『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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37(2057年)

「人とゾイドとを幸せにするという目的は素晴らしい。しかし君個人の力が及ばない場合はどうするのかね。厳しい事を言う様だが、理想を高く掲げても、実現出来なければ意味は無い。草の根で一人一人に呼びかけ、互いの幸福を尊重し合う利他的精神を民衆の中に根付かせることは可能だが、この広い中央大陸、若しくはこの惑星全体にその意識を広げるのは個人の力では不可能だろう。それにどの様に答えるかな」

 エレナは口を噤んだ。ヘリックが核心を突いてきたのだ。彼女もわかっていた。その問いかけへの納得できる解答を準備できないでいた。

「国家とはその為に存在するのだと思います」

 物静かな口調で、リチャードが二人の会話に滑り込んできた。

「先ほどルイーズさんが言っていた様に、人は定められた枠組みを求めます。最低単位である家族という集団であれば、家族の幸福を思いやることは簡単にできます。一般に執着と愛情は不可分なのですから。国家という組織は、狂信的愛国主義(ショービニズム)と博愛主義の狭間で常に揺れ動いています。国家の品格とは、そこに所属する民衆の意識と知識水準によって定まります。それが高ければ自国のみならず他国のことも思いやることができますが、突然近代化の波に揉まれアノミーに陥った大衆をどの様に指導していくかは、国家の指導者に託された最大の責務です。

 人は定められた量の器の中に理性と感情を湛えたまま行動します。民衆が激情に駆られて理性的な行動が出来ないのなら、感情に訴えて理性的な行動を律すればいい。個々に分断された個人も、ある象徴の下に纏めても良いと思います」

 ヘリックの口元が僅かに綻んだ。

「君の意見も聞いてみたい、具体的にだ」

 エレナとヘリックの論議が、いつの間にかヘリックとリチャードのそれに移行している。それが、ヘリックの策略と彼女たちが気付くのは後のことであるが。

「私はルイーズさんがゼネバス皇女であることを知ったのは再会の翌日で、それまでは優しくて立派な従軍看護師としか思っていませんでした。

 驚きました。でも、不思議な事に違和感が無かった。心のどこかに、やはりそうだったのかという気持ちがあったから。エウロペを流離(さすら)う間、何度もあなたの姿を思い描いていました。何かが違うのです、あなたの持っているものは。

 カリスマ、という言葉を安易に使いたくはありませんが、あなたは輝き(カリス)を持っている。女性としての美しさだけではなく、人間としての美しさも。

 ゼネバス帝国皇女という血筋は、伝統的な支配の裏付けとしては充分な価値があります。正式に宣言が承認されれば、その血統を最大限に利用しても良いと思います。

 そしてその後に、合法的な支配に移行すればいい。中央大陸に真の共和政が訪れるのは、時間は掛かるかも知れませんが、性急に動いて(つまず)くよりは遙かに正しい方法だと思います」

 ヘリックの瞳が喜びに溢れるのがわかる。老獪な政略家の前では、2人の若者を己の思惑に導く事など造作もなく、リチャードもエレナも、様々な意味で見事に彼の術中に嵌っていた。リチャードがヘリックの術中に嵌ったのか、それとも嵌ったふりをしていたのかは判らない。いつの間にかリチャードは、秘めてきた思いを曝け出し、エレナは会話を聞きながら身体が火照っていった。虫除けのために羽織った上着の所為ではなかった。

 ヘリックは身を乗り出す。駄目押しの段階に来ていることを察知したのだ。長い話が始まった。

「君は優秀な人物のようだ。人格的にも優れていることは認めよう。失った左腕以上のものを、あの人物の住むあの場所から得られたのだろう。

 だから私は賭けをしてみようと思う。中央大陸を束ねる大統領の言動としては軽率であるとルイーズにまた叱られるかもしれないが。

 私もあの大異変で多くの貴重な人材を失った。そして私自身も老いた。いつ弟ゼネバスの後を追うとも限らない。その為にも、私の意志を継いでくれる人物を探し続けて来ていた。

 また、あの日私はゼネバスから委ねられた。「娘を守ってやってくれ」と。その約束を果たせぬまま逝けば、そこでもまた弟に責められてしまう。だからルイーズの身近にいて、守り抜ける人物を探し続けて来た。

 そしてもう一つ。今後世界は中央大陸と暗黒大陸という区分だけでは理解していくことは不可能だ。世界を知らぬ者は、自分の国も知らぬ者だ。ここ西方大陸を含め、広い世界に目を向け、人のみではなく、ゾイド、そしてこの惑星をも一つの巨大な生命体として目を向けられる人材を探していた。

