『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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26(2056年)

 彼がギガノトサウルスの噂を聞きつけたのは、この西の大陸に渡って間もなくであった。

「南の巨大な竜」を表す名称からも、その野生体が南半球特有の種類であることがわかる。

 収斂進化という用語程度は、専門家ではなくも一応知っていた。北半球固有種の巨大肉食恐竜型野生体がゾイドゴジュラスの原型となったように、同種の野生体がニッチ(生態的地位)を埋めるため、南半球にも収斂進化の末に存在している可能性は以前から示唆され続けていた。

 但し、長引く戦渦により西の大陸深部への探索は遅々として進まず、数例の現地目撃談を除いては、その存在は殆ど謎となっていた。限られた資料から得られていたのは、その野生ゾイドは、頭蓋の特徴がゴジュラスというよりはアロザウラーの近種であること。体躯も幾分細身であり、歯列もより鋭いものであるという程度のことしかなかった。

 屍骸を含め、野生体が捕獲されたという記録はなく、その成体がどれ程の大きさに成長するのかも未確認である。一部、ゴジュラスと同程度の大きさとの報告もあったが、問題はその移動速度であった。

 最高速度約200㎞、到底信じ難い。同クラスでこれほどの速度を出せれば、充分高速ゾイドとも呼べる。

 多くの謎を秘めた巨大ゾイドは、彼の興味を惹くには充分であった。

 

 西へ進むに連れて、(まば)らになっていく入植地。この大陸の奥地には、未だ手つかずの自然が残っている。植生は大きくは変わらないものの、時折遭遇する野生ゾイドの形態は、明らかに中央大陸のものとは異なっていた。

 レッドラストと名付けられた砂漠地帯を越え、極端に狭まった北部と西部を繋ぐ地峡を渡り、そこから更に南に進路を取る。南緯15°を越えた辺りから、突然植生は大きく変化した。

 大陸氷河に覆われた南方大陸を起源とする南極地域の寒流が、南エウロペ西岸の海岸線に沿って北上している。その為、位置的には亜熱帯に属するはずのこの地域の気候を、極端に寒冷なものに変えていた。

 海岸から渡ってくる海風と、地表が発する熱との気温差により、海岸線周辺は常に真っ白なシーフォッグに覆われ、視界は数十mに届かない。

 未開の原生林と、白い闇に包まれた海岸線を、纏わり付く霧の湿気を浴びながら彼は一人で彷徨した。

 切り立った断崖に砕ける波涛の音も、生い茂った森林に吸い込まれ、海がどの方向にあり、どれ程の距離があるのかも掴めない。あたかもこの世界に、自分一人しか存在しないのではないかとも思えるほど、周囲は静寂に包まれていた。

 ただ彼は、自分が一人ではないことを証明するものを常に身に着けていた。

 時折微細に響く機械音。備えられた超小型のコアが、やはり超小型のサーボモーターを作動させる音が、彼の左腕から聞こえていた。彼の生体部分が放つ電気信号を受容し、瞬時にして運動に変える。

 装着した最初の内は、見る度に戦闘による悪夢を呼び起こす禍々しい物体にしか思えなかった。

 だが、あの深山幽谷の中で過ごした日々が、彼を変えた。

 不気味な腕の作り物は、やがて製作者の優しさに満ちた芸術品であることを。

 失ったものより残されたものの尊さを知ることを。

 何のために生きるのか、ではなく、何のために死ぬのかを考えることを。

 戦場を離れて以来、生きる価値などないと自分自身を全否定してきた。しかし必要なのはどのように〝生きる〟かではなく、どのように〝死ぬ〟かということに気付いた時、彼の世界は有限であるからこそ広がって行った。

 彼も、少年の頃からゾイドは大好きだった。いつの頃か、雄々しい戦闘ゾイドを操縦することに憧れるようになった。軍に入隊し、共和国ゾイド乗りの頂点であるゴジュラスドライバーを目指し不屈の努力を重ねた。

