『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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36(2057年)

 砂漠の地平に浮かぶ二つの月が、仮設デッキの手摺の影を長く伸ばしている。丁度直角になる影を描いて蒼い光が夜空に輝く。周囲を固めて待機するエクスグランチュラのゾイドコアの微かな鼓動が聞こえるほどに、砂漠の夜は静かに更けていく。少し遠くに、補給物資を搭載した同仕様のグスタフが4機並んでいた。

 警戒の為とヘリックの提案により、敢えて灯りを燈さないままテーブルが準備されていた。満天の星空と月明かりに白く輪郭が縁取られたヘリックが、無言で夜空を見上げている。その届かぬ視線の先には、宇宙へと飛び去った移民船と、星になった無数の魂が映るかのように。

「お待たせして申し訳ありません。伯父さま、こちらにどうぞ」

 エレナは、時折飛来しては小さな刺し傷を残す羽虫を避けるため、無機質な砂漠色の軍服を羽織っていた。有機生命体にとって過酷な砂漠でも、他の生物の体液を吸いながら生きる命が存在していたのだ。

「星空の下で味わうのも好いだろう」

 軽く礼を言うと、ヘリックはゆっくりと腰を下ろした。テーブルには四つのカップが置かれ、二つの空席が残っている。紅茶を注ぐ仕草に伴い、エレナの胸元でゼネバスの紋章が金色に煌めき、時折涼やかな音を奏でる。旅の間に幾分日に焼けたとはいえ、彼女の白磁の様な肌が浮かび上がる。先にカップを手にしたヘリックは、一口紅茶を含むと、エレナを見つめ陶然とした溜息をついていた。

「私も娘が欲しかったな」

 エレナは静かに微笑んだ。

「御冗談を。ローザ様は娘と同じではありませんか」

「これは手厳しい」

 ヘリックは苦笑しながら額の汗を拭う。月明かりの中、無邪気に笑う老人の姿は、とても長年共和国軍を率いて戦い抜いてきた指導者には見えない。それは個人として最愛の人を想う平凡な夫の姿だった。

「お邪魔します」

 軽食を携えたブローニャがテーブルにトレイを置くと、深く目礼を行う。

「構わんでくれ。堅苦しい挨拶は息抜きにならぬよ。丁度良かった。いまルイーズに責められていたところであったのだ」

 空いている椅子を示し、ヘリックは気さくにブローニャに席を勧める。恐縮しつつも、彼女はもう一度礼をして着座した。

「ルイーズもひどいです。大統領閣下も一緒だと言ってくれないんだもの」

「いいじゃないですか、人数が多い方が楽しいし。それに閣下も若い女性に囲まれることをお望みでしょう」

 悪戯っぽくエレナが笑う。ブローニャのカップにも紅茶が注がれた。

「失礼します」

「リチャード君、助けてくれたまえ」

 来る早々に助けを求められた彼は当惑している。

「弟もやり込められていたと聞いていたが、ルイーズには敵わんよ。もう君に縋る他ない」

「失礼な。父とは関係ありませんわ」

 そう言いつつ、今は微笑みながら父ゼネバスの話が出来る自分に気付き、時間の着実な流れを実感した。そしてまた、目の前にいる大統領ヘリックと父との違いを知った。孤独な皇帝であった父は、自分の弱さを見せることが出来なかった。母、マイケル、そして娘である彼女自身と、支えるべき人々が次々と去って行った。どれほど優秀な家臣を有していても、心の許せる家族の温もりを失った時から、父の心は追い詰められてしまったのだろう。ヘリックは一介の案内人に過ぎないリチャードに対してさえ、自分の弱さを曝け出すことの出来る強さを持っていた。それ故に彼は偉大なのだと。

