『ゼネバスの娘―リフレイン―』   作:城元太

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(2052―2054)
16(2052年)


 中央大陸以上に起伏に富んだ地形の暗黒大陸に対し、共和国軍が空からの進攻を考えサラマンダーの改装に着目するのは極自然な流れであった。〝鋼鉄の翼〟を電磁フロートシステムで強化し、空戦性能を更に高めたサラマンダーF2、通称〝ファイティングファルコン〟が、黄金の翼をエントランス湾の共和国軍前線基地に並べたのは、第二次上陸部隊が到達してから半年が経過した豪雨の日であった。

 降り注ぐ雨滴の中に居並ぶサラマンダーを部屋の窓越しに見上げながら、エレナは幼い日に祖父から受け取った小さな玩具を思い出していた。

 中央山脈を流れ落ちるミストラルを浴びながら、青空に翼を広げて野山を駆け巡ったあの日。いつも傍らにいた祖父と母もこの世を去り、長閑(のどか)な辺境の村も戦火に巻き込まれたとの噂を聞いた。村人たちは、そしてエメラルドグリーンの瞳を持つ幼馴染みの少女は健在なのだろうか。

 F2の青いキャノピーの端から、雨が筋となって頭部側面を流れ落ちている。後に判明するが、この時暗黒大陸に投入されたサラマンダーF2は、全機が未帰還となる。

 視線を部屋の中に戻すと、整然と分類されてはいるが大量の物で溢れ返っていた。古びた書物、分類番号の貼られた石片、束ねられた無数の写真、そしてベッド。サラマンダーが見下ろす窓の下の僅かな空間にコーヒーサーバが置かれ、ここが生活空間であることを示している。

 マイケルの部屋もこんな風だったと、エレナは思い返していた。違うのは本の背表紙である。技術書ではなく歴史書や地図、気象学や言語学の書物など、手にして開いてみても理解できないものが殆どだ。

 屋根を打つ雨音だけが響く部屋の中、エレナはキャロラインと共に、この部屋の主が父の手掛かりを持って帰ることを待っていた。

 

 雨具を着ながらも、横殴りの雨の為に全身びしょ濡れとなったシュウが戻ったのは数時間の後、豪雨が辛うじて小降りになった頃であった。

「僕が外に出る度に雨が降ってくる」

 雨雲の切れ目から、微かに星が瞬く。季節は巡り、再び闇に閉ざされる冬が迫って来ている。闇夜を悩ましげに見上げながらシュウは呟いた。

「この時期にこの地域で、こんな雨が降るなんて……」

「父の所在はわかったのですか」

 雨具を脱ぎながら不平を(こぼ)すシュウの言葉が終わらない内に、エレナは開口一番に問いかけた。シュウは(しき)りに言葉を選んでいるようであった。その様子を見たエレナは問いを重ねた。

「わかっていることだけで結構です。もし、シュテルマーの情報が偽物で、父が死んでしまっているのであれば、甘んじて現実を受け入れる覚悟はできています。お願いです、本当のことを話してください」

 視線を逸らしていたシュウも、意を決してエレナに向き直った。

「では、わかった事だけ申し上げます。なお僕には大統領からの特命が与えられているので、最高機密の情報も含んでいます。姫様たちを信頼してのことなので、仮に今後僕以外の人間と接触する機会があったとしても、くれぐれも他言無用でお願いします」

 彼のいつになく真剣な表情を前にして、二人は無言で頷いた。

「ゼネバス皇帝生存の情報は、兄である大統領閣下本人が確認したそうです」

 その言葉を聞いた瞬間、エレナから喜びに満ちた安堵の溜息が漏れた。

 お父さんが、生きていた!

 少女時代に抱いた素直な父への思いが蘇っていた。その時のエレナにとって、ゼネバスは皇帝などではなく、中央山脈の麓で待ち焦がれた愛おしい父親であった。

 ところが安堵するエレナの姿を見ても、シュウの表情は曇りがちだった。

「糠喜びをさせてしまって申し訳ないのですが、この話には続きがあるのです。

 実は、ゼネバス皇帝生存を裏付けたのは、あなたの父君と大統領、つまり弟から兄へ、暗黒帝国への警戒を促す最期のメッセージが発見されたからなのです」

「最期のメッセージ?」

 エレナが言葉を繰り返す。安堵の感情が暗転した。

「暗黒軍の裏切りの経緯に加え、敵が開発中の最終兵器と称されるものを一刻も早く破壊するようにと記されていたそうです。長い間戦い続けて来た、弟から兄への懇願の様な文章が認められていたのですが……」

 父が懇願?

