『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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35(2057年)

 人の出会いと絆の不可思議さを感じる余韻も無く、時代は淡々と流れていく。

 エレナがヘリックからの書簡を受け取ったのは、彼女がエウロペに渡ってから半年後、リチャードと再会した翌日であった。

 

 夕日を浴びながら、彼は病室の窓際に佇んでいた。デスピオンとの戦いで抜け落ちた左腕の義手も機能的には故障もなく、二の腕の接合面でのビス交換を行うだけで確実に再起動した。

「そこにいたのですか。気付かず失礼しました」

 振り向いたリチャードの瞳には溢れんばかりの生気で満ち溢れていた。

(完全に、回復したんですね)

 地獄のような戦場から脱出した直後の彼の姿を思い出し、自分のしたことを誇らしく感じていた。誰かを助けることが自分のこと以上に嬉しく思えた。そしてもう一つ、別の感情も。

 後ろ姿を見た瞬間、エレナは締め付けられるような胸の痛みを感じた。呼吸が苦しく鼓動が早鐘の様に打ち付ける。その感情が何なのか、彼女自身も知っていた。

「探し物は見つかったのですか」

 旅立ちの際に語った夢を訪ねると、微笑みながら頷いた。

「見つけました。素晴らしい奴らです」

「よかった」

 会話は断片的であったが気持ちが通じ合っている。

 彼にとっても、エレナは忘れ得ぬ女性となっていた。

「あの……」

「御用件があれば一階のナースセンターに寄ってください。まだ少し仕事が残っているので、後ほど」

 何かを言いかけたリチャードを後にして、エレナは病室のドアを閉める。

 これ以上彼の顔を見ていたら気持ちを抑えることなどできなくなる。閉じたドアの反対側で、胸に手を当て大きく溜息をついた。

 顔を上げると、少し離れた廊下の突き当たりに両手を胸の前で組んだブローニャが何かを思いつめるような表情で佇んでいる。

 彼女の視線は、エレナではなくエレナの凭れ掛かるドアに注がれていた。

「ルイーズは、リチャードさんとはお知り合いなのですよね」

 彼との出会いはデスピオンとの戦闘後に簡単に説明をしていた。その運命的な再会に、セーラブ軍医を含めて周囲の職員全員が感嘆した。職員の中には、未だエレナがゼネバスの娘と知らぬ者もいて、祝福とも冷やかしとも取れる言葉を投げかけた。事実、エレナの中でも同じような感情が湧きだすのを押さえられず、まして嘗ての父を思わせる風貌が彼女の想いを募らせた。

 そして同様の感情を抱いたのは、エレナだけではなかった。

「あの人は、自分が傷つくのも恐れず私を助けてくれた。左手がぶら下がっているのに立ち上がってにっこり笑い『怪我はありませんでしたか』と右手を伸ばしてくれた」

 日暮れの診療所の中庭。二人の女性の影が夕日に溶け込もうとしている。

「戦争と大異変で荒廃した世界の中、彼は希望を捨てずに探し求めた夢を見つけた。何事にも恐れず突き進む姿に憧れます。

 あなたと彼との間にどんな過去があるかは知らないけれど、私もあの人との運命を感じました。この気持ちを隠したくはないのでお話ししておきます。

 私はリチャードを愛しています」

 ロブ平原を一陣の風が吹き抜けた。

 

 第一次大陸間戦争に於けるヘリック共和国とガイロス帝国間での講和条約は、惑星大異変(グランドカタストロフ)による混乱以降、正式な締結がなされないまま経過していた。

 共和国側では、ゼネバス帝国との中央大陸戦争から数え約80年にも及ぶ戦乱が続いた。人知を超えた宇宙からの鉄槌を、戦いに明け暮れてきた人々がこれ以上の戦闘継続への警告と受け取ったのも想像に難くない。厭戦感の高まる共和国内世論を受け、ヘリックは講和会議開催の提案をガイロス帝国側に申し出たのだった。

 主眼となるのは、両国間の恒久平和の維持、武力による国際問題解決を放棄し、常に話し合いによる解決を目差すというものである。この際、共和国側からの提案であるため会見場の指定は西方大陸という条件だけを示し、帝国側に任せるという最大限の譲歩を行う。そして共和国・帝国双方にとっての第三者的な立会人の存在が必要とされた。