 私は自分がこの世を去った後、遺言としてこの共和国を連邦制に移行し、分割統治させる心算(つもり)だ。自惚れでは無く、残念ながら今この中央大陸全土を統治できる人材は、私以外には存在しないだろう。幸い、といっては失礼かもしれないが、今はガイロス帝国も他国の侵略どころではない。各地域を州に分割し、その地域の実情に沿った統治を各知事に行わせ、一刻も早く大異変からの復興に取り組ませる。被害は地域によって多種多様だ。中央政府からの通達を待っていたのでは小回りが利かない。それに、未だに共和国への編入に(わだかま)りを持つ旧ゼネバス帝国領の地域でも自治的な組織を立ち上げれば、幾分でも感情的には和らぐはずだ。明日のカシル村での会談が成立し、ガイロス帝国代表の立ち合いの下、ルイーズの言う高度な自治を行う新しいゼネバス帝国が建国できることが理想だがね。

 私の最大の過ちは、後継者の育成を怠ったことだ。長引く戦争を戦い抜く為と、緊急回避的に為政者の地位に就き続けて来たが、気が付いてみれば後人を育てる暇もなく、自分一人が突出して前方に取り残されていたのだよ、あの日のキングゴジュラスのように。

 息子には、絶対に為政者にも軍人にもなって欲しくは無い。世襲制の誹(そし)りを受けてしまうからだ。息子が成長し、自らの意志でその進路を決定するのであれば止むを得ないが、その頃には、当然私はこの世にはいないだろう。私の力が全く及ばない所で政治や軍人の道を目指すなら、それまで否定する権利は親にはない。

 必要とされているのは、今私が(たお)れた後の責任を直近に果たせる人材だ。その為には残り少ない人生の中、大統領権限を発動してでも期待される人物を早急に育成し、後任にあてることも厭わない。私が建てた共和国は、本来民衆によって草の根から支持される人材こそを必要としているが、戦争が私の時間を奪った。これが大いなる自己矛盾であることも理解した上で、後継者を置きたいのだ。

 リチャード君、ここまで話せば、私が何を言いたいかわかるだろう。

 私の賭けにつき合ってくれるかね」

 それまで優しげな瞳をしていたヘリックが、鋭い眼光で彼を見据えた。

 リチャードも視線を逸らさずに共和国大統領を見つめる。

「重大な職務をお受けする以上、幾つもの確認したい項目はあります。ただ、今はこの一点だけ閣下にお伺いしたいと感じます。

 私という人間を認めて頂き光栄です。ですが閣下に於かれましては、この狭いグスタフの荷台の上、限られた人材の中で私を比較されているのではないかと懸念しております。政治に関しては白紙の上、エウロペに関しても私以上に詳しい人物は多くいます。旅の疲れの為、目測を誤られているのではないのでしょうか」

「私を見縊(みくび)らないでくれたまえ」

 舌鋒鋭く切り返す。

「老いたとはいえ、人を見ぬく眼力だけは衰えていないつもりだ。君に充分な素質があると見抜いた上での判断だ。それに先ほど言ったはず、これは賭けなのだ。

 天空から飛来する彗星を回避できないように、時に偶然は残酷な結果を(もたら)すと同時に、思いもよらない幸運を(もたら)す場合もある。楽あれば苦あり、などという御題目は懲り懲りだ。時には苦あれば苦あり、楽あれば楽ありの場合だってある。全ての事象は無慈悲に存在し、人の努力など無視して進行する。私は君に賭けてみたい。もし君が無能な人物であれば、それは私が賭けに負けることだ。その時は、君の生活だけは保障する約束をしよう。

 先ほど言ったね、君が政治に関しては白紙状態だと。私は政治をするため政治家になって欲しいのではない。人々の幸せを願うために政治家になって欲しいのだ。今私の周囲にいる人材は優秀だが、政治に浸かりすぎて周囲が見えなくなっている者も多い。広い世界と遠くの未来を見通せる人材が欲しい。そして見出したのだよ、君を」

 エレナは一言も発することが出来ず、二人のやり取りを聞いていた。リチャードが、ヘリックに向かって無言で(うなず)くのを見るまでは。

 直後に、背もたれに身体を委ね、微笑むヘリックの姿があった。深い安堵の溜息とともに笑い声が響く。

「もう一つ、君を選んだ理由を言っていないのだが、ここで確認するべきかな」

 カップを持って視線をエレナに向ける。

「男には女が必要なのだよ、女も同様にね。ヒトは数学的に性染色体の結合により両性同数の誕生は決定づけられていて、生物学的にも両性は支え合って生きていくように出来ていると、シュウの奴が理屈を()ねていたが、要は互いの気持ちが大切だとは思わないかね。つまりだ、お互いが好きだという感情こそが……」

「閣下、そこまでで結構です」

 リチャードが慌てて言葉を遮る。今度は彼が額の汗を拭う番だった。伯父ヘリックも気が付いていたのだ。

 一歩目を踏み出した時には、到達地点は遠く雲上に浮かび、容易に手に届かない場所にあることも知っていたが、彼は同じ目標に向けて歩むことを約束してくれた。権力を得る事が目的ではないが、目的を達成する為には必要なものだと。

 


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