「カシル村までの日程を説明してやって欲しいのだが」

 席に着いたリチャードに、二人の女性に目を遣りながら、汗を拭ったヘリックが問いかける。立ち上がり敬礼をしようとする彼を制し「座ったままで」と(ささや)いて。

「ドスゴドス小隊が先行し、進路の確保を行っているそうです。磁気嵐はここ数日収まっていますが、警戒は必要です。カシル村には、まだガイロス帝国代表は到着していないと聞きました。恐らくは、私達と同様に村から離れた場所で野営をし、明朝合流場所に到着するものと思われます。代表団こそ確認されてはいませんが、敵の護衛部隊と思われるヘルディガンナー数機を察知したそうで、間違いなく接近しているものと思われます」

 エレナは嘗てキシワムビタ城の周囲を睥睨していた黒い機体を思い出した。そのゾイドだけは、未だに好きになれないでいた。

「正直なところ、私もこの講和が円滑に成立するとは思っていない」

 リチャードの言葉が終わると同時に、幾分声を潜めてヘリックが告げた。

「それでもガイロス帝国が私の和平への呼びかけに応じてくれたことを評価したい。わざわざ希少なディオハリコンを装備した暗黒ゾイドまで送り込んで来たということは、彼らもこの会談の重要性を認識しているに違いない。あの国も、大異変後は一枚岩ではなくなったようだ。無論、何らかの謀略を警戒する必要もあるが。

 今回は私とルイーズが直接出向くという最大限譲歩した形で漸く話し合いの席を設けることができた。この会談が、今後の両国の共存と繁栄への手掛かりになることを望みたい」

 星空の下で語られるヘリックの言葉は、彼の平和への強い意志を示していた。

 同時に、エレナは自信に満ちた伯父の言葉の端々に、時折垣間見せる焦燥感のようなものを感じ取っていた。

 この時既に、彼は老いによる身体の変調に気が付いていたに違いない。偉大な共和国初代大統領は、自分が間もなく弟の後を追うことを知っていたのだろう。彼は戦争終結を急ぐ余り、キングゴジュラスという究極の破壊兵器投入の承認し、結果的に惑星大異変(グランドカタストロフ)を誘発させてしまった。そして今、ヘリックは自分の存命中に和平を成立させるために、別の形振(なりふ)り構わない方法で今回の会談を設けた。でなければ、共和国大統領と、ゼネバス帝国の忘れ形見といえる人物が、無防備な砂漠の真ん中に飛び込んで行く危険を冒す事を説明できない。

 一方帝国側では、この頃皇帝ガイロスが大異変を機に退位を考えていたといわれる。理由は、当時成人した皇太子が、心身ともに衰えを見せてきた父に代わり、荒廃した国土再建のため精力的な活動を開始していたからだ。

 若き皇太子は、信頼できる側近(主に青年将校)とともに地軸や海流の変化を有意に利用し、生活の基本となる食糧生産のための耕地改良を幅広く開始した。それまで戦闘用として重用され続けて来たゾイドを一斉に耕作地に投入し、更にはゼネバス製の小型ゾイドを民生用に改造して農業関係者に供与した。

 数千年から数万年の間、永久凍土層に蓄積されていた腐葉土は、大異変後の温暖化による融解によって豊かな穀倉地帯を生み出していた。そのため農業改革の僅か半年後にして、ニクスの大地には信じられないほどの大量の穀物が実を結んだ。尽きることの無い大地の恵みは、帝国臣民に嘗てない豊かさを享受させ、同時に皇室への帝国臣民からの支持を広く集めることとなる。

 若き皇太子が信頼の絆によって臣民達を豊かにする光景を目の当たりにした時、戦いに明け暮れ、激しい猜疑心故に同族でさえ粛清を続けた皇帝ガイロスにとって、自分の時代が終わったと実感するには充分であった。

 臣民の生活の豊かさが、同時に思想的な多様性を育んだことは以前に述べた通りである。大陸間戦争を通し、ヘリック共和国に触れる事によって中央大陸から吹いた自由の風は、ニクスの地の人々にも新しい息吹を齎した。大異変の惨禍を経て気付いたことも多かったのだろう。単なる形式的な後継から、新たな国家の礎を築ける為政者として、皇帝ガイロスは皇太子に大いなる期待を抱いた。そしてその皇太子から提案されたこと。それが帝国議会の開設であり、共和国との和平であったのだ。それまで自由な言論の場も持てなかった帝国に、身分や家柄によって選出が制限されているとはいえ、仮初にも帝国議会というものが創設されたのである。時期を同じくして共和国ヘリック大統領、そして皇帝ゼネバスの遺児エレナ・ムーロアの連名による講和会談の提案を、ガイロス帝国議会は受け入れたのだった。