 共和国側に保護されているとはいえ、誰もが想像する人物。旧ゼネバス帝国の後継者エレナが再び歴史の奔流の中に巻き込まれるのは正に時代の必然であった。

 レッドラスト、カシル村。帝国側から会見場として提示されたのは、両軍西方大陸基地のほぼ等距離にある移民村であった。

 

 レッドラストは北エウロペの低緯度高圧帯に位置する、その名の通り赤い砂漠土に覆われた広大な乾燥地帯である。酸化鉄やボーキサイトを豊富に含み、有機体の生物にとっては死の世界でも金属生命体ゾイドにとっては豊穣な栄養分を抱いた場所であった。中央大陸産の同種のゾイドであっても、機体の成長時に取り込まれる金属成分によって若干の差異が認められる。全ての個体に当てはまる訳ではないが、中央大陸戦争時と西方大陸戦争時にゾイドの機体の色彩が変化した理由に、この西方大陸独特の風土も影響していた。

 グスタフのコンテナに設けられたロイヤルルームとは名ばかりの一画で、エレナはカシル村に向かっていた。終息傾向にあるとはいえ時折発生する磁気嵐によって停止を強いられる。エレナは部屋の中で大きく伸び上がり欠伸をした。

〝さすがに飽きて来たかな、ルイーズ〟

 正面に備えられたケーブル通信のモニターに、見慣れてしまったヘリックの顔が映った。欠伸をかみころし涙を拭きながら、エレナはモニターに応える。

「これから誰もが成し得なかった重要な会議が開かれるのです。今から緊張していては肝心な場面で身体が持ちませんので」

 モニターの向こうでヘリックが笑っていた。

 

 診療所に大統領の書簡が届いた後も、エレナは怯まなかった。

「ちょっとだけ、出かけて来ます」

 それが自分に課せられた義務であれば喜んで受け入れるものと覚悟していた。内容を知ったブローニャが不安そうに見つめる。

「和平は成功すると思う?」

「無理でしょうね」

 エレナは即答した。

「時期が早すぎます。互いに和平への気持ちが醸成されていないのに、一時の世論に押されて講和会談を行っても流会するだけでしょう」

「ではなぜ、あんたはそれに出席するんだい」

 セーラブが幾分批判めいた口調で問いかける。彼にしてみても、彼女がこの場所を離れることに賛同していなかった。

「失敗すると判っていても試みることは大切です。何度失敗しても少しだけ前に進めればいい。私はその為に出掛けるのです。そして戦争で手や足、そして命を失う人がいなくなれば私も幸せな気持ちになれるのですから」

 エレナは微笑んで応え、西の方角を見つめる。

 セーラブ達に引き留める言葉は無かった。

 

 エレナにとって心強かったのは、カシル村までの移動に際しリチャードが水先案内人として随伴してくれていたことだった。

 元共和国軍人であり、エウロペの深部にまで徒歩で走破した経験を持つ彼に、未だ充分なエウロペの情報を持たないエレナたちが同行を求めるのは自然な流れと言えた。

 移動の為のグスタフのコンテナは数台に分けられている。要人であるヘリックとエレナの区画は、万が一の事態に備えてそれぞれの列の最初と最後に分けられ容易に行き来することができない。電波障害に対応する為、二人のコンテナの間には通信ケーブルが備えられ会話を行うこともできたが、それは所詮味気ないものである。

 それよりも、エレナは隣のコンテナに設けられたリチャード達が待機する区画に何度となく訪れていた。

 進路を探る地図の前で、彼は数人の兵士と共に会話していた。大異変によって磁気が変化し、コンパスは頼りにならない。従ってポイントとなる地形と大異変前の地図を元に光学機器での測量によって進むことになる。大陸各地を彷徨し地形を良く知るリチャードの存在は、共和国の兵士たちにとっても心強かった。

 広げた地図を見ながら、彼は額の汗を拭う。彼女の区画と違い一部吹きさらしであった。磁気嵐が続いているとはいえ、砂漠では砂嵐の方が遥かに恐ろしい。

 グスタフの進路とは外れた地平に砂塵が渦巻いていた。遠くの景色は煙に巻かれて霞み、やがて視界から消えていく。

 風は数分の内に一層強くなり、かなり大きな砂粒まで巻き上げた。捻じ曲がって蛇のように地表を這う。徐々に辺り一面明るい赤褐色になり、風の中に砂粒に混じった水晶の破片が飛散し煌めいていた。

