『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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22(2053年)

 ガニメデ城の裏側、草深い森林に囲まれた幽谷に、その屋敷はひっそりと建っていた。山から流れ出る沢のせせらぎが心地よい。僅かに肌寒いながらも、辺りを漂う水滴がしっとりと肌を被って清々しかった。

 小道を抜けて辿りついた先には、古く小さな城門と比較的新しい扁額が掲げられている。

「キリンディニ宮、ここですね」

 どこか遠くで小鳥の(さえず)りが聞こえてくる。門をくぐった中庭で、綺麗に手入れをされた草花と、蔦の絡まったアーチが出迎えた。

 静寂な中、穏やかに呼吸をする多くの人の気配が感じられる。集会場とも広場とも言えない、半分ほど草葺の屋根に覆われた場所に、無言で佇む多くの人々の列が並んでいた。

 彼らも一様に身体の一部分を欠損し、義手や義足で補っている。

 回廊を抜け奥の部屋へと進む。木々の緑と花の色が美しい。

 その奥に、突如として場違いなものが現れた。

 巨大な芋虫型ゾイド、モルガの姿だった。

「お待ちしておりました」

 モルガの前に、満面の笑顔を湛えた黒縁丸眼鏡の人物が座っていた。

 

 リチャードを含めた義手・義足の装着を完了したASD患者の治療に当たり、ジュディー・ハーマンが次に示したのは、彼らをガニメデ城の奥にある同市統監府総統ミスター・ジェンチェンの設立した療養施設「キリンディニ宮」に移送し、精神の回復を行わせることであった。

 周囲からも尊敬の念を込めて〝ミスター〟と呼ばれているジェンチェン・パルサンポという人物は、嘗て皇帝ガイロスによる暗黒大陸統一の過程で弾圧を受けた古代ゾイド人の末裔の地底族であった。ディオハリコンやドラゴン型ゾイドなどの技術を受け継いできた民族であったが、その技術が中央大陸に伝搬することと、逆にその技術によってガイロス帝国に反旗を翻すのを恐れたこと、何より彼らの所有する技術とディオハリコンを産出する領土を根こそぎ奪い取る為に、彼らは故郷の大地を逐われたのであった。民族への徹底破壊を行うガイロスの追撃を逃れ、当時中央大陸戦争開始以前のアンダー海を、戦闘ゾイドとして改造されていない野生ゾイドで命懸けで中央大陸に脱出し、中央大陸の山麓に小さなコミュニティーを作って密かに暮らしてきたという。

 ゼネバス帝国が崩壊し共和国政府にとって新たな統治者が必要となった時、彼らへの視線が注がれた。同じ地底族であれば統治への受け入れが容易ではないか。共和国政府は彼らの長であるジェンチェンを総統に抜擢し統治に当たらせたのだった。

 彼らの統治方法は独特であった。非暴力を貫き戦闘ゾイドも所有しない。それでも非常に安定した統治が成されていたのだ。

 一部、宗教的な儀式が行われているのではないかと疑う者もいたが、彼らの統治は特定の神を拝むような偶像は一切なく、また教義らしきものも見当たらず結局一種の哲学的な思想を実践する社会集団であることまでが理解されていた。そしてその集団では高度な精神修養が行われ、多くのPTSD患者などの回復に効果があることを証明したのが、他ならぬジュディー・ハーマンであったのだ。

 エレナは、かつての想い人を奪われた相手の指示を素直に受けることに感情的に気が進まなかった。加えて向かうキリンディニは遠く、更に気が滅入っていた。

 マイケルの紹介により再び暗黒大陸に向かうのは3週間後と決まったが、それまで何もせずにいるわけにもいかなかった。既に彼女たちは完全に従軍看護師として勤務を宛がわれてしまっていたからだ。

 

                    ※

 

