『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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(2056―2080)
33(2056年)


 惑星大異変による隕石落下の衝撃は、暗黒大陸の地殻変動を誘発し、続発する大地震により少年の住み慣れた屋敷は破壊された。

 母は崩れ落ちる家屋の石壁から咄嗟に少年を押し出すと、そのまま壁の下敷きとなり息絶えた。瓦礫の下から覗く優しかった母の手と、その奥から流れ出た赤い血の色が少年の記憶に刻まれている。

 非力な少年の力では、母の骸さえ救い出すことも出来なかった。崩壊寸前の家屋の前で、母の亡骸に追い縋って泣き叫ぶ少年は、奇跡的に震災を逃れた祖父母によって引き剥がされ、直後に屋敷は全壊した。普段より家庭から遠ざかっていた父の行方は未だ不明である。

 

 余震が一応の終息を見せ、数か月ぶりに屋敷跡に戻った時、そこは見覚えある家具が散乱し、歴史ある家財も散逸する廃墟と化していた。

 異臭を放つ廃墟跡で、無残な姿となった母の骸が見つかった。

 愛おしい母との思い出を探すため、瓦礫の山を掻き分けた。すると、崩壊した壁と柱の隙間から、裏に母と少年の名が刻まれ厳重に封印された手紙が発見されたのだった。

 母は、秘密を墓場まで持っていく心算であったらしい。但しその記録を手紙として残していたということは、彼女の何処かに真実を伝えたい気持ちも存在したのだろう。

 少年は誰にも気付かれないように手紙を持ち帰り、一人で封を解いた。

 そこに記されていた事実は、少年にとって衝撃であった。母の苦悩と自分自身に繋がる血の縛り。繰り返される骨肉の争いの結論を出せぬまま、この星は大異変の洗礼を受けたのだ。

 少年は混乱の極みとなった首都ダークネスで、数日後ある葬礼がひっそりと執り行われることを知る。

 祖父母にも告げず、寸断された交通機関を乗り継いで、彼は漸く儀式の会場に辿りついた。

 元皇帝という人物の葬儀とは思えないほど質素なものだった。但し、数千万人もの死者を出した大災害の直後という事実を鑑みれば、止むを得ないことだったろう。

 葬列者の影に隠れつつ、少年は棺に縋りつきたい思いに駆られた。一度も会ったことの無い父である筈なのに、彼の生涯を賭けて成し遂げたことを知るほどその姿が思い浮かび、切なさが込み上げた。そして母を失い、真の父も失ったことを知った。

 葬列の中央に、喪服に身を包んだ若い女性がいた。

 彼女が喪主であることも知っていた。そして彼女が、継嗣の権利を持たないことも。

 俯く素顔は窺い難かったが、ふと彼女が空を見上げた。

 美しく、凛々しい女性であった。広がる青空を見上げる姿は、父譲りの気概なのか、父の死も大異変も乗り越えようとする決意が感じられる。姉は弟の存在を知らず、弟は姉の存在を知った。

 少年はその時思った。自分に課せられた使命は、この争いの根源となった血の縛りの縺れを断ち切ることだと。

「エレナ・ムーロア、我が姉よ。亡き父の意志は僕が継いで見せる」

 荒廃した世界で、ギュンターの野望は動き出していた。

 

                    ※

 

「ヘリック、ガイロス両国の代表者にお伝えします。

 私、エレナ・ムーロアは、西方大陸エウロペに渡ることを決意しました。惑星大異変(グランドカタストロフ)の復興を最優先としている今、両国は私などに関わっている時間などないはずです。

 代表の方々に於かれましては、それぞれにお立場もおありでしょう。

 これは私の意志によって決断したのであり、両国の威信を汚すものではありません。

 私は暫く隠遁生活を送り、この星の復興を見守って行きたいと思います。戦いに明け暮れた父への、せめてもの罪滅ぼしとしても」

 交渉の議場に響いた彼女の言葉は、一瞬にして両国代表者達を沈黙させ、直後に賛同を表す拍手をもって受け入れられた。

 ガイロス帝国の首都ダークネスに於いて、エレナはその身分を明かし父ゼネバスの葬儀の喪主を務めたことにより、ヘリック共和国政府によって身柄引き渡し要求を受ける立場となった。

