『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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2(2051年)

 三方をアンダー海で囲まれた、ここキシワムビタ城にエレナは〝保護〟されていた。この場合、保護と拘束という言葉は同義である。周囲には監視が置かれ、自由に野外に出ることも儘ならない生活を強いられる。時折海風に身を委ね、今は亡き父の姿を波間に思い描くことしかできなかった。

 遠方に、装甲の隙間から緑色の燐光を放つヘルディガンナーと言うゾイドが這いまわり、彼女の姿を一瞥すると、城壁の裏へと消えていく。

 エレナはゾイドが大好きだった。帝室専用のシルバーホーンを皮切りに、デスザウラーを除く殆どのゾイドのコクピットに座ったことがある。

 それでも目の前で燐光を放つ暗黒軍のゾイドは大嫌いだ。

 父の仇、祖国の仇、他にも理屈では割り切れないさまざまな感情が重なって、黒いゾイドを目にする度に、虫酸が奔るような嫌悪感に苛まれた。

 城内に戻るとすぐ、伴って行動していたキャロラインが雪で湿ったコートを受け取り暖炉の側へと彼女を導く。

 コートの下から、北の大地には不釣り合いな淡いパープルのハイネックタイプのワンピースドレスが現れる。二の腕まで被った純白薄手のロンググローブから露わになる肩と、膝に達しないスカートから伸びた脚が柔らかな曲線を描く。

 ドレスと色を揃えた白い縁取りのブーツは少女の細い脚部を膝まで被い、肩に掛かったシースルーのショールから、冷え切っていた肌が暖炉の炎で温められ、幾分上気し赤く火照る。艶やかな肩と鎖骨は、妖艶な色香を漂わすには未熟な少女の愛らしさを放っていた。

 胸の中央に、金糸に提げられた蛇と剣をあしらった金色のブローチが輝く。今は亡き帝国、ゼネバスの紋章であり、今の彼女にとって精一杯の抵抗であった。

 嘗てゼネバス帝国での自分の位置づけを、聡明な彼女は理解していた。

 父が力の象徴であるならば、自分は優しさの象徴になろう。16歳の彼女は、思春期に見られる理由のない反抗を抑えつけ、勉めて帝国民衆の前に立っていた。

 客観的に、彼女は自分の美しさを認識していた。

 政治とは、政策であると同時に幻想でもあり、理性と感情は政治の両輪となる。だからエレナは、自分の持つ美しさと若さを訴える姿で民の前に立った。敢えて地底族の血をひく証を示す素肌を露わにすることこそが、若い自分にできる最大の貢献と知っていたからこそに。

 しかし、デルポイを離れた囚われの身の彼女にとって、その服装は徒に肌を晒すだけのものだ。それでも彼女は、あの温かい民衆の姿と父との記憶、そして朋友と共にゾイドで自由に大地を駆け回った思い出を胸に抱き続けるため、敢えてこのドレスを身に纏っていたのだった。

「温かいお飲み物を御用意致しました」

「お酒は入っていないですよね」

「存じております。御心配なく」

 キャロラインは微笑みながら、エレナの横のテーブルに、蓋の付いた白磁のティーカップを置く。彼女はデルポイ以来の忠臣であり、世話係であり、友人でもあった。5歳年上で幼い頃より皇女付きの世話役として教育を受け、帝国首都での参賀を含め、一時占領していた共和国領での巡幸にも常に付き従ってきてくれた。

 エレナは冷え切った両手をカップに添えて、香りを楽しもうと蓋を開く。

「熱っ」

「お気を付けください。カップは熱くなっておりますので」

 キャロラインは少し笑いながら告げる。

「そんなことわかってるわよ。今実感したわ」

 幾分不満げな表情を浮かべ、エレナは注がれた琥珀色の紅茶に癒されていた。

 幽閉されて以来、単調な毎日が続いていた。

 暗黒軍の策略は手に取るように判る。ゼネバス帝国の遺児である自分を擁し、デルポイに戦いを挑むこと。ゼネバス帝国滅亡による空白地帯を埋め、そこに育まれている人的資源をそのまま手に入れること。北極圏に近く、年間の半分以上を雪と氷と暗い極夜に閉ざされ、人口の増加もままならないニクスから、明るい太陽が降り注ぐ南の大地をめざすこと。