 念願叶ってそのコクピットに身を委ねる事が出来るように成った時、時代は既にデスザウラーが全てを圧倒していた。強化された量産型のMk-2を以てしても、性能の差を埋めることは如何ともし難く、嘗ての主力機は雑兵同様の扱いとなり、支援のための砲撃を行う砲台と化していた。

 やがてゼネバス帝国は崩壊。引き続き勃発したガイロス帝国との戦争で、彼はデスザウラーをも上回るギルベイダーの攻撃により、搭乗機は切り裂かれ、自らも左腕を失った。

 失血のため消えかかる意識の中、彼は思っていた。

「自分たちは、何処まで強くなればいいのだろうか」

 力を欲すると同時に、力を憎んだ。

 

 力とはなにか。それは相手をねじ伏せるものことだろうか。

 

『暴力によって一つの問題を解決する。するとそこから、新たな問題が生み出される。だから、暴力での解決は本物ではありません。非暴力の解決は、百パーセント満足がいかないかもしれない。しかし少なくとも、新たな暴力という副作用は生まれないのです』

 深山幽谷の宮殿で、あの人物が語っていた。

 

 我々は、ゾイドと共にこの星に生まれた。

 ゾイドと繋がることが、我々の生きる術である。

 しかし、現在の我々とゾイドの関係はどうだ。

 戦闘のためだけに成育され、改造され、果てはプログラミングされている。

 野生の息吹を持つ、生命としてのゾイドは認められないのか。

 この星に育まれる生命の源を明かすためにも、野性味に溢れたゾイドに出会ってみたい。そして共に生きる望みを叶えたい。

 だから旅に出た。「自分探しの旅」ならぬ「ゾイド探しの旅」に。それこそが自分のレゾンデートルであると思えたから。

 左腕は相変わらず低いモーターの音を響かせている。これも一種のゾイド、機械生命体だ。既にゾイドが自分の一部となっている以上、この旅に充分な意味は存在している。

 左腕を見つめながら、彼は取り留めもない出来事を回想していた。

 

 そういえば、あの女性の名は何といっただろうか。

 有り触れた名前のようで、すぐに思い出せないが、金色の髪が風に靡く素敵な人だった。

 幽谷の宮殿で、最後に静かに語り合ってからどれ程の星霜が廻ったのだろう。魅力的な女性であったことは確かだが、瞳の奥に輝く光が、彼女の意志の強さを表していた。

 凛々しく引き締まった眉と、花のような笑顔が、その人が強さと優しさを兼ね備えていることを示していた。

 旅の途中で多くの人々と出会い、その中にも数々の魅力的な人物もいたというのに、未だに彼女の面影が離れない。

 記憶が混濁していた地獄の戦場で、彼女と出会っていたらしい。

 周囲を白熱に染め上げる天空からの飛来物、出現した黒い翼、降り注ぐ黒い雨。

 現実という悪夢を越えて、いまここに自分が存在できるのも、彼女がいたからこそだ。

 もし、この旅の目的が達成されたら、必ず彼女に会いに行こう。

 

「でも、あの人は今どこに」

 

 自分でも愚かな事と思う。

 海を渡って広がった戦場の中、彼女は自分が知らない場所で、今も傷病兵の為に尽くしているに違いない。再び出会うことなど、露ほども叶わぬことだろう。

 もし出会えたとすれば、それは奇跡だ。

 そして自分は、奇跡など信じない。

 人は絶望的になると神々に祈り、神々は絶望的になると嘘をつくものだと戦場で知った。

 この想いは孤独による気の迷いなのだ。

 彼は心の中で苦笑していた。

 

 密林に、時ならぬ咆吼が轟く。

 地表が揺れる。地震ではない、重量物が駆け巡っているのだ。

 咆吼は一方向から聞こえるのではない。少なくとも2箇所、多くて4箇所から間断なく聞こえてくる。

 突然、彼の頭上に巨大なゾイドの頭部が出現した。霧に覆われた林の中、最初どんなゾイドかわからなかった。頭部に続いて長大な頸部が現れ、その先端が霧に隠れる頃に漸くずんぐりとした胴体が現れた。その奥には更に頸部と同じくらいの長さの尾部が続いていた。