「あとどれくらいですか」

 コンテナの転輪と接合部の擦れ合う音が響く中、砂塵を浴びながら彼が振り向く。

「夜までには目的地には到着します。会談の準備は翌朝ですね。

 こんなところに来たら砂まみれになります、部屋に入っていてください」

 彼女は髪が砂塵に靡くのを感じながら、幾分砂漠の照り返しに目を細めている彼を見る。

「いつまでも閉じ込められているのは性分に合わないの。何か手伝えることはありませんか」

 いつもであれば涼やかで透き通る彼女の声も、車輪の響きの中では充分に伝わらない。砂粒が口の中に入るのも厭わず、エレナは出来る限り声を張り上げた。

「無理をしないで部屋に戻っていてください。後で冷たい紅茶を飲みに伺いますから」

 彼の低い声は、張り上げずとも聞き取れる。エレナは見様見真似の敬礼をすると、素直に部屋へと戻る事とした。

 やはり衣服の襞に砂粒が入り込んでいる。入り口で軽く払い、区画に入ると備え付けの簡易クーラーボックスから紅茶の葉を取り出した。デルポイから運んで来た貴重な茶葉も残り少ない。それでも彼女は惜しむことなくサーバに注ぎ出来上がりを待った。

「ルイーズ、大統領閣下から連絡です。モニター前に来て」

 ブローニャが彼女の着替えを携えて入って来る。

「また彼の所に行っていたのね。少しでも一緒にいたいのは判るけど、綺麗な髪が砂まみれになってる。それじゃあ嫌われちゃうわよ」

 半ば呆れ顔、そして楽しそうに着替えを置いた。

「紅茶を淹れたの。三十分ほどしたら飲み頃になるからリチャードも誘って来てね」

「どっちが主賓なのかしら? でもお邪魔させてもらうわ。楽しみにしてる」

 ブロワ―で優しくエレナの髪の砂粒を掃った後、着終えた彼女の衣服を持って去って行った。

 

 日暮れの診療所の中庭、エレナは当惑する表情のブローニャに問いかけた。

「あなたの気持ちを知った上で聞きます。私とリチャードさんと一緒に来ますか」

 リチャードが同行を求められたことにより、物理的な距離はエレナが一段と近くなる。しかし、彼女にとってそれはブローニャとの友情を前に、認めがたいものであったのだ。

「共和国軍では、私の世話係となる女性を探しています。だからあなたもこの会談に同行する機会もあります。でも、帝国側が罠を張り襲撃する可能性も高い。

 それでも一緒に来る覚悟があるのでしたら、私はあなたを推薦します」

「行きます」

 ブローニャの気持ちに変わりは無かった。

 エレナの話し相手として、そして最大の恋のライバルとして、彼女もまた乗員の一人になったのだった。

 

 モニターの呼び出し音が鳴り続けている。軽く髪を梳かすと、着慣れたハイネックのワンピースに着替えモニターの前に座った。

〝またデッキに出ていたのかね〟

「それくらいしか楽しみがありませんので。ところで伯父様、冷たい紅茶など如何ですか」

〝次の停車時にお邪魔するよ。それより例の宣言文の確認をしたい。原稿は手元にあるだろうか〟

 エレナは黒に金色のゼネバスの紋章のあしらわれたファイルを書類棚より取り出し、書かれた文字を真剣な視線で追う。

「準備できました」

〝もう一度読んでくれるかね〟

「はい。

 私エレナ・ムーロアは、亡き父ゼネバス・ムーロア元皇帝の名代(みょうだい)として、ヘリック共和国大統領ヘリック・ムーロアⅡ世に対し、ガイロス帝国代表者の立ち合いの元に、以下の宣言を致します。

 一つ、皇女エレナ・ムーロアへのゼネバス帝国の主権移譲。

 二つ、ゼネバス帝国の軍事力放棄、つまり恒久平和の確立。これにより、臣民であるゼネバス兵は速やかに武装解除に応じること。

 三つ、ヘリック共和国、ガイロス帝国との大陸間戦争へのゼネバス帝国の完全中立を表明。これにより両国との不可侵を宣言し、ゼネバス兵は自衛行動を除くすべて戦闘行為並びに戦闘行為への協力を即時停止すること。

