『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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31(2056年)

 シュテルマーは怒りに燃えていた。眼前のゾイドが皇帝ゼネバスを消滅させたと思い込んでいたからだ。

 ニフル湿原での衝突で、無数に飛び散った慰問部隊のゾイド群の破片が確認されたことを知った。その殆どが原型を留めず、ゼネバスの搭乗したハンマーロックは判別できないほどに破壊されたことになっていた。この最凶のゾイドは、自分が最後まで守り貫こうとしていた人を遺体さえ残さずに消滅させたのだと。

 最早、皇帝ガイロスの名代などという名目は要らなかった。

 この悪霊のようなゾイドを破壊する。そして亡き皇帝ゼネバスの魂に報いる。

 絶対に、貴様だけは許せない。

 シュテルマーはギルザウラーのコア出力をレッドゾーンにまで押し上げた。

 隕石破壊に手一杯のキングゴジュラスを守るため、まずはキングバロンとキングライガーの高速部隊が立ち塞がった。

「忌々しい」

 加重力衝撃テールが音速で振り落とされる。跳び退いたと思う先に背部の小型ビームスマッシャーを撃ち込んだ。忽ち切断され崩れ落ちる白い機体群。

 周囲に砲撃が開始された。ゴジュラスMk-2のバスターキャノンが交叉砲撃を行い牽制している隙に、もう一台のゴジュラスがギルザウラーに躍りかかった。

 シュテルマーが冷徹に電磁クローで薙ぎ払うと、ゴジュラスは左腕と左のバスターキャノンを失い泥濘の大地に倒れた。

 マッドサンダーがマグネーザーの唸りをあげて突進してくる。デスザウラーにとって天敵とも呼べる武器も、ギルザウラーが飛びあがってしまえば対処は容易であった。反荷電粒子シールドの及ばない後方に、姿勢を変えて降り立つ。それまで右手に存在しなかった光の剣が現れる。マイケル・ホバートが改造ゾイド〝デスシャドー〟に実験的に搭載したビームソードである。無防備の後方をとられたマッドサンダーは、背後からハイパーローリングテャージャーをビームソードに貫かれ、加速をつけたまま機能を失い、遥か遠くで前のめりに倒れて行った。

 次々に襲い来る共和国軍の部隊に、シュテルマーは次第に焦燥感を濃くしていく。無数に湧いてくる敵のゾイドを、いつまでも相手にしていられない。

 再びキングバロンが飛びかかった時、ギルザウラーの眼前で黒い渦に呑み込まれて消滅した。

〝皇帝陛下、御無事ですか〟

 眼下には数台の赤い高速型ゾイドが立っていた。

 デスキャットのMBH砲という兵器だ。背中の砲身が立ち上がり、盛んに共和国軍へ牽制射撃を始める。

 だが、それ以外には増援はいない。

 その時、大半の帝国部隊は大陸南岸の共和国軍上陸地点周辺で最終決戦を開始していた。本来主力となるはずのガンギャラドや鹵獲したアイアンコングなどが全て海岸線で戦っており、僅かにデスキャットの新鋭部隊だけが王宮に残されるのみであったのだ。

 更に、後方の丘にそびえる帝都ダークネスのガイロス王宮の一画に動きがある。噴煙をあげ城の一部が浮上し、飛び去ろうとしているのだ。

〝ギルザウラー、応答せよ〟

 共和国軍以上に忌々しい人物の通信を受け取った。あの男だ。

〝これより我々は極地域に近いヴァルハラに移動し、そこで再起を図ることとする。護衛を願う〟

 勝手な事を言う。言われずとも敵は全て殲滅する。シュテルマーの表情には、既に冷徹な殺戮マシーンと化した冷笑が湛えられていた。

 

 幾つもの共和国ゾイドを葬り、中心で気炎を吐く赤い一本角に辿りつく。

 その時思った。このゾイドは何をしているのだと。

 空に向かって降り注ぐ隕石を撃ち落としている。胸のリボルバー式の砲門も、全て空へと向けられている。その後方にはダークネスの市街が広がり、あたかもガイロス帝国の民を守るかのように。

 そんな愚行があるのだろうか。敵の民を守るなど。

 シュテルマーは知らない。その時キングゴジュラスを操るゼネバスが、首都ダークネスの何処かにいるという自らの嫡子ギュンターを守るための盾となっていたことを。

 