 セイスモサウルスと呼ばれる雷竜型(竜脚類)ゾイドの野生体だ。ギガノトサウルス同様、エウロペにのみ棲息する固有種。このゾイドを見るのも彼は初めてであった。無敵とも思えるほどの巨体を有していたが、その様子はどこかおかしい。

 何かに脅えている。彼の目前を、大地を揺らして決死に駆け抜けていく。

 引き続き密林から咆吼が聞こえる。距離が狭まっているようだ。

 彼は気がついた。これは狩りだと。

 風上から追い立てる囮のハンターが獲物を追い込み、逃げた先には止めを差す別の個体が待ち構えているに違いない。哀れなセイスモサウルスは、ハンターの術中に填っていることも知らず、次第に罠に向かって追い立てられているのだろう。一連の行動から、ハンターは真社会性を有する、非常に高い知能を持つ生物ということがわかる。

 霧の奥から湧き上がる振動。再び巨大な影が現れる。ハンターの一匹に違いない。

 その影はあまりにも速く、全景を捉える前に彼の前を駆け抜けた。辛うじて彼が判別できたのは、それが肉食獣らしき獣脚類という程度だった。

 やがて、二匹の駆け抜けた密林の奥から悲壮な慟哭が響く。そして間もなく、先ほどから響いていた咆吼が一際高く吠え立てた。捕らえられたものと捕えたもの双方の叫びに違いない。

 地表が再び大きく揺れ出した。数匹の巨大な物体が叫び声の起こった方向に進んで行く。

 共同ハンティングの獲物を、互いに分け合うために集まっているのだ。

 彼は、ハンティングの現場に向かって駆けだした。

 ブッシュを抜け、幾つかの切り傷を受けながら彼が辿り着いた先では、文字通り野生の姿そのものの死闘が展開されていた。

 

 巨大な野獣が、セイスモサウルスを襲っている。二匹が頸部に喰らいつき、一匹は腹部を食い破ろうとしていた。

 身体の大きさこそゴジュラスに準じているが、ゴジュラス野生体とは明らかに違う。何より動きの敏捷さは比較にならない。報告通り、幾分細身で頭部も小振りである。アロザウラーの亜種と聞いていたが、セイスモサウルスに食らい付く度に、それとの大きな相違である幾つもの背鰭が、波を打つように揺れていた。

 襲撃の手順は、まず視覚や思考を司る頭部を襲い、獲物の動きを止めること。

 決して頑丈とは言えない竜脚類の頸部に、ハンターは執拗に鋭い牙を立てている。

 やがて頸部は音を立てて垂れ下がり、表皮一枚で繋がっているだけの金属の塊と化した。

 切断された頭部からは、だらしなく垂れ下がった機械的な舌部が伸びていた。

 辛うじて立っている胴体腹部に、先ほどから攻撃を加えていた一匹と合わせ、首を落とした二匹が喰らいつき、間断なく表皮に牙を立て喰い破ろうとする。三匹の鋭い歯列が全く同じ場所を襲う見事な連携であった。

 セイスモサウルスの首の付け根と左前脚の間の表皮に大きな亀裂が奔った。食い破られた表皮の下から、内臓を思わせる原色の金属器官が現れた。神経節や血管を思わせる無数のケーブルが体内からはみ出すと同時に、赤黒い循環液が湯気を揚げて滴り落ちる。傷口に頭部を突っ込み、コード類を引きちぎりながら食らい付くハンターの群れ。獲物を前にして、緑色の眼光が満足げに輝いている。

 セイスモサウルスの腹部傷口が光り出した。コアが剥き出しになる前兆である。ハンター達にとって、直接エネルギーを摂取できる貴重な部位だけに、各個体は垂涎しながら腹部に齧りついていた。

 ハンター達にとってアクシデントが起こる。

 蹂躙されたと思えたセイスモサウルスの尾部が、突然唸りを上げて一匹のハンターを跳ね飛ばしたのだ。

 ゾイドはコアさえ無事であれば、頭部がなくても活動することが可能な場合がある。このセイスモサウルスも、頭部を失ったとはいえ後肢から尾部の作動系は無事だった。生命体の純粋な防衛本能が、襲いかかるハンターを追い払おうとしたのだ。

