エレナ達の搭乗したタートルシップは、ウラニスク市で建造された最新の機体であった。外見こそ変わらないが中央山脈さえ越えられなかった整備不良の機体ではなく出力・搭載量・巡航速度など大幅に改良されていた。搭載されるゾイドもマッドサンダーを含めガンブラスターやキングライガーなどの最新のゾイドであり、一路エントランス湾に向けて航行していた。
周囲の空域にはギルベイダーの攻撃から護衛する為にレイノスやサラマンダーF2が哨戒している。打ち続く暗黒帝国の定期爆撃に対抗する為にも、共和国は持てる全兵力を投入して是が非でも敵の基地を叩く必要に迫られていた。
彼女たちが新たに随伴することになったのは、エントランス湾基地から同時に脱出した、かつてシュウの保護役であったチャンス少佐率いるシールドライガーMk-2部隊であった。
彼は復讐心に満ちていた。
確かにシュウは特異な人物で、少佐自身もその奇抜な行動に何度となく困惑させられたが、その実かつての上官アイザック将軍の息子ということと、奇抜ながらも決断力と行動力そして研究者としては惜しい程の勇敢さを兼ね備えていた人材であった。常日頃から苦言を呈していたのも、この若者を育て生き残らせるための老婆心のようなものだった。
次の世代を引き継ぐのは自分の様な軍人ではなく、彼のような有能で敵味方に拘らない新しい感覚を持つ者ではないかと感じ始めていたのだ。
その息子の様なシュウを、あの黒いゾイドは一閃で切り裂いた。
直接攻撃では太刀打ちできないのは知っている。ならば敵の本拠に侵入し、出撃前に破壊をすればいい。既にサラマンダー洋上部隊の決死の探索により、フンスリュック基地の大凡の位置は判明していた。今回は基地潜入部隊のキングライガーに加え、後続のホワイト大佐率いるウルトラザウルス飛行艇が一日遅れで到着する予定であった。
「少佐殿、〝
「クルーガー大尉か。奴めまた命令違反を繰り返すつもりか。これ以上若い連中のお守りは御免だ。返信はしなくていい。磁気異常のため受信不能としておけ」
眉間に皺を寄せながらチャンスは呟いた。
「シュウ、待っているぞ」
極地に近づくにつれ次第に暗くなっていく空と海とを見つめながら、エレナは思いを強くしていた。
(戻って来ました、お父さん)
高緯度地域は冬季の極夜に入り、正午過ぎには星が瞬いている。雲上を進むタートルシップの窓から流星を三つ数えた。
あれ以来、エレナはミスターの言葉を繰り返していた。
『愛情ではなく、執着』
人を愛することは大切だ。勿論、恋愛感情を含めて。でもミスターは敵までも愛しなさいと言った。憎い者ほど愛さなければならないと。彼の笑顔をみれば、人がどれ程優しくなれるかわかる。同時に、人はどれ程醜くなれるのかもこれまで見てきた。
矛盾。ダブルスタンダード。葛藤。迷い。
『いいのですよ、娘さん。ゆっくりと、ゆっくりとね』
あの場所でのリチャードの顔も忘れられない。それはとても穏やかなものであった。
戦場に赴く自分の存在とは何なのか。
父を探し、救い出すことが目的だったはずなのに、何か別の意志に動かされているような気がする。
結論がでない。これではまるで
もしシュウだったら何と答えてくれたろう。
もしシュテルマーだったら。
そしてお父さんだったら。
「ルイーズ様、間もなく到着です。ベルトを装着してください」
キャロラインの隣で降下する機外の景色を見つめながら、彼女は未だに悩み続けていた。
その後の共和国の死闘を記すのは辛い。
連日の様に爆弾の雨が降り注ぐ。
共和国領の主だった都市は空襲の洗礼を受け、その度毎に数百人単位での犠牲者を生み出していた。