 傾きかけた夕日が山の端に向かって降りて行く。

 風が通るバルコニーの下、リチャードは静かに佇んでいた。

 向かい合った人物の黒縁丸眼鏡に陽射しが照り返し、輝きを周囲に散らしている。

 二人はしばらく無言のままだった。心地良い緊張感の中、時は着実に経過していた。

「風が、変わりましたね」

 ミスター・ジェンチェンが静かに呟き、彼は無言で頷く。二人を見守るエレナにはそれが何を意味するのか理解出来なかった。

 彼は時折左の腕に右手を添え、夕日に映える森の木々を見つめている。そしてふと囁いた。

「私は新しいゾイドを探す旅に出ようと思います」

「それは、何のためにですか」

 ミスターの問いかけに彼は力強く応える。

「この星の何処かに、生命力と野性味に溢れた、我々がまだ出会ったことのないゾイドがいる予感がするのです。戦うだけが真価ではないゾイドが」

 そうして彼は、エレナを真っ直ぐな瞳で見つめた。既に心身ともに回復していると思われた彼の申し出に彼女は当惑していた。

 このキリンディニ宮で彼に何があったのだろうか。エレナは逡巡しつつ言葉を返す。

「お気持ちはわかります。ギルベイダーに対抗できるような強力なゾイドが必要なのはヘリック共和国の誰もが望むところでしょう」

「いいえ」

 彼は冷静だった。

「私は復讐を望みません。左腕を失うことでこうして多くの人々と出会い、そして新たな人生の目的を見つけることができたのですから」

 傍らでミスターがそっと頷きながら微笑んでいる。眼鏡の奥の視線は優しく包み込むようであった。

「怒ったり、脅えたり、暴走したり。ゾイドとは実に不思議な生き物です。コクピットを取り付けてみても、操縦できるとは限らない。

 だからこそ面白い。コクピットの中で恨み言を溢しながらも、操縦者は存外にその機体と繋がり合っているものです。

 今の我々は、外装や内部機構に手を加えすぎることでゾイド本来の生命の輝きを削っている。戦闘の道具としてしか見ていない。

 しかし、ゾイドとは本来生き物だ。戦う理由などその本当の存在理由に比べたらちっぽけなものだ。

 金属生命体としてこの世界に生まれ、成長し、子孫を残し、死んでいく。命のサイクルの中で、小手先の改造などはね除けるような、生命力に満ち溢れた野生体に私は出会いたいのです」

「それをどこで探すのです。中央大陸ですか。それとも暗黒大陸で?」

 彼は太陽の沈む方向に目を向けた。

「まだ我々が到達しきれていない西の大陸、古代の遺跡が数多く残る未開の大地、エウロペです」

 夕日がエレナを含めた三人の姿を染めていく。真っ赤な光の中で、リチャード・ジー・キャムフォードは遥かに臨む西の稜線を見つめ続けていた。

 

 

「キリンディニ、〝水の深い場所〟ですか」

「よく御存じで。古代ゾイド語を理解されているとは。お若いのに素晴らしい」

 シュウの書棚にあった古代ゾイド文明の言語を、エレナも多少なりとも理解していた。その音韻が、「キシワムビタ」同様に古くからの言語を想像させたからだった。

「私が暗黒大陸を脱出してヘリック大統領に保護されてから、既に40年以上が過ぎました。もはやここは第二の故郷ともいえる場所になっています。といっても、私が住んでいたのは中央山脈の東側。麓に降りても小さな村落しかない辺鄙な場所で、共に逃れてきた者達と小さなコミュニティーを作っていました。

 ゼネバス帝国が陥落し、その統治の為に、地底族出身という理由で私は召喚されました。もともと私は政治など向いていないのですが、大統領への恩義もありましたのでお断りするのも失礼かと思い、統監府総統という大役をお受けすることになりました」

〝ミスター〟と呼ばれるガニメデ市統監府総統、ジェンチェン・パルサンポは、終始穏やかな笑顔を絶やさずに語っていた。

「ここは戦争に疲れ、精神を病んだ人々が一刻も早く立ち直る為に作った心の宮殿です。科学の一つである医学では肉体の傷は治せます。しかし心に負った傷は外からの働き掛けでは治せません。その治療のお手伝いが少しでもできればと思いここに故郷の名前を冠して築きました。差し出がましいかもしれませんが、私に今できる最善の事はこの程度なのですから」