 エレナの心にも、深い疑念が湧き上がった。

 あの父に限って、誰かに懇願などするのだろうか。ましてやヘリックⅡ世に。

 情報が漠然とし過ぎている。これではまるで、暗黒大陸に共和国を呼び寄せているようだ。敢えて戦端を開かせ、双方に消耗戦を強いらせるかのように。命と引き換えに残したメッセージにしては、余りに稚拙としか思えなかった。

「機密事項なので、詳細は内務省からも発表されていないのですが、文面からはゼネバス皇帝が最期に残したものと推測されただけで、生存の確証は何もないのです」

 エレナの表情を窺いつつ、次第に伏し目がちになりながら、シュウは語尾を小声にして話を終えた。

 キャロラインは、ただ黙ってエレナの後ろ姿を見つめている。

 三人の間に沈黙が流れ、屋根を打つ激しい雨音だけが部屋の中に響いていた。

 

 沈黙を最初に破ったのは、シュウだった。

「これは取引とお考えください」

 エレナは当惑した。取引とは一体何なのか。

「あの時、姫様たちは僕のガンブラスターをダークホーンから救ってくれました。その時操縦していた元ゼネバス兵の、シュテルマーさん、ですよね、彼と会話しましたね。なんでも構いません。彼は何か言っていませんでしたか。特にその〝最終兵器〟について」

「あの状況で、そんな話が出るわけないでしょう」

 キャロラインが割って入った。微かに目じりに涙を溜めたエレナに寄り添いながら、厳しい視線をシュウに向けた。

「失礼は承知しています。僕もお姉さまの話は嘘ではないと思います。ですが共和国軍は今、少しでも情報が欲しいのです。第二次上陸部隊を派遣してから既に半年が経過し、エントランス湾を中心に暗黒大陸各地の秘密工場らしき場所を探索しているにも関わらず〝最終兵器〟の手掛かりが得られないでいるのです。もしそれが存在しないのであれば、先のあなたの父君の暗号文も偽物となり、ゼネバス皇帝生存の証拠も消滅します。だからどうか、どんなことでもいいのです。思い出すことはありませんか」

 エレナは傍らのキャロラインと顔を見合わせたが、彼女も黙って首を左右に振るだけだった。シュウの質問に、有効な記憶など一つもなかった。

「本当に、何も……」

 シュウはエレナの言葉の途中で頷き、石片標本の並べられた棚の前の椅子に腰を下ろした。

「これも極秘情報ですから、他言無用ですよ。実は最終兵器に関連のあると思われる証拠が確認されています」

 棚の石片を一つ摘むと、シュウは視線をそれに落としつつ話を続けた。

「軍のシールドライガーが、暗黒軍に鹵獲されたアイアンコングと交戦の際、いままで見たことも無い光輪によって一撃で切断されたそうです。恐らく最終兵器に搭載する実験兵器ではなかったかと司令部で判断しています。最終兵器は、確実に開発されているのです」

 エレナにとって複雑な感情が渦巻いた。

 最終兵器が存在すれば、ゼネバスの生存の可能性も高まる。しかしそれが完成することは、命懸けで危機を伝えた父の意志を無駄にすることとなる。謎の光輪は、最終兵器の存在を裏付けているようであったが、父の生存の確証を得るには程遠いものであった。

「僕はこれからサラマンダーで航空哨戒をしながら、大陸内部まで進出します。チャンス少佐には申し訳ないのですが、内緒で直接大統領閣下にお二人の事をお伝えしました。

 喜んでいましたよ。すぐにでも中央大陸に渡る手配をすると言ってました。次の便のタートルシップで、デルポイのバレシア市に戻り、そこからは大統領閣下が直々にお出迎えなされるそうです。ご安心ください」

「姫様、これで中央大陸に帰れますね」

 キャロラインがエレナの手を取り微笑んだが、エレナの中には割り切れない思いが燻っていた。

「シュウ博士」

「シュウで結構です、エレナ様」

「では、私もエレナで結構です」

「姫様、それは」

「そうです。あまり軽々しく本名を名乗られてはまずいでしょう。何か別の名前が必要ですね……そうだ、ルイーズというのはいかかですか」

 シュウは石片から視線を上げて、閃いたように言った。

 ルイーズ。悪くない名だ。エレナは二回、口に出して繰り返した。しかし彼はなぜその名前を不意に思いついたのかが不思議であり、怪訝そうな表情を浮かべるエレナに、その疑問に応じるかのようにシュウは続けた。