 

「あの戦争の惨禍は絶対に忘れてはいけません。

 同時に人はいつまでも憎しみだけで生きてはならない。憎悪の炎は、恨みを晴らさない間その人の心を苦しめ続けます。恨みを晴らしても刹那的に嗜虐心を満たす以外何も残らず、破壊と新たな憎悪の感情を生み出すだけ。過去に犯した過ちを永遠に責め続けていたのでは、互いに理解し合う機会を失います。

 許し合い、尊重し合ってこそ、新しい時代が築けるのです」

「でも、愛する家族や恋人を殺された人たちにとって、敵を許すことなどできるのでしょうか。もし私だったら、“敵を許してあげなさい”と言われても、とても耐えきれない」

「ブローニャ、耐えるのではなく、受け入れるのよ。戦争という大量殺戮に正義なんかありません。それは互いに自分の正義を振りかざした結果なのだから。見知らぬ隣人が無言で侵入して来れば誰だって身構えるでしょう。けれどもし、その人の家で火事が起こっていて、救済を求めていると知ったならば、きっと人は手を差し伸べると思います。

 人は本来優しい生き物です。相手の立場を思いやり学ぶことによって、譲歩は可能になります。

 自分が犠牲になるのではありません。相手を思いやればこそ、相手の間違った態度や甘えた姿勢には、毅然として指摘するのも優しさです」

「ルイーズさんのお話しに私も賛成です。例えとして、憎悪の感情を痒みを伴う小さな虫刺されのようなものと考えてみてください。最初に丁寧に薬をつけて、気にかけずにいればいつの間にか消えてしまうものであっても痒みに任せて掻き毟れば、刹那的には快感を味わうことができる。だが掻き毟られた皮膚は赤く腫れて、痒みは更に激しくなる。それでも掻き続ければ、最初小さかった物も皮膚に毒を回して大きく広がり、やがて大きな傷跡を残すことにもなる」

「リチャードさんの言うように消えてしまうものもありますが、小さな虫刺されでも猛毒のものもあります。症状の本質を適確に分析し、適宜対処しなければなりません。一番いいのは虫に刺されないようにすることで、その為には多くの知識と経験が必要です」

「私たちは無数の命の犠牲によって、充分すぎるほどの知識と経験を得ました。私自身も左腕を失って。だから今後我々は、恨みを晴らす為にその知識を使うのではなく、共に歩み、互いに繁栄するために生かしていくことに使いたい」

「そうです。それが生き残った者達の義務であり責任であるのではないでしょうか。もう国家や国境に拘る時代は終わりにしたい」

「じゃあ、国家という枠組みに拘らないのであれば、なぜルイーズはゼネバス帝国の復興を願うのですか」

「残念だけど、全ての執着を拭い去る事の出来る人は、私を含め殆どいません。いまウルトラザウルスの格納庫ほどの部屋を個室に与えられたと想像してみてね。中を自由に使って良いと許可されても、結局は隅の壁際に寄りかかかってしまうのではないでしょうか。それもまた、人の特性なのだから。

 大きくは国家、小さくは家族という集団に所属することで、人は安心感を得られる。いつの日か人々の心が平和に満ち溢れれば、国家も国境という概念も不必要となるでしょう。だけどそれが実現するには人の歴史が終わるまでかかるかもしれない。

 我儘で、自分勝手で、感情的になれるからこそ、人は明日を生きられるのかもしれない。それを全否定することが、如何に愚かしいかもわかっています。だからこそ、非武装でありながらも主権を有する国家という枠を再興する必要があるのです」