 隕石に夢中で、何処を見ても無防備だった。牽制のため、彼は手始めにビームスマッシャーを撃ち込んだ。

 グラビティモーメントバリアーによって光輪は砕け散る。やはり防御性能は完璧だ。

「これならどうだ」

 光の剣、レーザーサーベルを一閃する。信じられないほどの速度でクラッシャーテールがギルザウラーの右腕を薙ぎ払った。その間身じろぎもせずに隕石を撃ち落としている。

 まるで自分の存在を無視するかの如く振る舞うこのゾイドに、言い知れぬ怒りを覚えた。

 自分は皇帝ゼネバスの仇を取るために挑んでいるのに、貴様は正義の御印を掲げ、この星を守ろうとしている。ならば自分は何なのか。これでは虫けら以下ではないか。

 復讐心に駆られた彼には、そのゾイドのパイロットが何を願い、何を成し遂げようとしているのか判断する術を失っていた。

 加重力衝撃テールをフルパワーで打ち込む。最初ビッククローで防御していたキングゴジュラスも次第に防ぎきれなくなり、遂には左腕を失った。同時にギルザウラーの尾部も崩壊する。

 腕一本に尻尾一本。割に合わない。彼は立て続けにハイブリッドバルカンを打ち込む。折れた左腕の跡に打ち込むものの、バリアーは傷口も確実に塞ぎ、傷一つ付けられない。恐るべき耐久性に、彼の怒りは頂点に達した。

 前傾姿勢をとり背部のフュエルタンクを持ち上げ、オーロラインティークファンを回転させる。ギルザウラーの各部が鈍い輝きを帯びだす。

 出力はレッドゲージのまま。最大出力を越えた大口径荷電粒子砲の発射態勢を取る。口腔にエネルギーが蓄積し、コアが脈動する。

 荷電粒子の奔流が目標に向かって放たれた。雨滴による拡散もものともせず、近距離のキングゴジュラスを直撃する。硝煙に包まれるダークネス市街。ギルザウラーの荷電粒子砲は周囲全てを焼き払って爆風の中に包み込んだ。

 炎と煙に包まれ、閉ざされた視界の奥を窺う。シュテルマーは驚愕した。硝煙の中で蠢動するものがある。

 身を躱す猶予も無く凶悪な鋼鉄の爪が飛び出し、ギルザウラーの顎を掴んだ。巨体が引き寄せられる。ギリギリと装甲板が軋む音を聞きつつ、シュテルマーは晴れていく硝煙の中に、不気味に光る赤い角を見た。

 やはりこいつは悪霊だ。

 怒りに震える赤い眼光は、ギルザウラーの頸部を根こそぎ握り潰そうとしている。キングゴジュラスの胸の上で赤い光が明滅する。近接戦闘兵器であるガンフラッシャーが、頸をおさえられたままのギルザウラーに撃ち込まれたのだ。

 ウィングバリアーで守られた装甲は、最初ガンフラッシャーの攻撃にも耐えていた。だが間断なく撃ち続く光の弾丸は程なくバリアーを破り、機体の実体面に到達し無数の銃創を刻み始める。ギルザウラーは堪らず悲鳴を上げる。

 嬲り殺しであった。

 

 ガンフラッシャーの衝撃を浴び続けながら、シュテルマーは悪霊のような無敵のゾイドが、悲痛なまでに何かを成し遂げようとしている事に気付いていた。降り注ぐ隕石群を一身に受け、敵の都であるダークネス市街を守り抜こうとしていた。それを妨げる者には一切容赦なく捻じ伏せる。

 共和国軍兵士というものは、例え敵であれ、非戦闘員は必ず守り抜くものなのだろうか。いや、そんなはずはない。作戦行動に支障を来してまで敵の民を守り抜くなど、兵士として矛盾が生ずる。兵士個人には判断力など不要だ。必要なのは命も惜しまず命令に従うこと。敵の首都攻略の局面に至って突如作戦行動を変更させるなど有り得ない。

 有り得ない。つまり、あのゾイドの操縦者も、共和国兵で有り得ないということか。

 では、誰が操縦しているのだ。共和国軍が総力を注いで造り上げた、あの悪霊のようなゾイドを。

 彼は左腕に鈍痛を覚えた。最初、何かの塊が落ちて当たっただけかと考えた。次第に増してくる痛みに思わず左腕を押さえると、耐Gスーツの表面にドロリとした液体が付着していることに気付いた。目の前に翳した右の掌は鮮血で染め抜かれていた。左腕に差し渡し30㎝程の装甲板の破片が突き刺さっていた。腕の筋繊維を切断したらしく感覚が死滅している。破片とスーツとの隙間から間断なく鮮血が迸る。