「いえ、ゾイド星で発掘された約320万年前の化石人類の女性に付けられた名称なのですが……」

「姫様に原始人の名前を紹介したの!」

 キャロラインが怒り出し、思わずエレナは宥めに入って行った。宥めながらしかし、彼女はある決意を固めていた。

 ルイーズ。ありふれた名前。原始人にさえ与えられるほどの。彼らしいセンスだ。

 そう、ありふれた名前の方が都合がいい。これからの事を考えればなおさらだろう。

「シュウ、お願いです。私を暗黒大陸に残してください。父を助けたいのです」

 石片を掴んだまま身を竦めているシュウと、それに掴み儘ろうとしているキャロラインが同時に振り向く。エレナは続けた。

「父がまだこの暗黒大陸にいるかもしれないのです。父を残し、自分だけ中央大陸に戻ることはできません。もし今デルポイに渡って伯父に会えたとしても、必ず後悔に苛まれることでしょう。せめてもう少し、父の手掛かりを探ってみたいのです」

 その決断が、どれほど身勝手な願いであるかは知っていた。恐らく父がこの場にいたとしても、彼女の願いを拒むであろうことまで含めて。

 繰り返し言葉を変えて彼女の決意を翻そうとした二人だが、努力は徒労に終わった。説得に疲れ根負けしたシュウは半ば尊敬するような表情を浮かべ、キャロラインは早々に説得を諦めていた。

「わかりました。エレナ様、いや、ルイーズ。お二人を正式に僕の調査団に加えるよう、これから大統領に根回しします。何れにしても調査は継続するつもりでしたからね」

 シュウは窓の外の、再び激しさを増した雨の様子を見つめた。

「お気付きですか、この異常な天候を。水蒸気の蒸散の少ない高緯度地域なのにまるで熱帯の様な豪雨が降っています。明らかに気流が変化している。テレコネクションによるブロッキング現象が起きているに違いないのです。

 幸い、首都天文台にパブロ・ディエゴという友人がいまして。変わった人で、進化生物学を専攻したのに何の因果か星を見ているのです。彼が送ってくれたデータによると、ここ数年で大気圏に突入する流星の数が跳ね上がっているのです」

 二人は、シュウに変わり者呼ばわりされる人物がいることにも驚いたが、確かに彼の語ることは現在の天候に照らし合わせても納得ができた。

「このところ流星雨の出現が頻繁になっているのも気掛かりです。

 確証はまだありませんが、宇宙規模での何かが動き出していて、その影響で中央大陸の崩壊が助長されているのではないかと思えるのです」

 激しさを増して降り続く雨を、エレナは不吉な予感と共に見つめていた。その予感が的中する前に、何としてでも父との再会を果たし、救い出す。

 先ほどの件を蒸し返して言い合いを続ける二人が、今は何よりも心強く思えた。

 シュテルマーは去って行った。でも私は一人ぼっちではない。例え敵となっていた伯父ヘリックⅡ世の力を借りてでも、必ず父を救い出すのだと。

(お父さん、待っていてください。必ず私があなたを救い出します)

 息で曇った窓ガラスに、彼女はその細い指先で、小さなゼネバスの紋章を描いていた。

 

 同時刻、彼女の知る二人の人物が、彼女と同じように暗黒大陸に降り続く豪雨を見つめていた。

 灰色のカーテンとなって辺り一面を覆い尽くす雨の中、灯された明かりによって辛うじてそこに存在することがわかる程度の、小さな建物であった。周囲に巡らされた鉄条網には、軍の施設を示す〝フンスリュック基地〟という案内板が掲げられている。

「シュテルマー大尉殿、雨がそんなに珍しいですか」

 建物の中、香りを楽しむように口元に白磁のティーカップを近づけ、長椅子に深々と凭れた暗黒軍の佐官と、少し結露した窓を前に立つシュテルマーとがいた。

 雨など珍しくも無い。

 彼は生存が確認されたという元皇帝ゼネバスとの面会が、未だに許されないことが恨めしかった。

 ゼネバスは首都ダークネスに移送されたと伝えられ、一部の旧ゼネバス兵達が実際に元皇帝と謁見し、感涙に咽びながら宿敵ヘリック共和国との戦闘継続を誓ってきたという話を聞いていた。それがガイロス側の流したデマではないことは確かだろう。