 彼らには国家間での「共存」という概念がない。暗黒軍と呼ばれる所以は、暗く閉ざされた自然ゆえの、暗い殺戮の歴史に縁取られてきた結果でもあった。

 

 帝国滅亡のあの日から既に三か月が過ぎ、ニクスの短い夏が始まろうとしている。鉛色の雲間からは、時折水平線に貼りついたような弱い日差しの太陽が見えた。夏至が近づくとともに、白夜の季節も巡って来る。

 しかし、この地の夏は不快だった。

 永久凍土の溶ける僅かな期間を待ち構えていた無数の生命が、泥濘の中一斉に孵化する。風が止んだ晴れ間には、空一面が黄色くなるほど小さな羽虫が飛び交うのだ。ただ種の維持のためだけに舞い、子孫を残した後には数センチ層の死骸を成す。人に危害を及ぼすものではないが、迂闊に羽虫の群れに巻き込まれれば、忽ち口と言わず耳と言わず飛び込んでくる。衣服の隙間に入り込み、鋭い爪で肌を傷つける。自ずと外に出るのは、僅かに雪が舞う風の激しい日に成らざるを得ない。

 今日は羽虫は発生していない。彼女は窓の外を眺め、戻ることの出来ない故郷に想いを巡らしていた。

 故郷デルポイの夏は劇的だ。夏始と呼ばれる急激な気温変化に、季節は一斉に変化する。花が咲き鳥が舞い、人が歌う。中央山脈に端を発する雪解け水が音を立てて流れ、豊かな実りを(もたら)した。それに比べ、暗黒大陸の夏はあまりに辛い。

「キャロル、私たちは幸せだったのね」

「何のことですか」

「なぜガイロス帝国が、私たちの国土を欲するのかよくわかったわ。冷たく、暗い大地。なぜこの星には、生まれながらにしてこれ程の差がついてしまうのかしら」

「私などにお答えできることではありません」

 それはキャロラインに問いかけるというよりも、自分自身への問いかけであった。

 他人の痛みを知る。

 エレナは傷病兵を見舞い、血だらけの包帯を巻き直し、時には命尽きた無名の兵士の遺体に(すが)り、辺りを憚らず大声で泣いたこともある。それはパフォーマンスなどではなく、父譲りの豊かな感情の表れではあった。だが国軍兵士への愛情とは執着という言葉にも置き換えられた。身内の者だけしか愛させないのでは永遠に平和は訪れない。

 後に開花する、父ゼネバスを超える彼女の政治的な才覚の片鱗は、この時既に示されていた。

 

 時ならぬ轟音が、城の上から響く。(いびつ)なダイヤモンド編隊を組んだ赤いゾイドが、雪混じりの空を飛び去って行く。

「まだ塗装も変えていないなんて」

 キャロラインが不満そうに呟いた。

 ゼネバス帝国から接収したレドラーが、慣れないガイロス兵を乗せての慣熟飛行訓練を行っているのだ。海上が飛行訓練場になっており、単調な海岸線の中、このキシワムビタ城が一つの航路目標になっていた。明滅する赤い航空灯が、古い時代に建てられた城壁に不釣り合いに光っている。

 戦争は避けられない。彼女は冷静に判断を下していた。

 見せ掛けだけの平穏は続いている。ゼネバス帝国との戦いの傷の回復と、旧帝国領への占領支配政策の徹底を図っているヘリック共和国。未だ兵の習熟が上がらず、ディオハリコン不足によってごく限られたゾイドしか準備できていない暗黒軍。互いの利害が一致しての仮初の平和。それさえ過ぎてしまえば、必ずどちらかが兵力を動かす。

 その時、暗黒軍の陣頭に立たされるのが自分であることを、彼女自身が痛いほどにわかっていた。16歳の少女が負うには、あまりに重い責任であった。

 

 旋回したレドラーはエレナたちの頭上を掠め、代わってシンカーの編隊が、やはり歪なダイヤモンドを描きながら窓の外を飛び去って行くのであった。

 

 


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