 睡魔に襲われる。失血による意識障害だ。瞼が重くなる。目を閉じることが死に繋がるのも判っている。判っているのに、眠いのだ。腕の激痛さえ眠りを誘う。

 自分は死ぬのか。これまで見送ってきた幾多の戦友の元に逝けるのだ。漸く死地を得ることが出来た。

 シュテルマーは、静かに瞼を閉じていた。

 消えゆく意識の中で、彼を激しく叱責する声を聞いた。懐かしい声だった。

「起きろ」と言っている。「こちらに来るには貴様はまだ早い」とも。

 誰だ、この声は……。

 

 彼の失神と共に、ギルザウラーの機体も力なく項垂れた。既に抵抗力の欠片も無くなった皇帝専用の改造ゾイドを、キングゴジュラスは興味なさそうに振り落とすと、再び天空に向けてスーパーガトリング砲とスーパーサウンドブラスターを放ち始める。

 彗星ソーンと衛星Deとの衝突によって発生した隕石群は、主に低緯度帯に数多くの落下を見た。キングゴジュラスに引き寄せられた多くの隕石群も、その破壊力によってダークネス周辺への落下コースを描いていたものも破砕された。ここでキングゴジュラスに搭乗するゼネバスにとっても予想外であったのは、破壊は外部から行われるだけではなかったことだった。

 先にシュウが予測した如く、隕石落下による海洋底の地殻変動は暗黒大陸のプレート破砕を導いた。

 足元から突き上げるような衝撃が奔る。地球物理学で呼ぶプレートの重なり合う部分〝和達・ベニオフ面〟での地殻変動が、リヒタースケール10にも及ぶ超超巨大地震を暗黒大陸の地に誘発させた。皮肉なことに、負の質量を持つエキゾチック物質は、上面に位置するニクスプレートの質量を軽減し、直下に位置するテュルクプレートとの移動を加速させてしまった。

 足場を取られ、巨大な建物が地盤沈下していくかのようにキングゴジュラスが傾いていく。無限と思えたエネルギーも、既に生成したエキゾチック物質が対消滅を反応し尽くし、表面のグラビティモーメントバリアーも生成を失いつつある。

 激しい嘔吐感に苛まれゼネバスは咳き込んだ。掌で拭うと、口と鼻と、そして耳からも大量の血液が流れ出ていた。

 耐Gスーツを着用していなかったゼネバスの肉体を、スーパーサウンドブラスター連射による影響が着実に蝕んでいた。激しい振動が心臓、肝臓、脳髄など身体の重要な器官全てに襲いかかり、内臓からの内出血という症状で破壊したのだ。戦闘による高揚感と顕在化した出血を伴わなかったため、ゼネバス自身も自分の身体の変調に気付くのが遅れ、それに気付いた時には既に彼の身体は内部からズタズタに引き裂かれていた。

 自分の血に染まったコクピットの中で、ゼネバスは自らの成し遂げられたことに満足していた。

 最早、自分に出来ることは無い。この惑星の行く末は既に我々老人の手から離れたのだ。煉獄の如き浄化の炎は地表を焼き尽くすかもしれぬが、それでも人類はしぶとく生き抜く事だろう。

 兄よ。いまなら素直になれる。

 すまなかった。許してくれ。己の野望を成し遂げる為、無数の民を巻き込んでしまった。

 弟の最後の我儘を叶えてくれるだろうか。

 娘を、エレナの事を……。

 

 都市の残骸に押し潰された破片の下より、黒い翼が浮上した。全身穴だらけになり、両腕と尾を失っている。奇跡的に破壊を免れた頭部コクピットで、右手一本で操縦桿を握るシュテルマーの姿があった。

 激しい震動が再び彼の意識を呼び戻した。応急処置ではあるが左腕の止血処理を行い、朦朧としながらも強靭な精神力のみを支えに意識を集中させていた。破壊された市街の瓦礫の上を僅かに残るマグネッサーを使い、ホバリングしながら擱座状態のキングゴジュラスに向けて進んで行く。

 既にギルザウラーに使用可能な武器は残されていなかった。

 残されたのは、彼自身であった。

 もし機体が生きていれば一溜りもないが、横たわるキングゴジュラスの頭部にギルザウラー頭部コクピットを強引に寄せる。

 キャノピーを強制排除し、彼は傾いたキングゴジュラス頭部側面に降り立つ。後方に載っていたガイロス皇帝の仮面が、下方の亀裂の中に落下していった。

「姿を見せろ、話がしたい」

 彼は光の消えた頭部ブレードホーンに右手でつかまり、生身の体をキングゴジュラスの左目の前に晒す。

 恩讐を越えて聞いてみたかった。なぜダークネスを守ったのかを。

 コクピットが開かれることは無いと思った。パイロットが生きていれば振い落され、死んでいれば当然開かない。彼は死に場所を求めたに違いない。力なく項垂れる左腕を見ても明白であった。それでも構わなかった。

