「お前を粛清する。その理由が理解できないほど、お前は無能ではあるまい」
緊急脱出するガイロス宮殿飛行基地の中、一人の佐官が皇帝の前に跪いている。
周囲には銃を構えた護衛兵が一斉に銃口を向けている。髑髏の面を付けたままのガイロス皇帝は、佐官の目の前に立ち、見下ろしながら言い捨てる。
「皇帝陛下、自分には決して叛意など抱いたことは御座いません。全ては帝国と陛下の為に」
「反問するのか」
ヴァーノンは口を噤んだ。
「ゼネバスは最後まで偉大な戦士であった。それを無為な巡幸などさせたが為に、見殺しにした罪状、許し難い。また、予の専用ゾイドを独断で起動させ失ったこともだ。
これまでどれ程の貴重な兵士を失ったか。己の罪状を肝に銘じることだ。
この王宮から突き落とすことも厭わぬが、貴下のこれまでの功績に免じ、命だけは助けてやろう。
西へ行け。エウロペの地に我が帝国の礎を築き、いつの日にかその地に進出する日に備えるのだ」
「御意のままに」
策士策に溺れる。敗残の兵がそこに在った。
※
「お父さん、返事をして、お父さん!」
エレナは、キングゴジュラスのコクピットで発したゼネバスの最期の会話を聞いていた。
ヘリックより伝えられた周波数を元に、未だにコアの健在なオルディオスの通信装置を利用し、開放されたままの通信回線を通じ、その行動を追跡していたのだ。故障していた送信機能が回復した時には、既にギルザウラーとの死闘が終わった後であった。
ノイズ混じりの中、最期の言葉だけは異様なまでの明確さで、オルディオスのコクピットに伝わっていた。耳を傾けるヘリック、シュウ、キャロライン、そしてエレナは、父を奪い、その最期を看取った者が、旧知の間柄にある人物であることに気付いてしまった。
通信が途絶える。シュウが呟いた。
「オーロラ準嵐の爆発です。誘導電流で、完全に通信機能を失いました」
身じろぎもせず、エレナは立ち尽くしていた。これ程残酷なことがあるのだろうか。嘗て学窓を共にし、密かな想いさえ抱いていた者との決別を。
血が出るかのように噛みしめた唇は、微弱に震えていた。
「シュテルマー……」
大地が揺れる。一刻の猶予もない。
「脱出するぞ」
ヘリックが言った。
「絶対に生き残る。全てはそれからだ。エレナ姫、君の父も必ずそれを望むはずだ」
間断なく大地は震動を続ける。
「海岸線にウルトラ艦隊が残っている。シュウ、オルディオスは走れるか」
「可能です。でも、カノンフォートは置いていきます」
「なぜ、私とずっと一緒だったのに」
キャロラインが思わず声をあげた。
「ギルベイダーの攻撃にも耐えて、中央大陸から戻って来るまでずっとエントランス湾で待っていてくれたのです。何としても海岸まで駆け抜けて見せます」
「あの中型ゾイドではもうこの混乱の中を駆け抜けることはできない。僅かではあれ、飛行能力が残るオルディオスを頼る他ないのです」
「ゾイドだって命があるのよ。それを見捨てるなんて私にはできない」
「僕にとってあなたの命に勝るものなどありません」
彼女の言葉を制して、シュウが力強く言い放った。
「すみませんお姉さま、大きな声を出して。だけどあなたには生きて欲しいのです。僕と一緒に」
隕石の降り注ぐ中、二人の視線が重なる。突然の告白にキャロラインは息を呑んで黙り込む。
終焉を迎えようとする絶望的な世界の中で、花開いた一縷の希望であった。
一方、隕石群の落下は容赦してはくれない。
「躊躇している暇はない。シュウ、オルディオスを起動させてくれ。エレナ姫を後部シートに頼む」
ヘリックとキャロラインはオルディオスの後部パワーコネクターの前に簡易シートを設け、そこに身を寄せ合って身体を括り付けた。隣では、隕石落下に脅えるカノンフォートの姿があった。落下の轟音に負けずに、キャロラインは声を張り上げる。
「あなたも生き残って。もしも私を許してくれるなら、その時もう一度コクピットに座らせてね」
心が通じたのかもしれない。戻らぬ主との別れを惜しむ悲しい鳴き声をあげると、落下する隕石群の方向に駆け出していく。
「ありがとう。私の、私達のカノンフォート」
キャロラインはその青いゾイドに向かい、静かに敬礼をした。
オルディオスのコクピットから見えるように、ヘリックが思いきり右横に腕を伸ばし、サムズアップをする。
「オルディオス、最後の任務だ。僕たちみんなを助けてくれ」
コンソールに向かい、シュウは囁いた。
エレナは父の最期とシュテルマーとの決別で、暫くは抜け殻のような気持になっていた。