対する共和国軍のエントランス湾前線基地ではギルベイダーの秘密基地捜索を行い、フンスリュック基地への直接攻撃を敢行する。だが、予想を超えたギルベイダーの耐久性能により作戦は失敗。その後乾坤一擲の攻撃をこめたベルガ―提督率いるサンダーパイレーツ艦隊も撃破され、最早ギルベイダーに対抗する手段は残されていなかった。
それはかつて、ゼネバス帝国が味わった絶望にも似ていた。
ウルトラザウルスが投入され圧倒的な火力によって蹂躙されたこと。
マッドサンダーの登場によりデスザウラー無敵時代が終了したこと。
それ以前にも、戦闘ゾイドすら満足に配備されない時代にビガザウロを中心とした戦闘部隊によって帝国領を次々に攻め落とされたこと。
戦争は勝利が続く際には批判は起こらず、敗北を知って初めてその過ちに気が付くものである。共和国政府は、打ち続く敗北がやがては政府への批判へと変わり、崩壊したゼネバス帝国同様にヘリック共和国でも内部分裂を起こす危険を恐れるようになった。
共和国大統領ヘリックⅡ世は、その建造を承認し難かったが、齎された二つの情報が遂に決断させた。
一つは、共和国諜報機関の活動によって暗黒大陸での弟ゼネバス・ムーロアの生存が確認されたことである。
ギルベイダーの空襲以来、特に旧ゼネバス領での帝国民の動向が不安視されるようになっていた。暗黒大陸から帰還したエレナ達の乗ったタートルシップ受け入れを拒否したように、統治する共和国政府の指導を受け付けず、独自に都市ごとの武装を進めるようになっていたからだ。
共和国軍自体、その主力の多くを暗黒大陸に投入し続けていたため、苦肉の策として各都市の自警団的な軍隊に頼らざるを得なくなったのだが、これは非常に危険な傾向であった。もし各都市が独立し、二大勢力ではなく群雄割拠の状態になれば、それはもはやガイロス帝国の望むところである。そのために、かつての皇帝ゼネバス・ムーロアを奪還し、暗黒軍に動員されている旧ゼネバス兵の戦意を喪失させ、旧帝国民統治の象徴として再び利用する必要があったのだ。兄ヘリックにとってそれがどれ程不本意であったか容易に推察されるが、中央大陸に住む全国民を団結させるためにも必要な作戦であった。
なおこの作戦の隠匿名は「マドレーヌ作戦」と呼称された。真偽は定かではないが、兄ヘリックによると弟ゼネバスの好物は母が焼いたマドレーヌ菓子であったためと言われている。
もう一つの情報は宇宙からの脅威である。空襲や天候不順により観測が滞っていた外宇宙からの脅威が目視されるまでに接近してきたのだ。巨大彗星ソーンである。
国立天文台の軌道計算の結果、彗星は辛うじてゾイド星近傍を通過することまでわかっていたが、その過程で第二衛星Seを巻き込み、衛星への衝突、若しくは重力圏を離脱させ、数多くの天災を起こすことが予測されていた。
ヘリックは二つの決断をした。
一つはグランドパロス山脈の地下に眠る、巨大移民船グローバリーⅢ世号の修復である。万が一ソーンがゾイド星に衝突すると判明した場合、政府首脳は住民を見捨ててでも脱出しなければならない。無慈悲とも冷酷とも言われようとも、彼らが今まで築き上げてきた歴史と文明と知識をここで絶やすことはできなかったのだ。ヘリックは、せめて自分の席を別の若者に譲る事だけを確認し、この巨大移民船の修復を開始させたのだった。
そしてもう一つが、文字通り空前絶後と呼ばれる最強ゾイド、キングゴジュラスの建造である。グローバリーⅢ世号のワームホールドライブの技術を応用した禁断の破壊兵器の建造を、ギルベイダーへの対抗の為に遂に着手してしまったのだ。
力と力をぶつけ合う死のシーソーゲームの結果、後に惑星大異変を誘発させてしまう呪われたゾイドを共和国は完成させてしまう。
※
先陣のレドラーの襲撃と、その後方から悠々と飛来し的確にビームスマッシャーを放つギルベイダー。エントランス基地攻撃には常に単機で飛来し、数機から十数機のゾイドを破壊すると決して止めを刺すことなくまた飛び去って行く。