 格闘には不向きと思われがちな雷竜だが、その長大な尾部を勢いを付けて振り回せば、ハンター側も思わぬ逆襲に遭う。左前肢を失い、頭部を欠いているものの、セイスモサウルスは視覚に頼らず周囲のハンターの気配に向けて、しなる鞭のような尾を振り回し始めた。不意を突かれて跳び退いたハンター群は、攻めあぐねて身構える。

 すると霧の奥から一際高く、長く轟く咆哮が起こった。

 先ほど吹き飛ばされたハンターが、唸りを上げるセイスモサウルスの尾を物ともせずに突進してくる。瞳の色は怒りのため真っ赤に染まっていた。立ち塞がる木々を薙ぎ倒し、暴風の様に迫り狂うその個体は、戦闘ゾイドであるゴジュラスやデスザウラーをも凌ぐ凶暴な姿であった。

 ハンターの突進に、頭部の無いセイスモサウルスの身体が備える。

 ハンターは尾の振り回される範囲の外で地面を削りながら立ち止まった。間合いを読み切ったのだろう。瞬時に前傾姿勢となり、二列に並んだ背鰭を突き出す。

 彼はハンターが何をするのか全く理解できなかった。

 次の瞬間、背鰭の前から3番目の二枚が、激しい光芒を放った。

 ただの光ではない。背鰭から放たれた光の矢は、ゾイドコアを源とする指向性と質量を持った素粒子のバンチ(粒子の束)であった。空気の分子と激しく反応し、小規模な雷鳴にも似たプラズマを発生させる。光圧が周囲に漂う霧のカーテンを吹き飛ばし、白い闇は一瞬にして晴れ渡る。彼は数日ぶりに青空を仰ぐと同時に、身体が激しく後ろに吹き飛ばされることを実感した。圧縮された空気の塊が、ハンターの背鰭を中心にして半球状に広がったのだ。強い向かい風に押されながら、彼は必死に瞳を凝らして光の行方を追った。

 光の矢が手負いのセイスモサウルスに突き刺さる。

 ハンターの牙をもってしても容易に食い破れなかった表皮を、光の矢は左後肢上方から右前肢下方を串刺しにして、いとも容易く貫いた。

 途端に力なく頽れるセイスモサウルスの巨体。忽ち石化が始まる。コアを射貫かれたのだ。

 

 彼は、中央大陸からやってきた人間としては初めて、その野獣の怒りの攻撃を目撃した。

 後に、ゴジュラスギガと呼ばれるギガノトサウルス野生体固有の武器、ゾイドコア砲。

 北半球のゾイドゴジュラス野生体は、地球から飛来したクローネンブルグ博士の改造によりレーザー兵器を搭載されたが、この野生体は改造を施されずとも光学兵器を使用することができたのだ。

 身体が巨大化すれば、体積は身長の三乗に反比例して熱の発散面積を失っていく。内部に籠もる熱を発散するために、背鰭は大型の恐竜型ゾイドには不可欠の器官であるが、このギガノトサウルス野生体は、体内の熱を直接獲物への攻撃に振り向ける機能を有していたのだ。

 自然の中で育まれた、想像を超える合理的な機能。あたかも盲目の時計職人が精巧な懐中時計を組み上げた如く、収斂進化の究極の到達点を彼は目撃したのだ。

 

 止めを刺した個体が、長く勝利の慟哭を上げていた。

 密林に響き渡るその雄叫びは、新たな王者の降臨を顕すかのようであった。

 

「ついに見つけた」

 

 彼は思わず歓喜の声を上げる。

 しかし、光圧によって吹き飛ばされた青空の一辺に、白く長く尾を曳く彗星が顕れていた。気がつけば、日中にも関わらず、緑やオレンジの輝きを帯びて流星雨が天空から降り注いでいる。

 リチャード・ジー・キャムフォードは、その時宇宙からの脅威が迫っていることに漸く気が付いたのだった。

 


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