 そう言うとまた彼は笑った。血色の好い肌に刻まれた皺も、年齢を感じさせることより何処かユーモラスで、そこにいるだけで落ち着いた気分にさせるような不思議な人物だった。

「リチャードさん、といいましたね。彼もここに来て、随分と回復しましたよ」

「はい。先ほどの会話でよくわかりました。彼があれほど回復するとは思いませんでしたから」

 幾分当惑した表情を浮かべつつも、自分の患者の回復は嬉しかった。

 ミスターは相変わらず微笑んでいる。

「左手の義手操作も順調の様です。それにしても最近の義手の技術は素晴らしいものですね。私も少し触らせていただきましたがまるで本物の腕の様でした。さぞかし名のある方がお作りになられたのでしょうね」

 ミスターは背後のモルガを見上げた。

「このゾイドは、傷つき、戦場に見捨てられていたものを回収して私が直したものなのです。武装も取り去って、今は殆ど野生ゾイドと同じ能力しかありませんが奇妙に懐いてくれました。ちょっとした外出には便利な生き物ですよ」

 エレナは、これほどまでにゾイドを慈しむような瞳で見る人物に出会ったことはなかった。そしてそれは決してゾイドだけに向けられたものでないことも判った。彼は地上に存在するありとあらゆるもの、いや、精神を含めた森羅万象をも愛することが出来る人物なのだと思えた。その優しい瞳が、言葉にならない表現出来ない何かを放っていたからだ。エレナは以前から抱いてきた疑問を彼に投げかけた。

「お伺いします。あなたは暗黒大陸でガイロス皇帝による徹底した弾圧、民族洗浄(エスニッククレンジング)により故郷を追われた古代ゾイド民族の末裔と聞いています。あなたたちにとって暗黒軍と皇帝ガイロスはいわば憎むべき敵、忌むべき悪魔のようなものでしょう。いま共和国は暗黒軍と戦い、ここにいる傷病者のように、傷つき戦場に倒れる戦いが続いています。この機会を利用して再び暗黒大陸の地に帰り故郷の文明を再建しようとは思わないのですか」

 モルガを見上げていた視線を、彼はもとに戻した。

「私の故郷は既に中央大陸となりました。小さな場所に拘り心を縛られるのは精神の健康にも良くありません。強いて言えば私の故郷はこのゾイド星。金属生命体を育んだ豊かな惑星なのです」

「私には理解できない。なぜあなたはそれほどまでに人を許せるのですか。例えそれが肉親や信じる人々を奪った相手であっても」

「あなたは〝愛情〟とは何か答えられますか」

 ミスターは突然問いかけた。戸惑いつつもエレナは答える。

「愛情ですか。それは愛する者への無限の慈しみ。それを傷つけようとする者から守りたいという気持ちだと思います」

 彼は微笑みを絶やさない。

「それは正しい答えです。でも身内だけに注がれる感情は愛情ではありません。それは〝執着〟というものです。小さな世界に閉じこもった狭い関係だけを守る我儘な感情です。自分だけ、自分の家族だけが幸せで、周囲全部が不幸な世界を考えてみてください。果たしてそこであなたたちだけが幸せに暮らせるでしょうか。

 幸せとは、自分を含めた周囲全ての人間、そして世界を一緒に巻き込んで幸せにならなければ意味がないのです。自分が幸せになるためには、見知らぬ誰かも幸せにしなければなりません。例えそれが、自分の敵であっても」

「そんなバカな」

 彼女にはまだ納得できなかった。仲間を死に追いやり、更にはそれをあざ笑うかのように振る舞う敵を知っていたからだ。許せない、彼女の中には抑えている激情が燻っていた。

「すぐに理解しなくてもいいのです。ただ、人は誰しも誰かに愛情を注がれて文明を築きあげてきました。もし人が愛情を持たなかったら、未だ我々はゾイドと同じように個体ごとに存在し、文明という絆を作り上げることなどできはしなかったでしょう。

 戦争という巨大な悲劇が人への不信感を広げるのは判ります。それでも私たちは人間の可能性をもっと信じてもよいとは思えませんか。少なくともここへきて、心を取り戻すことが出来た人々も大勢いるのですから」