「私にとってゼネバス帝国が復活するのはとても嬉しい。故郷の青い空とミストラルが流れる景色が懐かしい。でも、一つの大陸に二つの国ができるのは、また戦争のきっかけにならないのでしょうか」

「仮にゼネバス帝国が今、もとの軍事国家という形で再建されたとしても、最早ヘリック共和国の存在なくしては成立し得ません。戦争をすることで国家が繁栄する時代など終わってしまった。必要なのは国家としての尊重、いいえ、その大地に住む人々への尊重です。シュウが言うように、中央大陸は広い。とても一つの物差しでは計り切れない。

 虫型、恐竜型、虎型に鳥型。色々なゾイドがいたから、この星の生命は成長していった。

 みんなが違ったことをしてきたから、人の社会は成長した。

 私たちは、例えば連邦共和制という形で地域の独自性を発揮させ、そこで統治を行ってもいいと思う。それが大陸西側の旧帝国領であれば、その地域に適合した政治形態で」

「そこまでお話を聞いてしまうと、どうしても具体的な事が知りたくなってしまいます。どうでしょう、支障がなければルイーズさんの考えを聞いてみたい。あなたが築く新しいゼネバス帝国とはどんなものになるのかを」

「そうですね。伯父さまには机上の空論と諭されるかもしれません。けれども私は可能性に賭けてみたい。

 良い機会です。伯父さまもあの宣言の施行後に考えていたことをお聞き願えますか」

「……是非とも聞いてみたいね」

「はい。大統領閣下を前にして僭越ですが、忌憚のない意見をお伺いしたいと思います。

 私が望む新たなゼネバス帝国は、高度な自治を有する国家です。独り立ちできる能力を備えてからこそ、国家の独立は適うもので、独立に拘るだけでは危険です。主権や経済基盤も満足に整っていないのに闇雲に独り立ちすれば、権力は在らぬ方向に暴走してしまい、国民が飢餓に苦しみ経済破綻が発生してしまうかもしれない。必要なのは国家のプライドよりも国民の幸福なのです。

 死者は蘇らない。ならば生きている者が互いに感謝をしながら精一杯努力する他ない。“ありがとう”の言葉の強さを、私たちは知っている。一人だけで幸せになるよりも、みんなで幸せになる方かずっと簡単だし、豊かにもなれる。それこそが、死んで逝った者達への最大の(はなむけ)であると信じます。この惑星に生きる人間と……」

「……ゾイドと共に」

 最後の言葉を閉めたのはリチャードだった。

 エレナは会話を通して心地よい緊張感を味わっていた。彼の考えが手に取るように判り、また彼も自分の考えを汲み取ってくれる。滔々(とうとう)とした水の流れの如く、互いの気持ちが響き合い、忖度(そんたく)し合える関係にあることに、改めて気付いていた。

 一緒にいて楽しい。そして安心する。見ている景色が同じなのだ。キリンディニ宮で共に過ごしたからこそ、共通の意見となったのかもしれない。会話を通して互いが互いに影響を及ぼし成長させている。側にいることがこれほど居心地いいのは初めてだった。それは、護衛官として一方的に保護されてきたキャロラインや、憧れの男性であったマイケルと一緒だった時よりも、同じ視線で立っていることへの喜びだ。

 もっと一緒にいたい。ずっと一緒にいたい。

 エレナは心の底から感じていた。

 その人を想う度に締め付けられるような胸の痛み。理屈では割り切れない感情。それは友情でもあり、尊敬でもあり、恋愛でもあった。

 漸くわかったことがある。

 私はこのひとを愛している。

 誰にも負けずに、一生を共に歩んでいく自信もある。

 死が互いを別つまで、いつまでも支え合って生きていきたい。

 だからこの気持ちを、旅の終わりに伝えよう。

 ヘリックは黙って二人を見つめている。ブローニャが少し寂しげな表情を浮かべていた。

 月光に、エクスグランチュラの砲身が鈍く輝いている。

 夜の砂漠はまるで海原のようであった。

 


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