共和国軍がエントランス基地を放棄し、中央大陸の守りを固めてしまわぬようほどほどの攻撃と破壊を繰り返し漸進的に追い詰める。基地が残っている以上兵力の投入を止めるわけにはいかない共和国軍は、タートルシップの輸送を継続し国力を次第に疲弊させられていった。
これもガイロス皇帝の行っていた民族殲滅の為の戦略であった。強い相手には時間をかけて懐におびき寄せて殲滅する。暗黒大陸に上陸部隊を派遣してしまった段階で、共和国軍はガイロス皇帝の術中に嵌っていたのだ。
負傷者は毎日数十人単位で発生し、月に一度飛来するタートルシップに載せられバレシア市、若しくはクック市に移送され、代わって多くの兵士が再び派遣されてきた。無数の生贄を呑み込みながら、暗黒大陸の戦闘は続いていた。
生死が背中合わせの戦場で、エレナはその日も傷病者の治療と看護、そして最期を看取ることを繰り返していた。思い出されるのはミスター・ジェンチェンの言葉であった。
本来父を救出するために戻って来たはず。しかしいつの間にか手段が目的にすり替わってしまっている。
自分は今、人の命を救うという重要な仕事をしている。例え救えなくとも、精一杯の努力をしてその人の最期を看取っている。苦悶し、毒づいて死んでいく者も多いが、最期に「ありがとう」と私の手を握りしめたまま死を迎える者も少なくない。死に直面して綺麗ごとなど何一つない。誰だって生き残りたいのだ。
けれどこの込み上げる虚しさはなんだろう。どんなに目先の負傷者を救ったところで争いの根本に届くことはない。看護師という無上の愛情を注ぐ名誉な仕事に就きながら、私は悩んでいるのだ。
私は何の為に生まれたのか。
ゼネバスの娘として生を受け、紆余曲折はあったものの概して少女時代は幸せな日々を過ごしてきた。暗黒軍に拉致され、抑留されたゼネバス兵動員の為の道具としても使われた。今は一介の看護師として存在するだけで、末端の被害者を救うことは出来ても根本に横たわる原因を断ち切る事は出来ない。
暗黒帝国皇帝ガイロスにも連なる呪われた血を帯びているからこそ、私にしか出来ない何かがあるのではないか。父や伯父にも成し得なかった大切なことが。
『幸せとは、自分を含めた周囲全ての人間、そして世界を一緒に巻き込んで幸せにならなければ意味がないのです。自分が幸せになるためには、見知らぬ誰かも幸せにしなければなりません。例えそれが、自分の敵であっても』
敵を幸せにすること。
キシワムビタに捉えられ、大量の羽虫が湧く暗黒の大地の不遇を目にしてきた。
受け入れを拒否され、目前で息絶えていく傷病兵を見た。
国家の威信という見えないものによって、今も犠牲になっていく人々がいる。
何より人には家族が有り、知人がいて、恋人がいる。人が一人死ぬ毎にその数倍、数十倍の悲しみが人の世界に広がっているのだ。
ゾイドが本来優しい生き物であることは誰よりも知っている。だから例えその身を犠牲にしてもコクピットに座るパイロットを命懸けで脱出させるようなことをするのだ。
私たちは長い間ゾイドに甘え続けていた。これからはゾイドを含めた、全ての生き物が幸せになれる世界をつくらなければ、その全ての生物が生き残れないのではないだろうか。
でも私に出来ること、私にしか出来ない事とは一体何なのだろう。
患者に包帯を巻く彼女の頭上で真っ赤な光輪が飛び去って行った。
「ビームスマッシャーだ!」
仮設テントを薙ぎ倒し、頭上をギルベイダーが飛び去っていく。しばらくすると方向を変えて再び地上攻撃を開始した。軍事施設への攻撃から、戦闘継続への直接の影響の少ない病院施設への攻撃に移行したのだろうか。ゾイドや燃料貯蔵庫ではなく対人攻撃を繰り返していたのだ。ビームスマッシャーが狙い澄ましたように人間を切り刻んで行く。蒸発し切断される肉体の群れ。血の匂いが飛び交う凄惨な光景が繰り広げられていた。迎え撃つシールドライガーMk-2やガンブラスターもこの黒いゾイドには全く太刀打ちできない。