 予想に反して、彼の問いかけにキングゴジュラスのコクピットが開かれていく。僅かに血の臭いがする。

(馬鹿な。なぜ敵に身を晒す)

 シュテルマーは、不完全に開かれた隙間から操縦席の中を見た。

 ヘルメットは被っていなかった。老兵らしき操縦者が血塗れで横たわっている。ゆっくりとこちらを向いた。

 彼は言葉を失った。そんな彼の呆然とする姿を見て、ゼネバスは苦しそうに言葉を発した。

「ガイロスではなくお前だったのか、あのゾイドを操縦していたのは」

 なぜ皇帝ゼネバスがこの機体を操縦していたのか彼には理解できなかった。

「すまなかった。そして、ありがとう。こうしてお前に送って貰える事、本望だ。

 息子は立派なゾイド乗りに成長したと、ガンビーノに伝えておく」

 そう言うとゼネバスは激しく吐血した。今まさに一言話す度に命が削られていく。彼にとってそれ以上ゼネバスが語る事を望まなかった。

 ゼネバスの言葉に、あの時自分を現世に留まらせた声の主が亡き父ガンビーノに違いないと気付いた。父は自分の代わりに皇帝ゼネバスを呼び寄せたのだ。

「己の業の深さを感じたよ。それでもこの惑星に住む人々全てを巻き込んで去るほど傲慢ではない。去るのは私だけで充分だ。私の兵達を頼む」

 突然、通信機からノイズ混じりの声が響く。女性の声だ。辛うじて聞き取ることが出来る。繰り返している。〝お父さん、お父さん〟と。その声に聴き覚えがあった。

「エレナか……無事だったのだな……」

 ゼネバスの最期の言葉が終わる途中で、キングゴジュラスの装甲が急激に収縮した。対消滅したエネルギーの代償に、機体の一部が重力崩壊を開始したのだ。

 時を同じくして、地の底から突き上げる振動が湧き上がる。

 最初は静かに、次第に揺れは加速度を増し、やがては辺り全てのものが激しい振動を開始した。擱座したキングゴジュラスの上に立っていたため最初の振動には耐えられたが、巨体をも呑み込む亀裂が地表に奔り次々と建造物が沈んでいく。

〝お父さん、返事をして。シュテルマーなの、そこにいるの〟

 間違いない。エレナの声だ。

〝早く、お父さんを助けて。お願いです、お父さんに会いたい。会って話をしたい。謝りたい。一緒に暮らしたい。お父さんと、お父さんと……〟

 通信が切断される。一際巨大な隕石が、東の地平に落下するのが遠望された。

 不吉な予感が過ぎった。まさか、エレナが隕石の直撃を受けたのではないかと。

 彼女の無事を憂慮する余裕もなかった。激震に見舞われた暗黒大陸は上空に激しいオーロラの輝きを帯び、プレートの活動が一層活性化されていた。

 キングゴジュラスも沈んでいく。途中まで沈んだ後に、直下から突き上げる震動が発生した。大地の隆起が切断された左右の地面を鬩ぎ合い、見る間に市街の奥まで伸びていく。割れて沈むのではない。持ち上がっているのだ。隆起の反動でシュテルマーはね飛ばされた。ゼネバスを救い出す余裕などなかった。開いたコクピットの隙間から、魂を失った亡骸が赤い鮮血の尾を曳きガイロスの仮面と同じ亀裂に落下する瞬間だけが眼に焼き付いた。

 噴煙と硝煙と大火災。ダークネスの都は、戦火を遙かに上回る炎に包まれる。

 隆起した地層の上の建造物に立ち尽くし、燃えしきる炎の海を見ながら、シュテルマーは世界の終焉に立ち会ってしまったことに呆然としていた。

 だが、ゼネバスと、父ガンビーノとの声を思い出したとき、猛然と生への執着が湧いた。

 あの声は失血が生んだ幻聴に過ぎない。父の思いはあの幻聴と同じだろう。

 生き残ることが自分の義務ならば、汚名を受けようと生き残ってみせる。彼はキャノピーの吹き飛んだギルザウラーを振り返った。

 まだ翼は残っている。どこまで飛べるか判らない。北東へ飛べばヴァルハラだ。

「頼む、ギルザウラー」

 炎の海の中、残骸同然の黒い翼が舞い上がった。

 


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