ここまで父に会いたい一心で旅を続けて来たのに、その目的達成を目前にして、全てを失ってしまった。隕石の落下で燃え上がる大地にも、何の脅威も関心も持てないほどの虚脱感に襲われていた。
だが、彼女の目の前で行われたシュウの告白は、気力を失ったエレナに不思議な感動を与えていた。
こんな状況でも希望を捨てないシュウ。そしてそれを受け入れたキャロル。彼はさっきまで、この星は持たないと言っていた。なのにあの自信に満ちた口調はなんなのだろう。
前方のシートからシュウが問いかける。
「ルイーズ、大丈夫ですか」
エレナは涙を堪え、精一杯気を張って答える。
「ええ、大丈夫です」
「嘘が下手ですね」
すかさず前を向いたままのシュウが応える。
「無理をしないでください。なぜ閣下が後部シートにあなたを乗せたかわかりますか」
「え……」
エレナは当惑する。
「そこならば、泣き顔が誰からも見えないからです。思い切り泣いてください。僕に構わず」
その言葉に、エレナはいままで堪えてきた思いを曝け出した。
「お父さん……」
エレナは号泣した。涙が止め処なく流れ、張り裂けんばかりに泣き叫んだ。
「お父さん……お父さん……お父さん……」
言葉は意味を成さなかった。
ただ父を呼んでいたかった。嗚咽を堪えず叫ぶ声は何度も途絶え、その度大きく息を吸い込んでもう一度泣いた。
手にした父のゼネバスの紋章を見つめ、そしてまた泣いた。
父との思い出が何度も何度も脳裏を駆け巡る。
膝の上、初めてゾイドに乗せられたこと。
王宮の庭園で、父と追いかけあった日々。
ケック村に迎えに来た後、レッドホーンの上で
父と母と、マイケルと連れ立って訪れたガニメデの町。
意味もなく、父が嫌いで、長く背を向けた日々。
最後に擦れ違ったのは王宮の廊下だった。亡くなった母エーヴ以外に妻を持った父が許せず、目を合わせずに俯いた。あの時は、父との別れよりもマイケルとの別れの方が辛かった。そして後に知った。キャロルがミンクスに所属していたこと。父を孤独に追い込み、ガイロスの兵を導いてしまったこと。最後まで娘のことを案じ続けていたことを。
大異変の騒音も聞こえない。何度も泣いた。声が枯れるまで泣いた。いつまでも泣いた。
思いきり泣いた後、ふとオルディオスの
顔はぐっしょりと濡れていた。頬も、顎も、掌も。耐水性もある耐Gスーツの襟や裾から滲みこんだ涙が皮膚に伝わり、熱く肌を締め付けた。
だが、思いのほか気持ちは澄み切っていた。泣き腫らした頬に、シュウがナプキンを差し出す。
(一体どこから出したんだろう)
ゾイドのコクピットには似つかわしくない可愛らしいものだ。それもまた、彼一流の優しいユーモアなのだろう。
嬉しかった。そして改めて思った。一人ではないことを。
『私たちは人間の可能性をもっと信じてもよいとは思えませんか』
人の命には限りがある。しかし、限りあるからこそ尊い。
別れが悲しければ悲しいほど、その人と過ごした時間が喜びに満ち溢れていたものだったことの証しとなる。
今、自分は父との永遠の別れを悲しんでいる。だからそれだけ、父と過ごした時間は素晴らしかったのだ。
命に限りがあっても人間の可能性は無限だ。世代を重ねる事により、人はより素晴らしい未来を築き上げることも出来る。父の成し遂げることの出来なかった希望を紡ぐのは自分達若者なのだ。
肉体が滅んで骨となり土となっても、それがやがて新たな物質を構成し必ず新たな生命の礎となって甦る。それこそが物理的な輪廻であり真理である。間違いなく人は生まれ変わる事はできる。
悲しむときは悲しもう。そして前を向こう。
(ミスター、少しだけわかりました。あなたの言葉が)
「シュウ、今度こそ本当に大丈夫です」
「そのようですね」
シュウが少し振り向いた。
「これだけはお礼を言わせてください。僕はルイーズから二つの勇気を貰いました。
一つはこの星で生き残る勇気、そしてもう一つが、お姉さまに告白する勇気です」
エレナは微笑んだ。そして「幸せになってくださいね」と呟いた。
蹄(ひづめ)の響きが心地よい。
「じゃじゃ馬オルディオス、いいゾイドですね」
「そう、最高です。僕のゾイドは全て。あなたの悲しみも涙も、全部受け取ってくれましたよ。
知っていますか。勇者と王子様は、姫君を救うために白馬に乗って現れるのですよ」
「それはシュウが勇者で王子様ということですか」
「その通り。最高の褒め言葉ではありませんか。
……絶対生き抜きましょう、宇宙になんて逃げずに」
「はい。この星に生きる、人とゾイドと共に」
揺れる大地を蹴り、オルディオスが嘶きながら海岸線に向けて駆け抜けて行った。
遥か上空に、第三宇宙速度で引力圏を振り切ろうとする巨大移民船の光が浮かんでいた。