 四つ、ゼネバス帝国はヘリック共和国の管理のもと、内政自治権を有すること。なおヘリック共和国はゼネバス帝国の安全保障の点に於いて全面的な責任を負うものとする。

 五つ、帝国の皇室は皇女エレナへの移譲により立憲君主制とし帝国議会を持つこと。

 六つ、上記の帝国議会議員はゼネバス帝国臣民により選出されること。またそれを選出する選挙権は帝国市民権を持つ成人の男女に限定する。

 以上」

 転輪の騒音に邪魔されない区画の中で、彼女本来の涼やかな声が流れる。

〝見事だ。全く問題はないな〟

「はい伯父様……。そろそろ大統領閣下と呼び方を変えて行った方が宜しいでしょうか?」

〝好きにしてくれたまえ。大統領閣下と呼ぶ割に、全く尊敬の念が感じられない若者もいるからな〟

 モニターの向こう側、ヘリックが苦笑する。誰の事かすぐにわかった。

「一体、彼は何が専門なのですか。確か地球物理学が専攻と聞いていますが」

〝もともと我々の理解を越えた人間なのだよ。今回の宣言も半分以上が彼の提案だ。散々私を扇動しておいて、今回の随員に指名した途端に遺跡研究と称してまた逃げられたよ〟

 諧謔としたところは変わりない。実に彼らしい。

〝それと、彼の友人からの伝言だそうだ。「火傷していませんか」。一体何のことだね?〟

 エレナも笑った。

 まだ素直になり切れていないのね。婚約者(フィアンセ)と名乗れないんだもの。

 

 それは、ヘリック共和国とガイロス帝国との講和条約締結の際、今度はガイロス帝国代表をホスト役として、今後のヘリック共和国とゼネバス帝国との関係を明示し、上記の如くゼネバス帝国を「平和の国」として存続させようとしたものだった。

 1978年のゼネバス帝国の建国は、若き日のゼネバスの熱情に絆され結果的にヘリック共和国との間に戦端を開く形になってしまったが、本来であればゼネバス帝国の建国は共和国にとっては不満分子解消の棄民政策の結果であった。帝国の建国理念もあくまで中央大陸西方に移民した人々のもので、共和国と争うために生まれた国ではなかった。この理念に立ち返れば、ゼネバス帝国は上記のエレナの宣言によってすべての軍事力を放棄し「平和の国」とすることもあながち無茶な提案ではない。

「根本的な間違いは、為政者だけでなく多くの人たちが中央大陸はひとつの統一国家によって統治されなければならないと思い込んでしまったことです」

 シュウはその部分を大統領に強調し、宣言文を起草した。

 中央大陸に平和を築くには両国の保有する軍事力の拮抗によるものではなく、軍事力の放棄によって実現させること、そしてそのためには両国に「信頼」という土壌を築くことを主眼としたのだった。

 

「ルイーズ、この宣言をする以上覚悟が必要な事も覚えておいてください。情報発信の仕方と大衆側での受け取り方によっては、あなたはゼネバス帝国の裏切り者の烙印を押され命を狙われる危険性までも孕んでいます。人は理性だけではなく感情でも動くことも忘れずに。

 僕も今の段階で正式にガイロス帝国との講和条約が締結されるとは思えませんが、それでも万が一成功すれば今度はルイーズの番です。

 未だに共和国軍を憎んでいる旧ゼネバス帝国出身者は多い。でも、戦争と大異変の惨禍に苦しんでいる人々もまだまだ沢山います。この気持ちとこの宣言が重なれば、或いは理想が現実になる可能性もあると思います。

 僕もルイーズの言うように、人間の持つ可能性というものに賭けてみたいのです」

 送られてきた映像には、シュウの背後で時折手を振るキャロラインの姿も映っていた。左の薬指ではないものの、真新しい白銀色の指輪が光っていた。幸せそうだった。

 

 宣言文を読み終えた後、エレナは少しだけ考えていた。

(もし今も父が生きていたら)

 伯父ヘリックⅡ世、シュウ、そして他ならぬ自分自身。孤独な皇帝であった父に手を差し伸べることができれば、或いはこれまでの悲劇は回避できていたかもしれないということに。

 時間は戻らない。今は可能性が低いとはいえ、ヘリック共和国とガイロス帝国との間に講和条約を締結するのが目的だ。

 窓に夕日が射してくる。

 あんなに長く続く綺麗な夕日は見たことが無かった。

 空気中の埃のせいだろう。明るい紫色と生き生きしたオレンジ色、それにリチウムが燃えるような赤が混ざっている。これまでどんな画家のパレットでも見たことの無い組み合わせで、永遠に終わらないと思えるほどの素晴らしい眺めだった。


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