 それ以上彼女は言葉を発することができなくなった。説得や論破されたのではなく、目の前の人物の慈愛に満ちた言葉に最早反論することが心苦しくなってしまったからだ。

 理解はできても納得はできない、まだそんな中途半端な気持ちであった。

「いいのですよ、娘さん。ゆっくりと、ゆっくりとね」

 彼の微笑みには絶対に敵わないことだけは判った。

 

 

 リチャードたちの回復は目覚ましいものであった。会話さえもできなかった人々が、見る見るうちに精気を取り戻し、義手や義足に拘らず生きる喜びを取り戻して行った。回復が確認された人々は再びチェスター財団の施設に戻り、リハビリに励むことになった。

 但しリチャードは充分な回復が見られた直後、突然キリンディニを離れ西方大陸へゾイドを探す旅に出ることを申し出た。重度のASDだったため軍籍は既に除隊済みであり軍規に触れることも無かったのだが、その提案はあまりに唐突であった。

 最後に会った時、再び彼の意志を確認してみた。その時はキャロラインも一緒であった。

「ゾイドの根源に触れてみたい。一度は失った命です。その残りの全てを捧げてでも悔いのない事をしてみたいのです」

 彼の決意は変わっていない。それは個人の意志に任されることであり、彼女が決める事ではない。あの時黒い雨に打たれながら呆然としていた姿を知るエレナにとって、彼の回復は素直に嬉しかった。同時に暗黒大陸への移動が近くなり、ここで彼との別れが来ることは自分の扱った患者としても寂しい気持ちになっていた。

「ルイーズさんにはいろいろとお世話になりました。もしお会い出来る機会があればお礼をさせてください」

「ええ、その時は喜んで」

 二人は固い握手を交わした。

 互いに暗黒大陸の戦闘を潜り抜けてきた戦友に近い感情であったかもしれない。

 ふと、エレナは彼の中に自分の良く知る人物の姿が重なっていることに気が付いた。

 夢見がちで、一度決めたことは無謀であっても突き進む姿。失敗しても後悔をしないという高潔さ。

(お父さん?)

 リチャードの中に父の影を重ねていることに気付き、不意に胸の高鳴りを覚えていた。

「これだけは約束して欲しいのです」

 リチャードが険しい表情となる。胸の鼓動を抑えつつエレナは短く「はい」と答えて彼の言葉を待った。

「生きて帰ってきてください」

 それは戦地に赴く戦友への感情とは違うものだった。

「あなたもお元気で。見つかるといいですね、素晴らしいゾイドが」

 

 

 キリンディニの扁額を背にした坂道を、エレナは二度振り返りながら手を振った。

「ルイーズ様、素晴らしいゾイドとは一体なんのことですか?」

「秘密です。いずれ機会があればお話ししますよ」

 怪訝な顔をするキャロラインを後に、エレナは長い坂道を軽やかに下って行く。

 看護師と患者、ただ擦れ違っただけの刹那的な接触。彼との出会いは幻のようであった。互いに互いの存在は忘れ去られ、もし次に出会ったとしても知らないまま通り過ぎるに違いない。でも、それでも構わない。出会いとはみな偶然の積み重ねなのだから。

 そして思った。立ち止まっていることはできない。三日後の暗黒大陸へのタートルシップでの渡航へ向け準備をすることを。

 今度こそ、父を救い出す為に。

(お父さん、待っていてください)

 

 この頃から、中央大陸に住む人々は宇宙からの異変に気付く様になっていた。

 毎晩のように降り注ぐ流星雨が次第に数を増し、時には真昼の様な明るさで天空を彩るようになっていたからだ。

 しかしギルベイダーによる定期的な都市攻撃は継続されており、人々が宇宙に目を向ける為の余裕はなかった。共和国軍側では迎撃のための対空装備を充実させ、大量のサラマンダーやレイノスを配備することによりその黒いゾイドに敵わないまでも、先の首都空襲のような大規模な被害を食い止めることで精一杯であった。

 この星の人々は、外惑星軌道より迫る巨大彗星「ソーン」の影を突き止めることに遅れていた。

 惑星大異変まで、わずか2年しか残されていなかった。

 


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