチュラとして新たに装備された武器ばかりに注目し、グランチュラ本来の武器に気が付いていないのかもしれない。彼女は巻き付けた左手を離し、コンソール左下に装備されているスイッチを指さした。

「電磁ネットワイヤーの発射装置です、これを使えばグランチュラはすごい速さで移動できます」

「なぜだ」

 リチャードも必死であった。

「このゾイドには慣れてます、とにかく言う通りにしてください」

 炸裂する着弾の中、ブローニャはありったけの大声を出していた。

「わかった。やってみよう」

 自信に満ちた彼女の声に、リチャードも納得した。

「まず全ての武器を捨てて、機体をできるだけ軽くします」

 言葉に従い、彼はエクスグランチュラに残されていた装甲板を含む全ての武装を廃棄した。後方で甲高い金属音がする。追撃するヴァルガに廃棄した武装が衝突したのだろう。それでも敵ゾイドの進撃を阻むことは出来ず、不気味に距離を狭め続ける。

「風を読みます。キャノピーを開けて」

 一瞬戸惑いを見せたが、彼はまた彼女の言葉に従った。

 砂塵を含んだ強風が吹いている。ブローニャは機体の進行方向と直交して吹く風の流れを読み取った。

 リチャードの握る操縦桿に、彼女は両手を添えた。

「タイミングを合わせます。合図と一緒にワイヤーを発射してください……。3、2、1、今です!」

 エクスグランチュラの尾部に備えられていた装甲板が弾け飛び、電磁ネットワイヤーが白い軌跡を残し空中へと解き放たれた。彼女がコクピットから吹き飛ばされようとする瞬間、空かさずキャノピーを閉じる。ブローニャは彼の腕に抱き留められ、辛うじて空中に放り出されることを回避した。

 グランチュラは、初期型ゾイドとしては驚異的な時速330㎞での速度を誇った。シールドライガーをも上回るこの速度を、鈍足の多脚式ゾイドであるグランチュラが為し得たのは、このゾイドが蜘蛛型であったからだ。

 電磁ネットワイヤーは風に乗って長さ数十mから百m弱に亘って射出されると、一種のマグネッサーシステムとなって機体を空中に舞い上がらせた。蜘蛛が宙を舞うバルーニングという行動である。風を読み、機体を宙に舞わせることによって、その瞬間だけ驚異的な速度での移動が可能となるのだ。

 エクスグランチュラはその重武装のみに着目され、グランチュラ由来の電磁ネットワイヤー射出装置は看過されていたが、機体にはその機能が残されていた。虫族であるブローニャにとって、少女の頃に何度も親しんだ操縦法が生かされたのだ。時速300㎞には至らないものの、武装を解除されたエクスグランチュラは彼女の言葉通り驚異的な速度で砂漠の地表面を滑るように移動した。標的を失い、ヴァルガの追撃に隙が出来る。ブローニャは続けて別のスイッチを指さした。同じく多脚式ゾイドであるガイザックに装備されている武装だ。

「ポイズンジェットスプレーです」

 彼が無言で視線を彼女に向け少し目を見開いた。それだけで全てが通じたようだ。嬉しかった。

 グラビティーアタックを解除し再び一機のヴァルガが接近してくる。エクスグランチュラは歩脚を最大限に開き「尻尾を巻いて逃げる」という表現そのままに、後ろを向いて退却の姿勢をとった。ヴァルガの機首が下を向く。体勢を整えまたグラビティーアタックをかけるつもりだ。

 機体の尾部をヴァルガの正面に向ける。破損したニードルアンカーを持ち上げる。ニードルアンカーのシリンダーの下から現れたのは小さな噴霧装置だった。射撃の軸線は確実にヴァルガを捉えていた。

「いっけー!」

 叫んでいたのはブローニャだった。尾部から放たれたポイズンジェットスプレーが、見事にヴァルガに命中した。グラビティーアタック直前の、球状に変化する前の中途半端な三日月型のまま、ヴァルガはシステムフリーズを起こし、その場で固まった。そして後続の機体も凝固したヴァルガに衝突し進路を塞がれる。

「もう一発!」

 またブローニャが叫び、呼応してポイズンジェットスプレーが発射された。2台目のヴァルガが地表で擱座し、周囲には当面の敵の姿が無くなった。

 見れば、遠方にいた他のエクスグランチュラとドスゴドスが接近し、装甲コンテナを牽引したグスタフと共に集結していた。ヘルディガンナー部隊が退却を始め、ヴァルガも地底へと潜って行く。残された2機の擱座したヴァルガは共和国軍によって鹵獲された。脅威は去ったらしい。

 いつの間にか、ブローニャはリチャードにしっかりと抱きついていた。頬の髭がざらついた。

「あの……」

「ううん。わかってる。でも今は……」

 彼が何を言わんかは知っている。でも、今はこうさせてもらおう。

 ブローニャは目を閉じ数分間、そのままの姿勢でいた。

 

                   ※

 

「あなたが好きでした」

 夕日の沈む砂漠で、互いの無事を確認した後、エレナの前でブローニャはリチャードに告白(カミングアウト)をした。

 なんだろう。恋が破れたのに、この晴れ晴れとした気持ちは。

 周囲にはヘリックを含めた共和国軍兵士が、ゼネバス皇女護衛達成とは別のイベントで盛り上がっていた。戦闘が終わった憩いの時間、見つめ合う三人の男女を囲み、多数の兵士が沸き立っている。

「ルイーズ、こちらまでお願いできますか」

 ブローニャは振り向いて、エレナを手招きする。彼女の想いを知るエレナは、恐る恐る歩み寄る。当惑しているのは明らかだった。そんなエレナを前に、ブローニャは吹っ切れた笑顔で告げた。

「もう、諦めました。彼の心を覗いたら、あなたのことしかないんだもの」

 怪訝な顔で、エレナはブローニャを見つめる。

「でも、けじめをつけさせてね」

 次の瞬間、ブローニャはリチャードに跳び付き、右の頬にキスをした。

 兵士達から一斉に歓声が上がる。

 夕日に染まったリチャードの顔が、更に紅潮した。

「ちょっと、みんなの前でしょ」

「これでおあいこ」

 驚くエレナの左頬にも、ブローニャはキスをした。

「これで返したわよ」

 ますます歓声を上げる共和国兵。目の前に大統領がいることも忘れているようだ。

「二人ともお幸せに。平和な家庭と世界を作ってね、リチャード・ジー・キャムフォード。

 そして、ルイーズ・エレナ・キャムフォード!」

 思いきり背中を押されたエレナが、リチャードの胸の中に飛び込んだ。

 歓声は最高潮に達した。

「若いことは素晴らしい。きっと彼らが、新しい時代を築いてくれるだろう」

 慈愛と羨望が入り混じった視線を、ヘリックが投げ掛けていた。

 この旅で見た何度目かの砂漠の夕日は、今日だけは称賛の輝きを放っていた。

 

 旅の終わりに、二人は結ばれた。

 


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