 ヘリック共和国側では、彼女は中央大陸の出身であり、ゼネバス帝国の継承権も存在しない以上、親族である伯父ヘリックⅡ世が保護するのは当然と主張。一方ガイロス帝国側では、小規模ながらも元皇帝ゼネバスの国葬を行ったのであり、彼女は父ゼネバス同様ガイロス帝国の臣民であり、その身柄を保護する権利があるとの見解であった。

 両国とも、その実は彼女を保護することにより旧ゼネバス勢力の人心把握を狙っていることは明白である。両国間には未だ講和条約は締結されておらず、武力行使を以って直接彼女の争奪戦を行う事由はあった。だが、大異変の影響により戦闘ゾイドの運用は出来ず、国内の治安も儘ならない。不必要の衝突を避けたい両国にとって、エレナの確保を巡っては、互いの出方を窺う腹の探り合いとなっていた。

 両国の意見は平行線のまま纏まらず、解決の糸口は掴めない。その間、彼女の立場は宙に浮いてしまった。

 出口の見えない解決策に、先の折衷案を表明したのが、他ならぬエレナであった。

 彼女は当事者として、交渉の場に呼ばれる機会を待っていた。ゼネバスの葬儀に出席し、身分を明かすことがどのような事態に繋がるかは、既に予想されていた。しかし、娘として父ゼネバスの最期を見送りたかった彼女は、それ以降の自らの処遇と惑星の混迷状況を見据えた上で、時宜に応じた発言の機会を慎重に狙っていたのだ。

 閉塞した交渉会議場に出席し、水掛け論を延々と繰り返す両国代表の建前を一時間ほど聞き流した後、漸く巡ってきた本人の意志確認を求められた時、彼女は両国代表をゆっくりと見据えながら答えたのだ。

 その凛とした発言の仕方は、あたかも亡き父ゼネバス・ムーロア皇帝を髣髴とさせるものだった。

 アドバイザーとして同席していたチャンス少佐が、拍手の止まない内に、空かさず立ち上がり補足を行う。

「エレナ様の待遇に関しましては、ニクスとデルポイ両大陸より等距離にあり、比較的開発の進んでいるロブ平野に、両国の負担によってその公邸を設けることとします。

 両国の代表者は、必要があれば公邸に参内し、情報を公開した上で謁見する事も可能とします。その他詳細は、なによりお住まいになられるエレナ様ご本人との御相談により決定したいと思います。

 他に御質問、御提案などありますか」

 言葉こそ丁寧だが、議場に低く響く少佐の声には怒気を含んだような迫力があり、額に大きな古傷を残すチャンス少佐を前にして、異論を述べる者は無かった。長い会談に辟易し、一刻も早く母国への帰還を望んでいた両国代表も、この折衷案に同意した。

 一連の書類への調印式が進む中、エレナは父の姿を思い浮かべながら、心に誓っていた。

 

 お父さん、私は新たな地平で生きていきます。

 

 惑星大異変(グランドカタストロフ)の終息と、ゼネバス・ムーロア会葬の儀の後に取り決められたのは、エレナのエウロペ移住という結論で終了した。

 

「エレナ様、本当に宜しかったのですか」

 護衛官としての役割を強調するため、キャロラインは式典用第一種軍装を纏い、議場に随伴していた。ダークグレーの単純な色調でありながらも、タイトな軍服は彼女の柔らかな身体の線をも強調し、議場に華やかさを添えていた。

「ええ。これが最良の方法と思います。後悔はしていません。それと、ルイーズでいい。その名で呼ばれるとさっきまでの会議を思い出して息苦しくなるから」

 キャロラインの軍装とは対照的に、エレナはゼネバス帝国皇女としてのイメージカラーであるライトパープルを更に淡くした、白に近い薄紫にパールコートされたフォーマルドレスを身に着けていた。少女の頃から好んで着ていたハイネックタイプのものに変わって、彼女の女性としての輝きを一層際立たせるホルターネックタイプの艶やかなドレスである。肩から二の腕までを被う透き通るヴェールの下の胸元には、ゼネバスの紋章が二つ掛けられていた。一つは以前からの彼女のもの、もう一つは、今や父の形見となったものである。彼女の眩しい胸元の素肌に、黒く焼け焦げた父の遺品が不釣り合いに揺らぐ。時折彼女のものと重なり、小さく涼やかな音色を奏でていた。

