門扉には〝チェスター財団寄贈〟と刻まれていた。キャロラインの言う旧陸軍病院の施設の裏側に真新しい建物が造られていた。医療施設にしては奇妙に機械油の匂いが漂っている。清潔な施設には違いないのだが、何処か小さな町工場のような装いだった。異様に長い建物で、待合室を兼ねる受付には既に数十人の列が並んでいる。そしてその列には一様に手足を失った人々が並んでいた。車椅子に乗った人も多くリチャードに付き添ってやってきたエレナにはその光景は痛々しかった。
よく見ると並んでいる人々には民間人も数多く見受けられる。ガニメデ郊外は激戦地であったため、傷病者も数多く発生したのだろう。
同じ敷地内ということもあり、患者であるリチャードのカルテは既に送られている。エレナは特に紹介状を持つことも無く、ただ待合室の中で自分たちの名前が呼ばれることを待っていた。ジュディー女史には「すでに発注済み」と言われていたが、待ち時間は長くなりそうであった。
リチャードは相変わらず無表情のままだった。彼女の診察によると、精神の回復には肉体の回復が必要とのことだった。彼は左腕の喪失以上の喪失感が精神に負担をかけていると診断された。まずは優秀な左腕を取り戻し喪失感を補うことにより改めて精神面での治療を行うという。
そのことが最初何を意味するか解らなかったが、指示を受けた施設にやってきてエレナは漸く理解できた。
ここは義手や義足を製造し提供する施設のようだ。切断された神経を接続する関係上、医療施設に併設されたのだろう。
中庭では、明るい日差しのもと庭一面に咲き誇る鮮やかな花の中でリハビリを行う義足の患者たちが懸命に歩行訓練を繰り返していた。
ふと、どこからか懐かしい声が聞こえてきた。聞き覚えがある男性の声だ。
父や祖父ではない。家族とは違った、しかし家族同然に過ごしたひとの声だった。
声の主を探しエレナは辺りを見回した。遠くの病室の方から薄い灰色の作業服を着た男性が二人近づいてくる。その内の一人に彼女の目は吸い寄せられた。
「……今度の発注は左右の脚、合計22セットだって。相変わらず人使いの荒い女史だなジュディーは」
「仕方ありませんよ。いまあれだけのものを作れるのは、帝国領内にはあなたしかいないのですから」
「褒めても何にも出ないよ。僕にはロフタス君の給料を査定する権利はないのだからね」
「別に世辞を言うつもりはありません。事実ですから」
「気持ち悪いな、何か彼女に言われたのかい?」
エレナは思わず立ち上がった。その顔に見覚えがあった。5年前、自ら戦闘に志願し、自らが設計した機体に乗って戦い倒れた人物。既にこの世を去ったと思っていた人物であった。
「マイケル先生」
彼女は人物の背後から追いすがり声をかけた。
一瞬立ち止まり振り向いた。
その顔は、紛れもなく彼女にとっての恩師。そして密かに慕っていた年上の憧れの男性でもあった。
最初彼は当惑していた。
「僕の名前を知っている? 申し訳ありませんがどなたでしょうか。僕にはあなたの様な美しい女性の知り合いはいないのですが」
「マイケル先生、お久しぶりです。お忘れですか。私です、エレナです」
「エレナ……エレナ様!」
その言葉を待たずに、エレナは嘗ての恩師、そして兄のように慕っていたゾイド技師に人目も憚らずに抱きついていた。そして泣いた。思い切り泣いた。
今まで彼女は、どれ程苦しくても、どれ程悲しくても、人前で声を出して泣くことはなかった。
だが、今は泣いていた。それは嬉しさのあまりに流れ出た涙であった。止め処なく、溢れるように、喜びと共に泣いていた。嗚咽がなかなか止まらない。言葉を発しようとしても一切言葉にならない。でも、嬉しかった。本当に嬉しかった。
愛しい人との再会であった。
「あなたがあの、お転婆エレナ様ですか。信じられない。女の人は変わるものだとは知っていたがこれほどとは。まだまだ勉強が足りないな、僕も。
エレナ様、お美しくなられましたね」
「先生こそお上手になりましたね。私はあれから何も変わっていないつもりです」
ぐしゃぐしゃに泣きはらした顔で漸く見上げると、マイケルも同様に目じりに涙を湛えていた。
「どうしてこんなところに。それにその格好。いつから看護師の仕事を……」
そこまで言ってマイケルは口を噤んだ。傍らには訝しげに様子を窺うロフタスと呼ばれた同僚らしき男性と、突然の感動の再会を見守る人々が取り囲んでいたのだ。
彼女の本来の立場から判断して、白衣に身を包んでいる理由が何かは語らずとも凡その見当が付いたのだろう。
マイケルは彼女の両肩をそっと抱き囁いた。
「ここは人目もあります。詳しくは後ほどお話ししましょう。僕は今、ここの義手・義足製造部門の特別顧問をしています。ガニメデ市には2週間ほど滞在予定です。ええと……ルイーズさん、ですね」
白衣に付けられた名札を読み取ると、咄嗟の判断で彼女の呼び方を変えた。
「ルイーズ、君も仕事があるだろう。勤務時間はいつまでだろうか」
そういわれて、本来の目的を思い出した。
〝リチャード・ジー・キャムフォード様、診察室5番にお進みください〟
間が悪い事に、丁度受付から名前を呼ぶ声が聞こえ、呼び出しに思わず振り返る。マイケルもロフタスを振り返った。今は互いに職務に責任を持つ身の上だった。
エレナが退勤後に宿舎に帰る時間を伝えると、マイケルは時計を見た。
「その30分後なら会えるだろう。今日の夕刻、この場所に来てくれるかい」
「はい喜んで」
そう言うと、彼は羨望の眼差しで見つめていたロフタスの元に戻っていった。
「あの美人、お知り合い?」
「ああ、昔家族ぐるみで付き合っていた家の娘さんだ。戦争で死んだと思っていたのだが、生きていてお互いに驚いてしまったのさ。待たせて悪かったね」
「いいんですか。用件は私だけでも出来ますよ」
「いや、気にしないでくれ。彼女とは約束をした。時間をロスした。急ぐぞ」
振り向いて、彼女に小さく手を振った。名残惜しいがやむを得ない事だった。
そして彼女にとって衝撃的な事実がもう一つ訪れた。
振られたマイケルの左手の薬指に、銀色の指輪が光っていたのだ。