 彼のゼネバスとの謁見を妨げていた理由に、キシワムビタ城防衛の為の独断先行による命令違反が挙げられていた。エレナ一人を守るために率いていた精鋭ダークホーン部隊を壊滅させ、自機さえも破壊してしまった。そんな彼を迂闊にゼネバスに謁見させれば、どの様な事態が発生するかわからない。ガイロス側にとっては、彼の父ガンビーノとゼネバスとの確執など知らず、ただ単に忠実な親衛隊の生き残りとしてしか認識していなかったのだ。

 そして彼自身もまた、この状況を甘んじて受け入れていた。ガイロス側の疑念を払拭する為にも、戦場で結果を出す他にない。新型ゾイドの投入時には様々なトラブルが付き物であるが、敢えて初陣の危険を冒すことで暗黒軍内部での立場を回復させようとしたのだった。それがいずれ元皇帝ゼネバスとの再会に繋がるものと信じて。

 地表に僅かに現れた監視棟の真下、地下のフンスリュック大空洞を利用した空間には広大な秘密工場が築かれ、完成を目前にした〝最終兵器〟が、今まさにコアに命の火を灯されようとしていた。それは彼が待ち望んだもの、求めていたゾイドであった。ゼネバスの生存が確実であればそれでいい。自分が行うべきことは他にもある。地下工場の様子を映し出すモニターに目をやりながら再び窓の外を眺めていた。

「余程私と顔を合わせるのが嫌いとお見受けする。結構。憎まれるのには慣れております」

「ヴァーノン中佐、他意は有りません。自分はただ一刻も早く空に飛び立ちたいだけです」

 感情の込められない事務的な返答だった。背後の佐官は気にもかけずに薄笑いを浮かべていた。だが次に投げかけられた話題は、悪意に満ちていた。

「大尉殿もいかがですか。この紅茶、なかなかのもので。

 中央大陸は恵まれていますね。我々ニクスの地では、この様な贅沢品、滅多に手に入る物ではありません。キシワムビタが破られ、残された姫様の置き土産を押収しなければ味わうこともできなかった代物です」

 シュテルマーは思わず振り向いた。

「城の一件については、貴公も不運だったことは認めましょう。まさか間に合うとは」

 振り向いた視線が偶然重なり、ヴァーノンは咄嗟に視線を逸らす。

「失敬、此方の話です。それよりも貴殿は姫様とは少なからずの因縁がある身でしょう。久しぶりに姫様と同じものを味わうのも一興かと」

 佐官が手にしている器が、想いを寄せていた女性のものであったこと知らされた。見覚えがある。白磁の器は可憐で美しく、そして儚げで、訣別したそのひとの面影を何処かに宿しているようだ。しかし、いまそれを手にしている者を見るのは辛い。動揺を表情に出さないように必死に堪えた。

 今は遠慮しておきます、と答えるのがやっとだった。

 見るとその佐官は、薄いファイルを手にして彼を凝視していた。

「残念ですね。まあいいでしょう。今日は茶を飲むために来てもらったのではないのですから。実は面白い情報を手に入れたのですよ。〝最終兵器〟をお披露目するには、絶好のイベントとなるものを」

 ファイルを掲げながら、彼は自慢げに語り出した。

「先週、成層圏付近を飛行していた我が軍のブラックシャトルから、第三衛星軌道の更に内側に、直径数百m程の岩塊が非常にゆっくりとした速度で、ゾイド星を周回しているとの報告を受けました。このところの流星群の中で、地表に落下し損ねた岩塊が、偶然ゾイド星の重力圏に捉まっていたようです」

 片手でファイルを開きながら、ヴァーノンはあるページを指さした。

「この岩塊、重力的に非常に不安定で、少しの刺激でたちまち隕石と化して地表に落下させることが可能だそうです」

 彼は紅茶を飲み干した。

「これを敵の橋頭堡に叩き付ける。その混乱に乗じ〝最終兵器〟で蹂躙する。面白いプランだとは思いませんか」

 

 最大のプロパガンダとなることは理解できた。共和国にとっては衝撃だろう。だがこの男は、自分たちの住む大地に隕石を落とそうとしているのだ。

 

「小賢しいエントランス基地など消滅させてやりましょう。奴らに訪れるのは、天より降り注ぐ地獄の業火と、巨大な黒い翼となるのです」

 

 ヴァーノンは、まだ笑っていた。それも心底楽しそうに。

 

 ギルベイダーの完成は間近であった。

 


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