屋根を吹き飛ばされ、内部が丸見えになった病院テントの真上から、ギルベイダーが不気味な顔を覘きこませていた。
その口元が僅かに上がったように見えた。いやらしいまでに嬉しそうな顔に見えたのだ。
〝見つけた、今日の獲物だ〟
あたかもそう呟くように。
爆発が起こり、エレナは5mほど吹き飛ばされた。
咄嗟に頭だけは押さえたものの、右手が無理な方向に曲げられたのか、立ち上がろうと手をついても力が入らない。右ひざが擦りむけて血が滲んでいる。
身体中泥まみれになり、目が開けられない。
ギルベイダーは地上に降りていた。ニードルガンを撃ち放ち、対人殺傷攻撃をしている。徹底した恐怖を植え付け敗北感を味あわせるための、やはりガイロス皇帝の常套手段であった。
看護兵の群れを見つけた。一際高くギルベイダーが叫んだ。
白い影が横合いから突進し、ギルベイダーの頭部に体当たりした。
チャンス少佐のシールドライガーMk-2だった。
「逃げろ、出来るだけ遠くに」
外部スピーカーの音量を最大にしながら少佐は叫んだが、共和国の誇る高速ゾイドも桁違いの破壊力をもつ巨大ゾイドには到底対抗しうることは出来なかった。
背部の小さなビームスマッシャーがシールドライガーの脚部に撃ち込まれ、左前足と右後ろ脚を同時に切断しその動きを停止させた。キャノピーを僅かに逸らして胴体部分にニードルガンを叩き込む。忽ち機体は穴だらけになり機能は停止していた。
嗜虐心を満たすように、ギルベイダーは執拗に看護兵達を襲い続けた。
止めを刺さず、ただ走らせる為に。
「ルイーズ様、走れますか」
「大丈夫、脚力には自信があるんだから」
だが右手の痛みに耐えながら疲れ切った身体を酷使するにも限界があった。
足がもつれる。泥の水溜まりに前のめりに倒れ込んだ。背後を見上げる。
〝もう追いかけっこも飽きたね〟
ギルベイダーの顔はそう言っていた。
頭部のツインメイザーが白熱する。エレナとそれを庇って仁王立ちするキャロラインに向けて発射態勢をとっていた。
彼女は自らの生涯の最期を悟り、目を瞑ることなく黒いゾイドの頭部を見据えて叫んだ。
「私が死んでも何も変わらない。殺すのなら思いっきり派手にやってみなさい。
代わりにその残虐さは語り継がれ、いつしか己の身に降りかかるのを忘れない事ね」
ツインメイザー発射直前、エレナの脳裏には父の面影が奔っていた。
(死にたくない、死にたくない……お父さん、ごめんなさい)
ギルベイダーの背後で起こる衝撃。甲高い金属の衝突する音が響く。
敵の背中に何かが攻撃を仕掛けたのだ。
腹を着き、地上にのめりこむように這いつくばる黒い翼。頭部は宙を向き、ツインメイザーの射線が虚空の彼方に伸びていった。
射撃ではない。重金属の塊のような何かが直接ぶつかった、いや、蹴とばしたのだ。
ゾイドだろうか。エレナはこれほどのキック力を持つゾイドを知らなかった。敢えて言うならディバイソンだが、現在のエントランス基地には配備されておらず、ましてギルベイダーの背部に跳び上がることはできない。
空中に、黒雲を背景にしながらトリコロールカラーに黄金の煌めきを纏う機体が浮かんでいた。
ガンブラスター? 違う、あれは飛べない。
目を凝らす。泥粒が入ってまだ痛い。
次第にその神々しい姿が見えてきた。
それはまるで、かつて母エーヴから語られた神話の勇者が乗る天馬のようであった。
「オルディオス……。シュウ、遅いぞ」
ぼろぼろのコクピットから這い出したチャンス少佐が呟いた。
エレナの目の前に、白いゾイドが舞っていた。