 常に束ねていた髪は、いつの間にか鎖骨に届くまでに伸びていた。看護師として勤務していた時に、作業の邪魔にならないよう束ねていたため気が付かなかったのだ。髪留め(バレッタ)を外したブロンドの髪色は、ガンブラスターの黄金砲を上回る輝きを周囲に広げている。

 エレナの唇に引かれた少し濃い目のルージュは、彼女の容姿を劇的に変えていた。上辺を飾る必要のない美貌ではあったが、公式の場に出席する以上ノーメイクというわけにもいかない。大異変直後の限られた物資の中から工面できた唯一の化粧品でメイクアップされた自分の顔を鏡に映したとき、彼女は漸く大異変の混乱が一応の終息を迎えた事を実感したのだった。

 議場を後にし、設けられた控え室で、二人は漸く安堵の溜息をついた。

「ありがとうございます、少佐。おかげで交渉も成功しました」

 二人と同様に、疲れ切った様子でソファーに座り込む武骨な軍人の姿があった。

「シュウの奴め、『少佐は顔が怖いから適任です』だと。自分の様な者があんなお偉いさんの前に出るなど人選の間違いも甚だしい。面倒な仕事を人に押しつけておいて、挙げ句の果てに本人が来ないとは。奴はどこまで軍人を手玉に取るつもりだ」

 中央大陸復興事業に掛かり切りの青年科学者は、交渉の経緯をシミュレートした上で最高の演出効果を図るため、退役直前のチャンス少佐を交渉の場に送りつけたのだ。結果としては彼の思惑通りとなったが、それがまた少佐にとっては不満であったのだろう。憤然としてその場にいない人物への不満を述べるチャンスではあるが、武力衝突を回避できた達成感からか疲労と同時に穏やかな表情も浮かべていた。

 彼は感慨深げに額の傷に手を当てた。

「ギルベイダーとの戦闘での傷がこんなところで役立つとは思わなかったぞ。

 もしかしたら我々は、全員シュウの掌の上で踊らされているのではないか」

「そうかも知れませんね」

 エレナはそう言って微笑んだ。

 その時エレナは、葬送の列を見送る人混みの中で、彼女を見つめる赤い瞳の少年のことを思い出していた。不思議な少年であった。ほんの一瞬視線を交えただけなのに、妙に記憶に刻まれている。

 思い過ごしかも知れないが、少年の中に父の面影が重なったのだ。戦渦の惨状を駆け抜けてきたエレナは超自然現象など信じることなどなかった。にも関わらず、まるであの少年は父の魂が地上に還り、自分を見守っていてくれたのではないかとも思えた。視線を合わせた直後に幻のように消えていたことも彼女の思いを強くした。

「ティータイムです」

 キャロラインの淹れた紅茶の香りが現実世界に呼び戻した。

 目の前にカップが並べられていく。紅茶を前に数回逡巡した後、慎重に器に指を添え、飲み頃の熱さになっていることを確認し、更に口元に二三度近づけた後、漸くエレナは花弁のような唇をカップにつけた。

「そこまで慎重になさらなくても……」

 ひとくち含んで再び深い溜息をつく。カップの縁に薄くルージュの跡が残された。

「……美味しい。デルポイ産の紅茶ともこれで暫くお別れです。大切に頂かないとね」

 ふとエレナの口をついて出たその言葉にキャロラインの表情が曇った。長年共に過ごしてきたエレナでなければ判らないような微妙な変化だが、彼女の瞳はどこか寂し気であった。

 もしかしたら、その時が来ているのかもしれない。

 エレナは、長く自分に仕えてきた人物との別れを決意した。帝国が滅んだ後も忠実に自分を守って共に戦場を駆け抜けてきた、親友であり姉でもあった女性だが、彼女の幸せを考えればいつまでの自分と共にあることはそれを逃してしまうのではないか。

 今、彼女の心の中に想い描いている男性がいて、その二人を引き離そうとしているのが他ならぬ自分であるとしたら、到底彼女のエウロペ同行を認める気にはなれなかった。

 丁度チャンスに二杯目の紅茶を注いでいる時である。エレナは彼女の背中を見つめ、短く、そしてはっきりと言った。

「キャロルは中央大陸のシュウの元に行ってください」

 ティーポットを傾けるのを途中で止め、傍らのテーブルにそっと置く。チャンスの前には、半分ほど紅茶が注がれたカップが残された。

 ゆっくりとエレナの方に振り向く。物静かではあるが、幾分憤りを含んだ声で応えた。

「私はいつまでもルイーズ様と共にあります。私情を差し挟むつもりはありません」

 予想通りの答えであった。エレナが続けて問いかける。

「シュウが嫌いですか」

「はい、大嫌いです。顔も見たくありません」

〝大嫌い〟。それが彼女の気持ちの裏返しであることなどすぐにわかる。エレナも妥協はしなかった。

「嫌いでもなんでも構いません。もしあなたが意地を張るのなら、今日限りあなたの護衛官の任を解いてゼネバス領に退去させます」

「既に帝国はありません。ルイーズ様には私を解任する権利もありません。私は崩御された先帝より、生涯に亘って姫様をお守りすることを任ぜられ、マイケル先生からも同様の願いを託されました。既に任務を解くことなど無効です。私は絶対に姫様の側を離れません」

「いつまでも子供扱いしないでください。私はキャロルがいなくても立派にやっていけます」

「紅茶を飲む度に火傷をしておられる方のお言葉とは到底思えませんが」

「ここでは関係ない事でしょう。思考が頑迷ですね。いい加減素直になりなさい」

「その言葉、そのままお返しします」

「一人で中央大陸に戻るのが寂しいのですか」

「そんなわけありません」

「シュウが嫌いなの」

「そんなわけありません」

 キャロラインは暫し赤面して黙り込む。主導権を握ったエレナは、空かさずチャンスに話を振った。

「少佐、シュウはキャロルのことを何と」

 突然の論争に唖然としていたチャンスであったが、話の流れから状況は理解できたようだ。

「『お姉さまに宜しく』としつこく言っていたが、それ以上は自分で会って確かめることだな。自分も少しは奴の弱みを握っておきたい。この件は是非とも協力させてもらおう」

 想いを見透かされ、口を一文字に結んだまま立ち尽くすキャロラインであったが、意を決して口を開いた。

「御無礼をお許しください。お心遣い身に染みました。ルイーズ様のお側に仕え、いつまでもお守りしたかった。でもそれは、自分の臆病な心を覆い隠す為の詭弁でした。

 以前、マイケル先生が仰っていましたね、『人は成長するものだ』と。

 幾多の戦乱を掻い潜り、多くの人々と出会って、姫様は成長なされました。先ほどの議場での演説を拝聴し、その確信はより強いものとなりました。

 もう私の役目は終わったようです。これからは私も自分自身が幸せになれるように努力していきます。それが姫様……ルイーズ様の望まれることであれば」

 抑えていた感情を吐露した後、彼女は顔を上げてエレナを見た。

「エウロペは未開の地です。野生ゾイドや終戦後に遺棄された野良ゾイドが未だにうろついていると聞きます。どうかくれぐれも野良ゾイドにはお気を付けください」

 別れに際してまで、彼女はその身を案じていた。野良ゾイドの事は知っていたが、エレナの決意を翻す程の脅威とはなり得ない。それは護衛の任を請け負っていた彼女の最後の枷であったのだろう。途中で何かを投げ出すことが出来ない性格なのは、エレナが誰よりも知っていた。

 傍らでチャンスが大きく力強く頷いている。「後は任せておけ」と。

 込み上げる思いをエレナは必死で抑えていた。きっと今泣いたら、キャロルは旅立てない。笑って、笑って送り出してあげなければ。

 嗚咽を堪えながら、エレナは花のように微笑んだ。

「絶対幸せになってください。シュウに宜しく」

「了解しました」

 軍装のままキャロラインが敬礼をする。

 髪留め(バレッタ)を外した髪が眩しく輝いている。

 エレナにとって大切な人との別れと、そして新たな旅立ちが始まった。

 


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